断罪と粛清
「一体……僕は……?」
人影と彼女から数メートル離れた壁際に、小川が横たわっていた。
――まだ死んでいないのか? 意識は、漠然とだがまだある。目で視認できる二つの人影は確認できるほど脳は活性化しているし……何が起こったんだ?
小川は虚ろな瞳のまま、二人の行く末を見守っていた。
そこに突如、二人のやり取りを視るのを邪魔するかのごとく、黒い影が小川の視界に飛び込んだ。
全身を黒衣に包み、頭には黒いハット帽子をかぶっている。傘を駒のようにクルクル回している。近寄りがたい存在ではあるがどことなく、気品溢れる淑女的な雰囲気を醸し出していた。
「刑事の役目はここまでですよ。よくやりましたねぇ」
「――!?」
小川は何重にも驚きを隠せなかった。
この淑女的な女性は今、どこから姿を表したのか。なぜこの現場に居合わせたのか。そして、目の前の惨状をなぜ当たり前のように受け入れているのか。
謎が深まるばかりだった。
「あなた達は一体……何者なんですか?」
小川は頭の中はすでにパニック状態ではあるが、平静を装うように、丁重な言葉遣いで黒衣の女性に質問を投げかけた。
「刑事の方に教える必要はありませんねぇ。まぁ……すでに『知ってる人』も署内にいるんじゃないですかねぇ? 確証はありませんが」
「……え?」
署内に詳しい人物がいる……だと?
「それよりもですねぇ。本当にあなたはよくやってくれましたよ。まさかあなたのような若い刑事が『天運』の力を授かっているとは……驚きですよ。あぁ怖い怖い」
そう言って黒衣の女性は小川から飛ぶように距離をとった。
「……『天運』? それは一体――」
「おっと。これも詳しいことは教えられませんねぇ。まぁこれも……詳しい方が警察署内にいますよ。――多分ですがね。説明するのめんどくさいのでそっちに聞いてください」
「はぁ…………」
小川の脳内の記憶容量は、すでに限界を軽く突破していた。
とりあえず今は助かったんだ。今の言葉だけ記憶に留めて、後で詳しい事を調べればいい。小川は胸の内に今思った事を、忘れないよう心に刻んだ。
黒衣の女性が踵を返し、二人の影を見つめた。
「さぁって……。ここからが本番ですねぇ。今日はどんな言い訳が聴けるか……楽しみです」
「言い訳?」
「今から始まる二人のショーを見ていればいずれわかりますよ。……あなたは選ばれた客人です。今この場にいる純粋な人間あなただけ。どうかそれをお忘れなきよう、お願いします」
――僕……だけ?
その意味する事は明白だった。
黒衣の女性、犯人の彼女、謎の人影、それはすべて、純粋なヒトではない事を意味していた。
「お……どちらかが動きだしましたねぇ。ショーの始まりですよ」
黒衣の女性は軽やかな口調で、ショーの始まりを小川に告げた。
「ほんっとにしゃべらねぇ奴だな。死ね!!」
豹変した彼女は影に向かって翔けた。
小川の目では捉えきれないほど素早い動き、まるで銃弾のような速度だった。
しかし、影も瞬時に姿を消した。
そして――。
お互いの得物が、交えた。
得物同士が鬩ぎあい、火花が散った。その時、小川に新たな衝撃が走った。
「え……まさか、あの時の!?」
一瞬の火花により、影が姿を映したのだ。その一瞬を小川は見逃さなかった。
銀色に染めた存在感を表す髪と、瞳を覆い隠すほどに長い前髪は、小川でなくても忘れることのできない特徴だった。
白いカッターシャツに黒い短めのスカート、そして第一ポタンが外れたカッターシャツに、少し緩めの黒いネクタイ。
まさしく……彼女だ。あの時にあった……。
小川の新たな発見をよそに、二人の攻防は続いていた。
「へぇ。私の鎌相手に一歩も譲らないなんてねぇ。大したもんだ」
「…………」
鎌と相対している、銀髪の女性の武器ともいえる武器。
それは、『十字架』だった。銀髪の女性が所有するに相応しく、十字架もすべて銀一色に覆われていた。
銀髪の女性の身長を軽く超える長さを誇るその十字架は、目の前に交わっている禍々しい鎌と比べても、引けをとらない存在感だった。
手に持つ十字架の柄には、小さな溝ができており、その部分に手を入れることでバランスを保って持っている。
十字架の太さも銀髪の女性のウエスト近くあり、なぜ女性が持てるのか不思議であった。
否、これはまず……人間に持てる代物なのか?
