第81回「『睡眠』という言葉を使わずに睡眠を表現せよ」
______________________________
髭虎
ふわふわと意識は深く夢の中。僕は心地よい倦怠感に浸っていた。浸っているのを自覚した。
僕は、何をしていたんだったか。今日は何をするんだったか。思考を覆うぼんやりとした薄膜が、まるで鉛のように重たく、そしてただひたすらに気持ちいい。
あぁ、ずっとこのままこうしていられたら、それはどんなに幸せだろうか。
夢の中で、薄膜に手を伸ばす。それは実感として何か柔らかい布のようなものを掴み取ると、それを肩の上あたりまで引っ張り上げた。
それが何であったのか。自分が何をしたのか。沈む意識の奥底で、密かな罪悪感だけがその答えを知っていた。
______________________________
みさとみり
明日の中間テストには、中学生活一年間がかかっている。
つまり、小遣いと門限時間が、明日のテストの結果によって決められてしまうということだ。
100点なら小遣い月5000円で門限21時。
90点代なら小遣い月4000円で門限20時。
80点代なら小遣い月3000円で門限19時。
70点代なら小遣い月2000円で門限18時。
60点代なら小遣い月1000円で部活終わったら直帰で塾通い。
50点以下は小遣いなしで、部活終わり毎日塾通い。
なんとしても、テストで全教科90点以上をとらないと俺の中一の一年間は悲惨な結果に終わってしまうのだ。
俺が無策で母親に小遣いアップを要求したのがそもそもの間違いだった。
「幼なじみの聡子は小遣い5000円もらってるんだぜ。男の俺がそれより少ないなんてダセえだろ!」
「あっそう。令和にもなってまだそんな昭和的価値観持ってるわけ? うちのジャリは」
「ジャリってなんだよ。それこそババアだ――」
俺の言葉は昭和生まれを気にしている母親の鋭い眼光に射抜かれたため途中で霧消した。
「とにかく、よそはよそ。うちはうち。そんなに小遣いが欲しいなら、聡子ちゃんみたいにテストで良い点とってからにしなさい」
「小遣いとテストは関係ないだろ!」
「なに? 聡子ちゃんより良い成績とる自信ない訳? あんた身長も負けてるし、男のくせに良いとこなしね」
「うっせえ昭和ババア! 成績は俺のが良いに決まってんだろ!」
「あ、そう。じゃあ今度の中間で証明してみせなさいよ。良い点とれたら小遣いの件も考えてあげます」
「言ったな! 全教科100点とってやるから見てろよ!」
今考えたら、母親の口車に乗せられてしまっただけだと分かるが、あの時は頭に血が上ってつい話に乗ってしまった。
キャプテン・アメリカの盾の形をした壁掛け時計の長針と単身が12時を指していた。日付が変わる。
なんで賭けの対象を全教科にしてしまったんだ。
正直中一の国語や英語は楽勝だ。しかし、サッカー部の先輩の話によると数学は応用問題が難しいらしい。
数学の須田の陰険野郎は、難問を出して生徒を苦しめることを生きがいにしていると評判なのだそうだ。
塾に通っていない俺としては、充分に警戒しておく必要があるだろう。
それに、社会や理科、美術、音楽、保健、技術は暗記科目だ。
平均点をとる程度なら常識の範囲でなんとかなるが、90点以上をとるともなれば勉強の成果が如実に現れる。
しかも、中間テスト一日目の明日は、数学と暗記科目の社会、音楽の三教科が重なってしまったのだ。
数学は、あとはもう本番でケアレスミスをしないことを祈るだけだ。
社会は、昨日までにほぼ完ぺきに暗記し終わっている。
しかし、音楽の予習はつい後回しにしてしまったため、今夜の一夜漬けにかかっている。
時刻は一時。
俺は椅子に座ったまま大きく伸びをした。そして、勉強机に向き直る。
「よし、やるぞ!」
「ヒロ~? 朝よ~」
「ふへ!?」
ゆさゆさと体を揺さぶられて俺は驚いた。
カーテンの隙間から明るい日の光が入って来ている。
時刻は7時45分。そろそろ家を出る時間だ。
「はあっ!? ババア、起こせよ!」
「起こしたでしょうよ」
「もっと早く! ああ、もういいっ」
俺は素早く身支度を済ませると、机の上に広げていた勉強道具をカバンに突っ込み、家を出た。
ちなみに、音楽の点数が足を引っ張り、小遣いは3000円になった。
______________________________