第十話 ソニーお兄さんの事情
逸る心を抑えきれず、足早に人気の無い公園を歩く。
「ジェイク様」
そう俺に声をかけ、近づいてきたのは護衛騎士のジャン・コルプスだった。
「ジャン。早急に王宮へ帰るぞ。馬車は待たせてあるな?」
「はい」
ジャンは頷き、視線をめぐらせる。視線の先、本を読んでいた若者、犬の散歩中だった女性、昼寝をしていた男性が起き上がり、こちらへと近づいてくる。彼等は全て俺の護衛騎士達だ。
彼等を引き連れ、箱馬車へと向かう。
こちらに気付いた騎士と老執事が深く礼を取り、言った。
「お帰りなさいませ、殿下」
「ああ」
頷き、箱馬車に乗り込み、赤いフレームのメガネを外す。すると、視界の端に入っていた自分の髪は赤から銀へと変わり、本来の色を取り戻す。
同じ馬車に乗る執事にメガネを渡し、目元を揉み解していると、柔らかな声音の老執事がそっと尋ねてきた。
「いかがでしたか、殿下」
「ああ、来た甲斐があったよ」
「では……」
「ああ。ようやく、彼女を眠りから解放できる」
よう御座いました、と涙を滲ませる執事に、俺も瞳が熱くなるのを感じた。
ああ、まったく弱くなったものだ。彼女が今の自分を見たら何と言うだろう。
「ジェイク・アンソニー・バルードともあろうものが、情けないな」
バルード王国、次期国王ともあろうものが、妻一人の為に何を弱気になっているんだと、彼女なら怒りそうだ。
けれど、今なら彼女の怒声だって聞きたい。彼女の声を、感情の篭った声を聞きたい。
「早く、彼女に会いたい……」
眠り続ける妻を、想う。
* *
全ての悪夢は一年前から始まった。
俺、バルード王国第一王子、ジェイク・アンソニー・バルードの妻であり、王太子妃である、シンシア・リリィ・バルードが庭園で突然倒れ、三日間意識が戻らなかった。国中の医師や魔術師に診せ、分かった事は一つだった。
「王太子妃様には、呪いがかかっています」
告げられた言葉に、目を剥いた。
呪いを解く方法は無いのかと手をつくしたが、出来たのは中途半端な解呪だった。彼女は、生きた人形になってしまった。
目は開いている。呼吸もしている。けれど、意識が戻らない。
食事は口元に持っていけばきちんと食べる。介助があれば歩く事だって出来る。けれど、目が合うことはなく、声を聞くことは出来ない。
どんな地獄かと思った。
つい最近まで愛しい声を、表情を、感情を知る事が出来たのに、今は何一つ得る事が出来ない。
犯人が分かれば、どうにかできるかもしれないと思い、調査に力を入れたが、この呪いをかけた犯人は簡単に見つかった。
犯人は、魔族だった。
実は、宣戦布告代わりに、魔族は小さな子供がするような悪戯めいたものから、今回の呪いのようなあらゆる『贈り物』を各国にばら撒いたのだ。
そして、バルード王国に贈られた『贈り物』は、王太子妃であるシンシアが受け取ってしまったのだ。
俺は当然激昂した。愛する妻に危害を加えられて、どうして黙っていられるだろう。
自ら軍を率いて魔族の、魔王の討伐に向かおうとする俺を、父や家臣に止められた。
けれど、その制止の声を振り切って行こうとした、一週間前。
「俺が行きますから、寝ててください」
父に呼び出され、王の執務室に向かってみれば、其処に居た年下の友人のそんな言葉と共に突然眠り魔法で眠らされ、王宮の自室に監禁された。
最初こそ抵抗し、城を抜け出そうとしたが、何故か何処からとも無く現れるデコの広い文官に見つかり、自室へと強制送還された。俺の攻撃魔法を殴り飛ばすとか、お前は本当に文官なのか、と聞いたが、本当に文官だった。世の中は広い。
さすがに、そんな事を続けていれば頭に上った血も降りてきて、冷静になる。それに、年下の友人、クロード・ヴィラックの快進撃は、自分が向かうよりも良い結果をだしているようで、なおさらだった。
そうして迎えた、魔族との和睦。
シンシアにかけられた呪いだけでなく、各国に齎された宣戦布告の被害は全て魔族側が補償する事となった。
今回の魔族との和睦の立役者となったクロードの出身国、バルード王国が和平の調印式の場に選ばれ、魔族の姫、リリム・カレッシロードが解呪法を携えてバルード王国へとやってきた。
けれど、ここで俺は再び絶望を味わった。
「なんじゃ、コレは。妾達のかけた呪いに余計な手が加えられておる。何をしたのじゃ」
そうして眉間に皺を寄せて呟くリリム姫を殺さなかった事を褒めてほしい。
リリム姫が言うには、この呪いは『眠り姫』という呪いらしく、時間が経っても年をとらず、死ぬことも無く、ただ眠り続けるだけの呪いらしい。けれども、この呪いを解こうとし、加えた術が悪かったらしく、今すぐの解呪は無理だと言われた。せめて呪いをかけた媒体が分かれば良いのだが、今回の呪いは国自体にかけ、媒体はランダムに選択したため、それが分からないのだという。それぞれ呪いは好ましい媒体があるらしいのだが、この『眠り姫』という呪い自体が古いものらしく、その媒体が何なのかは既に失われてしまっていた。
八方塞だった。
一年ほど研究すればどうにかなるとリリム姫は言うものの、こちらはそれを待ってはいられない。王宮内では、王太子妃の後釜を狙い、不穏な動きを見せる貴族が居るのだ。解呪方法が見つかる頃に、シンシアが生きていられる保障が無かった。
