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12 先生
教師は、バス、車で市街から通う者が多い、それぞれ、30から40分はかかる。後は、太一の親のように、町の小さな小屋とも云える住宅に住んでいた。
それは、並びになっていて、地元の人々も住んでいた。また、寮にも舎監として住む。寮を挟む二棟には、家族を持つ教師と女先生が二人同居して、それぞれ住んでいた。
また、校舎に連なる建屋には、用務員の一家がすんでおり、当然その子供、太一の一学年上の息子はそこから通う事になる。
昭和の後半で、まだ『半ドン』があった頃であった。平日は、夕方も5時を過ぎれば、居残る教師はいない。
土曜の午後は、急いで帰る必要がない教師がのんびりとしていた。
たまに、校長がいれば太一が呼ばれて、校長室で碁の相手をさせられた。




