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不惑の花・3

新書「不惑の花」3(ガディナ)


グラナドが五歳の冬だった。

国立歌劇場で、風変わりなオペラの公演があった。

コーデラやラッシルの作曲家の小品に、チューヤで歌詞と物語を付けて上演されていた作品で、いわゆる逆輸入された物、になる。題名は「四十の俵」だったが、翻訳時に、ヒロインの名から「揺れ惑う百合」という、なんだかしつこいタイトルに変更されていた。


ある田舎町。祖父が死んで、母親と二人になってしまった娘リーリー(百合)に、豪農の大地主の長男イーナンが、強引に言い寄る。

リーリーの祖父は皇帝の肖像画を描いた事もある、一流の画家で、体を壊して田舎で療養していたが、財産は充分にあった。それに、官僚を目指して都で勉強中の、婚約者スーマがすでに居る。イーナンもそれは知っている。

リーリーは、祖父の絵画の良さがわからないイーナンが、「絵の具だらけの布は、旧くなっても雑巾に出来ない。」などと平気で言うので、憤慨したが表には出さず、申し出は断った。

だが、イーナンの父の地主は、世間知らずのリーリーの母親を言いくるめ、一方的に婚約してしまう。訴え出ても、知事は任期満了による交代のため不在、副官のピンパンは、地主から賄賂を受け取っていて、まったく頼りにならない。逆に「二重に婚約した女は、娘を産んだ母親と共に、生き埋めの刑だ。」と、百年前に廃止された法律を持ち出して脅す。

しかし、地主の妻ミンナと、次男のリャンナン、その妻のメイが、リーリーに同情し、

「婚約披露のご馳走を作るのに、急な事なので、米が足りない。四十俵ほど、メイの実家から借り受けるから、それまで待ってほしい。」

ということにし、渋る地主とイーナンを

「長男の嫁取りなんだから、格式が大事。大農家の米料理が、みすぼらしくては話にならない。」

と言いくるめた。リャンナンは町を出て、都に向かい、婚約者スーマを呼び寄せた。リャンナンは、スーマの親友でもあった。

スーマは、ちょうど、難関の国家試験に合格し、官僚になったばかりだったが、取るものも取り合えず駆け付け、無事にリーリーを助ける。

実は、ピンパンは、他にも色々と悪事を働いていたので、解任される事になっていた。スーマより一足遅れて到着した、新しい知事シアンは、ピンパンを更迭した。

地主とイーナンは、「二重婚約した娘が悪い」(死刑にはならないが、二重婚約自体は罪になった。)と言い訳するが、リーリーの母が、「勝手に婚約させた、私の罪だ」と告白する。

母親は、

「都と違い、ここでは、男子の跡継ぎがいないと、財産は没収され、町を追われる。無一文になるのは気の毒だから、自分達が助けてやる。」

と言われていた。これも、二百年前に廃止された法律だった。

シアン知事は、地主にも罰を与えようとしたが、リーリーの取りなしもあり、リャンナンに家督を譲ることを条件に、厳罰は免除された。

知事は副官にスーマを指名した、リーリーとスーマは結婚し、母と三人で平和に暮らすことになった。


喜劇としてはありふれた話だが、悪徳三人組の、コミカルな歌とセリフや、ヒロインを助ける地主夫人の活躍に味があった。肝心のリーリーは、アリアが良いため、唄の見せ場はあるが、ストーリーには、殆ど関わらない。一幕の終わりは、リャンナンの出発の、決意のアリアと、妻メイとのデュエットだ。

さらに、二幕のクライマックスは、米がまだなのに、婚約披露を強行するイーナン親子と、ミンナとメイの攻防のカルテットだった。

また、リーリー自身は「揺れ惑う」訳ではなく、終始一貫してスーマへの愛を歌い続けるので、タイトルも微妙だ。

チューヤ風の衣装や、東方情緒のある演出は見事で、拍車は盛大だった。

リーリー役のソプラノは、チューヤ系のルセリア・ウォンで、音域の広い、澄んだ声の歌手だった。カーテンコールに出た彼女は、一曲目は「コーデラの祈り」という民謡を、二曲目は、「チャフスクの子守唄」を歌った。


