第一話 日本消滅の日
赤澤幸一は途方に暮れていた。
自分の息子、赤澤秋人が肩を震わせ泣き叫ぶのをやめないからだ。
幸一は今自分たちがいるニューヨークの空港をグルリと見まわした。周りの何人かがこちらをチラリと見て、少し怪訝そうな顔してからすぐにこちらに興味を無くしていった。
息子に気が付かれないように幸一は溜息を小さくついた。秋人が泣きじゃくる姿を見て面倒に思うものの、同時に罪悪感を覚えている。
思えばこうやって秋人とまともに顔を合わせるのも数年ぶりだった。
(そういえば秋人っていくつになったんだろうか……)
小学5年生か、6年生か。中学生ではないのは確かだが、どうにもこうにもあやふやだった。
気まずそうに後頭部をポリポリと掻いてみる。
「な、秋人。そろそろ泣き止んでくれないか?」
懇願するように問いかけた。
「いやだ! お父さんが日本に帰ってくるまで僕も帰らない!」
しかし秋人は強い拒絶をもって応えた。
幸一が外交官としてアメリカに単身赴任してもう5年が経っていた。その間に幸一が東京にある自宅に帰ったの数えるほどしかなかった。
そのことを妻から電話越しに嫌味を言われたのも一度や二度ではない。秋人への「今度遊びに行こう」という約束も幾度となく破っていた。
もちろん幸一にも反論はある。そもそもこの外交官としての仕事も家族を養うためだ。事実、家族は東京の安くはないマンションで少なくとも生活に関しては不自由なく暮らしているはずだ。なのになぜ自分が責められなければいけないのか。そして自分は誓って妻以外を愛したことはない。この5年間、家族と日本に尽くしてきた。そう考えると妻や息子の態度に理不尽にすら感じてしまう。
とはいえ、だ。
幸一自身、わが身の恐ろしいほどの出世欲は自覚していた。今より少しでも地位のある立場にいたい――それは言い訳できない感情だった。そしてそのためには家族すらも疎ましく思うことがあるのも事実だった。
その言い訳のためかもしれない。
今回息子の秋人をアメリカに呼んだのも、その後ろめたさと自身の仕事への理解を求めたものだった。もちろん、まだ小学生の息子にそれを理解出来るはずもなかったのだが。
(だから彼女も来てほしかったのだが……)
息子と共に妻も来るようにいったのだが、彼女は来なかった。
妻に幸一は何度も浮気を疑われたが、今回の件で妻こそ浮気をしているのではないかと疑ったものだ。
もっとも、彼女が浮気していたところで幸一は咎めはしないだろう。浮気ぐらいで夫婦仲が保たれるのならば安いものだ。
彼のこういう考え方が家族の不和を生み出しているとは、幸一は一生気が付かない。
とにもかくにも、泣いている息子に手をこまねいていると。先ほど電話がかかってきたとかでその場から離れていたカワサキが戻ってきた。
「どうしたんですか? 何の電話ですか?」
カワサキは幸一の同僚であり、友人でだった。彼自身は日本人名で、日本人の顔立ちだったが日系アメリカ人である。こちらで仲良くなり、幸一も信頼していた。
そして妻の代わりに秋人を連れてきてくれたのもこのカワサキである。
そのカワサキが妙に厳しい顔をして、幸一の顔を見つめていた。
何かを迷っているような、そんな顔だった。
「どうしたんですか?」
幸一はもう一度同じことを尋ねた。
「赤澤さん。電話の電源入ってますか?」
「あ、いや申し訳ない。今日ばかりはオフにしていました」
「なるほど……」
「どうしたんですか? 何かありましたか?」
カワサキは少し逡巡して、その後意を決したようにポツリと言った。
「先ほど連絡がありました。……日本が消滅したそうです」
「……なんですって?」
意味が分からず幸一は聞き直した。しかしカワサキの言葉は変わらなかった。
「日本が消滅したんです」
「……申し訳ない。意味が分からない。他国から攻撃されたとか、そういう意味ですか」
「そうじゃないんです。この地球上から消滅したんです。日本という土地が!」
そのとき、空港からアナウンスが流れた。妙に慌てたような女性の声だった。
「16時に予定してました日本着のフライトは中止となりました。また、これ以降の日本向けのフライトはすべて未定となっております。繰り返します。16時に予定しており……」
そのアナウンスを虚ろに聞き流しながら幸一は秋人を一瞥した。幸一が決して全ての状況を理解したわけでもないし、これからどうなるかも分からない。
しかしこれから起こることを想像してウンザリするような気分になったのだけは確かだった。