【一話完結】夢を録画したはずが、モニターの中では既に『私』が映像を見ている
地下四十メートル。先端技術研究所。
脳が焼ける臭いがした。
オゾンと電子回路の排熱。その中央で、葛城は剥き出しの基板を見つめていた。
一年の不眠が彼の頬を削ぎ、瞳には、もはや科学者のそれではない、餓えた獣の光が宿っている。
プロジェクト発足からわずか一年。
普通なら基礎研究すら終わらない短期間で、彼らは「それ」を形にした。
「主任、各ユニットの同期、完了。……ですが、やはり冷却系が安定しません。基板の露出部から熱が逃げ切っていない」
エンジニアが不安げにモニターを指す。葛城は、その数値を一瞥して短く答えた。
「構わない。演算さえ生きていればいい。外装の美しさは後回しだ」
葛城陽太、二十八歳。
この若さで二十名のブレインを率いる彼は、天才という言葉では片付けられない「飢え」を抱えていた。
一年の突貫作業で、彼の頬は削げ、瞳には過度の集中による異様な光が宿っていた。
彼らの視線の先にあるのは、ドリームレコーダー試作機『DREX-0001A』。
それはおよそ「完成品」と呼ぶには程遠い代物だった。
本来保護されるべきケースは半分も取り付けられず、緑色の基板が剥き出しのまま脈動している。
継ぎ接ぎのジャンパ線が血管のようにのたうち、回路の隙間からは冷却用のファンが不格好に突き出していた。
「……始めるぞ」
葛城は自ら、その無骨な鋼鉄の冠を手に取った。
背後には、彼に心酔し、あるいはその狂気に引きずられるようにして一年間を駆け抜けた専門家たちが控えている。
誰もが「夢の映像化」という不可能な命題を形にすることだけを考えてきた。
葛城は冷たい端子を自らの頭部に接続していく。
「主任、本当にいいんですね。強制導入は脳への負担が――」
「一年待たせた。これ以上、一秒も無駄にはできない」
葛城は助手の言葉を遮り、投与スイッチを自ら押した。
腕を走る熱い感覚。
視界が歪み、ノイズ混じりの白が広がっていく。
葛城は、不格好なDREXの隙間から漏れるLEDの点滅を最後に見つめ、意識の底へと沈んでいった。
――人類を新しい世界へ
肩を掴まれ、乱暴に揺さぶられる衝撃で葛城は意識を浮上させた。
「主任! 起きてください、主任!」
耳元で、信号処理担当の岡田の声が響く。
視界が焦点を結ぶ。葛城のすぐ横で、岡田はモニターの数値に食い入るように身を乗り出していた。
立ち上がった葛城は、端子の跡が残る額を拭った。そこには、既にプロジェクトチームが集まっていた。
だが、異様な光景だった。
全員が、メインモニターに釘付けになっていたのだ。
「再生の準備、できています」
岡田はモニターの正面に陣取ったまま、操作パネルを叩く指を止めない。
葛城は、スタッフたちの肩越しに、中央に表示されたタイムコードを凝視した。
【16:04:12】
「……十六時間?」
葛城の声が掠れた。
「馬鹿な。私は八時間しか眠っていないはずだ。導入剤の投与時間から逆算しても、絶対に有り得ない」
「せ、正常です」
岡田はモニターを見つめたまま答えた。
「波形データも、同期信号も、すべて正常に一秒ずつ刻まれています。
主任……あなたは八時間の睡眠の間に、十六時間分の『何か』を体験していたんです」
研究室に、静止画のような沈黙が流れた。
誰もがこの驚愕の事実に隣の人間と顔を見合わせることすらせず、まるでモニターに魂を吸い込まれたかのように前方だけを見つめている。
葛城自身もまた、その異常な数字に心を奪われ、「なぜ?」という思考の渦に叩き込まれていた。
「……全員、持ち場に戻れ!」
葛城は、モニターを睨みつけたまま鋭く叫んだ。
「岡田以外のエンジニアは各ユニットのログを全抽出。……品管はデータの重複がないか徹底的に洗え」
「かしこまりました!」
その号令を合図に、スタッフたちが一斉に動き出した。
彼らは弾かれたように自分のデスクへと戻り、キーボードを叩く乾いた音が地下室を満たしていく。
その迅速すぎる動き、張り詰めた緊張感。葛城はその熱量に満足し、自分もまた最前列のシートに深く腰を下ろした。
ついに、夢を映像化したのだ。
一年間の焦燥、カフェイン浸りの夜、周囲の懐疑的な視線――すべてがこの瞬間のためにあった。
モニターの光が葛城の瞳に反射し、達成感が全身の疲労を麻痺させていく。
「再生しろ。岡田、お前も横で見ろ」
「はい」
