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②島
島は小さく両端に港がある。その中央は標高が一番高い。そこに小中一緒の学校があった。当然、児童の親の生業は漁業関連になる。鮑、雲丹など、定めがある漁期の時は、朝のサイレンと共に男子児童、生徒は漁の手伝いに駆り出され、学校には来ず、学校も黙認していた。
当時、僻地と呼ばれる地域である。先生は持ち上げられると同時に余所者として扱われる。
太一は、物言わぬ子であったが、今で言う自閉症、アスペルガーと近いのかも知れないが、既に、世の中の道理に諦めを知ったのかも知れない。祖母の家からは、小さな分校に通っていた。父も母もいない日常が当たり前のなか、図書室の本を読むのを楽しみにしていた。偉人伝、その頃の図書室には大きな場を占めていた。片端から読んだ。シュバイツァーに感動し、釈迦を読めば、日溜りの土手に寝転び雲に地蔵、釈迦を見て話をする変わった子であった。