16
「……ロイド」
グルドが、呼びかけの仕方を少し変えた。
戦う時の声じゃない。昔、寝床の藁を分け合っていた頃の、同じ群れの声だ。
「ビアンカが生きてる可能性はある。だから――今はおまえにしかできないことを先にやってくれ」
ロイドが顔を上げた。その目は赤い。泣いたわけじゃない。眠っていない獣の目だ。
グルドは一瞬だけ眉を動かした。情が出そうになるのを押し殺す顔だ。
「頼む。群れの指揮を取れ」
グルドは淡々と言う。
ロイドは唇を開いたまま、何も言えなかった。胸の奥で、何かが引き裂かれている。前へ進みたい身体と、引き返さねばならない理性が、同じ骨に繋がって喧嘩をしている。
「……テルマは?」
「さっき合流した。上流の枝道と、岩場の奥を当たってる。ミゲルも、夜目の利く連中を選んで散らした」
「ネイサは」
「川沿いの町道を押さえた。もし流れ着くなら——朝、誰より先に見つける」
ロイドの喉が鳴った。ヴィー、という名が舌の上に乗りかけて、飲み込んだ。
今それを出したら、戻れなくなる。
「……会談が上手く整ったら、すぐにまた戻る」
グルドは頷いた。
「おまえがやろうとしていることが、ビアンカの戻って来る場所を作る」
その一言が、ロイドの背骨を真っ直ぐにした。
戻って来る——ビアンカは必ず生きている。
ロイドは息を吸い、吐いた。吐く息が震える。震えを噛み砕くように、命令を形にする。
「……グルド」
「おう」
「テルマに伝えろ。夜明けまでは“無理に川へ入るな”。足を取られて流されたら終わりだ。岩場の際と、引っ掛かりやすい浅瀬だけを当たれ。——匂いの“白”を探せ。香水じゃない、血と泥の匂いの下の、白銀だ」
グルドは即座に頷く。
「ネイサには、流木が溜まる曲がりを重点に。上流の枝川の合流点も見ろ。村の人間には口止めを。『白狼の女』の話が広がったら、ハイエナが寄る」
「了解」
ロイドはさらに続けた。言葉にしなければ、心が崩れる。
「俺が王都に戻ったら、……どんな手を使ってでも、明日の捜索に人と道具を回させる。川止めの柵、網、灯り。必要なら、改革派の名で徴発する」
グルドの片目がわずかに細くなる。ロイドが“黒狼王”の顔に戻った証拠だ。
「最後に」
ロイドは一瞬、言葉を探した。喉の奥が熱い。
「見つけたら、真っ先に俺に遠吠えを飛ばせ。それが“生”であっても…死であってもだ」
グルドが、短く息を吐いた。
「わかった」
沈黙が落ちる。川音だけが大きい。
ロイドは、手綱を握ったまま、身体だけがまだ下流へ引かれているのを感じた。馬が一歩引き返そうとするたび、内臓ごと持っていかれるような痛みが走る。
「ロイド」
グルドが、最後の一押しをするように言った。
「ここは俺が残る。——ビアンカが望んだ、お前の役目を果たしてこい」
彼の声は掠れていた。
ロイドは馬の首を回し、来た道へ向けた。だが、最後に一度だけ振り返る。闇の川へ、山肌へ、白銀の影を探す目で。
——ヴィー。
喉の奥で呼びかけて、声にはしなかった。
その代わり、ロイドは低く、短く遠吠えを落とした。群れに告げる合図ではない。祈りでもない。
――必ず、迎えに来る
そう言って、踵で馬腹を蹴る。
馬が走り出す。闇が背後へ遠ざかるたび、ロイドの胸の肉が削れていく。それでも、止まらない。止まれば、今度こそ戻れなくなる。
背中で、グルドの声が飛んだ。
「ロイド! 王都へ着いたら、まずクレイグ卿に——!」
返事はしなかった。できなかった。
ロイドはただ、まっすぐ前を見て走った。
前へ進むために、今夜だけ、後ろを置き去りにした。身を引きちぎられる思いで。
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