岡田が葛城の隣に並ぶ。
映像は驚くほど鮮明だった。
スピーカーから溢れるスタッフたちの歓声。映像の中の葛城は快活に笑い、周囲と喜びを分かち合っている。
葛城は、画面の中で賑やかに動く自分の姿を、恍惚とした表情で見つめていた。
「主任、……これ」
岡田が、映像の片隅にあるブラウザのウィンドウを指差した。
そこには、あるニュースサイトが表示されている。
「おかしいです。その記事……さっき配信されたばかりの、今日のニュースですよ」
「なんだと?」
葛城が身を乗り出す。為替情報のテロップ、トップニュースの見出し。
それは間違いなく「今」の現実と一致していた。
だが、この映像は昨夜の睡眠中に記録されたものだ。
「昨夜の夢に、今日の昼のニュースが映っている……?」
葛城と岡田は、戦慄を隠せないままモニターを凝視した。
映像は、さらに早送りされていく。
そこには、まだ誰も見ていないはずの、数時間後の「未来」が映し出されていた。
解析作業は、苛烈を極めた。
実験棟に籠る二十名のブレインは、一分一秒を惜しんでキーボードを叩き続けた。
モニターに次々と映し出される「夢の記録」と、現実の時間軸で発生した「出来事」の照合作業。
午後三時。
葛城の手元にあるエナジードリンクの空き缶が、さらに三本増えた頃、結論は出た。
「……一致率、百パーセント」
岡田が、掠れた声で報告した。
彼は依然としてメインモニターから目を離さず、葛城にその背中を向けたまま、震える指でグラフを指し示した。
「為替、株価、未確認だった海外の事故速報、さらには一時間後に届いた内閣府からの通達メール。
文字の一言一句に至るまで、昨夜主任が見た夢は、現実と完全に重なっています」
葛城は、吐き気すら覚えるような高揚感に包まれていた。
「予知夢……なんて陳腐な言葉では足りない。これは『現実の完全な先取り』だ」
映像の中の葛城は、まだ現実の自分が手にしていないはずの新型デバイスを使いこなし、未発表のプロジェクトの問題点を正確に指摘していた。
「だが、なぜ八時間が十六時間になる?」
葛城の問いに、岡田は答えなかった。
代わりに、別のエンジニアが背を向けたまま、カタカタと乾いたタイピング音と共に呟いた。
「……時間の密度が、我々の知るそれとは違うのかもしれません。あるいは、DREXが脳の演算速度を強制的に引き上げているのか」
「調査が必要だ。この不可思議なタイムラグ、そしてこの情報の出所を」
葛城は、迷うことなく実験台を指差した。
「……再実験を行う。三十分後だ」
葛城はスタッフたちの反論や同意の声を無視して、重い足取りで実験棟の重厚な扉を開けた。
背後から聞こえる喧騒を、今はただのノイズとして振り払う。
廊下に出ると、空調の唸る音が遠ざかり、微かな静寂が葛城を包んだ。
彼は突き当たりにある手洗い場へ向かい、冷水を吐き出させた。
掌に溜めた水で何度も顔を洗う。突き刺さるような冷たさが、カフェインに依存した脳を僅かに覚醒させた。
ふと、葛城は濡れた顔を上げ、正面の鏡を見た。
目の下のクマは、くっきりと浮き出していた。充血した眼球、細かく震える瞼。
鏡の中の自分は、誰の目にも明らかなほど限界に達している。
(……流石に、この再実験を終えたら、しっかりと休息を取ろう)
葛城は鏡の中の自分の瞳をじっと見つめ、そう思案した。
この一回さえ乗り越えれば、人類の歴史が変わる。
その確信だけが、彼の肉体を辛うじて繋ぎ止めていた。
休憩スペースのソファに座る。その証明まで、あと一歩だ。
実験棟へ戻ろうかと思案した際、壁の張り紙が視界に入った。
いつもの「避難経路図」の文字がひどく霞んでいて、内容が読み取れない。
(……視覚野まで疲労が来ているな。限界だ)
葛城はそれを再度認識しつつも、頬を強く叩いて気合を入れた。
実験棟の扉を押し開ける。
そこには、二十名の部下たちが忙しそうに最終準備を進める光景があった。
機材を運び、ケーブルを繋ぎ、モニターの数値をチェックする。
研究現場特有の、激しくも統制された動きだ。
葛城がコンソールの前に座る岡田に近づくと、岡田は作業の手を止めず、背中越しに声を上げた。
「すいません主任、いま準備できるところです。あと少しだけ、お待ちを!」
「……わかった。急げ」
岡田の焦りを含んだ声を聞き、葛城は頷いた。
実験台に深く腰を下ろすと、葛城は自ら、不格好なヘルメット――DREX-0001Aを手に取った。
