第118回「クーデレの女性を表現せよ」
______________________________
アルタ
図書委員会。それは人気のない委員会であり、クラスの委員会決めでも毎回最後の方に残る委員会だ。
もちろん立候補する者はおらず、大抵ジャンケンで負けるか、入る場所がなくてとりあえずやなんとなくで入る委員会である。
そんな図書委員会に真っ先に立候補した僕は、今日も今日とて、先生すら寄り付かないような旧校舎の図書室にて、夕日と雨上がりの風を浴びながら本を読んでいた。
図書室特有の本とカビの混ざった香りや、座る度ギシリと音を立てる椅子は、僕を活字の海へと導くには充分であり。
だがそんな僕の、僕だけの楽園に、放課後決まって足を踏み入れてくる人がいた。
「⋯⋯⋯⋯」
その人──いや、彼女の名は水葉さん。
夕日に照らされ透けるように見える長い黒髪に、前髪を留める赤いピンの髪留め。長いまつ毛にふっくらとした桃色の唇や、スラッとした体躯。
そんなモデル顔負けの風貌に、一目惚れした男は多いという。噂によれば、既に何人もの男子生徒から告白を受け、断っているという。
まさに高嶺の花にして、文武両道才色兼備の水葉さんは、いつもその日最後の授業が終わったらこの旧校舎の図書室に訪れて、六時を告げるチャイムと同時に帰っていく。
そんな日々がもうかれこれ二週間以上は続いているが、まだろくな会話すらしたことがない。交えた会話といえば、本の貸し借りをする際に名前を聞いたくらいだ。
「⋯⋯ふぅ」
一息ついて椅子に座る動作。本のページをめくり、髪を耳にかけるその動き。そして、物語に没頭して一喜一憂するその表情などは、まるでひとつの絵画のようであり。
ふと、目で追ってしまう自分がいる。それこそ、活字の海から引き上げられるような衝撃が、そして、そんな彼女と同じ空間、時を共有している高揚感が、この何気ない時間を鮮やかに染めてくれる。
だがそんな時間も長くはなくて。時というものは過ぎるもので、非常にも、六時を告げるチャイムは町中に響き渡り、そして開いた窓から僕たちの耳へとその音を届かせてくる。
その音と共に、彼女は本を閉じて立ち上がり、机に置いていたカバンを手に取って図書室の出入り口へと向かって歩いていく。
だが特に目を合わせることはなく、いつものように彼女の背中を眺める──はず、だった。
「あの、山岡⋯⋯くん?」
「⋯⋯えっ?」
いつもなら、なにか起きることもなく終わるはずの日常だった。それが今、壊された。それも、それは僕の手ではなく彼女の手によって。
「⋯⋯これ、ちょっと前に山岡くんが読んでた本よね?」
「あー⋯⋯そう、だね。『水面月と睡蓮花』でしょ? 水葉さんも、読んでたんだ」
「⋯⋯えぇ。山岡くんが、面白そうに読んでいたから」
その言葉の意味を、僕は理解することが出来なかった。
だが僕は、そう言った彼女が少しだけ照れくさそうに、それでいてどこか嬉しそうに微笑みを浮かべていることに気が付いた。
「その前に読んでた『胡蝶蘭と影』も面白かったし、他にも『時時雨』や『春陽光』も私大好きなの」
「へぇ〜。じゃあ、僕と水葉さんって本の趣味が合うのかもしれないね」
「⋯⋯えぇ、私も、そう思ってたわ」
初めて水葉さんとまともな会話を交わしているが、なんだかもどかしいというか、会話が少しだけぎこちないというか、妙な気分だ。
だがそんな言葉で表せないこの感情を、悪くないと思える自分がいた。
「水葉さん。もしよければなんだけど⋯⋯これ、あげるよ」
「⋯⋯? これは⋯⋯?」
「水面月と睡蓮花を書いてる作家さん脚本の映画が、今週の日曜日近くの映画館で上映されるんだ。もし時間があったら、どうかなって思って」
たまたまラジオの抽選で当たったものだけど、僕は日曜日用事があって間に合わない可能性があるのだ。
だったら、腐るよりも有効活用した方がいい。だからこそ、水葉さんに渡そうとしたのだが。
「⋯⋯その。それ、私も持ってます」
