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第45回「『悲』『哀』を使わずに悲しみを表現せよ」

______________________________


髭虎


 血が流れていた。なぜか床に倒れ伏したまま、僕の体はピクリとも動かない。薄く開けた視界の先で、ひっくり返った車椅子が、カラカラと音を立てて回っている。


「っ……ぁ……」


 ……そういえば、僕は何をしていたんだったか。

 朦朧とする意識の中、薄く閉じかけた視界をずらせば、どこかの階段らしきものが目について。

 あぁ、そうだ。今日は自殺した僕の生徒の葬式があったんだ。そこで、その子の両親と口論になって、しょうもない正義感を振りかざして……──そして、階段から突き落とされた。


「……ぁ、ぁ」


 だって、子どもが死んだというのに保険金の話をしてたんだ。それじゃ、あまりにも救われないだろう。……なんて。本当に、どの面下げて言ってるんだろうな。

 あの子を救えなかったのも、あの子を死なせたのも、結局全部、僕じゃないか。


「……は、は……は」


 あぁ……こんなことばっかりだ、僕の人生は。ずっと考えている。何が悪かったのだろう、どうすれば良かったのだろう、と。

 思えば間違いだらけの人生だ。前世の記憶をもって生まれ、二度目の人生なんか手に入れて。何かを成せると思ったんだ。そう勘違いしてしまった。平和になった日本で僕は今度こそ、誰かを救うような生き方ができるのだと。


 “もし、生まれ変われるならさ──”


 高校生のとき、僕のせいで自殺してしまった子がいた。

 父親に肉体関係を持たされていた彼女の秘密を暴いて、解決した気になって、それが広まって──。


 “次は、アンタみたいなやつのところに……ッ、生まれ、たかったなぁ……”


 飛び降りる瞬間、最期にそう言って泣いていた。

 だからもうこんなことが起きないように。そんな生徒を救えるようにと僕は先生になったんだ。そう誓った、はずなのになぁ……


 “ねえ先生……生きるって、むずかしいね”


 なのに、ほら。僕は何も変わってない。


「ぁ、ぁ……ほん、とう、に」


 何も成せず、誰も救えず。そのくせ自分は二度目を生きていて。

 だったらこの人生に何の価値があったというのだろう。


「なんの、ため、に……生きてたんだろうなぁ──」


 結局最後まで答えは出ないまま、そして僕の二度目の人生は惨めに幕を閉じた。


______________________________


くまくま17分


 祖母の葬儀が終わり、四九日もあっという間に過ぎた。

 未だに実感が湧かない。

 それが、正直な気持ちだった。

 難病に冒されていた祖母は一年も前から入院してたし、居ない事にも週に一度見舞いに行くのもすっかり慣れた。

 筋肉が萎縮する病で日に日に衰えてく祖母。

 口が利けなくなると筆談、最終的には呼吸器に繋がれて寝たきりになった。

 矍鑠としてた頃の見る影は既になく、本当に変わり果て小さくなっていた。

 そんな中で祖母は一体、何を考えていただろう?

 身体にベタつくうだるような暑さから気を逸らす為に思索へと耽り、西日の眩しさに目を細めながら部活帰りの家路を歩く。


『死にたい』


 六歳年上の去年結婚した姉にはそう話していたと、姉が弔辞で読み上げた。

 他にも、

 結婚したての戦後初期は本当に苦労した事。

 少しでも良い生活をさせる為に祖父がずっと働きづめだった事。

 そのせいで家事育児を全くしない事に不満があった事。

 そして、姉が結婚して嬉しく思った事。


 自分には一つも教えてくれ無かった。

 私は妹で、子供だから。

 こうして日々、部活に汗を流す事が一体、大人になるに当たってどれだけ必要なのだろうか?

 時間を浪費してるだけなのではとの疑念は、ジリジリと心を焦燥の炎で焼く。


「あーっ もう、暑いなあ………っ」


 噴き出す汗がベタつく熱気と混ざって不愉快極まりない。

 西の空にしぶとく残る夏日に毒づき苛立ちを込めてハンカチを取り出す。

 アイス買って涼もう。そんな事を考えながら汗を拭って気付いた。

 そのエキゾチックな柄は五年前、祖母が祖父と最後に海外旅行で行ったタイ土産。


『若い女の子の趣味はちょっとわからないから……』


 照れ笑いを浮かべて渡してくれたハンカチ。

 特に気に入った訳ではないけど、実用的だったから使ってるハンカチ。


「え………?」


 頬に流れる汗。その軌跡を辿ると目尻に行き着く。

 知らずの内に泣いていた。


「うっ……ひぐっ………………っ」


 人目も憚らずその場に泣き崩れた。


 部活の演奏の度に「よかったよ」と褒めてくれた祖母。

 楽器を家に持ち帰り、吹いてあげたら「上手い上手い」と褒めてくれた祖母。

 初めて袖を通したセーラー服に慣れない自分に「よく似合うわ」と褒めてくれた祖母。

 小さい頃、自分をおぶってくれた祖母。


 溢れる想いが涙となって流れ出す。


「おばあちゃん、おばあちゃん……っ」


 もう、居ない。

 それでも尚、呼ばずにはいられない。

 届かぬ声が夏の空に虚しく溶ける。


「寂しいよ、おばあちゃん……っ」


 二度と埋まる事は無い心の喪失。

 その空虚を少しでも満たそうとするかのように涙が溢れた。


______________________________

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