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舞い降りた死神

「そうですね。あたし……やり直します。もう一度、自分を見つめなおすために……」

 彼女は心を入れ替えた。小川に対して初めて敬語を扱っている。理解したのだろう。自分の立場が、犯してはならない過ちをしてしまった事に。

ひとつの事件が終末を迎えようとしている。

しかし、それだけでは終わらなかった。

「だけど……」

「ん? どうした?」

 急に強張こわばる彼女の姿に、小川は違和感を感じた。

「……あたしの身体。刑事さんもみているんですよね。あたし……もう、人間じゃないんです! 理由はわからないんですけど、なぜか自分を抑えきれなくなって……身体が勝手に動いてしまうんです! だから、身体がいう事を聞かなくなる事が多くて……」

 小川は小さく息を呑んだ。

そうだった。まだ根本的な疑問は解決していない。この子はなぜかは知らないが、今は人間を軽く超越した存在だ。語り聞く人々は信じないと思うが、僕はこの眼で見ているんだ。

小川は超人的な存在を間近に感じた第一人者であった。そして、ほかにこの彼女の力を見て生き延びた者はいない。

「あたし……、記憶は曖昧なんですが、ここに来る前もたくさんの警察官に手を出してしまって……それで……またいう事を聞かなくなったら!」

 彼女の身体は全身がふるえていた。腕を組んで小刻みに振動を繰り返している。彼女自身に対する怒り。そして、また犯してしまわないかと思う恐怖。様々な感情が彼女の身体を支配していった。

「怖がらなくていいよ。その時はまた……僕が――」

 小川の励ましは、今の彼女にとってはあまりに説得力の欠けるものだった。

「刑事さん。もう身体……動かないんですよね? それなのに……今も健常な身体を維持しているあたしを止められるはずがない!」

「そう……かもしれないね。だけど……僕は、君がもう何も犯さないと……信じてる。でも……もし、また君が暴走するような事があったら……」

 静かに、だが――覇気の篭った声で、小川は言葉を発した。


「全力で君をる」


 小川の率直な思いだった。

たとえ人は過ちを犯したとしても、立ち直る事ができる。やり直す事ができる。人の力は、思いは、そんなにヤワじゃない。なんとしてでも……守ってみせる。

叶う事のない理想論である事は小川も承知である。だが、ここで彼女を混乱させてはいけない。ここで意地を張るのが大人の勤め、責務と、心の中で小川は叫んでいた。

「ありがとうございます。刑事さん。あたし……がんばります! たとえ何年かかったとしても、身体にまた異常がでてしまっても、刑事さんが……守ってくれるから!!」

 彼女の瞳に、迷いはなかった。聡明でどこまでも透き通るように綺麗な青。まっすぐと見据える目だった。小川本人も活気付けられてしまうその気迫に、感じる事しかできない安心感がそこにあった。

「その意気だ。つらい事はあるだろうけど、一緒に頑張っていこう。手伝えることなら、何でもサポートするから」

「刑事さん……本当に……ありが――」

 その時だった。

彼女の全身から身の毛もよだつ悪寒が、電流のごとくはしった。

「えっ……?」

彼女は異物が喉に詰まったかのように自分の首を抑え、もがき始めた。

「うぅ……くっ!? ハァハァ……ああああぁぁぁぁぁ――――!!」

 悶え続ける彼女はあまりの痛みから地面に横たわり、悶絶もんぜつしている。

「おい! どうした!?」

 一体……何……が!?

今起こっている事が小川にはまったく理解できていない様子だ。しかし、小川もよからぬ事の前触れであることは、予想していた。

 苦しみ続けていた彼女が、突如動きを止めた。

「――ふふっ。くふふ……」

 冷笑。

静かな微笑みだった。

どうしてだろうか。今になって再び、小川の第六感が危険を感じていた。

これは……ヤバイ!

 全身に今ある気力すべてを振り絞り、この場から逃れようと試みる。

しかし、小川の身体は自由には動かなかった。

この場から……離れないと……!!

 小川が心の中で自分を鼓舞していると、絶望の一声が響きわたった。

「ほんっとアンタ、邪魔だねぇ。こっちは楽しんでたのにさぁ。何この改心させようとしてんのよ。今までの言葉、虫唾むしずが走るわ」」

 そこにいたのは、当初の彼女とはまるで、別人だった。

言葉遣いはもちろんであるが、それ以上に別人だと思わせる要因は、彼女の風貌だった。

 幼さを残した瞳はすでにその原型を留めておらず、人を人としてみていないとまで思えるほど、完全なる殺意に満ちた、死んだ魚の目――まさにそう形容するのが相応しい瞳だった。

「せっかく私がこの娘の中にある欲望のたがを外して、究極の快楽を与えてやったってのにさぁ。信じられないよ」

 いや、こっちが信じられない。こんな事……!! これは……二重人格?