俺は焦った。シンシアの命を守るため、離縁する事すら考えた。そんな俺に手を差し伸べたのは、やはり、年下の友人だった。
「もしかすると、王立図書館に文献があるかもしれません」
バルード王国が誇る、王立図書館。
子供向けの絵本から、地雷のように何故か紛れ込んでいる危険な魔術書まで、ありとあらゆる文献が収まる巨大図書館である。
けれど、もう図書館には蔵書の捜索依頼を出しており、一年前から良い報告は上げられていない。かの有名な図書館長ですら、見つけられていないのだ。
力なく俺がそういい、首を振れば、クロードは少し困ったような笑顔で俺に告げた。
「会ってもらいたい人が居るんです。そして、もし貴方の願いが叶えられれば、その人の味方になってほしいのです」
そうして紹介されたのが、クロードの想い人と噂される少女、メリアナ・ラニード男爵令嬢だった。
クロード手製の幻術をかけられるメガネのお陰か、メリアナ嬢は俺が自国の王子だとは気付かなかった。
そして、少し雑談したところで、相談を持ちかけた。
「意識の無い人間の意識を呼び戻すにはどうすればいいと思う?」
彼女は首をかしげ、不思議そうな顔をした。
メリアナ嬢は、何でもあの王立図書館館長の秘蔵っ子であるらしく、館長ですら見つけられない本を見つけることがしばしばあるらしい。今回蔵書の依頼は、王太子妃が呪いをかけられていることを国民には伏せているため、数人のベテラン司書にしか頼んでいないのだ。アルバイトである彼女の耳には入っていないだろう。
「魔法で強制的に眠らされているから、それを解く方法が知りたいんだ。その方法が載っているような魔導書や古文書とか図書館で見かけなかったかな?」
不思議そうな顔をするメリアナ嬢に、再度尋ねる。
そして、そう尋ねた俺にメリアナ嬢は質問を返してきた。
「『眠り姫』ですか?」
メリアナ嬢の質問に、思わず顔が強張った。何故、彼女がそれを知っているのか。
思わず睨み付けてしまったらしく、クロードに窘められた。
一つ深呼吸をし、気を取り直して尋ねる。
「あー、すまん。それで、その『眠り姫』なんだが、どうすれば起こせるか知っているかな?」
「そんなの簡単です。『眠り姫』は王子様のキスで呪いが解けるんです」
あっさりと回答が、解呪法が返ってきた。
それは、リリム姫が持ってきた解呪法と同じだった。解呪法はとても簡単なものだったのだ。
『眠り姫』は『姫』とつくだけあって、女性にしかかからない呪いだった。そして、その解呪法は伴侶となる男が口付けと共に生気を送り込むという、ある意味人工呼吸的なものだったのだ。
まさか、こんな身近に答えを知るものが居るなんて思いもよらず、呆気にとられていると、メリアナ嬢は更に爆弾を落としてくれた。
「そういえば、『眠り姫』って『いばら姫』っていうんでしたっけ」
『いばら姫』だと?
そうだ。いばら……薔薇だ。シンシアが倒れたのは何処だった? 庭園だ。彼女のお気に入りの場所。
美しい、大輪の薔薇の前。
「ありがとう、メリアナ嬢。このお礼は必ずする。私は貴女の味方だ」
俺は確信を持ち、立ち上がった。
メリアナ嬢が突然の事に驚いたような顔をしているが、申し訳ないがそれにかまってはいられない。クロードがどうにかするだろう。
そして、俺は急いで王宮へ戻ったのだった。
* *
王宮へ帰った俺は、宮廷魔術師とリリム姫を伴い、シンシアが倒れた場所、庭園に植えてある薔薇の元へと歩いた。
問題の薔薇を見て、宮廷魔術師は言った。
「微量ではありますが、魔力を帯びているようです」
魔術師が言うには、本当にごく僅かで、よくよく見て見なければ分からない程の魔力を薔薇が帯びており、おそらくこれが呪いの媒体になったのだろう、との事だった。
「ふむ。媒体があるなら後は簡単じゃ」
リリム姫がそう言い、薔薇に手をかざす。
――灰となれ――
リリム姫がそう呟くと、薔薇は突如燃え上がり、白い灰へと姿を変えた。
「呪いの元を断った。あとは、生気を送り込むだけじゃ」
リリム姫のその言葉を聞き、俺はシンシアの元へと走る。
「シンシア!!」
シンシアの部屋へ辿り着いた俺は、シンシアを守るために配置した騎士達や、メイド達の存在を無視し、シンシアの唇に口付け、生気を送り込む。
キャア、とメイドの歓声が聞こえた気がするが、それを無視し、生気を送り続け、そして……。
バキィッ!
「な、何してくれてるんですか、この馬鹿ぁぁぁぁ!!」
白魚のような美しい手で殴り飛ばされた。
べしょり、と何とも情けない音を立てて床とキスするはめになった俺は、最後の力を振り絞り、声の主へ視線を向ける。
「馬鹿! この馬鹿!! 皆の前で、人前でこんな事するだなんて、馬鹿ジェイク!!」
真っ赤な顔をして、怒るのは、愛しい人。感情も顕に、怒る妻。
「シンシア……」
「何ですか!?」
妻、シンシア・リリィ・バルードが照れながら、怒っている。
「良かった……」
「は?」
そう呟き、呆気にとられるシンシアを脳裏に焼き付けながら、瞼が意思に反しておりてくる。
一年ぶりの妻の拳をうっかりまともに食らってしまった事と、安心して気が抜けたのだろう。慌てるシンシアの声を遠くに聞きながら、薄れる意識の中、とりあえず目が覚めたらイチャイチャしようと心に決め、俺の意識は闇にのまれたのだった。