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第150回「『2月29日』を題材に小噺を書け」

______________________________


八百津湊


 真夜中、小学校の校庭に人影が見えた。

 走り寄り、声をかける。

「早いな。もう来てたのか」

「ずっと待ってたよ。遅かったね」

 ストレートにそう言われ、一瞬言葉に詰まる。

 だが、こちらを振り向いたユキの顔を見て、それが冗談だとすぐに分かった。

「おい、やめろよそういうの。ほんとうはいつ来たんだよ」

「えー、教えなーい」

 昔と変わらない悪戯っぽい笑顔。

 あまりの懐かしさに、胸がいっぱいになる。

 ああ、やっぱり来てよかった、同窓会。

 他の人は見当たらなかったが、彼女に会えただけで十分だ。

「うわ、なんかニヤニヤしてるし。どうせまたいやらしいこと考えてたんでしょ」

 ユキはそう言いながら両腕で自分の体を抱き、身をくねらせる。

「ち、ちげーよ!」

「昔っから真司はおませさんだったもんねー?」

 そうだった。

 こいつはいつもこうやって俺のことをからかってきたっけ。

 あの頃はどう返していいかわからず、ユキのおもちゃにされてばかりいたが、今は違う。

 ため息をひとつついて、苦笑いを返してやった。

 それを見たユキは、「あれ?」と首をかしげる。

 そう。残念だったな、ユキ。

 顔を真っ赤にして、俯いてばかりいた俺はもういない。

 俺は大人になったのだ。

 対応に困るユキを見て、ちょっとだけ気持ちがスッとした。

 長年にわたる溜飲が下がった気分だ。

 気分を良くした俺は、そのまま目線をユキの背後へと向け、街灯に照らされたかつての学び舎を見上げる。

「……ここは変わらないなぁ」

「そうかな? 結構変わったよ」

 そう言うと、ユキはぴょんと隣に来て振り返り、俺と同じように校舎を見上げた。

「あそこ。屋上のフェンスなんて昔はなかったし、ほら、あの時計も変わってる!」

 楽しそうに指をさすユキ。

 俺は気づかれないように、こっそり彼女を盗み見る。

 未だ幼さの残る横顔。

 今見ても、やっぱり綺麗だった。

 結局、小学校を卒業してから今まで、彼女を超える美人に出会うことはなかった。

 当時の同級生たちと同じく、もれなく俺も人生の初恋相手はユキである。

 ああ、別々の中学に進学しなかったら今頃。

 今まで何度そんな妄想をしたかわからない。

「ちゃんと聞いてる?」

 その声にはっとして気が付くと、ふくれっ面のユキが、俺を見上げていた。

「聞いてる聞いてる。しかし、相変わらずちっこいな」

 慌てて取り繕い、つい彼女の見た目を指摘してしまった。

「ちっこい言うな! うぅ、中学のときから、このままなんだよぅ」

 ユキがすこし眉を吊り上げながら反論する。

 潤んだ二つの瞳が、こちらをじっと見つめていた。

 思わず、心臓が跳ねる。

 ユキのこんな表情、俺は今まで一度だって見たことがなかった。

 つい湧き上がった嗜虐心を、首を振って振り払い両手を合わせる。

「気にしてたんだな。悪かったよ」

「べつに。気にしてないけどさ」

 口をとがらせてそう言うと、ユキはつんとそっぽを向く。

 ……ああ、どう考えても気にしてるな、これは。

 なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 俺はもう一度謝り、頭を下げた。

 ユキの返事は、いくら待っても帰ってこない。

 おかしいな、と思いながら下げた頭を上げる。

「あっ」

 ユキは舌をチロッと出しながらあかんべーをしていた。

 なるほど。

 ああクソッ、またしても俺はユキにしてやられたわけだな。

 ……いや、冷静になれ。

 真司、お前、今何歳だ。

