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ミッドナイトブルース

作者: オダ 暁

青春の1ページ


ほろ苦い半自叙伝

 うだるような熱帯夜。

 クーラーはおろか扇風機もない、あたしの部屋はまるで蒸し風呂だ。じめついた熱気が好きだから、汗を流すことが快感だから、という理由で、あたしは冷房器具を部屋には置かない。寝つけなく、深夜ふいに起き上がりベッドから抜け出すのが、最近では日課みたいになっている。

あたしが眠れないのは暑さのせい?それとも悪夢を見たから?

いつもいつも同じ夢だ。再現フィルムのように同じ場面を繰り返す。あの燃えたぎった夏。火傷しそうな本物の夏。そして、なつかしい仲間たち。彼らと過ごした横浜の本牧埠頭やチャイナタウン・・・




 八十年代前半、当時あたしはまだ高校生で、眠い授業をさぼり<アンバサ>によく通った。<アンバサ>は本牧埠頭のはずれにある煉瓦造りの小粋なライブハウスだった。昼間は喫茶店で、仲間たちとの溜り場になっていた。


 悟と雅也は・・ ・・いかした男の子たちだった。二人とも都会的で垢抜けた容姿をしていたが、親しくなってみると彼らの印象はまるで違った。


 インディアンを思わせる荒削りの顎と鋭い眼差しをした悟は、顔つきに似合った豪快な性格の持ち主で、いっぽう雅也は涼やかな目鼻立ちに翳りのある瞳がセクシーな、繊細でひょうひょうとしたタイプだった。


 二人でバンドを組みギターをがなりたてて歌う姿は気絶しそうに悩ましく、黄色い声で騒ぐグルーピーの女の子がいっぱいいた。彼らは湾岸沿いをバイクでぶっぱなし、安酒をかっくらい、ときどきアルバイトにでかけた。本当はどこかの専門学校の学生らしかったが、学校に行っている様子はまるでなかった。もっとも、それはあたしも同じようなものだったから他人のことは言えない。


 アユミは二つ年上の浪人生。でも受験するかどうか迷っていて、やれソクラテス、プラトンと、およそ場違いな会話をがんがんうるさい店で平気でする娘だった。でも、結構それもおもしろくて、あたしは嫌じゃなかった。今思えば、あたしの、あたしなりの哲学の土壌は学校や本からじゃなく、彼女との会話から得た気がする。


 それからマリ。あの娘はたしか彼氏と同棲していた。高校を中退して故郷を家出同然に飛び出してきたそうで、本牧の繁華街にあるファーストフード店で働いていた。顔も性格もめっぽう可愛く、もしもあたしが男だったら横恋慕していたかもしれない。


 あたしたち五人が親しくなったきっかけは何だったのだろう。不思議にそのへんの記憶が抜けている。気が付いた時には彼らはあたしの傍にいて、いつも一緒だった。<アンバサ>の丸テーブルを囲んで、雅也と悟は口癖のように言ったものだ。




「俺たちさ、いつか音楽でメシ食えるようになりたいんだ、スカウトされなきゃ、その関係の仕事でもいいよな、悟?」


「でもよ、やっぱ一旗上げて矢沢永吉みてえにビッグになりてえよ、人生ロックン・ロールだぜ、この間の武道館コンサートで永ちゃんがそう言ってたからな」




 そんな時、うまい合いの手を差し出すのは決まってアユミだった。




「そうよ、そうよ、男は夢を持たなきゃ駄目・・ただ平凡に可もなく不可もなく生きていくなんて愚の骨頂よ」


「人間は常に進化していく動物よ、親や先生のいいなりじゃパンツをはいた猿と変わらないわ」




 などと、少々説教がましいが愉快なことを彼女は大真面目な顔で言うのだった。マリはそれを聞くたびに感心して大きくうなずいたり、或いは鈴みたいな声でころころと笑った。


 チャイナタウンの美味い中華料理屋にくりだしたり、カップルだらけの山下公園や港の見える丘公園をうろついたり、時には彼らのバイクの尻にまたがって暴走族まがいの事をした・・彼ら以上の友達を、あとにも先にもあたしは知らないし持たない。残酷なほど若すぎた、まぎれもない青春の日々だった。


