第80回「『強欲』という言葉を使わずに強欲を表現せよ」
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名称不公開
「目覚めたようだな」
声をかけると、男は驚いた顔で私の顔を見た。
「俺は……死んだんじゃないのか?」
「そう。お前はトラックにはねられた。でもまだ死んでいない。私がお前の魂を頂くまではね」
「お前は誰だ?」
「私はアヴァリチア。人は私を悪魔と呼ぶ」
「悪魔……。くそ、異世界転生する前は神に出会うんじゃなかったのかよ」
男は、錯乱しているのか、訳のわからないことを言い始めた。
「おい悪魔、お前は俺にどんなチート能力をくれるんだ?」
「チート? 何だそれは」
「俺は異世界に転生させられるんだろ? 人が羨むような特別な能力を持って生まれ変わらなければ意味がないだろう」
「お前は生まれ変わらない。私がここで、お前の魂を頂くからな。お前は自殺者だ。輪廻転生の輪には入れない」
「くそ、なんてことだ!」
男は絶望し、地面を何度も殴った。そして、涙を流して恥も外聞もなく泣き叫んだ。
しかし、しばらくすると顔を上げて、私を睨み据えた。
「頼む、俺の連れの女の魂をやるから、俺のことは見逃してくれないか。俺は、まだ死にたくない」
「自らトラックの前に踊り出ておきながら……。あまつさえ、生贄を差し出すか。見下げ果てたクズだな」
私がさげすんでも、男は動じなかった。その濁った瞳が、ギラギラと輝いていた。
男は水商売のシングルマザーの元に生まれた。母親の彼氏が暴力を振るう男で、毎日蹴られながら育つ。
そして成人してやっとの思いで起こした事業をパンデミックのせいで畳まなくてはならなくなったという経歴を持つ。
不幸な男だった。
私は同情した。
「お前の魂は頂く。しかし、死ぬまでにもう少し猶予を与えよう。不幸者の魂は美味くないからな。
せいぜいこの世の快楽を味わえ」
「本当か!」
「ああ。ただし、猶予はひと月だ。ひと月後、お前には死んでもらう」
男は涙を顔に張り付けたまま嗤った。
「アヴァラチア……お前は、俺の女神だ」
*
「甘い。あんな男、さっさと殺してしまえば良かったのに」
「インヴィディア。また小言か?」
堕天したのが少し早かったというだけで、この男はいつも私に偉そうに講釈を垂れる。
「アヴァリチアはそうやっていつも食事を怠るから、自分の寿命が少ないんだろう?
早く男を殺して、魂を喰らわないと、お前が消滅することになるぞ」
「うるさいな。私はそんなに愚かじゃない。それにあの男は不幸だ。せいぜいいい夢を見させてやるさ」
「……お前、まさかあの男に熱を上げているのか?」
「そんなんじゃない」
私は、これ以上小言を聞きたくなくて、人間界に降りて男を観察することにした。
*
病院で目覚めた男は、退院するとスロットに通った。
なけなしの金を筐体に突っ込む。しかし、元手が少ないのと男に運がないのとで金は増えない。
(アヴァリチア! 金を出せ!)
「呼び出しが雑だぞ」
私は、男の脳に直接語り掛けた。
(良いから金を出せ。俺を勝たせろ!)
「私に得がない。それに、そろそろお前の魂を喰らわないと私が消えてしまう」
(だったら、俺の母親の魂をやる!)
「親を売るか。良いだろう」
私は、男に金を与えた。
(サンキュー。俺の女神。愛しているぞ)
「愚かな」
*
男は手にした金で、豪遊を始めた。
夜の街に繰り出し、金に糸目をつけず飲み歩く。
散財しては、スロットや裏カジノへ潜り込んでは金を増やし、子分を増やしては飲み明かした。
そんなある日、男が、女をホテルに連れ込んだ。
金を与える時には、あれだけ私を口説いていた癖に、肉欲にはあっさり負ける。
私は面白くなく、行為の最中の男の脳内に話しかけた。
「良い気なものだな。私はお前が死ぬのを待っているというのに」
男は女の胸を吸いながら、私にテレパシーを送り返した。
(なんだ、アヴァリチア。妬いているのか?)
