第十三話 兄弟
出張から帰ってきた俺はご機嫌だった。
ああ、俺は、アラン・ヴィラックは無事に死地から帰ってきましたよ! 清い体のままで!!
「いやぁ、実に有意義な会談だったな!」
「貴方はそうでしょうね……」
しかし、元気溌剌な俺とは対照的に、げっそりとした面持ちで溜息を吐くのは、俺の護衛騎士であり、友人であるダルシンだ。
「あっはっは。人の不幸を笑うから罰が当たったんだ」
「あー、そうですか……」
ダルシンがやつれているのには訳があった。
ダルシンはブロッシェ皇国の皇帝と弟の間にあった事件で胃を痛めている俺をからかいにからかいまくった。しかし、皇帝の目をひいたのは胃を痛めてやつれた俺ではなく、血色のいい健康優良男児、ダルシンだったのだ。罰だよ。罰が当たったんだよ!
まあ、ブロッシェ皇国の皇帝が男色というのは実は誤解で、ただの筋肉フェチだったのだが。皇帝陛下の皇妃様は見事な上腕二等筋の持ち主でした。元は将軍職に就いていたのを、皇帝陛下に口説き落とされたんだとか。
まあ、そんな訳で、自分の行き過ぎたフェチ魂を自覚しているのか、皇帝陛下は弟の凶行をあっさりと許してくださった。何て心が広いんだろう! 感動した俺は見事な三角筋の持ち主であるダルシンを、ついお礼として差し出してしまった。いやぁ、つい、ついね! からかわれた仕返しじゃないよ! いいじゃん、貞操は無事なんだから。
「筋肉のつき方に駄目だしされたのは初めてです……」
「皇妃様を引き合いに出されて駄目だしされたよな。いやぁ、いまいち理解し辛いノロケだったな」
自分の筋肉にどこか自信があったのか、ダルシンは軽く落ち込んでいる。はっ、ざまあ。
そんなこんなで、無事に出張を終えた俺は足取り軽く実家に帰ってきたわけだが……。
「あ、兄上。お帰りなさい」
「……ただいま、弟よ。それで、何がどうしてそうなった」
美少年二人に左右から張り付かれている弟が、俺を出迎えてくれた。お前、メリアナ嬢はどうしたの!?
**
「どうもハジメマシテー。マルコ・ラニードでーす」
「フランツ・ラニードですー」
「俺達にユリア・ラニードを加えてー」
「『悪魔の三つ子』でーす」
「「どうぞよろしくー」」
物凄くマイペースなノリで自己紹介された。そうか、メリアナ嬢の弟なわけね。そうか、あのユリア嬢を加えての三つ子か。俺はてっきり、弟がアブノーマルな道に走ったのかと……。ああ、吃驚した。
『悪魔の三つ子』が何を指すのか考えないようにして、遠くを見る。
「私はアラン・ヴィラック。君達が張り付いているクロードの兄だ。よろしく」
一応にこやかに挨拶すれば、わーい、よろしくお願いしまーす、と抑揚の無いマイペースなノリで喜ばれた。……あれ、喜んでるんだよね?
「じゃあ、兄上。俺は少し義弟達と話しがあるので失礼します」
「え、ああ。分かった」
「じゃあ、行こうか。マルコ君。フランツ君」
「「はーい、クロード義兄上ー」」
そう言って、クロードは自分に張り付いたままの二人を引き摺って、屋敷の奥へと消えた。……しかし、義弟って、義兄上って、外堀が埋まってる。外堀が確実に埋まりはじめてるよ! 我が弟ながら、恐ろしい子!
