発生
小川は現場に待機中の警察官達から、この町に関する話を聞いていた。。
その事からわかった事がいくつかあった。
それは、この町が常軌を逸した事件が多発している事。そして、この事件は報道規制がなされている事。
さらにもっとも驚いたのが、警察官の『殉職率』が非常に高い事。
一言でいえば、死人が多いということだ。話した警察官によれば、一回の事件で一人は死んでいるのだという。恐ろしいことだ。
しかもそれが、警察上層部……俗にいう上からの圧力か何かは知らないが、報道規制が厳しく敷かれているらしい。自分に話したのも、鈴木警部と行動を共にしていた警察官だったからだ。他言はするなと強く念を押されたし、もしこの事を外に広めてしまえば、広めた本人は、まず命がないのだという。
最初は信憑性に欠ける発言だとも思ったがそうでもなかった。
なにせこれだけ奇怪な出来事が、身の回りで多発しているのだ。いますぐにだって殺されたっておかしくない。そう……あの女性がいっていたように……。
小川はその場で警察官と一緒に、あらためて捜査を再開していた。現場に不審物はおいていないか。または見落としていない箇所ないか。雨のせいもあって、何かを見落としているかもしれない。
精神を研ぎ澄ませて、小川は捜査をしていた。
その時だった。
小川の見えるギリギリの場所に、人影が見えた。
今度は……なんだ?
小川は先程の女性の件もあって迂闊には近づかなかった。それに、小川よりほかの警察官二人のほうが、人影から近い位置にいたのだ。
視認でき、会話がききとれる限界の所まで小川は近づき、そっと耳を傾けた。
警察官の声が聞こえる。
「君、こんな時間にどうしたんだい? 今、ここは危険なんだ。よかったら一緒に来てくれないか? 安全な場所まで送るから」
警察官の一人が柔らかい口調で人影に向かって話していた。
しかしその傍らに、もう一人の警察官が、右腰にぶら下がっているホルスターに手を伸ばしていた。
一瞬小川は自分の目を疑ったが、瞬時に理解した。
そうだ……抵抗したら射殺の許可もでているんだ。警察官がおかしいんじゃない。これは、ここでは当たり前の事なんだ。
小川はその様子を、じっと見つめていた。刹那の間ではあったが、場に沈黙が訪れた。
静寂を断ち切るように、人影から微かに声が聞こえた。
「おじさん達、ここで何をやってるの?」
それは女性の声だった。雨音と風が支配する中ではそこまでしか判断できなかった。
「それはこっちのセリフだよ。女の子がこんな時間に、人気のないところにいたら危ないよ」
警察官は、あくまで優しく接している。しかし、後ろでは構えを一切解こうとしないもう一人の警察官の姿もあった。
「あはは。ここはね。私とゆうくんの……思い出の場所なの」
「思い出の場所?」
警察官は小さく首を傾げた。
警察官は思ったのだろう。殺人現場であるこのような場所で今の発言だ。何か事件に関係しているのではないかと思案していた。
興味をそそられた警察官は、プライベートな質問であるにも関わらず、事件に関与している可能性があるとみて、訊ねてみた。
「その思い出ってのは、なんなのかな? ここはそういった場所では……普通ないのだけれど……」
人影の女性は、小さく微笑んだ。
「ここはね。私とゆうくんの――――」
一瞬の出来事だった。
女性の身体全身から黒い渦が舞い上がり、ただでさえ暗い闇夜を漆黒に染める。目の前にいた男性は咄嗟の判断で距離をとろうとした。
しかし、遅かった。
続けて黒い渦から鎌状の物体が精製され、女性が手にとる。そして、舞い踊るようにその場で回転した。
男性の身体は上半身と下半身が分離した。時間差で半身の切れ目から赤い液体が勢いよく噴出する。
後ろに構えていた警察官は、動揺を隠しきれなかった。それでもこの町に配属され、それなりの覚悟を持った警察官だ。仲間の死という現実を振り払い、ホルスターから銃を瞬時に取り出し、女性に向かって発砲を試みる。
しかし、それすらも遅かった。
乾いた銃声は響きわたらず、無残に男性の銃を持つ右手が鎌によって斬られ、宙を舞っていた。
「おそいよぉ。遅すぎるねぇ」
「うっ……ぐおおおおぉぉぉぉぉ!!」
警察官の悲痛なる叫び。小川も我先とその惨状を止めようと参戦を試みたが、身体が思うように動かなかった。
くそっ! 動け! こんな時に動けなくてどうする! このままじゃ、あの人も見殺しにしてしまう!