《夜が終わるまで

そばにいるから

安らかにお休み

守ってあげる

愛しい子よ…》


美しい伸びやかな声だ。確か、陛下の好きな歌だ、と思い、歌い終わった時に、隣の彼を見ると、姿がない。

彼女は続けて、華やかなコンサートアリアを歌い出したが、私は、桟敷を出て、陛下を探した。

陛下は、王族用の控え室で、ソファに座っていた。頭を抱えているので、具合が悪いのかもと、慌てて声をかけた。

顔を上げた陛下は、泣いていた。私に気付き、すぐ袖で拭った。

私は、再度、大丈夫か訪ねた。オペラは喜劇で、泣くような話ではなかったからだ。

「少し、昔を思い出してね。懐かしい歌だったから。とても。」


そういうば、陛下が王都に、「勇者」として登った時に、皆で鑑賞したオペラが、チャフスクの物だった。子守唄は、その中の二重唱を基にした物だ。

ディニィ、お父様、ヴェンロイド師、ヨルガオード、騎士ネレディウス。あの夜を、華やかに彩っていた人々には、帰らぬ人もいる。

「色々と思いだして、眠れない時や、悪い夢に魘された時、泣いて目を冷ました時、側にいて、枕元で唄ってくれた。」

そう答える陛下の表情は、柔らかく、夢を見ているようだった。寂しそうではあったが、微笑んでいた。

陛下は幼い頃に両親を亡くし、育ての親も、ラズーパーリの悲劇で亡くした。ニルハンの事件でも、親しい人達を、一度に亡くした。

ディニィは、歌が苦手だったが、子守唄なら、何曲も覚えていた。赤ん坊のタッシャに、歌うためだった。長じてサッシャやディジーにも唄ってくれた。チャフスクの子守唄を歌う所は聞いたことはないが、年下の夫のための、特別なものだったのかも知れない。

「ずっと、一緒に居るのが、当たり前だと思っていた。置いていかれるくらいなら、先に逝ったほうがまし、と言ったら、『お互い、老衰で死ぬとしても、自分の方が、年上なんだから。』と、困った顔をしていた。

『死によって、その世界が分かたれるまで。』

じゃなくて、

『死によって、たとえ世界が分かたれようとも。』

と、心に誓っていた。口に出して言ったことはないが、言っておけば良かった。

俺達は、お互い、最後に残った、唯一の物だった。」

私は、陛下から、目が離せなくなっていた。このような会話をしたのは初めてであり、彼がこういう話し方をしたのも初めてだ。

いつも明るく、軽やかな話し方(マクスオードは、比較的無口な質だったので、相対的に)をしていた。風刺記事に「議会用必殺技」「国民向け最終兵器」と揶揄されるほどの、魅力的な笑顔と共に。

