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絶望の始まり

「今日は、大事な話があって誘ったの。聞いてくれるかな? というか……聞いてください!!」

 裏通りに面する路地の小さな一角で、二人の男女がいた。

夕焼けが沈み、闇が空を支配した。

降りしきる雨の中、お互いの沈黙は、悠久の時を感じさせるような、そんな静寂に包まれていた。

男性の身長は平均ほど、髪はざんばらで、まったく整っていない髪型だ。雨に濡れているのもあってか、髪は全体的におりていて、顔がよくみえない。

服装は白のブレザーに漆黒を思わせる黒のネクタイ。そして、白を基調にした黒いチェックの入ったズボンを着用している。

対する女性は、同じく白のブレザーに黒のネクタイ。そして、白を基調としたスカートに黒のチェックが入っている。

男性の前髪で見えない瞳には、目の前にいる女性が映っていた。そして、この女性が次に何を語りだすのか察していた。

 女性の髪型はセミロングほどの長さの綺麗な黒髪、そして、左右には青く細長いリボンが蝶々《ちょうちょ》結びになっていた。女性も傘はさしていなく、ずぶ濡れだ。

「大事な話って何? 俺……そろそろ帰らないと……バイトの時間なんだ。だからまた今度に……ね」

 男性は女性から後ずさるようにしながらきびすを返そうと試みる。

何もいわれない。何も言わせない。この場から一刻も早く逃げてしまいたい。彼の思いは、今にも爆発してしまいそうだった。

しかし、一瞬遅かった。彼女のほうが、先に言葉という感情表現を、爆発させてしまった。

「私、あなたの事が好きです!!」

「えっ?」

 口では疑問系を装っているが、内心では確信していた。この言葉が次には彼女の口から発することに――

「あなたを初めてみた時から好きだった。一目惚れだった。私は……あなたの事が好きです。だから、付き合ってください!!」

 危機迫る思いの一言だった。彼女は生涯、永遠と呼べるほどの瞬間の記憶を今、思い出の一つとして心のアルバムに刻んでいた。

しかし、無情にして絶望の発声が、彼女の耳をつんざいた。

「ごめんなさい」

 即答。

その一言で、女性の頭は真っ白になっていた。

なぜ即答? 考えなかったのか? 思案しなかったのか? 憂慮しなかったのか? 私の告白の仕方が悪かったのか? 

真っ白になると同時に、その純粋な白を埋め尽くすかのように、様々な思念が、彼女の頭の中で駆け巡っていた。

「うっ……うっ……あぁっ……」

 女性のまぶたには、溢れんばかりの雫が、ほおを滝のようにつたっていた。

「本当にごめん。俺には――」

 男性には、女性の大粒の涙が見えないようだった。雨だからなのだろう。お互いの身体は、シャワーを全身にそのまま浴びたような格好だ。風邪をその後にひいてもおかしくない状態だった。

