生まれ変わり再び
風が頬を撫でる昼下がり。静かで落ち着いた時間が、少年は大好きであった。
何も無い村、面白いものなどどこにも無いこの村で、こんな落ち着いた当たり前の時間こそが、少年にとって最上の癒しであった。これを言うと「爺臭い」と毎度同年代に言われてしまう。まあ仕方のないことなのだが、若干不満でもある。
ただ、今日だけはぼうっと過ごすわけにはいかない。
隣にある辞書ほどの厚さもある本を、やや憂鬱な思いで撫でる。
苦節三ヶ月。行商にお願いし、ようやっと手に入れた”ステイルの歴史”という本。
はあ。と一度ため息を吐いてから、一ページ目を、迷いを振り切るように勢いをつけて開く。
数百年前、この世界は戦国時代にあった。
国々がそれぞれの国民を殺し合い、存在を恨み合い、土地を奪い合った。人々の憎み合いは想像を超えて苛烈化し、どんな小国であろうと、戦争に興味を示さない大国であろうと次々に戦争に巻き込まれ、激化の一途をたどっていった。
結果、大陸にかつて存在した約三百の国、全てが戦争に巻き込まれた。
そんな時代の中で、とある男が戦った。
その男の名はドミ・ステイル。大陸最小の国、ステイル王国の王位を継いだ若き王である。驚いたことに、王位を継いだ段階で弱冠15歳である。
王位を継ぐ歳としては早すぎ、補佐が政治をするには歳をとりすぎた。王位を継ぐタイミングとしては最悪と言える。
小国という呼び名にふさわしく、ステイル王国はドミが王位を継いだ時点で、都市と呼べる街を持たない国であった。国が小さいこともあって当然人口も少ない。だからこその苦しみも多かった。
ステイルの時代としては、非常に風当たりの強い頃に王位を継いでしまったのだ。
戦ばかりの時代に軍を増強するのはある意味当然の行いだ。そうでなくては諸列強につぶされてしまう。ただ、産業をおろそかにするわけにいかず、農地や町にも人を回さなくてはならないという、二律背反に苦しめられることになってしまった。これは歴代ステイル王が直面してきた問題であり、ドミもまたこの壁にぶつかることになる。
ただしドミ・ステイルは、歴代王の仲で最も優れたカリスマと実力、そして決断力を持っていた。ドミは手始めに周囲の、列強諸国の脅威に晒されている同じ小国と外交を行い、その繋がりを強固にして守り合う方針を固めさせた。
複数匹で自分たちを大きく見せる小魚の如し。大国は小国においそれと踏み込むことができなくなった。これ幸いとドミは周囲の国にバレないように軍部を一度解体。そして残留希望者以外は実家へと戻し、農地を発展させ、すぐに国を豊かにしていった。
これにより軍部が弱体化してしまった事は否めない。だがこの世界には一騎当千の猛者が存在する。ドミの元には、驚くほどその猛者たちが集まってきた。
代表されるのは、王妃であるアリシア・ステイル。ステイル王国の貴族出身であり、ドミの幼馴染の一人。幼いころからドミの理想とカリスマに共感し、傍にあり続けるべく自身を鍛えあげた魔法の名手だったという。
そして側近にしてその時代最強の剣士キエル・ドーリシュ、優秀な執事のライル・アスティコ、聖騎士長にして最硬の盾アスタ・キヴォリタなど。彼らは王を支える立場としても当然だが、戦場において天下無双を誇り、その有名を世間に轟かせ現代へと名を残した。
他にも名を轟かせた優秀で強い仲間たちに支えられ、ドミは小国ステイルを率いて名だたる大国たちと戦ったのだ。
そして戦争とあれば、自身も武器を手に取り、最前線で国防のため戦った。小国と繋がり合い、侵攻に合うことは減ったものの、小国として大国の危険にさらされることは少なくなかった。そんなときに自らの王が最前線で勇猛果敢に戦ったらどうだろうか? 兵士たちはそんな王の姿に心を奪われたという。
ただし、ドミの思考はあくまでも平和的だった。ステイル王国の軍が戦ったのはあくまでも国防の時のみ。自分から攻めたことは一度も無かった。