小川が一瞬の判断を見誤っている間に、惨状は終わりを告げようとしていた。
「これで終わりだよぉ。バイバイ!」
女性はその言葉を発した瞬間、手に持つ鎌を横薙ぎに一閃した。
警察官は右斜めの角度に、半身と半身が綺麗にずり落ちた。
そこには、先程まで生きていた人間が、物言わぬ屍になって地面に横たわっている姿があった。
小川は非現実的な今の状況に難色を示すものの、打破しようと思考を駆け巡らせている最中だった。
しかし、女性は待ってくれない。小川のいる方向に身体を向けた。
「あははっ。私とゆうくんの大切な場所……。誰にも汚させはしない!!」
会話の瞬間を、小川は見逃さなかった。
なぜだか小川にもわからなかったが、急に動くようになった自分の身体を百パーセントフルに活用して、自らのホルスターに素早く手をかけた。
そして一切の躊躇なく、発砲した。
乾いた音が、雨音の絶えない暗闇に鳴り響いた。
終わりだ!
小川は心の中で叫んだ。
小川の銃の腕は一流だ。警視庁時代でもこの銃の腕には、幾重の犯罪者の身体を正確に貫き、事件解決に一役買っていた。
あたった。いや……確実にあたっている。
小川本人も射撃の腕には絶対の自信を持っている。だが――――。
「なん…………だと!?」
あまりの出来事に思わず声を漏らす。
額を狙った……。即死のはずだ!! なぜ!?
小川は、その場に平然と立つ女性の狙った額に焦点を合わせる。
「…………なに!?」
額には、小さい傷跡のような黒い焦げ後があった。
確かにあたっている……あたっているのに……なぜだ!?
小川が顔色に困惑を隠せずにいる。しかし、女性は待ってくれなかった。
「あら、やだぁ! おでこに変な傷がついちゃったじゃない! これじゃゆうくんに嫌われちゃう~!」
女性はその場で身体をジタバタさせ、焦っている。
「……うぅ…………おじさん、絶対殺す」
女性は頬を膨らませながら、傷が消えないかと思い額をゴシゴシと手で拭いている。
しかし、それが無駄であると悟ったのか、額に手を当てる行為を中止する。
そして小川に向かって直進し、ウサギのように大きく飛び跳ねた。
「死ね!! そして私に詫びろ!!」
小川は、銃が効かない絶望感に苛まれるが、次の行動の為、再度頭をフル回転させていた。
銃が効かない? こんな事があるはずがない! だが……今は……現実を受け入れるしかないんだ! さっきのように止まるなよ! 俺の身体!!
小川は、自分の今ある気力をすべて宿し、己を鼓舞した。
そして、小川は鈴木警部に託された『銃』を取り出した。
あまりにも重いその銃は、似たような銃を持ち慣れた小川ですら、重心を崩してしまう程の重さだった。毎回行っている一連の動作にも一瞬の乱れが生じる。
だが、その乱れを女性は待ってくれない。
小川は持てる力をすべて振り絞り、銃口を女性に向けた。
銃口を合わせるだけでこれほどの労力を使ったのは何時振りだろう。銃を初めて発砲した時だろうか。いや……こんな事は初めてだ。今まで何人もの犯人に追い詰められもしたが、ここまで死という絶望感が身近に迫っている状況での発砲は初めてだろう。
それにここまで重く、標準をあわせづらい銃だ。
小川の緊張も極限まで高まっていた。
小川はすでに女性の心配などしていなかった。自分の心配をしていた。銃をこの体勢で発砲するという事に……。
しかし、女性はすぐそこまで迫ってきている。このままではあの鎌で殺られてしまう。
ここで殺されるわけにはいかない……ここでこのまま殺されたら……あの二人の警察官に合わせる顔がないじゃないか! それに俺にはまだ――
守る《・》べ《・》き《・》も《・》の《・》があるから!!
小川の魂を込めた指先が固い引き金を絞った。撃鉄が火花を散らし、暗闇を照らす。
銃声とは思えない程の爆音が、激しい雨音と豪風が吹く闇夜を――――切り裂いた。