「……今、マルコ・ラニードと、フランツ・ラニードって言いましたか?」
弟の卒の無い行動に恐れおののいていると、斜め後ろに立っていたダルシンが呟いた。
「もしかして、クロード様がプロポーズしたのって、クディル・ラニードさんの親族なんですか!?」
「え、そうだけど……」
何だ? いきなりどうした、友よ。
「本当に!? あのアニキの妹に!?」
「あ、アニキ?」
首を傾げる俺に、ダルシンが興奮した様子で言い放った。
「知らないんですか!? クディル・ラニードっていったらバルード王国の騎士や傭兵、冒険者の間じゃ知らない奴は居ませんよ! 特に、学院出身者の間じゃ、尊敬を込めて『アニキ』と呼ばれています!」
……マジでか。
「アニキは凄いんですよ。アニキの伝説は、アニキが十一歳の頃から始まりました。アニキの腕前に目を付けた戦士科の教師がアニキを戦士科に勧誘したんですが、それを断られ、それでも諦めず勧誘し続け、ついに決闘に発展したんです」
何その伝説の物語のはしり的な語り。
「既に冒険者を引退したとはいえ、戦士科の教師である先生は強かった。ですが、アニキの強さはその上をいったんです。凄かった。あの抉るようなリバーは……。あの分厚い鉄の鎧に拳のあとをつけたのは後にも先にもアニキだけだそうです」
それは本当に人間ですか。
「その鎧は戦士科の寮に飾られ、アニキのその勇姿は代々戦士科、騎士科の人間に語り継がれ、尊敬を集めています」
ムサイ男達に男惚れされているわけですね。同情します。
「ですが、そんなアニキは俺達の懇願も空しく戦士科にも騎士科にも来てくれず、最後まで普通科から離れませんでした」
苦労したんだね、クディル君。
「普段は仲の悪い戦士科と騎士科の教師と生徒が手を組み、力の限り勧誘したんですが……」
勧誘という名の襲撃ですね。わかります。
「跡に残されたのは、勧誘者達の屍の山でした。アニキの拳は重かったです」
お前も参加してたんかい!?
「ああ、できることならアニキの下で働きたかった……。何故文官なんですか、アニキ!?」
鬱陶しかったんじゃね? というか、ウチじゃ不満かコノヤロー。
「しかし、クロード様が求婚したのがアニキの妹君となれば、つまり、クロード様と妹君が結婚すれば、ヴィラック家とアニキは縁戚関係に……。つまり、アニキとお近づきに……」
何かぶつぶつ呟きだしたな。纏う空気が怪しいものになり始めたぞ。
「クロード様ぁぁぁぁ! 不肖、このダルシンも全力で協力しますぅぅぅ!」
ダルシンはそう叫びながら走っていった。思い切り私利私欲に塗れている。
「はぁ……」
溜息を一つ吐き、呟く。
「折角気分良く帰ってきたのに、何だろうな。この疲労感は……」
そう呟きながら、足取りも重くダルシンの後を追う。行きたくない。けど、ここで行かなきゃとんでもない事になりそうで怖い。
「誰か代わってくれないかなぁ……」
そんな俺の呟きを、物陰からこっそり覗いていた使用人連中が聞き、そっと涙を拭っていた事を俺は知らない。
* *
「で、何でメリアナ嬢の弟君達が我が家に居るんだい?」
お兄さんのライフはもうゼロよ。だからお手柔らかにお願いします弟よ。
心の底から変な回答が帰ってこない事を祈りつつ、俺はクロードに尋ねる。
出された茶菓子を黙々と食べ続けるマルコとフランツの間に座るクロードは、自分の茶菓子も二人に分け与えつつ、俺の質問に答えた。
「それが、メリーに会おうと思って学院に行ったら、彼等が簀巻き姿で逆さ吊りにされているのを発見しまして。保護してきました」
返ってきたー! 変な回答が返ってきたー!!
「あ、それ駄目ですよ、クロード様。それってアニ……クディル・ラニードさんのお仕置きなんですから。クディルさんが回収しに来るまでそのままにしていなきゃいけないんですよ」
ええぇ!? そうなの!? というか、何でそんな事知っているんだ、ダルシン。有名なの? それって有名な話なの!?
「え、そうなのか?」
「はい。こちらの坊ちゃん方は悪戯好きで有名で、そのお仕置きとしてよく学院の木に吊るされているんですよ」
「そうだったのか。まさか躾だとは思わず……」
いや、クロード。誰もそれを躾とは思わないから。少年二人が逆さ吊りになってたら、普通は保護するから!
「あんなの躾じゃないですー」
「虐待ですー」
茶菓子を食べ終えたマルコとフランツが、相変わらずマイペースな口調で反論してきた。
「俺達の悪戯は逆さ吊りされるほどのものじゃないですー」
「可愛いものですー」
「「なのにあんな事をするなんて、酷いですー。最近では皆、見て見ぬふりするんですよー」」
だから助けてもらって嬉しかったのだとマルコとフランツは声を揃えて言った。ああ、それでウチの弟に懐いたんですね。そうか、そうか。
しかし、逆さ吊りを見て見ぬふりをされるって、何をしたんだ、この二人は。
「「ちょっと、教授のヅラを研究室ごと吹き飛ばしそうになったくらいでー」」
誰か! 誰か、お兄さんを、クディル君を呼んできて!! ヅラを研究室ごとって、尋常じゃないよ!?