「ふざけるな! 早く死ねと言ってるんだ。自殺しないのなら、私がお前を殺しても良いんだぞ」
(そんなにかっかするなよ。だったら、この女の魂をやるから、またひと月伸ばしてくれ)
男は喘ぐ女に自身を突き立てながら冷酷にそうのたまった。
「お前がそう言うならそうしてやる!」
私は、ホテルの部屋に顕現し、うるさい女の胸から魂を引きずり出した。
突然静かになった女の魂を、男に見せつけるように喰らってやる。
「どうだ。恐怖で言葉もないか?」
私の言葉に、裸の男はニヤリと笑った。そして、突然、私の腕を掴んで引き寄せた。
「やっぱり、お前は俺の女神だよ」
耳元に囁くと、男は私にそっと口づけた。
「お前……。こんな密室で、死体とふたりきりの現実を理解していないのか?」
「俺の女神様は、俺を助けてくれるんだろう? 俺は、一生、アヴァリチアと離れたりしないよ」
優しく背中を撫でられて、思わず私の身体は熱くなっていた。
私は、この悪魔のような男に、魂を奪われてしまったことを悟ったのだった。
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髭虎
幸と不幸は常に釣り合っている、というのが私の持論だ。どこかで誰かが幸せになれば、どこかの誰かに不幸が訪れる。それは顔も知らない他人かもしれないし、あるいは未来の自分かもしれない。
だから私はこう考えた。私が幸せを感じたとき、それを未来の負債にしないために、誰かを同程度の不幸に陥れればいいのではないか、と。
私は私が不幸になるのを許せない。誰かより不幸であることが我慢ならない。もしも幸福の総量が決まっているのなら、ならば私はどこかからそれを奪い取ってこよう。親や親戚から。友人や恋人から。あるいは顔も知れぬ誰かから。そうやって私は今まで生きてきたし、そうやって私は幸福を手に入れてきた。ならば今回もそうだ。
「幸せになろうね」
私の隣で女が言う。まるで今が心底幸せだとでも言うように。
まったく、度し難い。
お前が幸福を感じさえしなければ、私も誰かを陥れる必要はなかったと言うのに。
「あぁ、もちろんだとも」
まぁ、遅かれ早かれか。
一週間後。テレビでは不幸にも交通事故で妻に先立たれた男が、何かを堪えるように口元を抑えている様子が映っているのであった。
「あとは、彼女の両親か」
テレビを消した。
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くまくま17分
足りない。
もっと。
もっと、もっと。
もっともっともっともっと。
いくら手に入れても満たされない。
これまで手に入れて来た物は、手にした瞬間にその意味を失った。
手にする喜びは一瞬の内に霧散した。
いくら求めても、満たされた試しがない。
幸せが足りない。
他人の幸せが羨ましい。
自分を差し置いて幸せになるのが妬ましい。奪いたくなる。
そうして奪っても、まだ足りない。満たされない。
幸せの充足を未だに感じた事はない。
求めても、求めても。それは蜃気楼の如く。
手にした瞬間に遠退く。
一体、どうすれば満たされるのか。
誰か教えてくれ。
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鬼原リン
知識こそ全てであり
それを使いこなせる者だけが
世界を手に入れる事ができるのだよ
ワトソン君…
私は考えるのだ。どれだけ頭がよくても、不器用では何もできない。
器用でも頭が悪ければ少しばかりのことしかできない。
だからね。ワトソン君私は完璧に近い生物となったのだよ。
そして考える事をやめたのさ。
この世界の真理に気付いてしまってね。
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