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「林檎の樹の下で」1

エスカーの子供の頃の話です。


一人だけ、実父に引き取られたエスカーは、厳しい祖母の元、ヴェンロイド男爵家の跡取りとして育てられます。

祖母の死に際、さまざまな想いが駆け巡ります。


※ゴールズワジーの名作「林檎の樹」、映画の「サマーストーリー」の雰囲気を目指しました。

新書・回想「林檎の木の下で」(エスカー)1


僕は、ずっと手紙を待っていた。庭で一番高い場所にある、林檎の木の下で。砂煙一つ舞わない、静かな道を見つめながら。


   ※ ※ ※ ※ 


広大な林檎園、いや、林檎の大森林。間を縫って、荷車はゆっくりと歩んだ。夏が終わり、収穫の喧騒が、人も林檎も揺らしていた。

「大丈夫ですか、若旦那。いや、まったく、バカ息子の気が利きませんで。」

馭者はマキシオという、林檎酒製造部門の、班長の一人だ。彼の息子が、業者の見舞いの送迎に馬車を全部出してしまったため、僕は駅から、荷馬車に乗ることになった。

「かまわないよ。この時期は荷馬車だって、余裕がないし。それに、馬車は取引先に使ってもらうべきでしょう。」

僕は返事をし、のんびりした道中から、僕の姿を見て、驚いたり挨拶をしたりする労働者に、手を降っていた。

今度、転送装置を設置しようか。そう考えた時、荷馬車がカーブし、あの木、丘の上にある大木の一本木が見えた。

初代男爵夫人のお手植えの木から派生した一本で、収穫目的ではない、記念樹だった。彼女が、戦争で帰らぬ夫を待つ小間使いに同情し、願いを込めて植えた、とされている。最初の実をつけた年に、夫が帰ってきた、と言われている。

「もう少しですね。」

マキシオが言った。

急ぎたくなかったのに、間に合ってしまいそうだ。


   ※ ※ ※ ※ 


この道を始めて来たのは、まだ三才の時だった。上等な服を来て、今のマキシオの父親、製造部門長のベンボリオと、祖母の秘書のガルシアに連れられ、ヴェンロイドの屋敷に着いた。幼い僕の印象には、知らない大人に囲まれ、張り詰めた時間だった。何年たった今でも、はっきり覚えている。


あの時、父のリヒャルスは広間にいた。一応は、

「エスカー、よく来た。」

と言っていた。

部屋には、大勢の人がいた。父と同じく、浅黒い肌に、赤い髪をした男性が、父を除いて二人。小柄で縮れ毛の極端な男性と、ひょろっとした、長身の男性。伯父の、ミへイルとルドレフだ。

小柄なミヘイルの横には、茶色の髪の、より小柄で、痩せた女性がいた。青白い顔をしていた。ピンクの産着の赤ん坊を抱いていた。小柄なせいか、なんだかすごく重い人形を、大事そうに抱えているように見える。義理の伯母のランシーヌと、従姉妹のメサリーナだ。

ひょろっとした方、ルドレフ伯父には、黒髪の大柄な女性が寄り添っていた。やたら派手な、舞台衣裳みたいな服を着ている。二人の間に、濃い青い服の、赤毛の男の子がいて、びっくりしたように目を見開き、僕を見ていた。ルドレフ伯父の妻エンデミアと、二つ上の、従兄弟のグストーンスだ。当時はまだ、正式に結婚しては居なかった。

そして、彼等の中心に、黒いドレスに、明るい髪の女性が二人いた。

若い方は、色白で金髪、黒のレースのベールを被っていた。柔らかな表情で、僕を見つめていた。もう一人は、白髪と赤毛が混じった結果の、明るい髪をした、老夫人だ。厳つい、ギョロリとした目は、父と同じアンバーだ。表情もなく、睨み付けてきた。

