覚醒の朝
Ⅰ
「――あぁ、今回は男か」
その言葉は目覚めとともに零れたものだった。
それは起床という意味であり、覚醒の意味を持つ。
俺は思い出した。
自分が、何者であるかを。
「しかし、ずいぶんと古めかしい家に生まれたな」
止めどなく流れ込んでくる前世の記憶に頭痛を覚えつつ、周囲を見渡してみる。
自身が生まれ育った我が家は、昔ながらの日本家屋といった様相だ。
名のある家に生まれたのか? そう予想しつつ、今回の出自についての正解が、頭に浮かんでくるのを待つ。
頭痛を伴う記憶の濁流に整理がつきはじめ、じょじょに生前と生後の記憶の判別がつくようになる。数多ある膨大な前世の記憶に、まだ短い今世の記憶が押し流されるのは、毎回の恒例行事だ。
転生して覚醒するたびに、僅かな間だけ俺は人としての自分を見失う。
「――あー……あ? あれ?」
記憶の整理がつき、生前と生後の区別がつきはじめる。
そうして、だからこそ、困惑した。
生後――今世の記憶に、数多ある前世のどれにも引っかからない、特異な情報が刻まれていたからだ。
「はっ――マジかよ? 魔法使いの世界だって?」
記憶が指し示した揺るぎない真実の情報は、この世界には魔法が存在する、というものだった。
アニメや漫画、御伽噺にしか登場しない魔法が実在する。
よく記憶を突き詰めてみると、更に可笑しな情報が次々と掘り起こされていく。
魔法学園。魔物。時代。国。星。宇宙。世界。
そのどれもが、地球とはかけ離れたものになっている。いま俺が息づいているこの惑星は、地球ではない。もとの世界とは異なる世界。
異世界だ。
「……冗談きついぜ。いままで数え切れないほど転生してきたけど、こんなに混乱したのは初めてだ」
地球上にある日本という国で生まれた、一つの怪異。
尾喰み白蛇。
それが俺に与えられた最初の名前だった。
蛇が自らの尾を喰うことで、生も死もない完全なる存在となる。大昔の人間はそう考え、ウロボロスという空想を作り上げた。それを元にして話作られた与太話を起源とする俺は、人として生を受け、人として死を享受する性質を会得している。
生と死の循環。死と再生の繰り返し。
その始まりと終わりの地は、俺の起源である日本になるはずなのだが。
「……たしかに和風ではあるけど」
世界そのものが違うのだ、ここを日本と言い張るには無理がある。
「魔法……魔法、ね」
今世の記憶を頼りに、魔法の再現を試みる。
だが、なにせ幼い子供の記憶だ。物心ついてからの記憶はあやふやで、断片的な情報しか掘り起こせない。
わかるのは、魔法の発現には魔力が必要で、それは生まれつき備わっているらしい、ということ。
なら、前世の記憶で情報不足を補おう。
地球上にも、魔法のような術がなかった訳じゃあない。
陰陽術、錬金術、結界術、妖術、死霊魔術、などなど。
異世界のように人々に知られ、市民権を得るようなものではない日陰の存在だったけれど、たしかにそれは存在していて、いくつかを前世で習得している。
それらの起動方法を異世界に当てはめて実行すれば、魔法は発現するはずだ。
「――適正属性? そう言うのもあるのか」
今世の記憶を読み解くうちに、次第に魔法について明らかになっていく。
適正属性とは、個人が扱うことの出来る魔法の種類であるらしい。
生まれた際に検査され、両親に伝えられるもので、血液型と似たようなもののようだ。
「俺の適正は……水か」
かつてこの世界の母親が、そう言っていた記憶を掘り起こされる。
なので、水の簡単な魔法を発現することに決め、実行に移す。
魔力なる燃料を用いて、魔法という火を灯す。
発動するのは水の魔法だが、細かいことは気にしないことにしよう。
「出来た――シャボン玉みたいだな。いや、どっちかって言うとさらさらのスライムか?」
手のひらに浮かんだのは、球状の液体だ。
中身の詰まったシャボン玉と言うべきか、粘度のないスライムと言うべきか。とにかく、魔法は実際に発現し、目の前に現れた。これでもはや疑いの余地はない。