「あ、そうだったんだ。じゃあ──」
「なので。もしよろしければ⋯⋯一緒にどう、ですか⋯⋯?」
あの水葉さんが。いつも無感情で、誰に対しても涼し気な態度で接するあの水葉さんが、なぜか僕を前にして頬を紅潮させ、不安そうにこちらを見つめてきている。
気付けば耳まで真っ赤になっており、僕はそんな水葉さんを前にして、ついぷっと噴き出してしまった。
「あはは。水葉さんも、そんな顔するんだね」
「えっ、そ、そんな変な顔してましたか⋯⋯!?」
「ううん、違うんだ。こっちの話だから、気にしないで。でも、そっか」
いつも一緒の空間にいながらも、まるで別世界の住人のように話すことも目を合わせることもなく、日々を過ごしてきた水葉さん。
そんな水葉さんでも、気の抜けたような声を上げるのだ。それを知った時、どこか親近感という、そういったなにかを僕は感じ取っていた。
「うん、いいよ。僕も気になってたし、一緒に行くよ」
「⋯⋯! ほ、本当ですか?」
「うん。だから、詳しい時間を決めるために連絡先を交換しない? そしたら、本の感想とかも言えるようになるかもしれないしさ」
「それはいい考えですね⋯⋯! 是非、よろしくお願いいたします」
そして手っ取り早く連絡先を交換した僕たちは、今日は一旦お開きということでその場で別れ、僕は図書委員としての後片付けをすることにした。
「⋯⋯さて。日曜日の用事、早く済ませないとな」
そう小さく呟きながらも、僕は窓を閉めてカーテンの位置を直してから図書室の鍵を閉め、旧校舎をあとにした。
人生で初めて味わう高揚感と、おかしなくらい高鳴る胸の鼓動を噛み締めながらも、僕は沈みゆく夕日を追いかけるように帰路へと立つのであった。
______________________________
くまくま17分
糞雑魚剣道部員の僕は呼び止められて振り返る。
そこには端正な容貌と上部で纏められた艶やかな黒髪が人目を惹く先輩が立っていた。
「付き合って」
高く澄んだ玲瓏な声音が響く。
勿論、告白の類いではない。突き出された竹刀から、自主練へのお誘いである事が推察できた。
昨日までは確か、同級生の女子二人が相手をしてた筈だが。
視線を先輩の肩越しに移せば、当人たちは談笑しながら道場を後にしていた。逃げたな。
「お願い」
頬を朱に染めるでも、瞳を潤ませる事もなく、真顔で真っ直ぐ見詰めて来る。
ここで断る胆力があるなら、僕は糞雑魚の汚名をとっくに返上していただろう。
かくして、その日から先輩の自主練に付き合う事になった。
練習内容は、下からの小手打ちに対する出端面。
面打ちの際、掲げた腕の死角から自身の小手に打突が伸びて来るのは軽くホラーだ。
恐怖が先走って浮き足立ち、面打ちが中途半端になってしまう。
その恐怖に打ち克ち、相手の面に打突を叩き込むのは技術は勿論、精神女神の充実も欠かせない。
余念がない。それと同時に、同じような悩みを抱える先輩に少しだけ親近感が湧いた。
常に凛として佇まいに隙がなく、端麗な容貌と相まって近寄り難い雰囲気があった。
自主練を開始して二週間経ったある日、
「ありがとう……」
練習の終わりに、感謝された。
表情を掴ませない鉄面皮がどこか余所余所しかったのが気にかかる。
「………お礼、しなくちゃ」
逸らした視線を潤ませ、頬を上気させる先輩は艶めかしく、思わず心臓が跳ね上がる。
今日はいつになく練習に熱が籠っていたから。ただ、それだけ。
自分に何度も言い聞かせて冷静さを保つ。
「いや、別にいいですよそんな。先輩に悪いし……」
ここで誘いを受けるだけの胆力があるなら(以下略)。
「…………バカ」
「は?」
逸らした顔が拗ねたように口を尖らせる。
意外だったので反射的に聞き返していた。
そこに鉄面皮を纏った少女は居なかった。
「もういい」
踵を返し、素早い足捌きで退散する先輩。
耳が真っ赤に茹で上がっていたのは、きっと気のせいに違いない。
______________________________