それを深く被った瞬間、葛城の視界は完全に遮断され、暗黒に包まれた。
直後、数人の助手が葛城の周囲に集まってくる。
視界がない中、複数の手が慣れた手つきで彼の頭部に端子を接続し、配線の微調整を行う感触だけが伝わってきた。
「導入剤、投与します」
暗闇の中で、誰かの声が響くる。
腕に走る僅かな熱さ。
葛城は暗闇の中で、成功の予感と共に、意識を底知れぬ深淵へと投げ出した。
二度目の目覚めは、暴力的なまでの喧騒の中にあった。
「主任! 起きてください! すぐに、すぐに確認を!」
視界を塞いでいたDREXの冷たい感触が強引に引き剥がされる。葛城は眩しさに目を細めた。
周囲ではスタッフたちが、残像を残んばかりの速度で立ち働いている。
「……データを、出せ」
葛城は這いずるようにメインコンソールへと向かった。
二十名のブレインたちが、狂ったような速度でタイピング音を響かせている。
メインモニターの中央、赤いデジタル数字が葛城の網膜に突き刺さった。
【19:07:49】
「……十九時間だと?」
葛城は息を呑んだ。
昨日の十六時間すら依然として謎のままなのに、今日はさらに増えている。
なぜだ。四時間半しか眠っていない現実と、この十九時間という記録。
説明のつかない矛盾に苛立ちを覚えつつも、葛城は逃げ場を失った科学者の本能で、その「異常」を観測し始めた。
「再生しろ」
映像が流れ出す。昨日と同じ、実験棟の光景だ。
だが、そこには決定的な乖離が起きていた。
モニターの中の葛城たちは、あの日見た「予知夢」の検証などしていない。
彼らは全く別の、見たこともない複雑な数式をホワイトボードに書き殴り、熱狂的な議論を交わしている。
あちら側が、独自の意志を持って加速している。
「……おい、岡田。どういうことだ。なぜ俺たちは別のことをしている」
葛城は答えを求め、隣に座る岡田の肩を掴もうとした。
だが、その手が止まった。
ある可能性に、気づいてしまった。
それを言語化することが、あまりにも恐ろしい。
「……なあ、岡田」
掠れた声が、自分のものではないように響く。
「もし、あの映像が予知夢ではなく……私の、実際の記憶だとしたら」
「もし、私たちが夢で、この観測している映像こそが現実だとしたら……」
葛城が岡田に振り向いた。
岡田はそこにいた。だが、覗き込んだ彼の頭部には、表情という概念そのものが欠落していた。
滑らかな、起伏のない肉の面。
あるべき場所に目も鼻も口もなく、ただモニターの光を鈍く反射するだけの「未完成の皮膚」がそこにある。
葛城は悲鳴を上げようとした。だが、喉が震えない。
いや、そもそも自分は今まで、本当に音を発していたのか?
「快挙です!」「さすが主任だ!」
スタッフたちの歓声が聞こえる。しかし、それは鼓膜を震わせる「音」ではなかった。
音のない概念が、直接脳内に流し込まれている。
彼らが喋っているのではない。
葛城自身が「彼らはこう喋るはずだ」という予測を、自らの意識に強制的に上書きしているだけだった。
ここにあるすべての会話は、葛城の記憶が捏造した残響に過ぎない。
葛城は、虚ろな表情であたりを見渡した。
見回したらどこもかしこも、デタラメだった。
文字は潰れ、計器は溶けて、同僚は輪郭以外は空っぽ。
「……ああ、そうか。もう限界だったんだな」
葛城は、崩壊を始めた視界の中で、休憩室の鏡に映った自分の顔を思い出した。
あの深いクマ。
あれは、四時間半の睡眠すら惜しんでDREXを回し続けている、現実の「俺」が発していた悲鳴だったのだ。
その苦痛だけが、このデタラメな世界に唯一流れ込んでいた本物の感覚だった。
世界が剥離していく。
強固な壁は砂状のノイズへと還り、スタッフたちの身体は輪郭すら失って情報の渦に呑まれていく。
「もうすぐお目覚めかな、俺? ……眠れなかったんだろ、そりゃ大成功したあとだから」
ここは、本物の葛城陽太が眠りの中で見ている、あまりに解像度の高い「記録」の一部でしかない。
葛城は、満足げに微笑んだ。
意識というが分解され、情報の海へと還っていく。
この夢が終わる時、あちら側の葛城陽太は、誰よりも早く未来を手にし、誰よりも早く「限界」を超えていく。
葛城は、ひどい吐き気と共に意識を浮上させた。
脳裏には、数日間を不眠不休で戦い抜いたような、凄まじい疲労の重みがのしかかっている。
視界が揺れる。ここは、どこだ?