何の因果か、俺は異世界に転生してしまったらしい。
「顔つきはいつもと変わらないんだよなぁ……」
水の魔法に移った自身の顔をみて、言葉が漏れる。
男とも女ともつかない中性的な美少年。
自分で自分の容姿を良いように言うのもなんだが、俺はそう言う風に生まれてくる怪異だ。男女両方の性質を帯びているからか、転生するたびにころころと性別が変わってしまうことだし、容姿はこちらのほうが都合がいいのだろう。
男だったり、女だったりと、忙しないことこの上ないが。
「――ハクー、もう起きてるの?」
そう水の魔法と睨めっこしていると、母親が障子を引いて現れる。
「――まぁ、たいへん。あなた! あなた、たいへん! ハクが魔法を使っているの! まだ六つになったばかりなのに!」
かと思えば、手のひらに浮かべた水球を見て、慌ててどこかへと消えていった。
「魔法使いの世界じゃないのか?」
母親の反応を訝しく思い、今一度、記憶を探ってみる。
すると、納得のいく情報がすぐに発掘された。
「あぁ、魔法って十二にならないと使えないのか、普通は」
どうも異世界の常識は掴みづらい。
何気なくやって見せたことが、出来るはずのないことだったりするかも知れない。その辺の調整は、これから時間をかけてやっていくしかないな。せめて、この幼い身体が立派に育つまでは、周りに合わせるとしよう。
大丈夫、慣れたものだ。
もう何十回、何百回、何千回と、してきたことだ。
こうして今回の転生は、波乱の幕開けとなる。
けれど、それでも――異世界でも、俺の性質は変わらない。
ただ生と死を、死と再生を、循環し、繰り返す。
手始めに、年相応の演技から始めよう。
六つの子供がなんの前触れもなく流暢に話し始めたら、父親も母親も困惑することだろうしな。
Ⅱ
六つの歳で魔法を使う。
それはこの異世界では、かなり稀なことらしい。
母親に連れられてきた父親にせがまれ、否応なしに披露せざるを得なくなった水の魔法は、父親の目を丸くさせていた。
すぐに「この子は天才かもしれない」などと言い出した父親は、俺を力強く抱きしめると、その後すぐにどこかへと駆けていった。
「なに? どこいったの?」
身体の成長具合的に、若干の舌っ足らずな言葉で、そう母親に問う。
「んー、どこだろう。たぶん、学園かな?」
「がくえん?」
「そう。お勉強するところ。初等部では魔法も魔術も普通はまだ習わないけど、特別クラスは違うみたいだし。そのクラスに入れるようにお話しに言ったんじゃないかな」
「ふーん」
特進クラスとか、そう言うものか。
才気あふれる将来有望な若者を集めて、地盤を盤石にするためのクラス。
不用意に使った魔法が、まさかこんな事態を招くとはな。
なにせ、初めての異世界だ。最初の一回は要領を掴むために消費しようと思ったけれど、このままいけるところまでいくのも悪くないか。
「ふふ、まだわかんないか。子供だもんね」
そう思考を巡らせていると、その様子を勘違いしたのか。
母親はすこし嬉しそうに、俺の頭を優しく撫でた。
どうやら、両親も悪い人ではないらしい。
「さぁ、朝ご飯にしましょう」
母親に連れられて、寝室を後にし、出来ての朝食を口にする。
それが終わる頃には父親も帰宅し、矢継ぎ早に明日の予定を口にした。
「話をつけてきた。明日、ハクを見てくれるらしい」
「本当? でも、大丈夫かしら」
「大丈夫さ。俺たちの子だ、きっと大成するぞ」
そう言って、父親は膝を折って俺と視線を合わせた。
「いいか? よく聞くんだ、ハク。明日、とても大切なことが起こる」
「なにをすればいい?」
「言われたことを素直にすればそれでいい。お前ならきっと、合格するはずだ」
「わかった。がんばる」
「よし、いい子だ」
それから父親はその両手で俺を持ち上げると、部屋中を駆け回った。
母親に笑いながら注意されてもやめることなく、それはしばらくの間、続いたのだった。
Ⅲ
翌日になって両親に連れてこられたのは、初等部の校舎にある一角だった。