平和路線の思考はその時代には珍しく、ある種の批判を集めたが、同時に平和を望むものたちの同意と共感を集め、小国同士による国防協定をより広げ、それは歴史上初の連合と呼ばれる組織になった。この連合の規模は大したものではなかったが、それぞれ国の持つ特性が絡み合い、他国にとって無視できないものになっていった。
連合の中でも、ステイル王国の隣国ボナトは、王族同士の仲も良く、風習や商業的な繋がりも濃かった。ドミは王子として生まれた頃からボナトの王子と幼馴染として育ち、代えがたい友として成長していた。
しかし友好国であったボナトは、その頃侵略国として世界一の国土と武力を持つアルバンという国に、資源国として目をつけられた。
アルバンは小国連合の規模を圧倒的に超えるほどの大国。はじめは当然自ら遜ると思い、ボナト王族へ服従を命じた。しかし連合への義理を通したボナトは徹底抗戦を決断した。
アルバンはボナトを滅ぼす際に、徹底した情報封鎖を行った。人数にものを言わせてボナトのすべての国境検問を奪取し、ボナトを取り囲む全ての国々の国境管理者にとって代わったのだ。つまり周囲の国々は、ボナトの異常に気付くことすらもできなかった。
ボナト王国は最後の瞬間まで抵抗していたが、最後には王がボナトの首都で公開処刑となってしまった。
だがギリギリのところで、ボナト王は自らの妻と子を、隣国であり親友の国であったステイルへと逃がし、亡命させた。このことからドミのステイル王国はボナトが滅んだことを知ったのだ。
親友の国を滅ぼされ、怒り狂ったドミはそのまま元ボナトだった土地を侵略し返した。単純戦力差実に五十倍の相手を打ち取り親友の国を取り戻す、そして首都で殺された友の亡骸を弔ったという。
この経験から、小国同士が繋がりあったところで牽制にもならないと結論づけたドミは、自らが侵略し、敵対する国同士を、大陸を一つにすると決断した。
この後だ。ドミが伝説となったのは。
ドミの歴史は長く、エピソードの多さもあり語り尽くせない。
だが判明している数百年前の歴史を、この本では多く、さらに詳しく紹介できたらと思う。
「はあ」
ため息を吐きながら、少年は本を閉じた。本を開く直前まではある種緊張のようなドキドキした感覚があったが、今となっては妙な顔の熱さと、絶妙な恥ずかしさを感じている。一、二ページしか読んでいないがすでにお腹いっぱいだ。
背表紙を指でなぞり、再び深いため息を、たっぷり十秒かけて吐き切った。同時に脱力して、背中を座椅子代わりにしていた木に押し付ける。脱力して足や腰から完全に力を抜いて、無気力に座るテディベアのような姿勢になった。
だらりと首を動かす。木々の間から漏れた日差しが目を焼く。眩しくて手で遮った。若くハリのある手だ。すっかり慣れたが、今でも極たまに違和感を覚えるときがある。
少年の名はジン・ラバウル。銀の髪と青い瞳が目立つ特徴で、今17歳になったばかりの青年である。
「ジン! お父さんが呼んでるぞ!」
村の方からやってきた青年がジンを呼んだ。ジンと変わらぬ歳の割にガタイの良い青年で、村の中でもかなり頼りにされている。
母が呼んでいるという事でジンはとりあえず立ちあがった。要件は大体わかっている。別に気だるいとは思っていない。ただもう少しだけぼうっとしていたかっただけだ。
「なんだ。またぼげっとしてやがったのか?」
兄貴分が笑いながら言ってきた。幼いころから快活で、五秒に一回は動かないと気が済まないうるさいタイプの子供だった。だからこそジンがぼーっとしていることが面白くてならないのだろう。
慣れ切った兄貴分の反応に苦笑いしながら、ジンは本を見せた。
「まあね。読書も良いもんだよ?」
「ほーん? 俺はそういうの興味ねえ。仕事してるか鍛えてる方が良いや」
兄貴分は本のタイトルをジロジロ見てから、興味なさそうに前へ視線を戻した。
「ってかそのドミ・ステイル? 歴史のお勉強か?」
「まあね。最近行商から本がいくつか手に入ってさ。ほとんどは物語だったけど、珍しく歴史の本があったんだ」
兄貴分は心から興味なさそうに「あそ」とだけ言った。