私が黙っていると、顔を上げた陛下は、真っ直ぐに私の目を見て、

「すまない、貴女に溢す愚痴ではないな。」

と、涙の僅かに残った瞳で、ばつの悪そうな笑顔を向ける。

「わかりますわ。私も、母や兄、マクスオードの時は、対して年の変わらない姉に、支えて貰いましたもの。

ディニィは、そういうところのある人でした。」

陛下は、少しだが、目を見開いた。正面から入った光が、オリーブグリーンの瞳を、ダイヤのように輝かせる。

次を続けられないでいると、開け放したドアから、ガディオスが顔を出した。

「お話し中でしたか?」

と、意外そうな顔をする。

彼は、今夜は夫人と平土間席で鑑賞していたが、陛下と私が居ないのに気付き、様子を見に来た、と言った。

「それじゃ、戻ろうか。私たち二人とも、桟敷からいなくなっていたら、プリマドンナが卒倒して、支配人が首を括りかねない。」

陛下は明るく笑い、ガディオスも笑った。私も合わせて笑った。

この後、戻ると丁度、コンサートアリアの、長いパッセージがクライマックスで、拍手に間に合った。陛下は、プリマドンナに、笑顔と拍手を向けていた。

その夜、劇場から戻った私は、子供達に、昔、よく聞かせた、「薔薇の子守唄」を唄った。ディジーは喜んでいたが、サッシャは「もう子供じゃないし」と言っていた。


それでしばらくたった、ある日の事だった。

何年か前から、春にかけて、質の悪い春風邪が、定期的に流行った。今年は、感染力は低いが、致死率はやや高い、と言われていた。

看護支援の会の集まりで、騎士団長クロイテス夫人のシスカーシアが、

「今年のは、かなり悪化するまで、咳があまり出ません。最初のうちは、熱も低く、自覚症状があまりないため、拗らせるケースが増えています。

高熱が出始めると、一気に咳が苦しくなり、呼吸困難で死亡、というケースが、成人にも見られます。」

と報告していた。

この春風邪は、昔、一度でも、感染したら無事、といわれていたが、そうでないケースも出てきている。病原が年月により、少しずつ変化したからだ。

今年は流行が春前に来そうだ、ということと、春風邪にまつわるラエル男爵領の事件が、あちこちで話題になっていた。

事件が起きたのは、男爵領の南部の、良質な米と芋の産地にあたる農村地帯だった。予防薬を射っても死亡する例が多く見られ、調査の結果、古い予防薬を「間違って」投与し、新しい病原に効かなかったから、とわかった。

「間違って」と言うことだが、実は、農村共同体の上層部に、不届きな者達がいて、新しい薬は一家に四つまでと勝手に決め、後は古い薬を投与していた。費用の着服が目的だ。

早速、新しい薬を投与するべく、王都から医師が派遣されたが(ラエル男爵自身は、陽気な社交界の花形だが、こういう場合の対応能力がなかった。)、無料にもかかわらず、薬を拒否する者が多くて困っていた。

「薬を射ったから悪化した」と言い出す者もいた。自治体と、農民達の間には、すでに信頼関係が無くなっていたので、説得に骨を折った。議会でも、対策が連日相談された。

このため、異例だが、私が出向く事になった。急な事だが、準備が出来次第、すぐ、と言うことだ。看護支援の会としては、何らかの働きかけは行うつもりだったので、丁度良かった。

会議の後の食事の時間も、その話で持ちきりだった。本日の進行担当だったサンデナ(銘茶で有名な、ウーズの茶園の女主人)が、

「ガディナ様が行くなら、大丈夫ね。」

と言った。

「父からから聞いたのだけど、ラエル領では、最初に流行した年は、本当に足りなくて、時期も時期なので、働き手を優先にして投与した、という経緯があるらしいの。だから、騙されてしまったのね。ひどい話だわ。」

と続けた。それを聞いて、アダマント夫人が、

「そうそう、子供やお年寄り、若い女性中心に、犠牲者が出たって、お話でしたね。お気の毒に。」

と、相づちと共に答えた。ウェイランド男爵夫人が

「まあ、女性と子供、お年寄りが、先でしょうに。」

と言ったのを切っ掛けに、エシュール伯爵夫人と、その令嬢レオラが、

「本当ですわ。しもじもの男性は、何を考えているのでしょう。」

「昔から、あの地方の農民は、そういう性質だったようですよ。」

と口々に言い出した。

六十年前の土地の所有者は、貴族ではないが、ラエル家の遠縁にあたる大地主だった。地主夫妻が相次いで亡くなった後、一人娘だった令嬢は、これも遠縁の下級貴族から婿を迎えたが、この婿というのが、勘違いした、どうにもならない人物だった。農村の若い娘に片端から手を出し、拒否した娘は言いがかりをつけて、一家ごと村から追放、税は上げるのに、必要な経費は削り、文句を言った夫人には暴力を振るった。

とうとう農民が結託して抗議に押し掛けたが、農具を振りかざしてやってきた彼らに、婿は怯えて、妻と幼い息子を置いて逃げた。

農民達は、当初は、真面目な指導者の元で、追放された人達を呼び戻し、地主夫人を通して、婿の逃亡した王都に訴状を送り、反乱の意思がないことを示し、解決に努力した。

だが、内部分裂が起き、最初の指導者は殺された。二番目の指導者は、自ら地主夫人と結婚したが、それは離婚が成立する前だった。さらに、その結婚の後、夫人と跡取り息子が、急死した。間違って、有毒な芋の芽を食べたから、という事だったが、誰もそんな話は信じなかった。その土地の芋は、有毒な芽を持たない品種だったからだ。

このため、婿側の主張である「クーデター」が、後付けで成立する事になってしまった。

騎士団により、「クーデター」は収まったが、婿の所業は事実だったため、彼は財産の相続は認められたが、土地はラエル家に属する事になった。

この話は有名だ。ただ、私の教師は、「しもじもの品性の現れ」などとは、教えなかった。私と、地方出身のアダマント夫人以外は、同じ王都の名門女子校出身だが、そこでも、こういう教え方は、していないはずだ。