何人かの教師が並び、品定めするような目つきで俺を眺めている。そんな視線に晒される中、一人の老成した教師が俺の目の前へとやってきた。
「やあ、調子はどうだい?」
努めて優しい声音で話す彼の目的は、緊張をほぐすことだろう。
「だいじょうぶ」
だが、心配は無用だ。
なりは子供だが、中身はそちらよりも長生きだ。
「物怖じしない立派な子だ。では、これからハクくんにしてほしいことを幾つか言うから、それと同じことをしてもらえるかな?」
「わかった」
「よろしい。では、始めよう」
そう言って、彼は数歩ほど距離をとる。
「まず、ハクくんが一番得意な魔法を見せてもらえるかな」
指示に従って、以前にそうしたように魔法を発現する。
手のひらに浮かぶ水球。それを見た教師たちは、一斉にぼそぼそと会話をしはじめる。何らかの魔法やら魔術が絡んでいるのか、耳を澄ませても聞き取れない。だが、反応はおおむね良好と言った様子だった。
「なるほど。では、次にそれを別の形に変えられるかな?」
別の形に変える。
魔法の発現はこれで三度目、経験が薄いがやってみよう。
浮かぶ水球に思念を流し込み、思い浮かべた姿へと作り替える。脳内に描くのは、俺がもっとも鮮明に浮かべられるもの。
つまりは俺の起源たる蛇。
水球は、俺の意図を察したように急速にその姿を変え、一匹の精巧な蛇へと成り代わる。
流石は自分自身とあって、出来は上々だ。
「ほう……」
その水の蛇を見て、老成した教師からも声が漏れる。
その後ろで背景と化している教師たちも、先ほどよりはっきりとわかるくらい口を忙しなく動かしている。六歳児にしては、少々できすぎた部類なのか?
その線引きをまだよく理解できていないな。今後の課題は山積みだ。
「ハクくんの才気はよくわかりました。他に意見を聞くまでもないでしょう」
「ま、待ってください。ケルストルさん、本気ですか? たしかにハクくんの才気は目を見張るものがありますが……その……貴族でない彼を……」
貴族。
まだ貴族制度がある時代か。
地球の人類史に異世界を当てはめるのもよくないが、すくなくともこの時代は現代よりも遙かに過去のものらしいな。
まぁ、それは家や街並みを見てすぐに気がついたが、貴族という単語が平然と使われているのを見ると、改めてここが異世界なのだと自覚させられる。
「特別クラスは貴族のためのものではない」
周囲の空気が張り詰めるような、毅然とした声が響く。
「いま、この子を逃せば他校に行ってしまう。それは大いなる損失だ、違うかね?」
「……出過ぎたことを言いました。仰る通りです」
「他に異論のあるものは?」
その問いに答えるものはいない。
教師の何人かは、それでも渋い顔をしていたけれど。その胸中にある言葉を、ついに声にすることはなかった。
短い沈黙ののち、ケルストルと呼ばれた彼は、俺と、その後ろにいる両親に目を向けた。
「ようこそ、魔法学園アスイマへ。我々はハクくんを歓迎します」
その言葉によって、今の今まで固唾をのんで見守っていた両親から歓喜の声があがる。
両親の期待に応えられて何よりだ。俺自身が転生体とはいえ、両親は両親だ。俺は間違いなく母親の腹から生まれた、この世界に存在する人間だ。だから、両親は大切にするとしよう。たくさん親孝行するとしよう。
したくても出来ない、なんて経験は数え切れないからな。
「やったな、ハク!」
「よく出来たわね、ハク!」
「うん!」
こうして魔術学園における特別クラスに属することになった。
このままエリート街道まっしぐら、といきたいところだが、ここは前世で培ってきた常套手段が通じない異世界だ。油断はせず、魔法の習得に励むとしよう。
それに、数多の人生を経て、少々刺激が足りないと感じていたところだ。
この世界は刺激に満ちている。
鮮烈で、新鮮だ。
だから、大いに青春を謳歌するとしよう。
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この後に後書きはありません。