僕は、睨まれながらも、教えられた、礼儀正しい挨拶をした。挨拶すれば、鬼から逃げられる、そう思っていた。

「賢そうな子じゃないか。よほど『畑』が良かったんだろうね、リッヒャ。」

鬼は静かだが、冷たい声で、父に向かって言った。父は、何か言いかけたが、傍らで、ベールの女性が、泣き出したので、そちらに向かっていき、ハンカチを出した。女性は、涙を拭くために、少しベールを上げた。

「お前が泣くことはないでしょう。ミュリ。」

祖母が口を開いた。「ミュリ」は、涙の目で僕を見つめ(距離はあったのだが、明るいくっきりとした色合いの、緑色の目をしているのがわかった。)、

「すいません、御義母様、アヒィルの面影があって。」

と喉を詰まらせた。

「確かに、リヒャルスは兄弟のなかじゃ、顔だけは一番、アプフェイルズに似てるからね。」

と、鬼の老女が言った。「頭の中身も、似ててくれたら良かったのに。」と付け加えて。

若い女性は、四人兄弟の長男で、先日、急な心臓発作で亡くなった、ヴェンロイド男爵の夫人ミュリセントだった。夫妻には、子供が居なかった。

それが、「原因」だった。

「それじゃ、リッヒャ、いや、この子に?」

と、ルドレフが、不満げに言った。

「アプフェイルズの遺言では、そうなるね。」

祖母が睨み、ルドレフが怯んだので、ミヘイルが

「それなら、メッサやグスティにも、一応は、『権利』はあるんじゃ。」

と言った。だが、祖母は、

「今さら、何か文句があるのかね。だいたい、お前たちが不甲斐ないからこその、遺言でしょうが。」

とにらみ返した。伯父達は、半分くらい、縮まったように見えた。

途端に、エンデミアが、わめき出した。外国語のようだった。グストーンが泣き出した。ランシーヌが、子供を夫に渡し、彼女を宥め、隣の部屋に連れていった。

「まったく…。後で、『財産分けは、不自由のない程度に、きちんとする。』と言っておやり。」

祖母は吐き捨てるように言った。そして、僕に向かい、

「今日から、お前は、ヴェンロイドだ。『アプフェロルド』を名乗りなさい。」

と冷たく言った。

こうして、僕は、「パン屋のエスカー」から「教会のエスカー」を経て、「アプフェロルド・オ・ル・ヴェンロイド」になった。


四人兄弟の長男で、先代の男爵である、アプフェイルズ伯父は、子供がいないまま死んだ。

「弟達の子供のうち、正式に結婚した女性との間に産まれた男子に、跡を継がせる。」

と遺言を残して。順番からしたら、ミヘイル伯父に行くのが普通だが、先代は、弟三人を、

「ヴェンロイドの跡継ぎには不適格」

と考えていたようだ。

ミヘイル伯父には、アプフェイルズ伯父の死の直後に、正妻との間に、産まれた娘・メッサが一人。状況から判断して、遺言は、この子が男子であることを、期待したのだと思う。ランシーヌ伯母は、極端に痩せて小柄な人で、メッサを産む前も、産んだ後も、医師の監督が欠かせなかった。幸い、メッサは丈夫に育ったが、伯母は、僕が来てから二年後、二人目を妊娠中に亡くなった。伯父は再婚はしなかった。

三男のルドレフ伯父には、僕より二歳上の息子・グスティがいたが、こちらの伯父は、当時はエンデミア夫人とは、正式に結婚してはいなかった。収穫期に雇った季節労働者の娘で、このため、先代も祖母も、ずっと結婚に反対していた、と聞いている。しかし、実際に結婚を渋っていたのは、どうやらルドレフ伯父のようだった。彼は、貴族の婚約者がいたのだが、エンデミアが妊娠したため騒ぎになり、ついでに、その他にも色々とばれて、解消されていた。さすがにそれでは、直ぐにエンデミアと結婚、という訳にはいかなかったろうが、息子が産まれてしばらく、もう正式に結婚しては、と先代が薦めた時に、ルドレフ伯父は断った。祖母が反対したから、とグスティには説明したらしいが、その祖母は、最終的には異議は唱えていなかった。