正しく教えても、直せないのは、庶民ではなく、貴族の品性だ。

サンデナが一呼吸置き、

「そういえば、歌手のルセリア・ウォン、チューヤ移民と思われてたようですけど、その地方の、追放された一家の子孫らしいわ。確かに、彼女の容姿では、純粋なチューヤ人、というのは、無理がありますわね。たぶん、名歌手のイーナ・ウォンにちなんで名乗っているのだと思うけど。新作オペラ、ご覧になった?」

と、話題を替えた。

話はオペラの出来から、ミリエル(音楽協会長のカリエント伯爵の夫人)の姿がなかった、今日も来ていない、まめな彼女にしては珍しい、と、変わっていった。

「仕方がないと思うわ。あの新人テノール、一応、ナデレーン伯爵の息子さんですもの。」

と、エシュール夫人が言った。

今のナデレーン伯爵は、令嬢のルツアチーナの婿だった。彼は騎士だったが、伯爵領を継いで、しばらくして引退した。テノールは、ルツアチーナの父親が、オペラ座のバレリーナとの間に作った子供だ。

彼とミリエルには、なんの因縁もない。あるのは、ミリエルとルツアチーナ――というより、二人の父親だった。

まず、ミリエルの父が、娘の結婚相手にと考えていた男性がいたのだが、ナデレーン家に先を越され、彼はルツアチーナと婚約した。だが、その男性は騎士だったため、複合隊と戦って、死亡した。

その葬儀の席で、彼の祖母が、「孫はミリエル様を好きだったのに、バカ嫁が金に目がくらんだせいで。」と、狂乱して喚いた。だが、任務はナデレーン家が決めた訳ではない。その祖母は、何もなくても、こういう事を言う人だったので、良識のある者は取り合わなかったが、世間はルツアチーナを非難した。

次に、数年後、ルツアチーナの婚約者に選ばれた男性は、「故郷に婚約者がいるから。」と、ナデレーン家の申し出を断った。だが、彼が実際に結婚したのは、ミリエルだった。彼は地方貴族、故郷の婚約者は平民の女性で、幼馴染みだったらしいが、結婚直前に、別の人を好きになったから、と、彼を振った。

ミリエルと知り合ったのは、その後だったが、噂では、ミリエルの報復、とされ、彼女が非難された。

ミリエルはシスカーシアと同じ学校だったので、私とも知り合いだが、大人しい消極的な女性だ。ルツアチーナはそれほど親しくはないが、学校の代わりに神殿に通ったので、ディニィとは友人だった。彼女は、ミリエルに輪をかけて内気で、ミリエルが女同士なら、あれこれ集まりに顔を出すのに対し、本当に引っ込み思案で、今では、滅多に外に出ない。(ディニィによると、歌は旨かったらしい。)

二人の対立というより、大人しい娘を心配しすぎた、父親達の咎だろう。家の格はほぼ同じ、ナデレーン家のほうが、やや資産はあるが、ミリエルのほうが、容姿には弱冠、恵まれていた。

「昔から妙な縁がありますものね。合計四回、婚約者を争った事になるかしら。」

「あら、二回では?」

「ああ、アダマントさん、ご存知なかった?最初は、まだ子供の頃だったけど、ラッシルの皇太子殿下がいらした時に、『許嫁になる女子を探している』と噂になってたの。

ただの噂でしたけど、両家の人達は、信じてしまったのね。色々と、あったそうよ。接待の担当をしていた、父から、少しだけ、聞いたわ。

二人目は、女学校の卒業前で、相手は、あの騎士ネレディウスですよ。ただ、そちらも、正式なお話の前に、終わりましたけどね。ミリエルから聞いたけれど、ネレディウスさん本人の耳にすら、入っていなかったそうよ。」

「それなんだけど、ナデレーン家の方は、ミリエル側が話を引っ込めたと聞くや、当事の団長のサングィスト伯爵に、『お話』したそうよ。そんな事を団長に話しても、どうしようもないのにね。