「ヅラを研究室ごとって、どうしたらそんな事に……?」
クロード、良くぞ聞いてくれた! そうだよ、何をどうしたらそんな事になるんだよ!?
「えっとー、風の精霊に頼んでー教授のヅラを飛ばしたらー」
「面白がった他の風の精霊が集まってきてー」
「更に何事かと大地の精霊が顔を覗かせてー」
「騒ぎにイラついた火の精霊が五月蝿いって文句言いに来てー」
「やめなさい、って水の精霊が怒ってー」
「何だか力が飽和状態になってー」
「「面白そうだからそれを後押ししたら、研究室の中に魔力の渦が発生したんですー」」
反省したそぶりを見せず、むしろ胸を張る二人に、口元が盛大に引き攣るのを感じつつ、傍に控えていた使用人を呼んだ。
「今すぐ、クディル・ラニード殿を呼んできてくれ」
「はい」
ああ、まだ見ぬ苦労人のクディル君。君とは美味い酒が飲めそうです。
* *
「ふん、ふふ~ん」
鼻歌を歌いながら、夕焼けに朱く染まる鉢植えの植物を見守る。
まさか弟二人がクロードさんに懐いたなんて露知らず、私、メリアナ・ラニードはご機嫌で鉢植えを眺めていた。
日当たりのいい窓際に置いてある鉢に植えたのは、もちろん『守護妖精の種』だ。
あの『守護妖精の種』をもらって丁度一週間。最初は実験台という名に不安を持ったものの、今ではあまり気にならなくなった。それもこれも、図書館の利用者であり、知り合いのベイク・ドットさんのお陰だった。
あの日から、『守護妖精の種』を植えて、研究員の人が初めて様子を見に来たのだが、それがベイクさんだったのだ。
「え、ベ、ベイクさん!?」
「や、メリーちゃん。久しぶりだね。ウチの所員が迷惑かけているみたいで、悪いね」
図書館で裏方作業ばかりしていた為、ベイクさんと会ったのは久しぶりでした。何でもベイクさんが言うには、今回の『守護妖精の種』の開発は、ベイクさんの居る研究所で行ったらしい。
「所員でも何度か試したから、危険は無いよ。ただ、皆関係者ばかりだったからね。一般人からのデータも知りかったんだよ」
既に何人かで実験済みであり、危険は無いのだというお墨付きを貰ったため、私は安心した。危険が無いというのであれば、後は妖精が生まれるのを楽しみに待つだけだ。
「ふふ。どんな子が生まれるのかな」
『妖精の種』は既に双葉から本葉へと成長している。ベイクさんの話では、予定としては一ヶ月だが、もしがするともう少し早く生まれるかもしれない、との事だった。
「羽はやっぱり、蜻蛉みたいな感じなのかな。それとも、蝶々みたいな感じかな」
戦闘なんて出来ないただの一般人である自分が目にできる、体感できるファンタジー……、否、むしろメルヘンの代表格である。
ファンタジーの代表といえば、魔法、精霊、獣人、エルフ、ドワーフだろう。しかし、私は魔法を使えないし、精霊も見えない。エルフとドワーフは住処としている国から滅多に外に出る事はないし、獣人は普段はその耳と尻尾を隠している。
別に危険に自ら突っ込んで行こうとは思わないのだけど、折角ファンタジー世界に生まれたのだから、そういったファンタジーを体感してみたいと思うのは普通だと思う。
「楽しみだなぁ……。早く生まれないかな。楽しみだなぁ……」
うっとりと繰り返す私の声に答える声は無い。けれど、確かに目の前の植物は私の声を聞いているんだろう。
「大事に育てるから、元気な子に生まれてね」
そう言ってまだ細い茎を撫で、私は笑う。きっと、今の私はさぞだらしない顔をしているんだろう。けれど、楽しみすぎて頬が緩むのを止められない。
「楽しみだなぁ……」
うっとりと鉢植えを眺める私は知らない。
とある侯爵家で、初対面の苦労人二人が、何かを察したのか、挨拶もせず、がっちりと固い握手を交わしていたことを。そして、すっかり侯爵家の次男坊に懐いてしまった少年二人が、己の姉が次男坊と結婚すれば、次男坊が義兄になる事実に大いに乗り気である事を、私は知らなかった。