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微かな希望

 現場は静かだった。雨音と風のみの世界。ひとつの撃鉄から発した爆音により、雑音が限定された空間。

そこに一人の男、小川が横たわっていた。

小川の意識は朦朧もうろうとしていた。

お……俺は……やった……のか? この体勢じゃ前がみえないな。

小川は自分の身体に余る残り少ないエネルギーを使い、上半身だけでも起き上がろうと我が身を振り絞る思いで力を込めた。

上体を起こした小川がみたものは――――。


絶望。


そう形容するのが一番の例えだった。

目の先には、彼女がいた。

小川からみて彼女の左肩付近、心臓の位置といえるだろうか。その部分はぽっかりと穴が空いていた。誰にでもわかるその状態は、容易に怪我けがでは済まない傷である事を物語っていた。

しかし、絶望たる要因は、彼女の顔にあった。

笑っている。

唇が三日月を描くように歪ませ、頬は赤く染まっている。

小川が視認している間にも、彼女の上半身の大部分を占めていた大きな空洞は、加速度的に塞がっていく。

どこから肉片が集まっているのだろう。損壊したはずなのだから、増えることなんてありえない。彼女の肩付近の肉片は、どこかに飛んでいるはずだ。

小川は、今考えても無駄である事柄とはわかっていても、考えてしまう。人間の身体の仕組みを。原理を。この非現実的な物事を現実に捉えようとしている。

しかし、無駄だった。

空洞は完全に塞がり、身体は常人が持ち得る状態に戻っている。身体は戻っているのだが、衣類は戻っていない。彼女の柔らかな素肌があらわになっていた。

本来なら目をそらすだろう。後ろに振り返るべき場面であろう。それが、紳士のたしなみといえるのだから。

だが、小川は目をそらさなかった。

別にやましい理由があって目をそらさない訳ではない。そらす体力が残っていないのも理由のひとつだが、もしそらす気力が残っていたとしても、愚直に凝視を続けるだろう。

ここでもし、視線をそらすような事があったのなら――。

殺される。

小川は確信していた。

曖昧なのは小川本人もわかっている。しかし、身体の奥底から湧き上がる人間の神秘ともいえる第六感。『直感』が、そう告げていた。

彼女は先程損壊した肩を慣らすように振っている。大きく、同じ体勢を続けて肩こりを起こした人のように。

彼女は、にやつかせた口を荒々しく開いた。

「あっはぁ♪ それはもう聞かないよぉ。残念でしたぁ。衝撃を全部地面に吸収! ってね!」

 えっ…………?