 男性は、頭の中で言葉を慎重に選んでいた。

そして、頭の中で整理を完了して、次の言葉を発しようとした瞬間――

「うわっ!?」

 女性が男性に飛び掛ってきた。女性はその場で戸惑う男性を抱き込んだ。

「あなたは、私のものなの!! 私の男なの!! あなたは……たったいまから私の……彼氏なの!!」

 その凝然ぎょうぜんたる女性の変容に、男性は今までに感じた事のない、戦慄せんりつを覚えた。

 女性は男性を押し飛ばす。その際に女性の人差し指が、男性のブレザーの中に着込んでいるカッターシャツの第一ボタンに絡まる。

そして、第一ボタンは、雨音に消されて音もなく外れ、地面に平伏ひれふした。

「やめろ!! 離してくれ!! いったい……どうし――」

 男性はこの時、ある違和感を感じた。

 それは、女性の力強さだった。あきらか異質なその力は男性の戦意を削いでいった。

「は……なせっ……」

 男性の必死の言葉も虚しく、女性は男性を抱き、押し倒した。

 女性の頭は真っ白だった。もう何も考える事はない。彼とここで一つになる。それだけが望みだった。

しかし、今度は女性に戦慄がはしる。

男性を押し倒した先に、頭一つ分の煉瓦れんがが、そこにあった。

二人が討論を重ねるここは路地裏、そして住宅地区予定地。人気ひとけが少なく家も少ない。

正確には少ないのではなく、建設途中の家が多いのだ。

そこにコンクリートの残骸や、煉瓦があっても不思議ではない。

男性は運悪く、頭を煉瓦とぶつかり強打。

鈍器で叩いたような、鈍く重厚な音があたりに響く。

だが、雨音にそれすらもかき消された。

後頭部からは大量の血が噴出しており、白目を向いている。身体が痙攣している。検死等を行わなくとも、誰にも用意に死を連想させる事ができた。

あまりの出来事に女性はその場で、立ち尽くしている。

しかし、男性の痙攣がとまり、物言わぬ屍となった時、女性は我に返った。

「いやあああああああぁぁぁぁ!!」

 悲鳴、女性は咄嗟にその場から逃げ出した。

燦然さんぜんと降りしきる雨の中、今宵も長い夜が……始まる――


「ハイ、こちら校倉警察署です」

 雨があたりの騒音をかき消す中、校倉市警察署にて、一本の電話が入る。

そこは刑事部署だった。

部屋には机が所狭しと並んでいる。そして、どの机を見渡しても散らかっており、あたりは凄惨な状態となっていた。

電話番をしていた警察官は、冷静に対応していた。

「ハイ、ハイ……わかりました。そちらの住所はどちらで? ――ハイ、かしこまりました。すぐこちらの者を向かわせます。それでは――」

 がちゃりっ、という機械音と共に、警察官は電話をきった。

金下かなしも町三丁目で殺人事件です。刑事班は至急、現場にあたってください」 その一言を 境に、スーツをきた警察官が一斉に動き出した。

 その中で一人、初老とおもわしき男が質問を問いかけた。

「今回のガイシャは?」

「目撃者の情報だと……学生です」

「またか……こりゃ、厄介になりそうだ」

 初老はこめかみに親指を押さえ、頭を抱えていた。

この初老を一言で表すと『ベテラン』、まさにこの言葉が一番似合う風貌だった。

頭髪は短髪に一面銀色と思わせる白、そして眉間には、ほどよく渋みをきかせる大人のしわと、右頬に刃物で切り裂かれた傷が見える。世間一般でかっこよく見える綺麗な十字傷などではない。文字通り鋭利な刃物でスパッと斬られた痛々しい傷である。

初老の行動が止まり、一人思考を巡らせているその時、ふと声がかかった。

「鈴木警部! どうしたんですか?」

 そこには、一人の若い刑事がいた。

若い刑事といっても完全な新人――という風貌ではなかった。

頭髪は黒の角刈り、顔は若々しさが残りつつも整った顔立ちになっており、幾ばくかの経験は積んでいるように見える。顔には鼻から口にかけて無数のそばかすが目立つ。身体全体は筋肉質で身長は百八十を超える長身だ。