小川が些細な疑問を抱いていた。
しかしそれは、考えるにしては小さすぎる問題だった。
刃を交えていた二人が距離をとった。
その次の瞬間。豹変した彼女が奇声をあげた。
「死ねぇ!! 一刀――!! 両断――!!」
豹変した彼女は鎌を持っている右腕を横に大きく振りかぶった。
一閃。
腕を振る瞬間を小川は、捉える事ができなかった。
――え!?
まさに一刀両断と呼ぶに相応しい一撃だった。
豹変した彼女の振りかぶった先のあらゆる物という物に切りこみの跡が見えたからだ。
切り込まれた壁がゆっくりと音をたててずり落ちる。
厚さ何十センチあるか考えたくもない壁が、豆腐のように崩れ落ちた。
「僕は……こんなに凄まじいポテンシャルを持つ怪物と、さっきまで戦ってたのか……」
小川は思わず言葉を漏らす。
「えぇ。そうですよ。だからいったじゃないですか。よくやったですねぇ――――と」
小川は放心していた。
「あの子は、大丈夫なのか?」
「えぇ、毛ほども心配の余地はありませんよ。もしも心配するなら……あちらの女性を心配してください」
黒衣の女性は傘を持っていない左腕で豹変した彼女を指差す。
「はぁ……」
小川は半信半疑で答えた。
――身体に大きな穴を空けたとしても、すぐに再生してケロッとしてる彼女を、心配しろと? 無理な注文だ。まず死なないんじゃないか?
しかし、その小川の思考とは相反して、目の前の状況は一変していった。
「うぅ……ぐっ!?」
豹変した女性が、突如として吐血したのだ。
「あぁ……!!」
「……遅い」
豹変した彼女の真後ろに、銀髪の女性が佇んでいた。
今までに初めて聞いた呻き。たとえ銃弾を何度うけたとしても、なんともなかったあの身体に、なぜダメージを与えることができたのだろうか。
「なんだ、この程度か。話しにならないな」
「くそがぁ……なめやがってえええぇぇぇ――――!!」
豹変した彼女は再び鎌を横に大きく構えた。
しかし――。
「だから、遅いっていってるだろ?」
豹変した彼女の脇腹に、十字架がめり込んでいた。
「うぐっ……あぁ!!」
銀髪の女性はそのままバットを振りかぶる要領で豹変した女性を吹き飛ばした。
「一度聴いた事も理解できないとは……。お前、とことん無能だな」
圧倒的な強さ。
小川はただ呆然と、目の前の光景を凝視している事しかできなかった。
その小川の耳元で、黒衣の女性が囁いた。
「そろそろクライマックスですかね。まぁ……状況的にあなたには、最初からクライマックス状態でしょうが……」
「…………」
小川に何かを発言する力は、もう残されていなかった。
吹き飛び、彼方を飛翔した彼女は、猛然と立ち上がった。
「コロスコロスコロスコロス!! テメェは一度殺しても殺したりねぇ!! 千回以上殺してやるから覚悟し――――」
その刹那、豹変した彼女に、十字架が身体の中心、心臓付近を貫いた。
「――あああぁぁぁぁ!!]
「まったく……いちいちうるさいな。お前は喋らないと攻撃もできないのか。無能極まりない存在だな」
刃物ではなく、鋭利な形もしていない。だが、現に豹変した彼女には、十字架が突き刺さっている。
「終わりにしてやるよ」
銀髪の女性は、両手を十字架から離し、右手を十字架に添え、何かを語りだした。
「我、神々の代行者。現世と境界の狭間を踏みはずし者に、死の断罪と――永遠の粛清を与えたまえ」
その発した言葉の数々が、豹変した女性の死を告げる――絶対的な、不可視のカウントダウンだった。
「解き放て――」
「――『十字架の法廷』」