第四話 ヴィラック侯爵家
さて、時は少し遡り、クロードがメリーに結婚を申し込んだ翌日の事。
クロード・ヴィラックは和平の立役者として王宮に滞在していたが、実家の侯爵家に呼び出され、久しぶりに家族と対面していた。
クロードを待っていたのは、父と兄だった。
「クロード。何故呼び出されたか分かっているな?」
相変わらず、厳格な性格そのままの厳しい顔をした父、バーノン・ヴィラック侯爵にそう言われ、クロードは頷き、答えた。
「メリアナ・ラニード男爵令嬢に結婚を申し込んだ件ですね」
息子の答えに、侯爵は重々しく頷く。
「私も、結婚を申し込んだのは少々早計だったと後悔していたのです」
クロードの言葉に、侯爵と侯爵家の長男、兄のアラン・ヴィラックは、うんうん、と頷き、続きを促す。
「やはり、貴族の習慣に乗っ取って、ご両親に先に了解を得てからにするべきでした」
がっしょーん!
アランが背後に飾ってあった甲冑を巻き込んで派手にこけ、侯爵は頷いていた時の姿勢そのままの状態で固まり、動かなくなった。
何だ。自分が討伐に行っている間に具合でも悪くしたのかと心配していると、アランかふらつきながら立ち上がり、言う。
「お前のその阿呆みたいに一直線な性格は知っていたが、今問題になっているのはその事じゃない」
「では、やはり……あの事ですか……」
気まずそうに視線を泳がせる弟に嫌な予感を覚えながら、アランは尋ねた。
「取り合えず、聞く。あの事とは、どんな事だ?」
「ええと、後で知ったのですが、旅の途中で立ち寄ったブロッシェ皇国の皇帝陛下が実は男色だったらしく、それを当時の私は知らなくて……。不必要なまでにベタベタと触って来たので、もしや魔族からの間者ではないかと思い、つい急所を蹴り上げてしまったんです。まあ、誤解だったわけですが……。人気の無い場所での事だったので、偽装工作は完璧だった筈なのですが、やはり抗議の手紙が……」
「ナニソレ、知らない! つーか知りたくなかった! 兄ちゃん、今度ブロッシェ皇国行かなきゃいけないのに!」
イヤァァァ、と悲鳴を上げるアランに、クロードは同情の視線を向ける。いや、お前の所為だろうが。
余計に石化が酷くなりそうだったが、どうにか立ち直った侯爵が口を開いた。
「抗議の手紙は来ていない。その事では無いのだ。お前の求婚した相手が、メリアナ・ラニード嬢であるのが問題なのだ」
告げられた言葉に、クロードは目を見開く。
「何故ですか、父上!? メリアナ嬢は素晴らしい淑女です! 私と彼女が結婚する事の何処に問題があるというのですか!?」
珍しく激昂する息子に軽い驚きを覚えつつ、侯爵は溜息混じりに告げた。
「メリアナ・ラニード嬢がどんな女性であるかは知っている。問題は、お前が『英雄』である事実だ」
それを聞いたクロードが忌々しげに黙りこんだ所を見ると、本人にも一応は自覚があるらしい。
そう。メリアナ・ラニード男爵令嬢には何の落ち度も無いのだ。
クロードがプロポーズしたと聞いた時、一体何処の悪女に騙されたのかと、侯爵家の全勢力を挙げて相手の女の事を調べ上げた。
そして、上がって来た調査書を読んだ感想は、一つだった。
不憫。その一言に尽きた。
たった一日で上げられたにも関わらず、調査書にはメリアナ・ラニード嬢の事が実に事細かに書かれていた。
メリアナ・ラニードは没落した男爵家に生まれた。現在の身長は153セルチで、どちらかといえば小柄で痩せ型。成績は中の下。テストではスペルミスが多いらしい。
調査書の内容は、そこまでは良かったのだ。問題は、そこからだった。
メリアナ・ラニードは、赤子の頃から大人しい娘だったらしい。その所為か、同じ年に生まれた年子の三つ子に家族は掛かりきりになり、その存在は酷く薄いものになったそうだ。
それが問題として顕著に現れたのが、彼女が五歳の頃。
彼女は五歳になっても、言葉が喋れなかったのだ。
聞き取りは何とか出来るようだが、喋る事が出来ない。これに気付いたのは皮肉な事に家族ではなく使用人で、彼女が喋る事を覚えるようにと、当時の彼女に沢山話しかけたのも使用人だったそうだ。
そして、メリアナが七歳の時、たどたどしいものの、お喋りが出来る様になった頃、再び可哀想な出来事があった。
家族が揃って旅行に出かけた時、メリアナは忘れられ、家に置いて行かれたのだ。
しかも、帰ってきてもしばらくはメリアナが居なかった事に気付かなかったらしい。
不憫。何て不憫!
