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獣の王は花嫁にもう一度恋をする  作者: けもこ


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8/10

8

朝食の食堂。

自分の隣で、温かなスープにパンを浸して食べているビアンカの横顔を眺めながら、ロイドの胸の底には、先日のヨナスの忠告がゆっくりと浮かび上がっていた。


『いつまでも、このままってわけにいかない』


――そんなこと、わかっている。

けれど獣人が置かれている今の立場は、どうしたって飲み込めるものじゃない。


『黒牙の群れ』が英雄扱いされ始めた今こそ、社会の空気そのものを動かしたい。

ロイドには、焦りに近いほどの思いがあった。


人の社会の中でも、「獣人への扱いはおかしい」と声を上げる者が増え始めている。

とりわけ教会を中心に、人と獣人のどちらにも公平な扱いが必要だと訴える運動が、形になり始めていた。


自分には、仲間たちが正当に扱われる世界らねばならない、という使命がある。

そして――憂いなく、ビアンカと並んで生きられる場所を作りたい。


ビアンカの母が無残な死を迎えたとき、ロイドもビアンカも、何の力も持たない子どもだった。


ロイドの母・マチルダが「この子を育てさせてください」と屋敷の主人に頭を下げたとき、驚くほどあっさり、それは許された。

だからロイドは、主人にも獣人への情が少しはあるのだろうと――ビアンカが、思いがけない偶然で再び“母の姿”を目にする、その日まで信じていた。


ロイドと同じように、ビアンカも七つになる頃には厨房や洗濯場で働き、手伝いに精を出すようになった。

使用人たちは二人を可愛がり、客が残した菓子を分けてくれた。二人で馬小屋の藁の陰に身を寄せ、甘い欠片をこっそり齧ったり、町へのお遣いに連れ立って出かけて、ほんの少しだけ寄り道をしたり。


いつだって、二人は一緒だった。


やがてビアンカはお仕着せを着せられ、来客へ茶を運ぶ役を命じられた。

その頃には、彼女の美しい容貌は、成長した先さえ想像させるほど際立っていて――使用人の間では、まるで当然のように囁かれた。


「いつか、どこかの貴族に売られる」

――そう、彼女の母のように。


(どうすれば、ビアンカの運命を変えられる?)


ロイドは少しずつ金を貯め、ここから逃げる段取りを考え始めた。だが簡単じゃない。追われて捕まれば、どんな罪を着せられるかわからない。


そんな折、馬車の修理道具を引き取りに行った鍛冶屋で、ジョナサン・クレイグという男に出会った。


鍛冶屋を出た帰り道、学校帰りのウサギ獣人の少女が、柄の悪い男たちに連れ去られそうになっているのに出会った。

ロイドは反射的に割って入ったが、返り討ちに遭った。少女を逃がすことはできたが、代わりに自分が袋叩きにされ、骨が軋むほどの暴力を受けた。


――殺される


そう確信した瞬間、男たちの動きを止めたのは、ジョナサンだった。


彼は、お尋ね者の革命派のリーダーだった。


隠れ家で治療を受け、彼らの話を聞くうちに、ロイドはいつの間にか、自分の内側に溜め込んできた苦しさを打ち明けていた。

しかも、彼らが摘発しようとしている貴族たちの名と、自分が仕えている屋敷の主人の名が一致していた。

ロイドは、彼らの活動の内偵役として手を貸すことになった。


ビアンカを危ない目に遭わせたくはなかった。

でも、彼女に秘密を作ることはできず、事情を話すと彼女は迷いもなく言った。


「そんなの、私が一番近い場所で探れるじゃないの」


――この家の悪事が露呈したら、ここを出よう。二人で。

その希望だけが、当時の二人の胸を支えていた。


そしてある日、ビアンカは主人の書斎の奥に“隠し部屋”があることを見つける。

革命派が探している、貴族と現王室を結びつける違法な証拠が、そこにある――そう思った。


だが、忍び込んだ彼女が目にしたのは、証拠書類ではなかった。


おびただしい数の獣人の剥製。

美しく装飾された木の台座に、全身、胸から上だけ、首だけのものが並べられていた。


そして部屋の最奥。静かにたたずむように飾られた剥製を見た瞬間、ビアンカは膝から崩れ落ちた。


「……お、母さん」


病に伏した母親は、主人の“計らい”で遠方の病院へ療養に出され――そのまま戻って来なかった。

残酷な真実を目の当たりにした時、このままにはしておけない、という強い思いがさらに二人の心に宿った。


屋敷を飛び出し、革命派に身を投じ、貴族や悪徳商人の摘発にのめり込んでいった。


しかし、活動が過激になるにつれ、人を含む多種族の集まりだった革命派は、次第に一枚岩ではなくなっていく。


宰相と当時の王太子を討つため、王城へ潜り込んだ夜。

内部の裏切り者によって、リーダーだったジョナサンは命を落とした。


別働で動いていたロイドたちが掴んだ証拠で、宰相と王太子を失脚させることには成功した。

けれど、その事件を境に革命派は離散し、実働部隊だったロイド率いる『黒牙の群れ』だけが残った。


追われる身となり、各地を転々としながら義賊として生き延び――今に至る。


◇◇◇


「隣国では、異種族の婚姻が正式に認められたそうよ」


新聞を読んでいたビアンカが、記事を差し出してくる。

向かいの席のグルドは、口をつけていたコーヒーカップを静かに置いた。


「この国にも、獣人の参政権や教育義務は昔から“ある”さ。……隣国の法も、建前じゃなきゃいいがな」


法は、獣人のもとには平等に降ってはこない。

この国でそれを執行するのは“人”であり、しかも“貴族”という特権階級なのだから。


「隣国は、階級制度がなくなって久しいわ。この国より、意識が変わるのは早いんじゃないかしら」


ビアンカは自分が食べきれなかったパンを半分にして、ロイドの皿へ寄せた。


「そうだわ、ロイド。町で使ってる屋台、だいぶガタが来てるの。誰かに言って、一度持ち帰って直してもらえないかしら」

「ああ。ミゲルに言っておく。次の休みに鍛冶屋へ行くって言ってたし、ついでに馬で引いて帰ってもらおう」


ロイドは言いながら、別の紙をテーブルに広げた。どこかの屋敷の大まかな見取り図だ。

ビアンカが首を伸ばして覗き込み、同じ卓につくグルドとテルサも視線を落とす。


「……地下か。挟まれると厄介よね。出口が屋敷に近いし……この経路でいける? 追い込まれたときは、狭い通路は使わない方が無難だと思う」

「だな。なるべく空の見える逃走経路で組むよ」


図面を追ううちに、ビアンカの胸に小さな違和感が刺さった。


「ねえ。この家、誰の家なの?」


ロイドが図面の端を指で叩く。

『JW邸』


「あの保安官か……」


グルドの呟きに、卓が一瞬、沈黙する。


「この間持ち出した資料をヨナスのところで洗わせた。保護の名目で貧民街から保安官事務所に引き取られた子どもが、行方不明になってる件――その収支と、この前の帳簿の根っこが繋がった」


ロイドの言葉が落ちた途端、皆の空気が固くなる。


「……そうか。大詰めだな」


グルドが低く言う。

その声を合図にしたみたいに、全員がいっせいに図面と帳簿の写しへ目を落とした。

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