本当は常識を確かめようなんて意図は一切無い。ただ興味を持ったから読んだのだ。ドミ・ステイルがどのように語られているのかと。
やがて村へと戻った。閉鎖的というほどではないが、外部との関わりが数えるほどしかなく、常識や学びは内側でしかほぼ得ることがない。人口は二百人ほど。一つの集落にしては少なすぎるくらいだ。だからこそそれぞれの繋がりや関係性が強く深く、何か大きな問題があれば村人全員で解決しようとする、子どもが生まれれば村全体で宴をやるほどに喜ぶ、うっとおしいほどに暖かい村だ。
兄貴分と別れ自分の家へ。家の中ではすでに自分以外の家族がそろっていた。母は調理場で何かを作っているし、父は外の商人から買った新聞を読みふけっているし、妹は手のひらサイズほどの箱を手で転がしながらにやにやしている。
「ただいま」
いつも通りの帰宅の言葉。母リル・ラバウルが優しく微笑み、父ギン・ラバウルが新聞を避けて「おかえり」と声をかける。
唯一声を出さなかった妹アリア・ラバウルは兄の帰宅に動揺しつつ、急いで箱をポケットの中に隠した。
「お〝っ、おかえり! 部屋行くね!」
といって、ばたばたと二階に上がっていく。あまりに足踏みが強すぎて木造の階段がギシギシ呻いていた。
そんな行動をすれば何を持っていたのかはまるわかりだが、あえて「そうか」とだけ答えて椅子に座る。
「父さん、今日は早いんだな」
「まあな、仕事を早く切り上げた。お前の誕生日だしな」
ギンは木材加工の仕事をしている。木を切り倒し、適切な木材に加工する。森に囲まれた村だからこそいつでも潤沢に材料があって、長い間伝らえてきた技術で精巧なものを量産する尊い仕事。仕事の話になる度に父親はいつもそう言っている。
確かに連綿と受け継がれてきた技術は素晴らしいと思う。そこにある先祖たちの意思も。ただ、ジンは少しだけ別の感情を抱いていた。
「それはそうと」
ギンが新聞をテーブルに置いた。
ジンはそれだけで雰囲気が変わったことを察知する。それだけじゃない。面倒ごとの気配も同時に察知した。
リルは無関心なふりをして鍋を見ているが、耳だけはそばだてている。ジンはそれも理解している。
「お前、そろそろ俺の仕事を継ぐ準備をするんだ」
まただ。
心の中で呟いて、ジンはため息を吐いた。
この頃、ギンは定期的にこの話をする。自分の仕事を告げ、一族の伝統を守れ。
ジンからすれば、心の底からどうでも良い話だ。なぜならその伝統とやらを継ぐ気が無いのだから。
「言ったろ。まだ決めかねるさ」
「何が決めかねるだ。お前ももう17歳! いい歳だ、そろそろ本格的な修行に入るべきだ。一族はみなそうしてきた」
「だから何だよ。俺は違うかもでしょうが」
「何が違うかもだ。違っちゃ困るんだよ」
「俺は別の生き方してもいいだろうが。この村に居たいわけじゃないんだよ」
「じゃあ何がしたいんだよ」
「いやまあそりゃあ」
「答えられねえじゃねえか!」
拳を叩きつける父親の姿にジンはバレない程度にゆるゆる息を吐いた。
ジンが伝統を継ぎたがらない理由はいくつかある。
ジンがほかの村人、いやほかの人たちと大きく違う点が一つあった。それは前世の記憶があるということ。しかもそれが、ドミ・ステイルとして生きていた記憶だ。
ジンが自分の記憶を打ち明けないのにはいくつか理由があるが、まず大きいのは、これを打ち明ければ頭がおかしい奴だと思われて、周りから圧倒的に浮いてしまうからだ。
ドミが有名すぎるのも問題の一つで、村の外に詳しくはないが、資料や名前の載っている本がたくさんあるらしいことから、ドミの名が世界中で知れ渡っているのは間違いない。そんな人間の記憶があるなど自分から宣伝すれば、年頃も相まって何か頭の病気にかかっていると判断されるだろう。
それに、ジンはドミ・ステイルとして約五百年前に一度人生を終えている。負い目ではないが、それが少しズルのような気がしてならないのだ。
実際はそんなこともない、はずだ。自分が得てきたものを全て利用して何が悪い。と若く熱い気持ちに任せれば良い。それでも、何か踏み出せない。
