第53回「酩酊という言葉を使わずに酩酊を表現せよ」
______________________________
aka
雨が降る駅前。
酔い覚ましにはちょうどいいくらいの吹き抜ける風と雨。
「もう少し、止むの待とうか」
といって、隣にいる君はいつもと同じように吐き出した煙草の靄を夜闇に溶かす。
普段はイヤホンをしていてもうるさいくらいの喧騒が、酒が入っているせいか、聞こえないほど舞い上がっている。
頬が熱く、動悸も段々と早まっているかもしれない。
空を不安げに見上げる横顔。
自然と近づこうとすると、足が地面をとらえることはなく、視線が上へ。
深い闇へと誘われていった。
頭を小突く鈍痛に顔を歪ませながら起きると、ベッドの脇で君はくつくつと意地悪く笑っていた。
______________________________
くまくま17分
漆黒の幕が星々の瞬きを隠す夜空。
美しい真円を描く望月が黄金色に輝く。
それを縁側で胡座を掻きながら眺める男が独り。
中秋の名月。
その名状に違わず、今宵の月は麗しい。
星たちは舞台の袖に姿を隠し、今は主役の独壇場。
濃紺の着流しに茶色の半纏姿の男は、それを肴に酒を呷る。
猪口に注いだ熱燗、仄かな甘味を醸す透明な水面に月を浮かべながら、くいと一口。月ごと飲み干した。
熱する事でサラリと柔らかい口当たりがとろりと滑らかに。
清涼な辛さとキレはまろやかに、すっきりとした甘さが濃厚になって口一杯に広がる。
それをグビリと喉を鳴らして胃の腑に流し込めば、かあっとたちまち身体が内側から火照り出す。
美味い。
熱に浮かされたようにふわふわと身体が軽い。
後味もくどくなく、上機嫌にすぐさま盆の徳利を手に取り傾けていると、
「お注ぎ致しましょうか?」
お揃いの半纏に浅葱色の浴衣姿の女性、男の細君が膝に手を当て屈みながら首を傾げる。
目を細め微笑を湛えるその顔は端麗そのもの。
金色の月光に彩られた横顔は神々しさすら感じた。
「私の顔に、何か付いてますか?」
「………、ぃゃ………………」
思わず少しの間見惚れていたようだ。
気恥ずかしさから顔を逸らしてしまう。
そうしてる間にするりと膝を崩して隣に座る細君。
向ける顔に湛えた微笑を崩さず、男からの言葉を待つ。
観念した男は一息吐くと、意を決して口を開く。
「………月が、綺麗だ」
眺める月から目を逸らさずに。
それが今、男にできる精一杯だった。
それを可笑しそうにくつりと喉を鳴らして口に手を当てる。
「どっちの、ですか?」
猫のように目を細め、いたずらっぽく笑う。
「………野暮、だな」
「はい。女はそういう事を知りたくて堪らないものなのですよ」
目を細め艶然と笑う。
それから、もうひとつの猪口を手渡し、互いに酒を注ぎ合い無言での晩酌。
見れば細君の頬や首筋に朱が差していた。
潤んだ瞳の目尻が下がり、気だるげな様は蠱惑的ですらあった。
そして、男の肩にもたれ掛かる細君。思わず心臓が跳ね上がる。
「どう、した……?」
男は懸命に喉から言葉を絞り出す。
細君がチラリと上目遣いで一瞥すると、
「少し、酔っ払ったみたいです」
「そうか」
なら、仕方ない。
腕を彼女の背中に回し、ほらと促す。
まあ、と目を白黒させ、
「どうしたんですか、今日は?」
ふふ、と声を漏らして笑う様がとても艶めかしい。
「まあ、酔っ払っているからな……」
そんな彼女を直視できなくて、ついつい視線を逸らしてしまう。
そんな男に遠慮する事なく、胡座を掻く膝の上に腰を落ち着ける我が愛妻。
暫しの間、無言で二人月を眺めた。
______________________________
mgr_tokage
(あっ、やべえ。帰り運転するのに飲んじった)
場の雰囲気に流されやすい弘樹。
お猪口の縁に唇をつけ、喉を潤したときに僅かな罪悪感が生まれる。
しかし、それで腰を上げる弘樹ではなかった。
「どした?」
向かい側の旧友が尋ねるも、弘樹は「ううん」と首を振る。
罪悪感を談笑で打ち消すことにしたのだ。
〜§〜
「じゃあな、弘樹!」
「おう、お疲れ〜」
旧友に向かって手を振ったあと、自身の車に乗る。
「よし……行くか」
それが、弘樹の最期の言葉だった。
______________________________
髭虎
気分がいい。ふはぁ〜、と体にこもった熱を吐き出して前を向き直す。あれ、前ってどっちだっけ。まぁいいや。こんなにも気分がいいんだから。
ぐわんぐわんと揺れる視界は、まるで世界が自分を中心に回っているようで。そう思うと、なぜか覚束ないこの足取りも子どもの頃やったグルグルバットみたいですごく楽しくなってくる。
ははっ、と笑う。
間延びした、へんな声だ。ふへへ。ふへへへへ。
そのうちだんだん歩くのも億劫になって、どさりと腰を下ろすと、楽しい気分はそのままになんだか体が重くなってきた。
あぁ、だるい。でもこんな気持ちで眠れるんだ。なーんにも問題はないはずさ。
少なくとも次の朝目覚めるまでは。
______________________________