ひとつの可能性を、小川は予感した。

しかしその考えは、一瞬で吹き飛んだ。

「やめ……て!」

「……!?」

 突如として、彼女の顔つきが一瞬だが、変わった。

「なんなのよあなた!! いきなりあたしの身体を……一体……なにをしたのよ!!」

 彼女が彼女に何かを語りかけている。

人格がまた……入れ替わった? 

「まだそんな心の力があなたにあったなんてねぇ……以外だったわ。だけど……ここで終わりよ」

「うそ……!? あああああぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴。

一人で何かを語り、一人ですべてを解決しようとしてる彼女が、そこにいた。

今の会話の内容からどちらが今、この現世に留まっている人格かは明白だ。

これは……人格の乗っ取りだ。理由はもう詮索することすら馬鹿らしい。だから考えることは止める。しかしこれはあきらかに……悪い方向に向かっている!!

小川は全力で立ち上がろうとした。

動け!! 今だけでいいから……動け! 今後身体が自由に動かなくなったっていい!!

今だけでいい……俺の身体!! 動け!! 

 それは、魂の叫びだった。

しかし、現実は甘くない。

駄目だ……。まったく……動かない……。

非現実的な事があまりにも多く起こっているはずなのに、それなのに、今は不思議なほどに現実的だ。

起こるはずなどないのに……。奇跡なんて……。

――もしも……だ。今、自分の中に宿る隠された力が覚醒する。そして、五体は自由に動き、目の前にいる相手を撃退する。

そんな幻想、起こるはずがない。

小川の疲労は、とうに限界を超えていた。

 小川の眼前にいる彼女、今は別の人格を形成している彼女が、体操をするかのように首を回している。

「さぁて……。この娘の心を動かす馬鹿な男に、制裁しますかね」

 彼女は大きく平行に右腕を振った。

右腕のまわりから黒いひずみが姿を見せる。

歪から姿を現したのは、鎌だった。

しかし、当初から見ていた鎌とは違っていた。

鎌は初期に見ていた時の二倍以上に大きく、刃先も銀色にあわく、輝いていた。

切れ味はいうまでもない。いや、小川の想像している切れ味より、さらに絶大な威力となっているだろう。

小川には、現状を打破するすべ絶無ぜつむであった。

「懺悔の言葉なんて与えないよ。私はそこまで、優しくないから」

意識が朦朧もうろうとしている小川には、すでに半分以上その声は届いていない。

彼女がかける。

そして、消えた。

もはや人間の動体視力では、視認できないほど速いスピードで動いたのだろう。

目の前に、鎌を振り上げる寸前の彼女が写った。

その瞬間だけは、小川にも見えていた。

なんで……振り上げる瞬間は視えるんだよ。

死ぬ時はいつのまにか死んだほうが……まだ……幸せだった……かな。

小川は諦めていた。諦めざるを得なかった。

さすがにこれはもう駄目……か。こんな役に立たない兄でごめんな……。

バイバイ。<悠輔ゆうすけ>。

そして、絶対的な死を連想させる、非情なる一声が、小川の鼓膜こまくを貫いた。


「死ね」


 一陣の風が豆腐のように、くうを断ち切った。

「……何!?」

 そこに、小川の姿はなかった。

「なん……だと!?」

 次の瞬間、彼女に鈍痛どんつうな衝撃が襲った。

「うぐっ!!」

 丸太をそのまま横に振り、直撃されたような一転集中の重い攻撃。

あまりの衝撃に足は踏ん張りを抑えきれず、彼女は宙を舞った。衝撃は相当なはずなのに、穴が空くような事はなかった。

今の彼女にはどんな攻撃よりも、痛烈に痛みを感じていた。小川の放った、対兵器用に開発されたとしても過言ではない銃撃よりも――。

彼女は空中で体勢を整える。新体操選手並の華麗な着地をきめ、地に足を踏む。

攻撃を受けたその先を彼女は見ていた。

 そこには、ひとつの影が見えた。

「なんだよ……アンタ」

「…………」

 影は何も語らない。寡黙かもくよそおっている。

「クールに気取ってるんじゃねぇ!! 私の楽しみを邪魔した罪は海より深いんだよ!! とっとと死ね!!」

 彼女は鬼よりも恐ろしい形相を浮かべている。


しかし、その影こそが――彼女を絶望のふちおとしいれる存在。鬼すらも恐れる死神だった。


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