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獣の王は花嫁にもう一度恋をする  作者: けもこ


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「……ロイド」


グルドが、呼びかけの仕方を少し変えた。

戦う時の声じゃない。昔、寝床の藁を分け合っていた頃の、同じ群れの声だ。


「ビアンカが生きてる可能性はある。だから――今はおまえにしかできないことを先にやってくれ」


ロイドが顔を上げた。その目は赤い。泣いたわけじゃない。眠っていない獣の目だ。

グルドは一瞬だけ眉を動かした。情が出そうになるのを押し殺す顔だ。


「頼む。群れの指揮を取れ」


グルドは淡々と言う。

ロイドは唇を開いたまま、何も言えなかった。胸の奥で、何かが引き裂かれている。前へ進みたい身体と、引き返さねばならない理性が、同じ骨に繋がって喧嘩をしている。


「……テルマは?」

「さっき合流した。上流の枝道と、岩場の奥を当たってる。ミゲルも、夜目の利く連中を選んで散らした」

「ネイサは」

「川沿いの町道を押さえた。もし流れ着くなら——朝、誰より先に見つける」


ロイドの喉が鳴った。ヴィー、という名が舌の上に乗りかけて、飲み込んだ。

今それを出したら、戻れなくなる。


「……会談が上手く整ったら、すぐにまた戻る」


グルドは頷いた。


「おまえがやろうとしていることが、ビアンカの戻って来る場所を作る」


その一言が、ロイドの背骨を真っ直ぐにした。

戻って来る——ビアンカは必ず生きている。


ロイドは息を吸い、吐いた。吐く息が震える。震えを噛み砕くように、命令を形にする。


「……グルド」

「おう」

「テルマに伝えろ。夜明けまでは“無理に川へ入るな”。足を取られて流されたら終わりだ。岩場の際と、引っ掛かりやすい浅瀬だけを当たれ。——匂いの“白”を探せ。香水じゃない、血と泥の匂いの下の、白銀だ」


グルドは即座に頷く。


「ネイサには、流木が溜まる曲がりを重点に。上流の枝川の合流点も見ろ。村の人間には口止めを。『白狼の女』の話が広がったら、ハイエナが寄る」

「了解」


ロイドはさらに続けた。言葉にしなければ、心が崩れる。


「俺が王都に戻ったら、……どんな手を使ってでも、明日の捜索に人と道具を回させる。川止めの柵、網、灯り。必要なら、改革派の名で徴発ちょうはつする」


グルドの片目がわずかに細くなる。ロイドが“黒狼王”の顔に戻った証拠だ。


「最後に」


ロイドは一瞬、言葉を探した。喉の奥が熱い。


「見つけたら、真っ先に俺に遠吠えを飛ばせ。それが“生”であっても…死であってもだ」


グルドが、短く息を吐いた。


「わかった」


沈黙が落ちる。川音だけが大きい。


ロイドは、手綱を握ったまま、身体だけがまだ下流へ引かれているのを感じた。馬が一歩引き返そうとするたび、内臓ごと持っていかれるような痛みが走る。


「ロイド」


グルドが、最後の一押しをするように言った。


「ここは俺が残る。——ビアンカが望んだ、お前の役目を果たしてこい」


彼の声は掠れていた。

ロイドは馬の首を回し、来た道へ向けた。だが、最後に一度だけ振り返る。闇の川へ、山肌へ、白銀の影を探す目で。


——ヴィー。


喉の奥で呼びかけて、声にはしなかった。


その代わり、ロイドは低く、短く遠吠えを落とした。群れに告げる合図ではない。祈りでもない。


――必ず、迎えに来る


そう言って、踵で馬腹を蹴る。


馬が走り出す。闇が背後へ遠ざかるたび、ロイドの胸の肉が削れていく。それでも、止まらない。止まれば、今度こそ戻れなくなる。


背中で、グルドの声が飛んだ。


「ロイド! 王都へ着いたら、まずクレイグ卿に——!」


返事はしなかった。できなかった。


ロイドはただ、まっすぐ前を見て走った。


前へ進むために、今夜だけ、後ろを置き去りにした。身を引きちぎられる思いで。

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