 ひとまず深呼吸。

 血が上った頭をクールダウンする。

 ここで乗ってしまっては、ユキの思うつぼだろ。

 乗ったら最後、ろくな目に合わないことは、誰よりも俺が一番知っている。

 改めて見てみればほら、やっぱり。

 気づかれないよう横目でちらちら見ていやがる。

 その手には、乗らねーぞ。

 俺は会社勤めで身に着けたポーカーフェイスで、華麗に話題を変える選択肢を選んだ。

「いやぁ、しかしみんな遅くないか? 4年に一度の閏日に、この小学校で同窓会しようって、あの時クラスでちゃんと決めたよな」

「うわー、よく言うよ! 自分だって今日が初参加のくせに!」

 ユキが鋭い突っ込みを返してくる。

 よし。

 話題を逸らす作戦は成功だ。

 してやったり。

 あとはこのまま、話題を流すだけだ。

「ご名答。ってか、俺が初参加ってよく気づいたな」

「そりゃあね。私、皆勤賞だから」

「そう、か。そうだよな。そういえば、そうだったな」

「うん」

 ユキが少しだけ寂しそうに頷く。

 横顔にさっと影が差した。

まずい。

 少し、罪悪感。

 話題を変えるためとはいえ、さすがに大人気なかっただろうか。

 少し間をおいて、俯いた顔をのぞき込もうとした瞬間、ユキが勢いよく顔を上げた。

「でも、これからは真司も毎回参加してくれるよね!?」

 その表情は、いつになく、真剣だった。

 目と目がばっちり合う。

 こんな顔をされたら、俺もまじめに返すしかない。

「あ、ああ。これからはずっと、必ず。――参加するよ」

「へへっ」

 コロッと笑顔になったユキは鼻の下をこすりながら背を向け、俺に聞こえないように小さな声で「やった」とガッツポーズをとる。

 ……そういうの、やめてほしい。

 俺はユキを後ろから抱きしめたくなる衝動を抑えるので必死なんだから。

 ちょうどその時だった。

 俺に背を向けたまま、ユキがポツリとつぶやく。

「ーーこのままで、いいかな」

「……え?」

「4年後も、このままで、いい」

 その言葉には、聞いているこちらに有無を言わせないような、強い力がこもっていた。

「……そう、だな」

 俺は唇を噛みながら、そう答える。

 ユキは跳ねるような声になり、続ける。

「8年後も、16年後も、84年後も!」

「いやさすがに84年後たったらほとんどみんな来てくれてるって」

「……そだね」

「うん」

 その言葉を最後に、なんだかしんみりした空気がお互いの間に流れた。

 同時に空を見上げると、東の方が明るくなっていた。

 もう、夜が明ける。

「そろそろ、だな」

「そろそろ、だね」

 どちらともなくそう言うと、俺たちは再び向かい合う。

「……じゃあ、また、次の閏日に」

「また、次の閏日に」

 山間から顔を出した太陽の光が、校舎とユキを照らし出す。

 もうほとんど透けていたユキの体が、煙のように空気に溶けて消えていった。

 視線を落とし自分の掌を見てみると、ユキと同じように半透明になっており、もう地面が透けている。

 夜の時間は、もう終わり。

 これからは、昼の時間、生者の時間だ。

 俺はさっきの言葉をもう一度、繰り返す。

「また、次の閏日に」


______________________________


SayMay


「火、要るか」

 いつものケントを咥えた先輩が、こっちに火のついたライターを差し出す。出先周りを終えて、時刻は10時を過ぎた。もう三月に近いというのに、太陽が沈めば驚くほど冷え込む。

「あざます」

 いつもなら断るが、今日はなんだかぬくもりがほしかった。セブンスターを咥えたまま先輩の手に顔を寄せる。先輩の体温とライターの熱。先輩の横顔には、普段には見られない赤みがさしている。先輩の赤い耳とは対照的に、白い月が空に浮かんでいた。満月になりきれない、半端な月。