そして、結婚後、さらに二人の子供が産まれたが、女の子だった。リンディニア、パルミアナと名付けられた。その時期、ルドレフ伯父が、都会に別の女性に家を買っていたのがばれたため、エンデミアは、娘二人を連れて、実家に帰った。実家はすでに季節労働者ではなく、彼女の兄は、採取部門の班長になっていたが、目と鼻の先に住むのもどうかというので、愛人のために買った家に引っ越した。離婚はしなかったが、以降、ヴェンロイド領には姿を見せなかった。息子のグスティは、会うときは、年に何回か、母の所まで出向いた。

彼女達とは、経済的な援助以外の縁は、ほぼ無くなったと言ってもよい。

メッサとグスティの面倒は、ランシーヌ伯母の家庭教師だった、フィッツ夫人という、年配の女性と、ガルシアの妻のルドカ、メイド長のロミーなど、祖母の選んだ女性達が見た。

父は、長兄の結婚が決まった年に家出をして、あちこち旅をしていた。騎士には遠く及ばないが、旅に不自由しない程度には、片手剣と土魔法が使えた。

ラズーパーリで、寡婦だった母と出会い、結婚した。結婚証明書の名前は「リヒャルス・ヴェンロイド」となっていた。貴族であることは隠していたらしいが、余所者が富裕な(当時は)商家の未亡人と結婚、ということで、教会はサインの他、念のため、両手の「手形印」も取っていた。このため、署名が「リヒャルス・オ・ル・ヴェンロイド」でなくても、正式な結婚と証明出来た。

コーデラの貴族には、公爵家(王家の血筋の貴族)と伯爵家(王家から爵位と領地を与えられた貴族)の他、男爵家(王家から爵位は与えられたが、領土は私有地)がある。ヴェンロイド家は男爵家にあたる。

原則、爵位は正妻との間の子であれば、誰に継がせても良いが、だいたいは長子から優先される。男女の区別はないが、地方の貴族では、男子優先の慣習がある場合も多い。

ただ、私有地や私有財産に関しては、認知していれば、正妻の子で無くても権利があり、していなくても配慮はされる。遺族の法定遺留分はあるが、遺贈も基本は自由だ。

ヴェンロイド男爵家は、旧い家柄で、莫大な財産と、広大な領土を持つ名門貴族だった。だが、土地は王家から与えられたものではなく、議会に参加する権利もないので、分類としては「地方貴族」になる。地方貴族は、中央の大貴族より保守的と、言われるが、ヴェンロイドの伝統もそうだった。

ミヘイル伯父が言った通り、法律上は、次男の正妻の娘であるメッサには、爵位に関する権利があった。

三男の息子であるグスティは、当時の基準では難しかったが、母親が後に正妻になったことを酌量するなら、権利がないとは言えない。

伯父達が二人で王都まで訴えたら、通ったかもしれないが、二人は、遺言を受け入れた。

僕ではなく、父が継ぐのであれば、文句があったかもしれないが。

祖母は、僕を跡取りにし、父を後見にしたが、実権は、彼女が握っていた。実際、祖母でなければ、ヴェンロイドの切り盛りは無理だった。彼女が強烈なので、彼女の夫、つまり僕の祖父がどういう人物だったか不明だが、彼は、父が三歳の時に亡くなっていた。先代と同じ、急な心臓発作だった。

祖母は厳しい人だったので、長男以外にも、ヴェンロイド家にふさわしい教育を、と、力を入れたそうだが、一方、

「生来の間抜けや怠け者、お調子者は、どう足掻いても直しようがない。」

という持論を持ってもいた。このため、一定以上見込みがないとなると、途中からは自由にさせた。

「間抜け」と呼ばれたミヘイル伯父は、おっとりしすぎてはいたが、別に、間抜けでも愚かでもなかった。三人の中では、一番真面目で、学もあった。だが、気が弱い面があり、決断力がなかった。自分が気が弱い事は自覚していたので、積極性にも欠けていた。。

