第138回「素手同士のアクション描写を表現せよ」
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くまくま17分
「テメェ、もっぺん言ってみろっ!」
カウンターで独りちびちびと飲んでいると、酔客が絡んで来たのでやんわりとお構い無くと言ったつもりだったのだが。
男はグラスを置き、予想に反して激昂する酔客を前に怪訝を浮かべた。
「弱い犬ほどよく吠える。彼我の強さもわきまえずに噛み付くと、そのうち痛い目をみるぞ?」
うん。おかしい事は言ってない。男は独りごちに頷く。
「誰が弱ぇだ、ああっ!?」
「そんな事は言ってない。が、傷付いたなら謝る」
ここは自分の非を認めて穏便に。男の望みは叶わず、酔客は頬だけでなく顔全体を真っ赤に激昂し、わなわなと肩を震わせていた。
一体何故? 疑問に思い首を傾げる。
「オラァッ」
拳を振り上げ殴りかかって来たのをヒラリとかわす。
頭を冷やしてもらわないと。
そう思い立つと自然と身体が動き、迫る拳をことごとく回避。
動きが僅かに淀んだ所で片手を掴んで背負い投げ。
宙に舞った酔客を背中から床に叩き付けた。
「だから言ったろうに」
パンパンと手を払いながら肩を竦めた。
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髭虎
月のない夜。
打ち捨てられた廃墟の一角で、ひとり静かに寝息を立てる男がいた。
高く見積もっても20代前半といったところだろう顔つき。しかしその見た目の若さに反して体の随所には戦いの痕跡が刻まれている。
使い込まれた鉄革の靴。修繕の目立つ防刃服に、急所を覆う革鎧。
それらを身に纏ったまま、壁に寄りかかるような形で眠りに就く彼の元に——ふと、音もなく近づいていく影があった。
「…………」
黒い外套に、黒い仮面。艶消しの施された短剣を片手に、その人影は行く先も見えぬ闇の中をまるで泳ぐように進んでいく。
やがてそれは未だ寝息を立てる男の側にまで近づくと、手に持つ短剣を振り上げ、そして——
「……これはまた、随分と物騒な挨拶だ」
眠っていたはずの男に、短剣を持つ手を抑えられた。
「私に、何か用でも?」
「…………」
影は応えない。
ならばと男は掴んだ手をそのまま握り潰そうとして、次の瞬間、男の指先が相手の腕を透過する。
「ッ——!?」
すり抜けた指は勢いのまま相手が握っていた短剣の柄に触れ、そして——影の腕と重なっていた部分が全て消し飛んだ。
千切れ飛ぶ左手と、柄を失って落下する短剣。赤く舞う血飛沫の中で、男は自分に向けて貫手を放つ影の姿を捉えていた。
思考よりなお速く、身体が動く。
座った体勢から左へ転がるように倒れ込み、右手を床につける。そのまま腕を支店に下半身を持ち上げ、カウンターのように影法師の肩へと踵を落とす。
そして、接触。
ボキリと何かが折れるような音が響き、影は廃墟の壁へと吹き飛ばされた。
月明かりもない闇の中、失った指もそのままに男は立ち上がり、暗闇の先へと言葉を投げる。
「……その透過と実体化が、貴方の能力ですか?」
応える声はない。
「実体化と同時に、貴方と重なる位置にあったものは文字通り、消し飛ぶ。だが——」
タンッ、と地面を叩く音。
男の言葉を遮って、音と反対側から影法師の暗殺者が迫る。
男の注意が逸れたのは一瞬。しかしそれでも反応してしまった時点で遅かった。
振り向けば、影は至近距離。放たれるのは先ほどと同じく心臓を狙った貫手。
避けきれない。
男は思考する。
ならばそれより早く崩せばいい。
男の足が振り向く動きに合わせて、円を描くように地面を削る。
足払い。
実体を捉えた確かな感触とともに、影の体勢が崩れる。
貫手は逸れて、男の右腕を根元から切断。しかし命には届かない。
「足裏まで透過してしまえば、貴方は落ちるほかなくなる」
男がぐちゃぐちゃな左手を握り締める。極大の殺気。渾身の拳打。
それは音すら置いて影へと迫り。
「臆したな?」
寸止め。
直後、外套が実体を包み込む。
「貴方の負けだ」
廃墟を崩す轟音が、大地を揺らした。
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