でも、話があったら、本人に伝えざるを得ないし。耳には入ってるでしょう。

卒業式の後、ナデレーン伯爵はは、王都の役職を引き受けて、娘を連れて、騎士団本部近くに、わざわざお屋敷を借りてたわ。まあ、そういうことでしょ。」

「あら、でも、ミリエルならともかく、あちらの方では、それだと、不利にならないかしら。こう言っては何ですけど。」

「そうですわね。あれで、ご本人がもう少し…。」

エシュール夫人達の会話を、シスカーシアが、

「ナデレーン家は、よくわからないけど、ミリエルはこだわりは無かったわ。あちらも、熱心なのは、お父上だけだったもの。本人でなく。」

と遮った。サンデナが、

「騎士で思い出したわ、ミリエルの一番下の息子さん、先代は騎士にしたいらしいけど、ミリエルは、反対してるのよ。ご主人もね。

オペラの前の日に、刺繍の会があったのだけど、息子さんが倒れたから、欠席だったわ。例の風邪ではないそうだけど。

でも、今年は流行が早いから、心配だわ。」

と、やや無理矢理に、風邪の話に戻した。ミリエルの息子が倒れたのは、風邪のせいではなく、先代伯爵の雇った家庭教師が、体を鍛えるためにと、子供には無理な運動をさせたからだ。現在、これで父親とミリエルは争っている。

話題はミリエルから風邪になったが、変わる直前に、エシュール夫人達だけでなく、サンデナとシスカーシア以外、一瞬だが、同時に私を見た。

ネレディウスの話が出たからだろうか。

ネレディウスが騎士を辞めたのが、陛下のためだったのは、皆が知っている。ニルハン遺跡でギルドメンバーをほとんど亡くし、まだ少年だった陛下の独り立ちの、身を案じての事だ。

歴代最高成績で、首席で卒業したネレディウスは、そのまま王都に行けば、騎士団長は確実だったろう。現団長のクロイテスは三位、夫人のシスカーシアの兄(複合体のため、若くして死亡。)が二位だったが、クロイテスから、「一位との間に、厚い壁があった。」と聞いた事がある。シスカーシアからは、

「非常に優秀で、人物も立派だけど、兄が『騎士には向かない。』と言ってた。ライバル意識で言ってるのか、と思ったけど、『騎士が忠誠を誓う相手は、聖女コーデラと、その恩恵を受ける、コーデラ王国だ。国民のために、自分を捧げる、最高の栄誉ある役割、それが騎士だ。

だが、彼は、それを最高とは、考えていないように思う。よい意味で、貴族的ではないのかもしれん。』ですって。

兄様が旧いだけでしょ、と言ったら、説教されたわ。途中でサディ(クロイテスの名『サディルス』の愛称)が来たから、代わってもらって、逃げたけど。」

と聞いた。

だが、結局、ネレディウスは、故郷の街を救うために、自らを捧げて死んだ。

ネレディウスは『英雄』ではあったが、彼は独身で恋人も作らず、陛下と一緒に住んでいたので、とかく噂はあった。が、昔の事であるし、ことさら、私に気を使う事ではない。

だが、この時、私は、オペラの夜の、陛下の言葉を、急に思い出していた。

《眠れない時や、悪い夢に魘された時、泣いて目を冷ました時、側にいて、枕元で唄ってくれた。》

私は、ディニィのことだと思っていた。だけど、いくら年下とはいえ、一つしか違わない夫に、大人になってから、子守唄を唄うだろうか。

《ずっと、一緒に居るのが、当たり前だと思っていた。》

《置いていかれるくらいなら…》

《『お互い、老衰で死ぬとしても、自分の方が、年上なんだから。』…》

私は、ネレディウスの、穏やかで、控えめな様子を思い浮かべた。彼とはあまり会話する機会は無かったが、いつも礼儀正しく、陛下に寄り添っていた。

《『死によって、たとえ世界が分かたれようとも。』》

私は、気がついた。彼らは、若き日の陛下と共に、ディニィに仕えていた。だが、寄り添っていたのは、お互いだったのだ。

《最後に残った、唯一の物だった。》

私は、首を振った。否定の意味ではない。陛下の、あの、表情。焼き付いたものを払い、日常に戻るためだ。

「あら、これ、苦手でしたか?」

アダマント夫人が、私に菓子を取り分けてくれていた。サンデナが作った、緑茶のケーキだ。

私は改めて皿を受け取り、その緑色の――あらゆる人に愛しまれた色――の欠片を、しばらく見つめていた。

サンデナが、苦かったかと、気にしていたので、ゆっくり口にいれる。

甘味の中の、ごく僅かな、清々しいが、ほろ苦い緑色が、長く舌に残った。


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