 しかし平和な日は長く続かなかった。あたしたちの正五角形の均衡が崩れていった原因は、陳腐だけどやはり恋愛だったと思う。あたしとアユミは同じ男に恋をしてしまった。相手は雅也。




「あんたには絶対、雅也を渡さないからね」




 そう、あたしに言った時のアユミの顔はまるで夜叉のようだった。


 また悟は悟であたしのことを想ってくれていたのだ。それは普段の何気ない態度で気づいていたが、あたしは知らぬふりをしていた。とうに雅也を好きになっていたから。しかし他人の心を操作できるはずもなく、結果的にややこしい愛憎相関図ができあがり、マリだけがおろおろと蚊帳の外にいた。




「ねえ、最近なんか変じゃない・・アユミと何かあったの?」




 素直でやさしいマリに聞かれても、まさか「男の争奪戦よ」とも言えず、いい加減な返事をしていた。


 あたしのどこに、あれほどの情熱が秘められていたのだろう。いつしか寝食も忘れ四六時中、熱病患者さながら雅也に恋焦がれていた。悪魔に魂を売ってもいいとさえ思い、アユミのことももうどうでも良くなっていた。


 狂気にも似た願い。アユミもきっと同じ気持ちだったにちがいない。この恋がかなうなら死んでもいいくらいに。そして、あたしは想いをおさえきれず、ついに雅也に告白したのだった。心臓が飛び出しそうに緊張しながら、彼の伏し目がちな眼の前で自分が溶けたバターにでもなったかに感じながら、それでもなんとか伝えたのだ。


 港湾倉庫の立ち並ぶ、ひとけのない埠頭で。熱気のある潮風が吹き抜け、鮮やかな夕映えが息苦しいほど眩しかった。ほとんど呼吸困難になりかけていたあたしに雅也は穏やかに応えてくれた。




「俺も・・同じ気持ちだよ、だけど悟が君に惚れているから打ち明けられなかった」


「ほんとうに?」




 天にも昇りそうな思いで何度も尋ねるあたしを、雅也はとびきりの笑顔でいきなり荒々しく抱き寄せた。干し草の匂いのする、その広い胸の中に。




「でも、アユミの気持ち知ってるんでしょう?」




 興奮のあまり、つい口を滑らせた。




「ああ、だいぶ前に打ち明けられた、でも友達以上の気持ちはないって答えたよ」




 そんなことがあったとは全然知らなかった、予想はしていたけれど。




「あいつらも今にわかってくれるさ」




 あたしもそう信じたかった。


 その日を境に、雅也は、あたしの本当に特別な人になった。初めて触れた彼の唇、豹のようなしなやかな小麦色の肢体、そして二人だけの甘美な秘密・・・まどろむことさえできなかった、命のほとばしるような、あんな熱い夜は二度と再びないだろう。


 ばら色に輝く有頂天の日々。でもあたしは幸せに酔っていて気づかなかった、悟やアユミの気持ちに。彼らもあたしと同様、とっくに魂を悪魔に売り渡していたのだ。アユミにそそのかされた悟は雅也に勝負を挑んだのだった。そして雅也はそれに応じてしまった。これは単なるケジメの儀式だから心配するな、と言って。


 勝負は通称「ゼロヨン」と言われるゲームで、いきがったハマの暴走族が好んでやったものだ。道路の真ん中の白線上に四百メートルくらい距離を置いて、二人がバイクに乗って向き合い旗の合図によって突進する。さいしょに白線からそれたりブレーキをかけた方が負けという、単純かつ野蛮なルールだった。


 あたしは、たかをくくっていた。二人とも気持ちに決着をつけたいだけで、けっして命をかけてまで無茶はしないだろうと、でも雅也と悟は本気だった。ぎりぎりまでブレーキを踏まなかった。ぶつかる直前、彼らは何を思ったのだろう。後悔したのだろうか。ひどく仲がよかった、そのぶん彼らはライバル同士でもあった。最後に頭にあったのは、あたしなんかじゃなく男の意地だけだったのかもしれない。