この報告書を一緒に読んでいた侯爵夫人、ダイアナ・ヴィラックはハンカチを涙で三枚水浸しにし、アランは目頭を押さえていた。侯爵もまた、口を一文字に引き結んで、色々と耐えていた。
しかし、彼女の調査書、というより不憫報告書は続く。
メリアナが九歳の頃、三つ子の誕生日パーティーを見て、彼女は尋ねたらしい。そういえば、自分の誕生日はいつなのか、と。
尋ねた相手は六歳年上の長兄、クディル・ラニード。そこで初めて、彼女の家族達はメリアナの誕生日を祝った事が無い事に気付いたそうだ。
遅い、遅すぎるよ! 何やってるんだよ!
アランが思わず叫んでいたが、侯爵は咎めなかった。そして、ダイアナが水浸しにしたハンカチは六枚目に突入していた。
しかし、報告書はまだまだ続く。
バルード王国では子供は十歳になる年にアルセルド王立学院に入学するのだが、この入学手続きを三つ子の分しかしていなかったのだ。それがギリギリになって分かり、家族が慌てている所にメリアナがやってきて、入学手続きなら自分でしておいた事を告げたそうだ。未だ十歳という幼い年齢なのに、彼女は家族に頼る事を諦めていたのだ。
父上、この子うちで引き取ろうよ。ベタベタに甘やかしてやろうよ。
アランが寝言をほざいていたが、ダイアナもそれに賛成の様で、夫に強請るような眼差しを向けていた。やめろ、そんな目で私を見るな。思い出せ、世の中にはもっと不憫な子が沢山居る。
しかし、未読の調査書はまだ残っている。
もう、戦々恐々としながら侯爵一家は調査書を読んだ。
無口で引っ込み思案なメリアナは、なかなか友達が出来なかったが、十一歳の頃、図書館でのバイトを切っ掛けに、二人の友達が出来たそうだ。
そうか、良かった。友達が出来たか。
安堵する侯爵一家だったが、嫌な予感が胸を過ぎる。
何で、十一歳の子供が図書館でバイト?
ラニード家の在る土地は学院から遠く、そういった生徒は寮に入るか、何処かで部屋を借りる事になる。しかし、寮は倍率が高く、中々入れない。寮は基本的に金銭面で苦労している者達に優先して貸し出されるのだ。
没落したとはいえ、使用人を数人雇うくらいにはお金が有る男爵家。そんな男爵家の娘であるメリアナは、例により抽選から漏れてしまい、学生を対象とした格安のアパートの部屋を借りて暮らしている。実家からの援助無しで。
いけない、涙の予感が。
しっかりハンカチをスタンバイさせて、読み進める。
家賃の支払いの前日、銀行へ行ったメリアナは実家からの振込みが無い事に気付き、小さい頃から貯めていた預金を切り崩し、バイトが見つかるまでパン屋からタダで貰ったパンの耳を齧りながら細々と暮らしていたらしい。
何処の苦学生だよ!?
アランが突っ込みをいれ、ダイアナはもう泣きすぎて疲れたらしく、ぼーっとしている。もう少しの辛抱だ、ダイアナ。あと一枚だから。
そして、最後の一枚を読み、侯爵一家は叫んだ。
まだ、仕送りをし忘れているのに気付いてないのか!?