小川は、一瞬彼女が何をいっているのかわからなかった。

 彼女の言葉の真意を確かめるべく、小川は目線を動かすのすら苦痛であるが、彼女の真後ろに位置する地面を見た。

「…………っひ!!」

 小川は思わず奇声をあげた。

警察官が発するとは思えないほどに弱々《よわよわ》しいその声は、想像を絶する惨状を容易に連想した。

彼女の真後ろに位置する地面は、『無くなっていた』。

文字通り、『無くなっていた』のだ。

地面は大きな穴を形成しており、底が見えない。小川の視点からみたとしても相当の大きさの穴であるはずだ。

まるで奈落の落とし穴を彷彿とさせるその空洞は、小川を恐怖させるには十分すぎるほど衝撃だった。

彼女は軽快にきびすを返して穴をのぞいた。

「わお! おっきな穴! う~む……。吸収っていっても、さすがに真下にさっきの拳銃を撃ってもこんなに大きな穴はあかないよね……? これも私のなのかな?」

 彼女は自問自答している。自覚はあるのだろうが、まだなぜこのような穴が空いたのかは完全に理解していないらしい。頭に若干の?マークを浮かべている。

「ま……いっか! 何回もやってればわかるでしょ。さて……」

 彼女は小川のいる方向に再びきびすを返した。

「人のプライベートを犯した罪は重いんだからね! さっさと死んでもらうよ!」

 彼女は右手に持ち続けている鎌を大きく横薙ぎに振り回している。

一度右肩を損壊したからだろう。何回も振りなおし、動きを確認している。

 腕の調子を確認した彼女は小川に視線を合わせている。次の瞬間。彼女は足を踏みきり走り出した。

しかし、小川の咄嗟の一言が、彼女の動きを止めた。

「ゆうくんってのは……君が殺したのか?」

 彼女が、止まった。まるでパソコンの動画を突然静止させたかのように、コンマ一秒のズレもなく、小川の首筋寸前の所で、鎌は止まった。

 鎌が小刻みにふるえている。刃が、小川の皮膚に微かに触れる。

非常に鋭利な鎌の刃先なのか、少し触れただけで小川の皮膚から。出血という形で赤い液体が姿をみせる。

 彼女は震える唇を、静かに開いた。

「そう……よ。私が……やったのよ……」

 静かなる告白。

死が目前と迫っている小川だからこそ、告白したのだろうか。小川にその真意はわからない。

しかし、殺したという事実に、彼女は動揺しているようだった。

「でも……でも! しょうがないじゃない!! あれは事故なのよ! 私の告白を断った罰なのよ! それにあれは本当に事故だよ! 断られたけど抑えきれなかったあたしの抱擁を拒んで! 足をつまづけて頭をぶつけただけなのよ! あたしは悪くない!」

 必死の抵抗だった。自分を肯定する数々の言い訳。それが流れるように彼女の口から溢れ出す。

しかし、小川は冷徹な一言をいわずにはいられなかった。


「事故でも……殺したのは……なんだろ? 」


 その時だった。小川の目の前にいた彼女は、糸の切れた人形のように身体を崩し、地面に座り込んだ。

小川を今にも切り裂かんばかりであった鎌も、音を立てて地面にした。

「そう……だよね。あたしが……殺しちゃったんだよね。理解してないのは、あたし自身だったんだよね」

「そう……みたいだね。さっきまで語ってたゆうくんとの愛の軌跡きせきってのは、あらかた妄想と虚言ってこと……か?」

 彼女は、乾いた笑みをこぼした。

「あはは。それも……そう……みたいだね。毎晩思い描いていた妄想ってところだね。こんなことを語ってたなんて、恥ずかしくて死にたくなっちゃうよ」

 彼女は下を向いて弱弱しく話している。

小川は包み込むように、彼女に話を通した。

「君はまだ学院生だ。今からでも遅くない。自首・・しよう。俺が……手配する」

「え……自首……?」

 唖然とした彼女の姿が、そこにあった。

「今ならまだ間に合うはずだ。しばらくは日常に戻れない。それに、普通の学院生活を送るのはもう厳しいと思うけど……でも!」

 小川は、全身の苦痛を必死に耐えながら、叫んだ。

「それもゆうくんのためだ! ゆうくんは不慮の事故で君に殺される……という無残な事になってしまった。それに、君の愛の告白を断った。……でも! ゆうくんは君の今の姿をみても喜ばない! むしろ軽蔑けいべつさえしてしまうよ。だから、やり直そう。あの世にいるゆうくんに、愛してもらうために」

「うぅ……」

 彼女の静かなうめき。

それが、次の瞬間。

彼女の中の何かが、音をたてて崩れ落ちた。

「う……あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 夜闇が支配する空間に、甲高かんだかい声が鳴り響いた。

銃声でもなく、雨音でもなく、夜風でもなく、一人の少女のなげき。それは、遠吠えにも似たようなものであった。どこまでもひびき、小川の耳をするどつんざく。

小川は、心の中で安堵していた。

終わった……。

心の中で小川は、何度も同じ言葉を頭の中で反復させていた。


今、ひとつの事件が終わりを告げようとしていた。まだ謎は多いが、区切りを迎えようとしている。

しかしこの事件は、これだけでは――終わらなかった。

本当の絶望が今、始まる。

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