第三十三話 約束
さて、さて、さて。
クディル兄様が魔界に行って、早半月。
クディル兄様は無事だろうか? 胃に穴は開いてないだろうか? 生え際は後退してないだろうか? 心配だなぁ……。
そんな事を思いながら学校が終わり、バイト先へ向かう途中で、クロードさんと出会った。この時間帯に会うのは珍しいな。
「あの、こんにちは、メリー」
「こんにちは。珍しいですね、この時間帯に会うのは」
バイトに遅れるといけないので、歩きながら挨拶をかわす。
「その、実は、もし良ければ、なんですが……」
どこか、ソワァ……、としながらクロードさんが不安と期待に満ちた目で私を見つめてくる。
……ウォォォ、マブシイ、メガヤラレル!?
イケメンの顔に恐れ慄いていると、クロードさんは、私に手に大切そうに持っていたものを見せてきた。
「実は、懸賞に当たって……。ミュージカルの、チケットなんです。あの、一緒に行きませんか?」
ソワソワ、わくわく、と言わんばかりに、喜びと期待に満ちた顔で言われ、私は硬直した。
ええー、何この人。すごい、浮かれてるような? もしかして、これ、裏から手をまわして手に入れたとかじゃなくて、本当にただの幸運で手に入れたチケットとかなのかな? それで、テンションが上がってるとか?
なんか、子供みたい。
「ええっと……」
「これ、『春風劇団』のものなんです。ぜひ、一緒に……!」
あああ、それ、知ってる! 前世の『劇団〇季』ばりに、有名な所! 前世と違って、チケットが全く取れない! み、見たいぃぃぃぃ!
「んんん……、い、行きます!」
「本当ですか!?」
あああああ、物欲に負けたぁぁぁ……。だって、これ、私程度じゃ本当に手に入らないんだよぉ……。
「じゃあ、待ち合わせは――」
クロードさんの喜びに溢れた輝く笑顔に圧倒されながら、私とクロードさんのお出かけが決まったのだった。
……ん? あれ? もしかして、これって、デートになるのか?
* *
魔界の姫であるリリムは、危機感を抱いていた。
それは、魔界がクディル・ラニードとかいう恋敵の兄によって乗っ取られるかもしれないという危機感である。
そも、魔界は『力が全て』という思考だ。よって、下剋上は日常茶飯事。男は己を鍛え、そして自分が鍛えても辿り着けない高みに居る者に忠誠を誓う。
そして、女もまた己を鍛え、年頃になればより強い子供を産むために、強い男の嫁に納まる為に熾烈な戦いを繰り広げる。
魔界には、戦いが溢れていた。
そんな国に生まれたが故に、リリムもまた、魔界で一番強い男である父、魔王を下したクロードを欲した。
あれとの子は、きっと恐ろしく強い子が生まれるだろうと。
そんな魔族の本能に忠実なままにクロードについて行った国で遭遇した、まさかの事態。
魔王たる父が、クロードには決して見せなかった敬愛すら超えた、それこそ崇拝に近い念を、冴えない男に向けていたのだ。
魔王は、魔族の代表である。
つまり、最も魔族らしい人物なのだ。
それが、あのザマ。ならば、国の者は、一体どうなってしまうのか。
クディルの出発から三日遅れで帰国したリリムの目に飛び込んできたのは、『俺達のアニキ』でいっぱいの故国だった。
「アニキの拳を襲撃部隊は受けた事があるらしいぞ!」
「何!? なんて、羨ましい……!」
「手合わせ願いたいが、きっと忙しいだろうしなぁ……」
「馬鹿だな、下っ端兵士ごときじゃ、相手にされねぇよ。せめて、将軍クラスまで強くならなきゃ、無理だろ」
「なあ、知ってるか? アニキの故郷の国じゃ、アニキの聖地巡礼ツアーがあるらしいぜ」
「マジかよ!? 行きたい!」
「クディル様とローザ様って、お似合いよねー」
「あそこに割り込む勇気はないわ」
「というか、アニキ信者の壁が厚すぎるわね」
「アニキの筋トレ法を知りたい……」
「アニキの様な筋肉はどうやったら育てられるんだ……」
たった三日で、彼等は受け入れられていた。と、いうか、話題の中心になっていた。
そして、更に一週間の時が流れた。
「おい、知ってるか? 魔王様がアニキにぶっ飛ばされたらしいぞ!」
「マジかよ! うらやましい!」
「ああ~、アニキの強さを体感したい!」
「なんか、アニキの嫁さんが腕の良い薬師を探してるらしいぞ」
「おい、まだ嫁さんじゃないぞ。婚約者だ」
「将来的には嫁さんだろ。それより、何で薬師なんだ?」
「どっか悪くしたのか?」
「心配だな……。よし、薬師の情報を集めてみるか」
「ちょっと、聞いた?」
「聞いたわ。ローザ様、ウエディングドレスを注文したっていうじゃない」
「と、いう事は……」
「結婚式は、わが国で!?」
「「「キャ~~~!!」」」
「全ては筋肉に始まり!」
「筋肉に終わる!」
「筋肉こそが、健全な社会を築き!」
「筋肉こそが、健全な社会を守るのだ!」
「アニキのような筋肉を目指し!」
「努力!」
「修練!」
「鍛錬!」
魔界は最早、『俺達のアニキ』に染まりきっていた。
流石は『力が全て』な魔界である。思考が筋肉だ。
魔族とは、生まれた時から思考が筋肉寄りで、今の魔界の状態を見て戦慄しているリリムの様な者の方が珍しい。残念ながら、魔界ではリリムの方が異端なのだ。
「な、何故こんな……」
国の惨状に、リリムは燃え尽きようとしていた。
ぶっちゃけ、クディルレベルの強者が居れば、いつこうなっても可笑しくはなかったのだが、運の悪い事に、それがリリムが生きている時代だっただけの話である。まあ、クディルレベルのバグがそんなに生まれてたまるか、という神の心の叫びは置いておく。
「お、汚染されておる……」
残念ながら、魔族の九割が持つ本能である。
「妾は、どうすれば……」
本能なので、どうにもならない。
真実は、いつだって残酷である。
「ああ、クロード……。妾を助けて……!」
しかし、リリムの想像上のクロードが「無理!」と笑顔でバッテンマークを腕で表している。
「無理じゃ。もう、ここには居れん……!」
耐えられない、と判断したリリムは、故国脱出を決意したが、それは早々に頓挫する事となる。
「何? 飛竜が使えないじゃと?」
眉根を寄せて不快を表すリリムに、部下が頷く。
「はい。何でも、アニキの聖地巡礼ツアーに参加する為に飛竜を順番で使っているらしく、空きが無いそうです」
「なんと……」
これには流石のリリムも強権を使って横入りするのは躊躇われた。
この熱狂的アニキブームを前に、ここで我儘を通せば、下剋上上等民族は、リリムに拳を向ける確率が高い。
「なんという……」
リリム、魔界脱出失敗。
全ての敗因は筋肉にあったのだよ……。