先日の不憫報告書を思い出すと、思わず目頭が熱くなるが、それを何とか堪えつつ侯爵は告げる。
「私達もメリアナ・ラニード嬢がお前と結婚して幸せになれるのなら、喜んでお前を差し出す」
侯爵、本音が駄々漏れだ。息子の幸せが二の次になっている。
「しかし、お前の立場は世界的に有名な英雄で、その妻の座は政治的にも重要な立場になっている」
同じく没落男爵家で、メリアナの実の妹のユリアなら、英雄の一人として数えられている為、ギリギリではあるが大丈夫だったかもしれない。しかし、クロードが愛しているのは、その姉なのだ。
「お前には、現在、多くの国の有力貴族、王族から縁談の話が来ている」
てっきり色恋沙汰に興味が無いとばかり思っていたものだから、こちらが決めてしまっても義務として受け入れるだろうと思っていた。嗚呼、王と、どれにしようかな、と笑いながら選んでいたあの日に帰りたい。
「あの魔王の娘、リリム・カレッシロード姫からも申し入れがあった」
その名を聞き、クロードが眉間に皺を寄せる。
気持ちは分からないでもない。何故なら、リリム姫は美少女ではあるのだが、十八歳でありながら見た目は十歳位の子供にしか見えないのだ。正直、そちらの性癖でもない限り、嬉しくはないだろう。
「私が……」
クロードが、静かに告げる。
「私が魔王討伐の王命をお受けしたのは、メリアナ嬢が魔族の侵攻に怯えていたからです。魔族に和平を持ちかけたのは、もし大々的に戦争にでもなれば、メリアナ嬢が傷つくかもしれないと思ったからです」
つまり、原動力は全てメリアナから来ているのだ。
そうか、愛国心じゃないのか。王や国民にはくれぐれも内密にしてくれ。
「正直、魔王討伐の命を受けた時、メリアナ嬢の顔が見れなくなるからお断りしようか悩んだんですが」
いや、悩むな。王命だぞ。
「しかし、魔族が侵攻してきてメリアナ嬢が傷つけられたら本末転倒だと思ったのでお受けしたんです」
何がお前を其処まで駆り立てるんだ。もしかして、初恋か?
「魔族との和平を取り付ける為に、四天神と冥界神で魔王を取り囲み、ついでに四大精霊王を呼び出して、聖剣を喉下に突きつけてまで頑張ったのも、メリアナ嬢の笑顔が見たいからで」
それはつまり脅迫か。脅迫で和平を勝ち取ってきたのか。しかし、何故そんな非道な息子に縁談を持ちかけるんだ、魔王。馬鹿なのか? そして息子よ。メリアナ嬢を好きなのは分かったが、その台詞はメリアナ嬢の名前が免罪符みたいに聞こえるぞ。注意しなさい。免罪符にしたら殴るからな。
「私は、私の手でメリアナ嬢を幸せにしたいのです。そして、メリアナ嬢の隣に私以外の男が立つことは、どうしても、どうしても許せない……」
「………」
弱々しくそう言って黙り込むクロードを見て、そういえば、クロードはまだ十八歳だったな、と侯爵は二番目の息子の年齢を思い出した。
この国の男性の結婚平均年齢は、二十五歳。侯爵自身だって、二十四歳の時にダイアナと結婚したのだ。
クロードのしっかりした性格と、五人の神の加護を受け、聖剣の主となった才能ばかりに目が行って、クロードが成人もしていない、未熟な子供である事を忘れていた。
侯爵はしばし考え、告げる。
「とにかく、メリアナ嬢との結婚は認められん。しかし、今のお前がどれだけ未熟であるかも分かった。来ている縁談は、一先ず断るか、保留にする」
その侯爵の言葉を、クロードは俯きながら聞く。
そんなクロードに内心溜息を吐きながら、侯爵は言葉を続ける。
「どうしても、メリアナ嬢と結婚したければ、周囲にそれを認めさせる努力をしろ。そして、結果を出せ」
告げられた言葉に、クロードは弾かれたように顔を上げた。
「待てるのは二年、いや、一年だ。それまでに、メリアナ嬢がどれほど素晴らしく、『英雄』に相応しい女性であるかを周囲に知らしめ、納得させろ」
侯爵の言葉に、クロードは瞳に覇気を漲らせ、分かりました、と了承の意を告げ、退室した。
そんな息子と見送り、ほっと一息つく侯爵だったが、アランの言葉に、再び身を強張らせた。