ルドレフ伯父は「怠け者」ではなく、むしろ行動派だったが、その行動力が発揮されるのは、主に娯楽の時だけだった。ただ、生来の遊び好きというわけではなく、女性に対して、凄く弱いところがあり、その結果、数人掛け持ちして、面倒な事になる場合が何度もあった。

間抜けや怠け者という評価に比べたら、父の「お調子者」は、一番ましだった。実際、剣は長兄より得意だったという。しかし、性格的に、責任感がなく、周囲への配慮に欠けていた。だが、一方で、自分を飛び越えて、僕が跡取りということにも、変なこだわりはなかったようだ。

先代の夫人、ミュリセントは、母によく似た、金髪に緑の瞳の、穏やかで、優しい人だった。ヴェンロイドの隣のアルハンシス男爵家の出で、四兄弟とは幼馴染みだった。年齢は、ルドレフ伯父と父の中間になるが、ミヘイル伯父も、ルドレフ伯父も、彼女を「姉」と呼んでいた。実際に年下だった、僕の父だけが、「ミュリ」と呼んでいた。

僕が兄さん達に手紙を書き、その返事が一通も来ない事に、悲しんでいた時、慰めて優しい言葉をかけてくれたのは、ミュリだった。

僕の魔法力が、非常に高いようだ、と、家庭教師から祖母に話があった時、祖母は、魔法院への進学を直ぐに決めた。宮廷魔術師には宰相への道も開ける。父も支持した。その事に対し、

「もし、貴方が行きたくないなら、断ってもいいのよ。お父様と一緒に住みたいなら、それでも。」

と、僕の意志を確認してくれたのも、やはりミュリだった。

従兄弟二人は、当時は僕に対して攻撃的(あくまでも子供時代の話だが)、祖母は「鬼」、父は僕の後見人の地位の一貫として、香料部門の事業を任されて、主に東方と南方を行き来していた。帰ってきた時は、一応は顔を見に来たが、義務的な物だった。このため、ミュリの言葉は嬉しく、彼女と離れるのは抵抗はあったが、五歳の僕は魔法院に行くことを決めた。


魔法院に行く前の日まで、僕は屋敷への道が見える、あの記念の大木の丘の上で、手紙を運ぶ馬車を待っていた。

いつもは日が落ちたら、屋敷に戻るが、その日だけは、日が暮れても居た。

ただ佇む僕を、ミュリが迎えに来てくれた。屋敷に戻る道すがら、彼女は、先代から聞いた、魔法院の話をしてくれた。先代は、火魔法が得意で、教養のためだが、四年間だけ、魔法院にいた。その時の話を伝え聞いたもので、それは楽しい話だった。

だけど、僕は、その話を聞きながら、ぼろぼろと泣いた。

泣くのは終わりだ、もう、これで、何もないんだ、何も、無くなったから、そう思いながら。


   ※ ※ ※ ※ 


魔法院に来て三ヶ月後、祖母が手紙で、父が再婚した、と知らせて来た。相手は、ミュリだった。

手紙には、

「彼らに子供が出来ても、跡取りはお前だから、気にせず励むように。」

とあった。二人は、父の担当業務の関係で、南東の都市ビアニスに住んだ。ヴェンロイドとアルハンシスの間の、王家直轄の貿易都市だが、ミュリの母親が、療養のため、長くそこの病院にいたからだ。

かなり後になってからグスティから聞いたが、もともと「約束」が出来ていたのは父とミュリだった。だが、ミュリの父親が、跡継ぎでもない四男に、愛娘を嫁がせるのを嫌がったため、長男の嫁になったそうだ。

父の家出の原因は、これだったのだ。

グスティは、「そこまで」は言わなかったが、僕には解ってしまった。父が、母を置いて、行きなり帰郷した理由も。

長兄が死に、ミュリが未亡人になったからだ。


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