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潮目が変わる時

「わあああああああああああああああああああぁぁぁ!!」


 決死の形相でグランデラパスに襲いかかったリリィは、すれ違いざまに怪鳥の目を横一文字に斬り捨てる。


「――ッ、グゲゲゲエエエエエェェェェェェェェ!!」


 左目を斬られたグランデラパスは、痛みから必死に逃れようと、巨大な体と翼を滅茶苦茶に動かす。

 その行動は、これまで幾度となくグランデラパスに見られた行動で、リリィはその隙を突いて怪鳥の攻撃が届かない場所まで逃げる予定だった。


 だが、ゴブリンから始まる連戦でリリィの疲労もかなり蓄積しており、


「くうっ……」


 体力の限界に達したのか、リリィの視界が一瞬だけ靄がかかったように白く染まる。


(このままでは、いけない!)


 咄嗟に身の危険を感じたリリィは、慌ててかぶりを振って意識を覚醒させる。



 そうして視界こそすぐに取り戻したリリィだったが、そんな彼女の目に飛び込んできたのは、グランデラパスが無茶苦茶に振り回している巨大な羽だった。


「――っ、しまっ!?」


 疲労で前より離脱距離が稼げなかったことを悟ったリリィは、回避は不可能と判断して剣を捨てると、両手を眼前でクロスさせて防御姿勢を取る。


「あぐっ!?」


 防御自体は上手くいったが、攻撃の勢いを殺し切れなかったリリィは、そのまま羽の直撃を受けて軽々と吹き飛ばされる。


「リリィ! いけない……」


 天高く舞い上がったリリィを見て、アイリスは樫の木の杖を振るって素早く魔法を唱える。


「体が汚れてしまいますが、悪く思わないで下さいまし…………マッドレットサークル!」


 アイリスが樫の木の杖を地面に向けて振るうと、紫色の軌跡で描かれた円の中にある土が大きく波打ち出す。



「きゃああああああああああああぁぁ……」


 同時に、重力に従って落ち着てきたリリィが、アイリスが魔法をかけた地面の上へと落下してくる。


 そのまま地面に強かに打ち付けられるかと思われたリリィの体は、まるで池に落ちたかのようにドボン、と土の中に全身が埋まる。


「うわっぷ……えっ、い、痛くない…………けど、な、何?」

「リリィ、大丈夫ですか?」


 混乱している様子のリリィに、アイリスが樫の木の杖を差し出しながら説明する。


「あのままでは危険と思って、咄嗟に沼を造りましたの。さあ、早くこれに掴まりなさい」

「は、はい……ありがとうございます」


 手を伸ばしてリリィが樫の木の杖の先端を掴むと、アイリスが勢いよく泥の中から引っ張り上げてくれる。



 一国のお姫様にしては思ったより強い力で引っ張り上げられ、どうにか泥から這い上がったリリィは、膝を付いて大きく嘆息する。


「……はぁ……うぅ、ベタベタです」

「怪我を負わなかっただけ感謝して欲しいですわ。ほら、顔だけでも拭いて差し上げますからおとなしくなさい」


 アイリスは懐からレースの付いた上品なハンカチを取り出すと、リリィの顔についた泥を丁寧に拭いていく。


「ア、アイリス、悪いですよ……」


 滑るような滑らかな肌触りに、間違いなく上等なハンカチだと察したリリィは、思わず顔を背けながら申し訳なさそうに眉を下げる。


「私の顔の泥を取るために、そんな高そうなハンカチを使うなんて勿体ないです」

「何馬鹿なことを言っているの! いいから、とっとと汚れを落として逃げますわよ」


 逃げようとするリリィに、アイリスは彼女の手を掴んで引き止めると、容赦なく顔の汚れを拭いていく。


「さあ、取れましたわ。早く次の攻撃に備えるために逃げますわよ」

「ええ、わかっています……でも、何時まで続ければいいのでしょう」

「知りませんわ。リリィのお兄様なら知っているかもしれませんけど、一体何処で油を売っているのやら」


 ライルの文句を言いながら、アイリスはリリィへと手を差し伸べる。


「さあ、早く立ちなさ……」


 グランデラパスの様子を見たアイリスの手が途中で止まる。


「アイリス……」


 呆然と立ち尽くすアイリスを見て、リリィも彼女が見る方を見る。


「あっ……」


 そこでリリィもアイリスが何を見たのかを理解する。



 これまで幾度となくグランデラパスに致命傷を負わせても、黒い触手によって阻まれてきた。


 だが、とうとう不死使い(ネクロマンサー)による力が尽きたのか、グランデラパスは左目からとめどなく血を流しながらリリィたちを睨んでいた。


「グランデラパスが……」

「ええ……回復しませんわね」


 どうして不死(アンデッド)の効果が消えたかは不明だが、訪れた千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかなかった。



 アイリスは高級そうなレースのハンカチを、自身の服が汚れるのも構わず慌てて懐にしまうと、樫の木の杖を手に取ってリリィに向かって叫ぶ。


「これで終わりにしますわ。リリィ、十秒で構いませんから、グランデラパスの動きを止めて下さいまし!」

「わかりました。お任せを!」


 アイリスの指示にリリィは首肯すると、自分の剣を拾うために走り出す。


「いきます!」


 土に突き刺さっていた剣を拾ってグランデラパスへと向かうリリィを見て、アイリスは樫の木の杖を胸に抱いて大きく息を吐く。


「はぁ……お兄様。アイリスは今、あなたの仇を討ちます」


 決意の言葉を口にしながらアイリスは、グランデラパスを倒すための魔法を詠唱する。


「赤い、朱い、紅い炎帝よ……」


 謳うようにアイリスが魔法の詠唱を紡ぐと、彼女の周囲に様々な赤、朱、橙、白と様々な色の光の玉が出現する。


「我と其の前に立ち塞がりし漆黒の闇を払う刻、来たれり……」


 光の玉はアイリスの周囲をふわふわと漂っていたが、彼女が樫の木の杖を指揮棒のように動かす度に、それに合わせて踊るように跳ねまわる。


 その幻想的な光景は、圧倒的な破壊を生むはずの魔法を唱えているはずなのに、まるで光の玉と舞踊をしているようで、不思議と神聖な雰囲気を持ち合わせていた。


 その様を一言で言うなら、戦場に舞い降りて死んだ戦士の魂を天界へと誘う、戦女神のような美しさがあった。

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