仰向けの背中に、実験台の硬い感触。
胸元には、無数の脳波計のリード線が、死んだ血管のように絡みついている。
「……主任、大丈夫ですか?」
岡田の声だ。
葛城が視線を向けると、そこには見慣れた顔があった。
夢の中で見た「滑らかな肉の塊」ではない。隈が浮かび、ひどく心配そうに歪んだ、本物の人間の表情。
「……悪夢を見た」
葛城は、掠れた声で語り始めた。
「それも、明晰夢だ。……はっきりと覚えている。岡田、お前の顔には目も鼻もなかった。
壁の文字は『文字』という形はしているが、意味を識別できない。
会話をしているつもりが、実はただそう認識しているだけで、実際には一言も音を発していないんだ」
異変を察し、数名の部下たちが集まってくる。
誰もが、主任の尋常ならざる様子に息を呑んでいる。
「主任……DREXの実験から二日経ちますが、またあの夢を見たのですか? どのような内容でしたか?」
「夢の中でも……俺は、DREXで『前日の夢』を見ていると思い込んでいた」
葛城は、自分の震える手を見つめた。
「装置で録画した『前日の夢』を見ているその日の夢は、『今日の体験』の記憶そのものだった。
……だから、未来を先取りする予知夢のように見えてしまった。恐ろしいのは、ここだ。
俺は一度しかDREXを使っていないのに、脳内には三回DREXを使った記憶が刻まれている」
葛城の瞳には、底知れぬ恐怖が宿っていた。
「脳が、昨日の現実と、さっき見た夢の区別を失っている。
……今、俺の頭の中には、二つの『十九時間』が同居しているんだ。
昨日の現実として過ごした十九時間と、夢の中でDREXを見続けていた十九時間。記憶が、物理的にダブっている」
実在しないはずの「偽物の記憶」が、現実の記憶と同じ強度で脳に焼き付いてしまう地獄。
この装置が一度でも引き金を引けば、人間は「今」という主観を失い、汚染された過去のループに囚われる。
「録画してはいけなかったんだ。
睡眠という記憶の洗浄プロセスを、意識で追体験すること自体が、人間というシステムの致命的な欠陥を突く行為だった」
「俺は、これからどうなると思う?」
部下の一人が、沈痛な面持ちで葛城の証言を記録し終え、タブレットの画面を閉じた。
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DREX実施試験 報告書
機密区分:極秘(レベル4)
重要事項
本デバイスの使用は、被検者に対し不可逆的な精神的負荷および現実認識障害を誘発する危険性が確認された。
1. 概要
本試験は、被検者1名に対しDREXを用いた単回(1回のみ)の「夢像観測」を行い、その後1週間にわたり脳機能および精神状態を観察することで、デバイスの低負荷性を証明する計画であった。
当初のシミュレーションでは、単回使用による脳へのリスクは極めて低いと判断されていたが、実機試行において設計段階で想定されていなかった「再帰的フィードバック現象」が発生。
被検者の精神崩壊が急速に進行したため、観察期間を繰り上げ、2月21日をもって試験を緊急中断した。
2. 試験経過記録
2月18日 ベースライン維持
状態:心身共に健康。
事項:予定通り単回使用による録画プロセスを完了。異常なし。
2月19日 予兆(想定外の挙動A)
状態:通常業務を実施、現実感喪失症の兆候。
事項:前日の夢の抽出に成功。しかし、睡眠時に「当日の記憶」をDREXの記録形式で再体験する未知の挙動が発生。被検者はこれを「予知夢」と誤認。この時点では一時的な機能亢進と判断され、観察を継続。
2月20日 崩壊開始(想定外の挙動B)
状態:通常業務を実施、重度の睡眠障害、現実感喪失症の深化。
事項:覚醒時間が19時間に達する。睡眠時、脳内での記憶処理が回帰し、現実と夢の境界が消失。被検者が夢の中で明晰夢状態へ移行し、夢の世界は支離滅裂に崩壊。
2月21日 現実認識の喪失(試験緊急中断)
状態:深刻な精神疾患。
事項:記憶の重複により客観的現実の認識能力に深刻な障害。睡眠時の脳波・精神活動の脳波波形が既知のパターンから逸脱。
3. 最終判定
DREXの使用は、当初の想定を大幅に超え、人間の「時間軸」および「記憶の洗浄プロセス」に不可逆的な汚染を引き起こす。
「一度でも引き金を引けば、観察期間中に自己崩壊が進行する」というデバイスの本質的な欠陥が露呈した。
現行の試験プロトコルは完全に破綻しており、本デバイスの即時廃棄および関連データの永久封印を勧告する。




