罪と罰
今後は基本、月曜と金曜に上げていく予定です。多少前後することはあると思いますが、よろしくお願いします。
「おやおや。やっとおでましですねぇ。何度見ても……武者震いが止まりませんよ」
――あれは一体……なんなんだよ!?
十字架だった。しかし、豹変した彼女を貫いた十字架ではなかった。
別物となった十字架は、銀色に眩く光り、神々しく輝いている。十字架のみを凝視をすると失明してしまいそうだ。
豹変した彼女を十字架は吊るしている。まるで旧世紀の魔女狩りの光景だ。火あぶりの刑を連想させるように、吊るされている本人も十字架の形と同じポーズをとっている。手足も光り輝く線上の物体によって身体を動かす事ができない。
「なんだよこれは!! 離せ!! 離れろおぉ!!」
豹変した女性は、今ある全身全霊の力を身体に込め、必死の抵抗を試みる。
しかし、それが無駄である事は、吊るされていた本人が一番よく理解していた。
「くそ……おぉ……。なんで……ビクともしないんだよ……」
決死の抵抗は、生気ない弱々しい嘆きに変化していった。
銀髪の女性がスカートの内ポケットに両手を入れ、勇ましく口を開いた。
「お前に懺悔の言葉なんて必要ない」
「さよならだ――」
銀髪の女性が右手を内ポケットから出し、そこから一枚のコインを取り出した。
そして、そのコインを――。
「殺さないでくれえええぇぇぇ!!」
豹変した女性の、魂の籠もった叫びだった。
今まで脅えひとつ動作として表現しなかった彼女の涙の叫び。
雨水ではないと遠目の小川でもわかるほどに、透明な雫が頬を伝っている。
文字通り、魂の叫びだった。
「ほぉ。ここまで殺っておいて、今更命乞いか。滑稽な事この上ない無能っぷりだな」
銀髪の彼女は、止まった。コインを使って何をするかはわからなかったが、確かに、行動を停止した。懺悔の言葉を必要としないと発したのは彼女というのに――。
「あらら、やっぱり命乞いですか。ああやって、話も聞かないふりして殺そうとすると、全員ああなっちゃうんですよねぇ」
黒衣の女性が小さく小川に補足するように語りだした。
「ここからですね。言い訳タイムの始まりです」
先程から耳に残っていた言葉。言い訳。この言葉を小川は、薄々理解していた。
「つまりは……犯罪したきっかけ、って事か?」
小川が鋭い声で発した。
黒衣の女性は、その質問の答えがでるのをまるで当たり前かのように、鼻で笑った。
「まぁ。そんな所です。罪状も知らずに殺めてしまうのは、私達の理念に反しますからね」
――私達?
些細な疑問がまたもや小川の脳髄を刺激した。
しかし、思考する暇さえ、現状では与えてくれなかった。
「お願いだ! 私をここから逃がしてくれ! もう殺しはしない! 更生する! 何でもいう事聞くから……殺さないでくれ!!」
無残なまでの言葉が、彼女の口から溢れだしていた。
死への絶対的恐怖が、豹変した彼女の心を支配していた。
銀髪の女性から微かだが、はっきりと記憶するには、十分すぎるほどの声を漏らした。
「お前は、何をした?」
その言葉の重みは、目の前にいる女性はもちろんの事、小川にも理解していた。
殺人。
「この世でもっとも重い罪。ヒトという存在を現世から抹消する行為。それが、『殺人』です」
黒衣の女性が、模範解答のように、呟いた。
「…………」
豹変した女性は沈黙を保っている。返す言葉もないのだろう。
「理解しろ。お前は、殺られてもおかしくない罪を犯した」
「それでも!!」
反発。
「もう何もしない!! 殺さないし、傷もつけない!! 次何かをしたら有無をいわさず殺してもいいから、だから――!!」
「もう、遅いんだよ」
冷徹な言葉が、豹変した彼女を襲った。
「お前は『瘴気』に完全に侵されているんだ。今更何をいってももう遅い」
「瘴……気?」
豹変した彼女は唯一動く五体の首を傾げた。
「お前にそれを教える必要はない。もう……死ぬのだから」
銀髪の女性は一歩ずつ、吊るされている十字架に近づいていった。
吊るされている女性の目の前に止まり――
「終わりだ」
「やめてくれえええええぇぇぇぇぇ――――!!」
この町全体に響き渡るのではないかと思うほどに大きく、そして、悲痛なる叫びが小川達の耳を劈いた。
小川は一瞬、思った。
確かに彼女は罪を犯した。だが、聞いた限りではあれは事故だ。更生する余地はあるかもしれない。だから、安易な理由ではあるが、殺してしまっては……だめだ!