一度激動の人生を終わらせてしまったからだろうか。平和な村の生活が、どうにも退屈なものに感じられてならない。簡単に言えば気持ちが入らないのだ。だからジンはぼうっと過ごすばかりで、今まで何の目標に対しても熱を持てなかった。
ジンは自分で自分のことを、人間として欠けていると評価する。かつての人生に情熱というものを奪われた、可哀そうな燃え尽き人間だ。
「ジン。お前は」
「ハイストップそこまで」
説教を続けようとしたギンを遮り、リルが大鍋をテーブルの鍋敷きに置いた。重すぎたのか、まるで叩きつけるかのような置き方だった。
鍋には香ばしい匂いを放つビーフシチューがあった。母の味でもあり、ジンの今世での、いや前世からの大好物だった。
「ほらアリア! 食事始めるよ! 降りてきなさい!」
階段に向かって豪快に叫ぶ。上からドタバタ慌てる音が聞こえて、転がり落ちるようにアリアが現れた。
乱れた髪を治してからジンの前に立つ。やけに顔が赤い。その理由はだいたいわかっているが、あえて何も言わず、微笑んだまま向かい合う。アリアはしばらく体をくねらせて、意を決したようにポケットから小箱を取り出した。
「お兄ちゃん。誕生日おめでとう」
顔を逸らしているから表情はわからない。けれど緊張と照れが、耳まで真っ赤になっているからよく伝わってきた。
妹の勇気に少し感動しながら小箱を受け取り開けた。中身は手作りのピアスのようだった。やけに透明度が高くて綺麗な、丸い小さな赤い石を、形を無理やり整えたらしい不恰好な金属にくっつけてそれらしく形を整えた片耳ピアス。歪みまくった金属が作るまでの苦労を物語っている。
不格好なはずなのに、ジンにはそれが妙に輝いて見えた。いや、実際に綺麗なのだ。歪みも不格好さも、全て奇跡的なバランスで芸術作品のように成立している。王級での生活で目が肥えたジンが抱く感想なのだ。間違いない。
「これ、お前が作ってくれたの?」
見れば分かるが、嬉しすぎて、つい口から言葉が漏れた。
こちらを見ようとしなかったが、はっきり頷いて見せた妹が愛おしくなって、髪がくしゃくしゃになるくらい頭を撫でて、半ば強制的にこちらを向かせた。
アリアは兄と目が合い、ようやく自分のプレゼントを喜んでもらえたのだと確信を持てて、嬉しさのあまりに兄の胸に顔を預けた。13歳の思春期真っ只中、兄に甘えるのは少し恥ずかしく思えたが、それでもだ。
「ありがとなアリア」
「うん」
両親はそんな子供たちの姿を微笑ましく眺めていた。
「ふう」
食事の余韻に浸りながらジンは自室のベッドに腰かけた。
(食べすぎたな)
腹を撫でて一人苦笑いをした。薄く割れた腹筋が、心なしかいつもよりも盛り上がっているような気がする。
村で生きていて自然と鍛えられた腹筋、というわけではない。前世で戦乱の時代を生きた経験もあり、体を鍛えておいて損は無いという考えと、いつかもし窮地に立たされた時、何もできないようにはしたくないという思いからだった。
窓を開ける。冷たい風が急いで窓から入ってきて、頬をせわしなく駆け抜けた。
ジンの部屋は二階にあり、地面まで大体五メートルほどある。飛び降りるには勇気が要る高さだ。
だがこの程度ジンには恐怖する高さではない。窓の縁に足をかけ、無造作に中空へ飛び出した。
普段の気だるい態度とは打って変わって、地面を撫でつけるように優しく着地し、素早く転がって受け身を取った。この程度ジンからすれば何でもないことだ。
ポケットに手を突っ込み、静かに歩いていく。風が木々を騒がせ、銀色の月が照らす夜。この静かな時間が大好きだった。
村のはずれにある大きな木に登って、一番太い枝に体を預けて足をだらりと伸ばした。手を枕にして背を幹に預ける。銀色の月を中心に、宝石をちりばめたかのような星々を眺める。こうして静かにしている間は、すべての悩みから解放された気分になる。
だがだからこそ、ジンは今ここで悩むことにした。
まず第一に、ジンからしてみれば、この世界は自分たちが作り上げた平和の延長線上に存在する世界。そんな世界で、ジンがドミの記憶を持っている人間だと叫べばどうなるか。
