ピンクのお姫様
「…………えっ?」
いきなり目の前が炎に包まれ、二体のゴブリンの断末魔の悲鳴を上げながら死んでいく様を、リリィは信じられないものを見るように呆然と見つめる。
どうして? 何で? こんな何もないところに火が? ゴブリンは死んだの? いくつもの理解不能な事態が重なったことで、リリィの頭はショートしてしまっていた。
だが、それは非常に危険なことであった。
もし、ゴブリンを焼き殺した何者かがリリィに悪意を持っていた場合、今の彼女は恰好の的であった。
「あの莫迦……」
そのことを察したライルは、御者台から飛び降りて駆けながらリリィに向かって叫ぶ。
「リリィ、油断するな!」
「――ハッ!?」
ライルの一言で我に返ったリリィは、弾けたようにその場から飛び退くと、周囲を警戒するようにジリジリと移動して、近くに落ちていたゴブリンが使っていた棍棒を拾う。
「………………すぅ……はぁ………………」
乱れた呼吸を整えるように、何度も深呼吸をしながらリリィが周囲を警戒していると、ライルが隣にまでやって来る。
「……全く油断し過ぎだ」
「す、すみません。お兄様……わぷっ!?」
反射的に頭を下げるリリィの顔に、何か柔らかいものが投げ付けられる。
一体何だろうと思いながらリリィが顔に張り付いた物へと手を伸ばすと、それは綺麗に洗濯されたタオルだった。
タオルを手に呆然とするリリィに、ライルは「フン」と鼻を鳴らしながら早口で指示を出す。
「ほら、綺麗な顔が台無しだ……それで汚い血を拭いておけ」
「お、お兄様……」
ライルの思わぬ優しさに、リリィは棍棒を取り落として感動したように目を潤ませる。
それを見て、ライルはバツが悪そうに顔を逸らす。
「……早く拭くんだ。まだ安全と決まったわけじゃないからな」
「ハイッ!」
元気よく返事をしたリリィは、丁寧に……でも素早く顔を拭くと、ライルから受け取ったタオルを大事な宝物をしまうかのように大切に畳んで懐へとしまう。
そうして改めて棍棒を手にしたリリィは、ライルを守るように前へと出て油断なく棍棒を構える。
「どんな魔物が現れても、お兄様は私が守りますのでどうかご安心ください」
「その心配には及びませんわ」
すると、リリィの声に反応するように、思いのほか近くからか声が聞こえる。
「だ、誰!?」
声のした方へ武器を構えながら、リリィは緊張した面持ちで話しかける。
「もし、敵でないというのなら、姿を見せて下さい」
「言われなくても、今そちらに行きますわ」
よく響くソプラノボイスでリリィに応えた声の主は、ガサガサと草を掻き分けながらこちらへとやって来る。
そうして現れたのは、淡いブルーのローブに身を包み、背丈ほどの大きな樫の木の杖を持った美しい女性だった。
「全く……すっかり草まみれになってしまいましたわ」
ブツブツ文句を言いながらローブについた草を手で払った女性は、セミロングに切り揃えられたピンクブロンドの髪を手で掻き上げながら、ニヤリと自信を覗かせた笑顔を見せる。
「全く、あの程度のゴブリンに手こずるなんて、噂の勇者様は案外たいしたことないですわね」
「むっ……」
いきなり現れては小馬鹿にするようなことを口にする女性に、リリィは頬を膨らませて不満そうに口を尖らせる。
「べ、別に手こずってなんかいません! ただ、ちょっと油断しただけです」
「何が油断よ……あなた、手助けがなければ死んでいたわよ」
「べ、別にあなたに助けて欲しいなんて頼んでません! 最後だって……」
「最後のわたくしの攻撃ではありませんわ。その前……頭を殴られた時ですわ」
女性は自分の後頭部を、指でトントンと指して示す。
「あのゴブリンたち、筋力を下げるビルドダウンの魔法が重複してかけられていたから、その程度の怪我ですんだのですのよ」
「えっ……」
「何処の誰だか知らないけど、あなた……随分と甘やかされているのね」
そう言って女性は、リリィの背後にいるライルへと目を向ける。
「……チッ、余計なことを」
「お兄様?」
思わず漏れたライルの呟きに、リリィはゆっくりと振り返る。
その顔は嬉しくて堪らないといった様子で、目尻には涙が浮かぶほどだった。
もし、リリィのお尻に尻尾が付いていたら、音が鳴るくらい激しく振っていると容易に想像できた。
そんな憧憬の眼差しを向けてくるリリィから顔を逸らしながら、ライルは余計なことを言った女性を睨みつける。
「それで、こちらにゴブリンを仕掛けておきながら、いきなり助けるような真似をしたお前は、何処のどいつだ?」
「あら? そこまでわかるなんてあなた、ただものではありませんわね」
ライルの質問に女性は悪びれもせずニヤリと笑うと、ローブの上からでもハッキリと主張してくる豊かな胸に手を当てて自己紹介をする。
「はじめまして勇者様、わたくしこの国の第七王女、アイリスと申しますわ」
この国の王女、アイリスと名乗った女性は、一転して優雅に微笑んで見せると、ローブの裾を掴んで貴族が見せるような優雅な一礼をしてみせた。