「やめろ!!」
この場にいる存在の中で、唯一の男性と思しき声。さすがの銀髪の女性も、小川のほうに顔を合わせた。
「こんなの……間違ってる!! 彼女は確かに人を殺した!! けど……それは事故だったんだ!! こんな最後……あんまりだ!!」
なぜ自分は殺人犯を庇っている? 何人も殺してきて、顔色ひとつ変えなかった彼女をなぜ今更になって庇う?
それは、豹変する前の彼女が、あまりにも純粋だったからだ。
「今の彼女は本当の彼女じゃない!! 偽りの存在なんだ!! 今の彼女も罪は犯さないといっている!! だから……本当の彼女が姿をみせるまで……殺さないでくれ!!」
「はぁ……」
気の抜けた銀髪の女性の溜息が、闇夜を支配した。
「こいつはもう、『瘴気』に完全にやられたんだ。元の人格に戻る事はできない。もし戻ったとしても……殺す」
「…………!?」
殺すことには……かわりないのか!?
小川は小さく、誰にも感づかれないように、歯を食いしばった。
「あの娘に何をいっても無駄ですよ。これは、私達の任務……ですから」
「にん……む?」
またでたよ。不可解なワードが。任務って、なんだよ。
話すたびに笑顔を保っていた、黒衣の女性の顔が、少なからず強張っているように見えた。
銀髪の女性がきっぱりとした口調で答える。
「人はな……。例えどんな理由があろうとも、殺したら、殺される運命なんだよ。俺達にな……」
小川は胸の内に、激しい憤りを感じていた。
その時、溢れんばかりの小川の怒りのメーターが、爆発した。
「人を殺したからって……自分も絶対殺されるなんて、間違ってる!! 罪を裁くのは、警察……裁判官の仕事だ!! お前達に決める権利なんてない!!」
――殺される。
小川は、次の瞬間に命を絶っていても、不思議ではないと考えていた。
ここまで怪物達に啖呵をきったのだ。もう悔いはない。ここで駄目なら、あきらめるしかない。
「無理だな。殺す」
――やっぱり。
言い知れない絶望感が、小川の身体、精神すべてを包み込んだ。
「もともとお前ら無能な警察がこいつと殺りあっても、無駄死にするだけだ。意味のない事をしてどうする?」
銀髪の女性は、呆れ果てた姿で小川を見る。直後、意志を灯したかのように、強面で断言した。
「人に裁けぬ、神に裁けぬなら――――俺が裁く」
銀髪の女性が踵を返す。その目の先には、吊るされている彼女がいた。
「遅くなったな。これで、フィナーレだ」
吊るされている彼女に、生気が感じられなかった。光の線に縛られている両手両足はまるで、死体のようにだらんとぶら下がっている。目も死んだ魚のように、銀色に光り、潤いを失くしている。先程足掻いてたのが嘘のようだ。
「これで終わり……ですね」
黒衣の女性が小さく呟いた。
「駄目……だったか」
「しょうがないですよ。もしこの場で彼女が助かったとしても、また暴れだしますから」
「確かに……今の人格のまま……ならな」
小川はうな垂れ、小さく答えた。
その時だった。
「うああああぁぁぁぁぁ!!」
光の十字架が激しく揺らぐ。豹変した彼女は突如として暴れだす。
文字通り、最後の抵抗だった。そして、思いもよらない言葉を口に出した。
「せっかくそこの奴が私を擁護してくれたってのによぉ!! てめぇは聞く耳すらもたねぇのか!? あぁん? 前の人格さんの心は根が優しかったのになぁ。はぁ……マジはぁ」
「本性を現したか。滑稽だな」
「…………」
豹変した女性は口をニヤつかせている。
今までの発言がすべて嘘だったと、小川は痛感した。
「『瘴気』にやられた人間はみんなそうですよ。最終的にはあんな感じになります。個々によって多少は違いますがね」
黒衣の女性が、雨によって顔が濡れるのがわかっているにも関わらず、闇夜の空を見上げながら、呟いた。
銀髪の女性から、豹変した女性にとって最後の言葉が、音を立てて唱えられた。