混沌以外に答えようが無い。
あの本一つで自分のかつての名がどれほどの価値があるのかはわかる。であるのであれば、自分が目立つのは論外だ。
だがこの村に居ても何もならない。
「旅に出たい」
紛れもない本音が、自然と口からこぼれ出た。
前世では王族として生まれ、裕福であったし、金で手に入るものはなんでも手に入れたが、たった一つ、自由が手に入らなかった。
王として求められるものは数多くあり、次々に仕事と戦いをこなし続ける日々だった。だからこそ、自由に世界を見て回りたい。自分たちが手に入れた、平和なこの世界がどうなったのか、見てみたい。
今、思わない日は無い。ただ同時に、父親の期待も感じるのだ。
子どもにかける父親の想いも感じているからこそ、自分のための選択に踏み切れない現状がある。
月の与える銀色の光に照らされながら、ジンは何度目かも数えきれないため息を吐いた。
すると突然、耳を裂くような悲鳴が聞こえた。
「なんだ?」
声に反応したわけでもないだろうが、また同じ方向から悲鳴が響く。休んでいた鳥たちが、弾かれるように夜の闇の中へ飛び立って行った。
また悲鳴が轟く。同時に、わずかではあるが声が聞こえた。前世で何度か聞いたことのある、下品で聞くに堪えない、耳を腐らせるような笑い声。そこにある感情は何とも表現しがたいおぞましいもので、決して存在してはいけないものだ。
ジンは木から飛び降りて、急いで悲鳴のした方へと向かった。雲で光が遮られほとんど何も見えない。だが慣れた森だ。闇をおびえる必要もなくすいすい暗闇を走り抜ける。
いつも通りの道のはずだが、なぜか動悸が止まらなかった。体力はまだまだ持つはずなのに、息が荒くなって、肩が上下しているのが分かる。
あと少しで村にたどり着くところで、何かに蹴躓いて転んでしまった。
(えっ? ここは何も)
小石くらいはあるだろうが、ジンが走っていたのは森の中でも比較的開けた道のはず。それにジンが躓いたのは比較的大きな物体だった。慣れた道だからこそ、そこに無いはずのものがあった衝撃は大きい。
手元がぬるりと滑った。この感覚は覚えがある。前世で嫌というほど味わったあの最悪の。
爆発音がして光が広がる。ゴウゴウという音がした。どうやら火の手が上がったらしい。また悲鳴が聞こえるが、皮肉にもそのおかげで何に引っかかったのかが分かった。
手の滑りの正体は、想像通り真っ赤な血だった。視線を横に逸らすと、背中に大きな切り傷を携えた兄貴分が、ぼうっとした顔をして倒れていた。
「おい!! 起きろ! しっかりしろよ!」
肩を揺らす。揺らされるまま動くばかりで、見開かれた伽藍洞の瞳が、命を宿していないことを訴えていた。
ジンはゆっくり立ち上がる。そして見つめた。目の前の凄惨な光景を。
逃げ回る何の武器も持たない村人たちを、森のようなカーキを基調にしつつ泥のような土色が混じった服装と薄いクリーム色のヘルメットに身を包んだ、どこかの兵士らしき一団が追い回し、剣や銃で、背中からであろうと、子を連れた母親であろうと、足を引きずった老人であろうと容赦なく切りつけ刺し、撃ち抜く。悲鳴を上げて倒れ込めば、痛みで捩った体に追撃を加えた。当然、誰も彼も動かなくなった。
その中には妙な紫っぽいローブに身を包んだ兵士が居た。その面々は剣や銃を持たず、手のひらを建物に向けて、火や電気を発生させていた。軍でも採用されている戦闘術の一つ、魔法だ。
一部の兵士たちは家屋の中にまで入り込み、家の中で震えていた家族を切り殺しているようだった。野太かったり高かったりする悲鳴が聞こえてくるから間違いない。兵士の一人は恐怖に歪んだ子供の首を切り落とし、髪を掴んで楽し気に振り回していた。
兵士の中でも殺しに積極的な者とそうでない者がいるようで、そうでない兵士は仲間の蛮行にドン引いた様子を見せている。
「あの、やりすぎじゃ」
「ああ? こいつらはブタだ。敵対勢力だ。殺したところで何の罪悪もねえよ」
