ここにはいない人物
その後、村長の家でライルたちを歓待する宴が催された。
「さあさあ、勇者様たちのために色々と用意させていただきました。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
そう言って両手を広げる村長の前には、この村の名物だという料理が並べられていた。
豚を丸々一匹こんがりと焼き上げてオレンジ色のソースをかけたメインを中心に、笹のような長い葉で包まれた川魚の蒸し焼き、オオトカゲのスープに色とりどりのキノコのソテー、山菜と村で取れた野菜のサラダとふわふわに焼き上げられた大きなパンとバターといったフルコースが用意されていた。
とても二人では食べきれない量を前に、リリィは百面相しながらライルに尋ねる。
「わわっ、こ、こんなに、どうしましょうお兄様……私、全部食べきれる自信がありません」
「別に全部食べる必要はない。食べられるだけ食べて、残せばいいだろう」
「そ、そんな……食べ物を残すなんて畏れ多いです」
決して裕福な家で育ったわけではなく、且つローザの厳しい躾もあったので、リリィは出された食べ物を残すことに対して強い忌避感を覚えていた。
「ううぅ……」
「…………やれやれ」
多すぎる夕飯を前に、どう食べれば全て食べられるかを必死に考えているリリィを見て、ライルは思わずかぶりを振りながら苦笑すると、笑顔でこちらを見ている村長へと話しかける。
「村長、我等だけではとてもじゃないが全てを食べきれん。お前と……そこら辺の連中も卓について食べるがいい」
「で、ですが……」
「まさか、一村長が勇者の願いを無下にするわけにはいかないよな?」
「わ、わかりました。それでは失礼します……お前たちも、勇者様のお誘いだ。ここはお言葉に甘えて、ご一緒させてもらおう」
そう言って村長が椅子を引いて腰かけると、彼の家族と使用人たちも後に続く。
この部屋にいた全員が着席するのを見計らって、ライルはまだ悩んでいる様子のリリィへと話しかける。
「ほら、リリィ。これだけいれば食事を残す心配はしなくていいだろう。後はお前が最初に食べるんだ」
「あ、ありがとうございます。それではいただきましょうか」
「ああ、そうだな」
そうして二人は「いただきます」と唱和して、豪勢な宴が幕を切った。
「うふふ……どれも美味しいです」
口いっぱいに川魚の蒸し焼きを頬張ったリリィは、蕩けたように頬を緩ませながら感涙する。
「お兄様、美味しいですねぇ」
「ああ、そうだな」
ライルはリリィの口の端についたソースを拭ってやりながら、自身もブタの丸焼きを一口大に切って口へと運ぶ。
肉にふりかけられた香辛料と、柑橘系の甘酸っぱいソースが織り成す見事なハーモニーに、普段は食事など口に入れば何でもいいとさえ思っているライルでさえも、思わず頬が緩むほどの一品だった。
だが、それだけにライルには、いくつか気がかりがあった。
「村長……」
ライルはニコニコと満面の笑みを浮かべている村長に向かって気になっていることを問いかける。
「見たところこの村は随分と裕福なようだが、何か特別な収入源でもあるのか?」
「ホホッ、そうたいしたことではありませんよ」
村長は自慢の髭を撫でながら、のんびりとした口調で答える。
「ご存知かと思いますが、この村は上質な石が豊富に採れるのですよ。その質を見た領主様が、高値で買い取ってくれているのです」
「なるほど、それは今も定期的に続いているのか?」
「それはもう……お蔭で皆、飢えずに済んでしますからな」
「そうか、それは良い領主に恵まれたな」
ライルは薄く笑いながら、武骨な木のジョッキを手にして中に入ったワインを口にする。
「…………しかし、その領主は優秀かもしれぬが、全て、というわけではないようだな」
「えっ?」
「見てみろ」
そう言ってライルは、手にしている木のジョッキをひっくり返して底を見せる。
「ほら、ジョッキの底にティッキーと名が彫られているだろう? 我が記憶している限りでは、この場にはその名を持つ者はいないと思ったのだが?」
「本当ですね。どういうことなのでしょう?」
「そう難しい話ではない」
ライルは木のジョッキの底をコンコン、と叩きながら、ここにいないはず人物のジョッキがここにある理由を話す。
「これはおそらく、領主の配下にティッキーという人物がいて、その者の遺失物ということだ。そうであろう、村長?」
「――っ!?」
突如として水を向けられた村長の表情が一瞬だけ強張るが、髭を一撫でして、すぐさま柔和な笑みを浮かべる。
「そ、そうですね。確かにそれは、領主様の部下の方が忘れていったカップだと思います。申し訳ございません。お客様にそのような物を使わせてしまって」
「気にするな。リリィが使っている皿も、ティッキーの忘れ物のようだからな」
「えっ? あっ、本当ですね」
ライルの指摘を受けたリリィが皿の裏を見ると、そこにはジョッキと同じ名前が刻まれていた。
「自分の持ち物に名前を刻むくらい几帳面なのに、お皿もジョッキも忘れていくなんて、ティッキーさんって随分とおっちょこちょいな方なんですね」
「ああ、全くだな」
ライルは呆れたように肩を竦めながら、ちらと村長の様子を盗み見る。
村長は「ハハハ……」とライルたちに合わせるように笑っていたが、その目は笑っていなかった。