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朝食の食堂。
自分の隣で、温かなスープにパンを浸して食べているビアンカの横顔を眺めながら、ロイドの胸の底には、先日のヨナスの忠告がゆっくりと浮かび上がっていた。
『いつまでも、このままってわけにいかない』
――そんなこと、わかっている。
けれど獣人が置かれている今の立場は、どうしたって飲み込めるものじゃない。
『黒牙の群れ』が英雄扱いされ始めた今こそ、社会の空気そのものを動かしたい。
ロイドには、焦りに近いほどの思いがあった。
人の社会の中でも、「獣人への扱いはおかしい」と声を上げる者が増え始めている。
とりわけ教会を中心に、人と獣人のどちらにも公平な扱いが必要だと訴える運動が、形になり始めていた。
自分には、仲間たちが正当に扱われる世界らねばならない、という使命がある。
そして――憂いなく、ビアンカと並んで生きられる場所を作りたい。
ビアンカの母が無残な死を迎えたとき、ロイドもビアンカも、何の力も持たない子どもだった。
ロイドの母・マチルダが「この子を育てさせてください」と屋敷の主人に頭を下げたとき、驚くほどあっさり、それは許された。
だからロイドは、主人にも獣人への情が少しはあるのだろうと――ビアンカが、思いがけない偶然で再び“母の姿”を目にする、その日まで信じていた。
ロイドと同じように、ビアンカも七つになる頃には厨房や洗濯場で働き、手伝いに精を出すようになった。
使用人たちは二人を可愛がり、客が残した菓子を分けてくれた。二人で馬小屋の藁の陰に身を寄せ、甘い欠片をこっそり齧ったり、町へのお遣いに連れ立って出かけて、ほんの少しだけ寄り道をしたり。
いつだって、二人は一緒だった。
やがてビアンカはお仕着せを着せられ、来客へ茶を運ぶ役を命じられた。
その頃には、彼女の美しい容貌は、成長した先さえ想像させるほど際立っていて――使用人の間では、まるで当然のように囁かれた。
「いつか、どこかの貴族に売られる」
――そう、彼女の母のように。
(どうすれば、ビアンカの運命を変えられる?)
ロイドは少しずつ金を貯め、ここから逃げる段取りを考え始めた。だが簡単じゃない。追われて捕まれば、どんな罪を着せられるかわからない。
そんな折、馬車の修理道具を引き取りに行った鍛冶屋で、ジョナサン・クレイグという男に出会った。
鍛冶屋を出た帰り道、学校帰りのウサギ獣人の少女が、柄の悪い男たちに連れ去られそうになっているのに出会った。
ロイドは反射的に割って入ったが、返り討ちに遭った。少女を逃がすことはできたが、代わりに自分が袋叩きにされ、骨が軋むほどの暴力を受けた。
――殺される
そう確信した瞬間、男たちの動きを止めたのは、ジョナサンだった。
彼は、お尋ね者の革命派のリーダーだった。
隠れ家で治療を受け、彼らの話を聞くうちに、ロイドはいつの間にか、自分の内側に溜め込んできた苦しさを打ち明けていた。
しかも、彼らが摘発しようとしている貴族たちの名と、自分が仕えている屋敷の主人の名が一致していた。
ロイドは、彼らの活動の内偵役として手を貸すことになった。
ビアンカを危ない目に遭わせたくはなかった。
でも、彼女に秘密を作ることはできず、事情を話すと彼女は迷いもなく言った。
「そんなの、私が一番近い場所で探れるじゃないの」
――この家の悪事が露呈したら、ここを出よう。二人で。
その希望だけが、当時の二人の胸を支えていた。
そしてある日、ビアンカは主人の書斎の奥に“隠し部屋”があることを見つける。
革命派が探している、貴族と現王室を結びつける違法な証拠が、そこにある――そう思った。
だが、忍び込んだ彼女が目にしたのは、証拠書類ではなかった。
おびただしい数の獣人の剥製。
美しく装飾された木の台座に、全身、胸から上だけ、首だけのものが並べられていた。
そして部屋の最奥。静かにたたずむように飾られた剥製を見た瞬間、ビアンカは膝から崩れ落ちた。
「……お、母さん」
病に伏した母親は、主人の“計らい”で遠方の病院へ療養に出され――そのまま戻って来なかった。
残酷な真実を目の当たりにした時、このままにはしておけない、という強い思いがさらに二人の心に宿った。
屋敷を飛び出し、革命派に身を投じ、貴族や悪徳商人の摘発にのめり込んでいった。
しかし、活動が過激になるにつれ、人を含む多種族の集まりだった革命派は、次第に一枚岩ではなくなっていく。
宰相と当時の王太子を討つため、王城へ潜り込んだ夜。
内部の裏切り者によって、リーダーだったジョナサンは命を落とした。
別働で動いていたロイドたちが掴んだ証拠で、宰相と王太子を失脚させることには成功した。
けれど、その事件を境に革命派は離散し、実働部隊だったロイド率いる『黒牙の群れ』だけが残った。
追われる身となり、各地を転々としながら義賊として生き延び――今に至る。
◇◇◇
「隣国では、異種族の婚姻が正式に認められたそうよ」
新聞を読んでいたビアンカが、記事を差し出してくる。
向かいの席のグルドは、口をつけていたコーヒーカップを静かに置いた。
「この国にも、獣人の参政権や教育義務は昔から“ある”さ。……隣国の法も、建前じゃなきゃいいがな」
法は、獣人のもとには平等に降ってはこない。
この国でそれを執行するのは“人”であり、しかも“貴族”という特権階級なのだから。
「隣国は、階級制度がなくなって久しいわ。この国より、意識が変わるのは早いんじゃないかしら」
ビアンカは自分が食べきれなかったパンを半分にして、ロイドの皿へ寄せた。
「そうだわ、ロイド。町で使ってる屋台、だいぶガタが来てるの。誰かに言って、一度持ち帰って直してもらえないかしら」
「ああ。ミゲルに言っておく。次の休みに鍛冶屋へ行くって言ってたし、ついでに馬で引いて帰ってもらおう」
ロイドは言いながら、別の紙をテーブルに広げた。どこかの屋敷の大まかな見取り図だ。
ビアンカが首を伸ばして覗き込み、同じ卓につくグルドとテルサも視線を落とす。
「……地下か。挟まれると厄介よね。出口が屋敷に近いし……この経路でいける? 追い込まれたときは、狭い通路は使わない方が無難だと思う」
「だな。なるべく空の見える逃走経路で組むよ」
図面を追ううちに、ビアンカの胸に小さな違和感が刺さった。
「ねえ。この家、誰の家なの?」
ロイドが図面の端を指で叩く。
『JW邸』
「あの保安官か……」
グルドの呟きに、卓が一瞬、沈黙する。
「この間持ち出した資料をヨナスのところで洗わせた。保護の名目で貧民街から保安官事務所に引き取られた子どもが、行方不明になってる件――その収支と、この前の帳簿の根っこが繋がった」
ロイドの言葉が落ちた途端、皆の空気が固くなる。
「……そうか。大詰めだな」
グルドが低く言う。
その声を合図にしたみたいに、全員がいっせいに図面と帳簿の写しへ目を落とした。
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