まるで夢であるような
「おのれ……勇者めえええええぇぇ!」
迫りくるリリィを見て、魔王は流れてきた涙を乱暴に拭うと、かつて自分が破壊した大木ほどの太さのある柱を手に取って、リリィに向けて振るう。
「――っ、甘い!」
そんな大振りの攻撃がリリィに当たるはずもなく、彼女は紙一重で回避して魔王の手首を斬り落とすために剣を振るう。
しかし、刃が魔王の腕にぶつかると同時に、刃が根元から折れて粉々に砕け散る。
「んなっ!?」
これまで幾度となくリリィの無茶な要求に応えてくれた愛剣だったが、彼女の体力が尽きるより早く限界を迎えてしまったようだ。
しかも、不幸にも予定の手ごたえが得られなかったことで、リリィは態勢を崩してその場に突っ伏してしまう。
「しまっ……」
一刻も早く立ち上がらねば、と思うリリィが顔を上げると爛々と怪しく光る目でこちらを見ながら大きく腕を振りかぶっている魔王と目が合う。
「…………ようやく隙を見せたな」
その顔は、ようやく念願が叶ったと嬉々とした表情を浮かべていた。
「これで、我の勝ちだあああああああああああああああああああああぁぁぁ!」
勝利を確信した魔王は、リリィ目掛けて渾身の拳を振り下ろす。
「――っ!? こうなったら……」
回避は不可能と判断したリリィは、せめて命だけは拾おうと腕を捨てる覚悟で、腕を十字にして防御姿勢を取る。
「ハハハ、無駄だ! 無駄だ! その細腕ごと全てを叩き潰してくれるわ!!」
その魔王の言葉通り、リリィの腕では攻撃を防御したところで、その防御ごと貫かれて潰れて死ぬのは必然に思われた。
だが、それでも最後の一片まで、決して諦めない姿勢は貫くつもりだった。
「お兄様……」
迫る拳を前に、死を覚悟したリリィの目から一筋の涙が零れる。
どうせ死ぬにしてもライルに顔向けできないような、無様な姿は晒すまい。
それが勇者としての、ライルの妹として育てられた者の矜持だった。
「私、最後まで勇者として立派に生きられたでしょうか?」
「さあ、その結論はちょっと早いんじゃないかな?」
「えっ?」
思わず漏れた呟きに返事があり、リリィはハッとして顔を上げる。
すると目の前に、いつの間にか瑠璃色の全身鎧を着た何者かの背中が見えた。
一体誰? とリリィが思うと同時に、
「はあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!」
瑠璃色の鎧を着た戦士が裂帛のかけ声を上げながら拳を振り抜き、魔王の拳と正面からぶつかって凄まじい衝撃波を周囲に発生させる。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!」
その衝撃波をまともに受けたリリィは、悲鳴を上げながら地面をゴロゴロと転がる。
吹き飛びながらも、どうにか態勢を立て直さなければと思うリリィの体が、何かにぶつかって急に止まる。
壁に激突したかと思ったが、それにしては受けた衝撃は少ない。
一体何にぶつかったのだろうかと思ったリリィが、薄く目を開けると、
「大丈夫か?」
そこにいるはずのない人物がリリィの顔を覗き込んでいた。
その顔を見た途端、リリィの目から涙が溢れ出す。
そんなはずはない。
これはきっと自分の弱い心がみせている幻だ。
もしくは、魔王による新たな精神攻撃に違いない。
いくつもの考えが浮かんでは消えて行く中、それでもリリィは藁にも縋る思いで手を伸ばして、目の前の人物の頬に手を当てながら声をかける。
「お兄様…………なのですか?」
「ああ、そうだ。リリィ、よく頑張ったな」
「――っ!?」
ライルに名前を呼ばれた瞬間、リリィは思い浮かんだ数々の疑念の全てを振り払い、兄の首に思いっきりしがみつく。
「お兄様! お兄様! お兄様あああああああああああああああああぁぁぁ……ああ、うわああああああああああああああああああああん!!」
これまで必死に守って来た勇者としての意地も、矜持もそこにはなかく、ただ兄の無事を喜ぶ一人の少女がいた。
「怖かった! お兄様がいなくなって……一人になってしまったと思って悲しくて、泣きたかったのにでも泣けなくて…………ああああああああああぁぁん!」
「よしよし、辛かったな」
顔をぐちゃぐちゃにしながら号泣するリリィをライルは優しく抱き締め、背中を擦ってやりながら受け止める。
ちらと顔を上げれば、過去の勇者と魔王が拳でやり合っているのが見える。
「な、何だお前は……一体何処から現れた。どうして我の空間に入っている?」
いきなりの乱入者の登場に狼狽える魔王に、過去の勇者は全身鎧を着ているとは思えないほど身軽に攻撃を捌きながら軽妙な口調で話す。
「さあ? 少なくとも魔王の敵であることだけは確かだぜ」
そう言って攻撃を仕掛ける過去の勇者は、聖剣は疎か武装の一つもしていなかったが、実に四百年もの間、修練を欠かさず積んでいたというだけあって、徒手空拳の戦いで魔王と互角に渡り合っていた。
あの様子ならそれなりに時間を稼いでくれると踏んだライルは、首元にしがみついて離れないリリィの背中を擦りながら優しい声音で話しかける。
「安心しろ。これからは我がずっとリリィと一緒にいてやる」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「もう、二度とご自分のことを、路傍の石なんて卑下しないでくれますか?」
「ああ、約束しよう」
「これからは、仲間として一緒に戦ってくれますか?」
「ああ、そのつもりだ。もう、リリィ一人を戦わせるつもりはない」
もう信念がどうかとか、余計なことを言うつもりはなかった。
これからは一人の兄として、妹を全力で守りたい。そう強く思っていた。
「…………」
ライルからの解答を聞いたリリィは、顔を上げて呆然と兄の顔を見ていた。
ようやく泣き止んだリリィを見て、ライルは内心でホッと一息吐きながら、微笑を浮かべる。
「どうした? まだ何かして欲しいことでもあるのか? 何かあるなら今のうちに言っておけ」
「は、はい、では……これからも時々、私の頭を撫でて下さいますか?」
「ああ、お安い御用だ」
「で、では、夜寂しい時は、一緒に寝てくれますか?」
「まあ、それぐらいなら構わん」
「これからはおやつの時間を、一日二回にしてもいいですか?」
「食べ過ぎない程度ならな」
「ではでは……」
「…………」
抑圧された感情が爆発したのか、リリィは今置かれている状況を忘れてライルに次々と要求をしていく。
「では次はですね……」
まだまだ止まらないリリィの要求に、ライルは手を振り上げると、
「いい加減にしろ。このたわけ!」
我儘言いたい放題の妹の頭に、容赦なくチョップを振り下ろした。