 炎天下、加速しすぎたバイクは互いを避けきれず、鈍い音をたて交差するようにして激しく衝突した。その瞬間彼らの身体は宙に大きく舞い上がった。ぎらぎらした真夏の光に射抜かれ、空の青に溶けて。そして、あっという間もなく落下し、アスファルトに叩きつけられた。


 うつぶせに四肢をねじり、ぴくりともしない雅也と悟。遠くまで転がったヘルメット。あたしたちは狂ったように彼らの名前を呼んだ、何度も何度も。救急車のけたたましいサイレンの音が遠くから聞こえ、担架をかついだ救急隊員らが血に染まった二人を車内に運び込み、それから後のことは、もう・・ ・・思い出したくない。


 雅也は病院で息をひきとった。十九歳だった。成人式なんか俺はまっぴらだって、いつも言ってたけど本当にその通りになってしまった。アユミやマリの泣き叫ぶ声が廊下中に響き渡り、あたしは涙も言葉も出ず、その場に立っているのが精一杯だった。


 悟は意識不明の重体、助かったのかどうか今でもわからない。




「あんたのせいよ」




 とあたしに言ったのはアユミだった。そうかもしれない。でもエデンの園の邪悪な蛇はアユミ、あなただったのよ。最後にマリに会った時にすべて聞かされたのだ。勝負の前夜、酔ったあなたがつい彼女に洩らしてしまった恐ろしい企みを。




「どっちが勝とうと、私そんな事もうどうでもいいんだ。どうせ雅也は振り向いてくれないんだから・・ ・・でもね、もし悟が勝ったらあの二人を別れさせれるじゃない?雅也の性格じゃあ男同士の約束を違えてまであの女と付き合うとは思えないって悟にけしかけたら、案の定すぐ飛び付いてきたわ。ま、仮に雅也が勝ったらそれはその時・・ ・・でも一番願ってるのは、彼が事故って死んでくれることかな。そうすれば誰にも渡さなくてすむものね」




 アユミはほくそ笑みながら、そう喋ったらしい。マリはあたしに泣いて謝った。どうあっても止めるべきだったと。それはあたしも同罪だ。アユミが蛇ならば、あたしは禁断のりんごの実だったのだ、少なくても彼らにとって。出会わなければよかったのだ。そうすれば、彼らは楽園を追われることはなかっただろう。


 事故の現場はには、花や線香、それにビールや雅也が愛飲していた煙草のラークが共えられていた。<アンバサ>の常連によるものだった。男二人を手玉にとり、死傷させたというスキャンダラスな噂よりも、最愛の恋人を失った悲しみに耐えきれず、あたしは仲間たちから離れ、学校に戻った。まっとうな高校生として生きなおす為に。


 でも雅也・・あんたのことずっと忘れられなかった。夏が巡るたび思い出した、一番好きで一番悲しい季節。できるなら、あの夏のあの場所に戻ってもう一度逢いたい・・ ・・ ・・。




 窓辺にもたれたまま、あたしは外をぼんやり眺めていた。いつもの見慣れた光景。ねっとりと暑い、ただそれだけの街。まだらに灯るビル群の上を黒々とした闇が見渡す限りに広がっている。永遠に覚めやらぬよう、重く深く、森閑として。夜明けはまだ遥か遠い所にあった。


 何年か前に急に思い立ち、一度だけ本牧に行ったことがある。十数年ぶりに。潮の匂いがするあの街に。


 事故の凄惨さの名残はどこにもなく、港には外国船が停泊して、かもめが飛びかい海はひたすら穏やかだった。あたしは花束を波間に投げた。<アンバサ>は殺風景なレストランに建ち変わり、店も人もあとかたもなく消えていた。




炎色の熱帯夜


あたしたちの終わらない夏が眠る

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