若い兵士が親子を楽し気に突き刺していた中年兵士に声をかけたが、中年兵士は楽しそうに槍を振り下ろすばかりで気にも留めない。
若い兵士が拳を震わせながら自分の腰に刺した剣を引き抜く。
「だあああああ!!」
そして、勇敢にも声を上げながら、反論してきた中年兵士へと剣を振り下ろす。当然、叫び声を上げれば気づかれる。
中年兵士は振り向きざま、当然のように振り下ろされた剣を受け止め、弾き飛ばして、倒れた若い兵士の腹部を蹴り飛ばした。あばら骨のあたりを蹴られた兵士は息苦しくなって、肺の奥から絞り出したような咳をした。
ジンは中年兵士の顔を見た。民家を焼く火に照らされて、やけに顔がくっきりと見えた。
見えたからこそまた混乱する。その顔は不快感に満たされていた。そこにはさらにいくつかの負の感情があって、混ざり合った表情は明らかに同僚へ向けるものではなくなっている。
「お前っ! お前ごときが俺にっ! 俺に切りかかっただと!? ふざけるな汚らわしい!!」
怒るあまりか、言葉が途切れ途切れになっていた。
周囲の反応は二つに分かれる。気まずそうに二人から視線を逸らすが、周りの惨状も見たくないという反応をする者、中年兵士と同じように屈辱に歪んだ顔を若い兵士に向けるものの二つに。
若い兵士は、自分の行いを後悔した。衝動的にあんなことをするものではなかったと、じわじわと人生の諦めに染まっていく。
中年兵士は剣を若い兵士に向けて、上段に構えた。
「ここで処刑だ!! 死ね!」
そして、振り下ろす。
若い兵士は目を閉じ、これから来るだろう痛みに歯を食いしばった。
「やめろ!」
とっさに叫び、中年の兵士の一人に飛びかかった。振り下ろされかけた剣を蹴って叩き落とす。その時、ようやく兵士はようやくジンの存在に気づいた。
中年兵士は手を振ってから、地面に落ちた剣を拾う。
「お前ら、この国の兵士じゃないのか……この王国を守る兵士じゃないのか!! それがなぜ自分の民を傷つける! なんの意味がそこにあるんだ!!!」
ジンにとって、目の前の兵士たちの持つ黒くて細長い銃や、腰に挿して携帯できるサイズの銃は見覚えが無い。村の人間が猟銃を使っていたので、形状から銃だと察せられる程度。カーキに森や土の色が混じった服装だって初めて見た。統一感のある服装と装備でなんとか兵士であると察せられたのだ。
拳が軋むほどに握りしめる。
悔しさのあまりに痛むほどに目を閉ざした。瞼の裏に浮かぶのは仲間たちとの思い出。町は賑わい、兵士たちには活気があり、仲間たちは国を守るためいつだって真剣だった。国の誇り、国民たちへの愛、あの時代にはすべてがあった。それは大陸を征服した後でも変わらなかった。変わらなかったからこそ、大陸統一と永劫の平和を成し遂げることができたのだ。
その思いを、血と戦いの歴史を、こいつらは踏みにじった。それが許せない。許してはならない。そんな気持ちが、今世で初めて湧いてきた。
そんなジンの姿を、兵士たちはぽかんとした顔で見ていた。
「この国の兵士? 何を言っている。俺たちは“魔法大国”パルストスの兵士、お前らアイルの国民なんて守るわけないだろ」
「なあ?」と答えた兵士が仲間に相槌を求める。周りの兵士たちはそれに応じ「おう」「ああ」などと困惑交じりの相槌を返していた。
今度はジンが困惑する番だった。パルストス? アイル? 聞いたことが無い。言い方からして国名だろうが、何の話だか皆目見当もつかない。そして途中に飛び出した“魔法大国”という言葉。これもまた聞き覚えの無い単語だった。
「ここは……ステイル王国じゃないのか?」
生まれた疑問を素直に口に出した。
そして言ってから気づいた。自分はこの村から出たことが無い。したがって、この時代の常識的なものが一切分からない。もしかしたら、思いついた可能性だけが頭で主張している。
「ステイル!? そんな国は何百年も前に滅んだ」
ここまで読んでいただきありがとうございます! 定期更新頑張りますので、感想! 評価! よろしくお願いします!