 煙草に火がついた。先輩の手が離れると、重い寒さが這い上がる。ブルリと身体が震える。暖かいのは、煙だけだ。

「なぁ……奥村」

「なんですか先輩」

 先輩が私のことを名字で呼ぶときは、だいたい疲れている時だ。営業の帰り、しかもこっぴどく叱られた後でも疲れていなかったら、それはそれで怖いのだが。

 先輩が息を吸う。冷気が頭にきたのか、はっきりとした眉毛がぐしゃりと歪む。

「今年はうるう年だな」

「明日は休みでしたっけ?」

「……休みじゃないな」

 先輩が煙を吐く。

 私も煙を吐く。

「先輩のせいで明日は休日返上ですよ」

「そうだな……でもうるう年だろ」

「なんですかその言い訳」

「こういうのはでまかせでいいんだよ」

「そんなんだから取引先の人に怒られるんですよ」

 灰を落とす。

 取引先への重要書類に大きなミスがあって、明日またそこに向かうことになった。本当ならば、二月二十九日は休みのはずだったのに。先輩のせいだ。

「その取引先の人が言ってたろ。明日人類が滅んでも、君たちはココに来るのかってさ」

「その話は止めてください。人類滅亡なんて、ろくでもない」

 先輩が軽々しく「また明日伺いますので……」なんて見え透いた言い訳をするからだ。三時間あんなことばかり聞かされたのに、よくその話ができる。人類が滅ぶなんておぞましいことは、思考の片隅にも置きたくない。

 先輩の煙草から灰が落ちる。

「それで考えてみたんだよ。明日人類が滅ぶなら俺はどうするかって」

「はぁ……うるう年との関係は?」

「人類が滅びそうな日だろ。二月二十九日って」

「確かにそうですけど……人類が滅んだら寂しいですね」

 先輩が鼻から煙を吐く。なにを考えているのか、表情が煙に隠される。先輩が息をふぅと吐くと、煙が散って消えていった。

「どうした奥村。寂しいのか?」

「そんなことないです」

 煙草を咥える。真っ赤な炎がチリリとはぜて、灰がポトリと地面に落ちた。風が煙をさらっていく。また、寒さが忍び込んでくる。

 ……先輩は、寂しいですか?

 そう言おうとして先輩を見ると、こちらの視線に気づいた先輩が、なにやら意味深にニヤリと笑った。こうの顔は、なにか、ろくでもないことを考えている時の顔だ。

「なぁ奥村、ゲームをしよう」

 やっぱり、ろくでもない。だが、少しだけ自分の唇の端が和らぐのを感じる。

「もし明日、うるう年だか二十九日がどうとかのややこしい理由で、人類が滅びるとする」

 もう少し頭の良さそうな理由は無いんだろうか。惑星の磁場とか。

「はい」

「じゃあ俺は何をするでしょうか?」

 変なところで、変な気遣いをする人だ。

「人類が滅ぶ前に、先輩が何をするか……ですか」

「言っとくけど大喜利じゃないかならな」

「そのお題で大喜利以外なにをしろって言うんですか」

「細かいことは気にすんなって。ホラ、俺はなにをしそうだ?」

「そうですね……」

 寒空を見上げた。

 今日は二月二十八日。面倒な顧客に絡まれて、会社に戻るのは次の日になる。そのまま会社に泊まって、次の日の朝早くに先輩に起こされる。そんな、いつもの一日。

 その明日が来ないとしたら?先輩はどうするだろうか。

「先輩は……」

 先輩が笑顔のまま煙草をふかす。ヤニの匂いが少しむずがゆい。わざとおおげさに顔をしかめると、先輩が顔をそっぽに向けた。

「美味しいものを食べた後に、きれいな空気で煙草を吸う。とかですか?」

「違う」

「Hなお店で全財産を使い果たすまで豪遊する」

「違う。……俺ってそんなに助平に見えるか?」

「冗談ですよ。なんかヒントください」

「そうだな……煙草は吸いたいな」

「じゃあ……」

 

「いつもみたいに、二人で煙草を吸う。とかですか?」


「私は、そうしたいです」

 先輩が、ひゅう、と息を吐いた。

「……正解だと思うか?」

 先輩の頭の向こうで、月が雲から顔を出した。

「……さぁ、どうでしょうね」

 先輩はしばらく黙っていた。私も、しばらく黙っていた。二人で、煙草を吸っていた。

 しばらくしてから先輩が言った。

「明日、世界が滅びないといいな」

 しばらくしてから、私も言った。

「明日もお仕事、頑張りましょう」


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