「あの、父上。思ったんですけど、メリアナ嬢って、クロードにまだ返事をしてないんですよね?」
「……」
「うっかりしていたのですが、お断りされる可能性もありますよね?」
「……」
どうしよう。
その可能性を、すっかり意識の外に追い出していた。
表情には出さず、心の内で頭を抱えた侯爵は、結局の所、結構な親馬鹿なのであった。
* *
友人に魔除けのお面を貰って帰宅したメリーは、自宅のポストに分厚い手紙が入っているのに気付いた。
差出人は家族からだった。
珍しい事もあるものだと思いながら、手紙を読み進める。
分厚い手紙の内容は、要約するなら銀行に仕送りを入れておいたという事と、クロード・ヴィラックにプロポーズされた事に関する質問や、それに対して心配している旨が書かれていた。
何だかよくわからないけれど、とにかく謝罪の言葉が多いのが気になる手紙だった。
家族からの手紙を綺麗に折りたたみ、粗末な木箱の中へ仕舞いこむ。
うん? 机はどうしったって? そんな高いものなんて、買えるわけが無い。
私の部屋にあるのは、一部屋ずつ備え付けられたベッドと、中古の古い絨毯。そして、古いテーブルに、椅子代わりの大き目の木箱。とても年頃の女の子の部屋とは思えないような部屋だ。
けれど、それは仕方の無い事なのだ。何故なら、ラニード家は三つ子に仕送りするので精一杯で、私にまで手が回らないのだから。
仕送りがされていないのに最初は焦ったけれど、よくよく考えてみれば我が家は貧乏で、三つ子と四つ上の次兄への仕送りで精一杯なのだろう。何より、優秀な次兄は騎士科に所属しており、これから何かと物入りになる時期だ。
体は十歳の子供だが、心は既に成人を迎えた大人だ。ここは一つバイトを探し、自活すべきだと思い、行動を開始した。そして、運よく図書館のバイトに潜り込めたのだ。私は運が良い。
家族に手紙の返事を書かなくてはとレターセットを取り出し、私は考える。
何て書こうかな? 小さい頃から話し相手になってくれたメイドのターニャは元気かどうか聞こうかな? それとも、私が寝坊した為に馬車に乗り遅れ、行けなかった家族旅行のお土産の、鉢植えの花は今年も綺麗に咲いたかどうか聞こうかな? それとも、クロード・ヴィラックに関して……いやいや、それよりもまず我が家の財政は大丈夫なのか聞かなければ。そして、無理に出してもらわなくても、一人でもやっていける旨を書くべきだろう。
まさか、メリーが家族に放って置かれるのが不憫でならないとターニャが影で泣いていたなんて思いもせず、まさか、家族旅行に忘れられていったなんて思いもせず、そして、まさか仕送りをし忘れていただけだったなんて思いもせずに、メリーは紙にペンを走らせる。
手紙を書き終えると、読み返し、誤字脱字が無いかを確かめてから封筒に入れた。
ランプの油代をケチって、月の光だけを光源に、パンの耳にジャムを塗りながら、もそもそと食べる。体力の無い私は、バイトの後に夕飯を作る気力は無い。そして、毎日外食できるほどお金も無いし、いざという時の為に出来るだけ貯めておくべきだろう。
学院を卒業し、図書館の正職員になった暁には、目を付けている和食料理店でご飯を食べようと心に誓い、牛乳をぐいっと飲み干す。
胸の前で拳を握り、気合を入れる。
「頑張るぞ!」
口の周りに牛乳の髭を作りながらそんな事を言う私を、迫力に溢れた魔除けのお面だけが見つめていた。
そして、その翌日。
メリーは銀行に振り込まれていた仕送りの額の多さに、唖然としていた。
メリーは知る由も無いのだが、実はヴィラック侯爵が裏から手を回し、ラニード家にメリーへの仕送りを忘れている事に気付かせたのだ。
決してメリーを蔑ろにしているつもりも無く、きちんと愛している家族達はそれはもう慌てに慌てた。そして、罪悪感一杯で手紙を書き、銀行へと走ったのだ。まあ、肝心のメリーは気付いていないが。
そんな世間一般的に『不憫な娘』のメリーは預金通帳を片手に決意した。
和食料理店でご飯を食べよう、と。
単位語表
メートル……メイル
センチ……セルチ