鈴木と呼ばれた初老は、何気なく答えた。

「なんでもない。少し考え事をしていただけだ。いくぞ」

 鈴木は腰掛けていた自分の椅子を定位置に戻し、扉の外を出て、若い警官と共に姿を消した。

一階の警察車両庫に到達する。刑事班はパトカーではないので、一般の車両とおぼしき車に身を乗せた。

若い警官と鈴木が車両に腰かける。若い警官が運転するのかと思いきや、鈴木が運転席に座っていた。

「お前……確か、小川っていったな。まだここに来て、まもないからな。ここは俺が現場まで運転する」

 鈴木はそういって車のエンジンを起動する。車が命を灯したように甲高い音を立てて息吹く。双方はシートベルトを付け、鈴木は、ゆっくり右足を下ろし、アクセルを踏んだ。

警察車両を出て、発進した車を迎えたのは大量の雨粒だった。

太陽の光はとうの昔に雲に隠れ、日の光がさえぎられている。あたりを照らすのは人工的に作られた道の街灯、民家、そして、車のライトだけだった。

 小川と呼ばれた若い警官が口を開いた。

「どうもありがとうございます。まだこの辺の地理には詳しくなくて……それに今日雨で道の風景いつもと違いますし……ちゃんと道覚えたら変わります」

小川はシートベルトに身体が締め付けられながらも深々と頭を下げた。

「当たり前だ。お前は、うちの貴重で大事な新任刑事だからな。覚えてもらわなくては困る」

 小川は『ハイ』と答えながら小さく頷いた。

「うちの刑事は入れ替わりが激しいからな。お前がいつまでここにいてくれるか……」

 鈴木のただでさえ目立つしわが眉間によっている。難しい顔をしていた。

「交代とか左遷させん……激しいんですか?」

「…………」

 静寂が車内を包んだ。

小川は、何かいけない事をしたのか? 発言に誤りが? と、自分で自分を責めつつその場の空気を変えようと必死に言葉を探していた。

その時、鈴木が重い唇を開いた。

「刑事事件での殺人、お前は今回が初めてだよな?」

「はい……」

 小川は口を開いた鈴木に安心するが、質問の意図がわからなかった。

「ここでの殺人は初めてです。警視庁では何度もありましたが……」

 小川は、元警視庁捜査一課だった。この署に来る前までは、現役バリバリの最前線で活躍する刑事だったのだ。そして、小川は、今なぜここに勤務する事になったのかを考え、憂鬱になっていた。

「そうだよな。初めてだよな」

 鈴木はとても大事な事のように2度同じ言葉を繰り返した。

 そして今度は逆に無言となった、小川にたいして何かを察した。

「小川……お前、ここの署に勤務になった事、『左遷』と思っているのか?」

 確信を突いた一言だった。雨音が鳴り止まない中、小川は臆する事なく発言した。

「はい……こういっては怒られるのはわかっていますが、そう思ってます。なぜここに自分がきたのか、全然検討がつきません。――私は、捜査一課の中で若いうちから様々な事件に遭遇しました。命を張った事も何度もありました。ミスも少しはありましたが、同僚の刑事よりは確実に成果をあげてました。むしろ先輩の刑事より成果をあげてました。なのに……」

 実際に小川の成果はすさまじかった。時には勇敢に犯人に立ち向かい、時には冷静になり物事を対処したり、情報の収集にもぬかりなく、確実に遂行する人物であった。警視庁捜査一課のエースとまでささやかれ、同年代の『キャリア組』すら追い抜かんばかりの、成果と実績を持っていた。

「そうか、確かに小川の活躍……ここに来る前に経歴をみたが、まさに現場のエキスパートだ。中堅やベテラン刑事も吃驚するほどに……な」

「ありがとうございます」

 今日何度目のお辞儀だろうか。小川は頭を深々と下げ、目の前の鈴木警部に敬意を払った。

鈴木は少し間を空けて、冷淡な口調でこう付け加えた。

「だがな……現場のエキスパートだからこそ――お前はここに配属されたんだ」

「へ? どういう意味……でしょうか?」

 少し拍子抜けた声を小川は発した。

「そのままの意味だ。それに、今日にはすぐわかる。今の言葉の意味がな……」

「はぁ……」

 小川は理解できないでいた。

確かに今回は、ここにきて初の殺人事件だ。殺人ともなれば容疑者とドンパチするかもしれない。だがそれは、すでに警視庁捜査一課時代に何度も遭遇してきた。油断はしてはならないが、今回もその可能性が否定できないからの発言だろう。だがその時はその時だ、冷静かつ豪胆に対処しよう。また……あの輝かしい最前線に復帰するために――

小川は、今後の意欲と闘志をたぎらせていた。

「そろそろ現場に着くぞ」

「ハイ!」

 快活に小川は答えた。小川の顔は、雲がうごめく今日という日に光明をもたらす、一筋ひとすじの光のようだった。

一台の車が現場に向かって走る中、一閃の光が天を貫き雷鳴がとどろいた。雨音は激しさを増し、あたりの視界をいっそう悪くする。風も窓を叩くように強く吹き荒れ、嵐を予感させた。

「着いたぞ。降りろ」

「ハイ」

 やっとのことで現場に到着する。

 今の小川は完全にスイッチが入っていた。先程のような少し億劫おっくうとした態度は微塵も感じられず、無駄な雑念もない。隙のない、ベテラン刑事そのものであった。車を出て、この町で起きた初の殺人事件の、現場に足を踏み入れる。

それが、絶望への一歩だとは知らずに――

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