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黄金の恵実

作者: まさつき
掲載日:2025/11/06

 口の中は不愉快な酸味と苦味でいっぱいで、腹の中はすっかり空になっていた。


 船内の床に両手をつく僕の目の前には、吐きたてほやほやの嘔吐のあとが、汚怪な泥だまりを作っている。匂いも酷い。


「タケルくん大丈夫?」と聖母のように優しくいたわってくれるのは、通信士のヒメノ先輩。だけど今は、彼女の吐く息がひどく臭くて耐えられない。


「だらしないやつだな」と強がりながらも突き放すのは、機関士のコウジだ。


 角刈りの偉丈夫は見るからに、さぞかし胃も精神もたくましい健啖家なのだろう。サバイバル能力も高そうな同期のこいつは、口の端についた茶色いものをぺろりと口に含めた。


「……だいじょうぶ」


 ようやくひとこと答えたけれど、大丈夫なもんか。だって……ウンコを喰ったんだぞ。平気な顔でいられる君たち二人のほうが、どうかしてるよ。


 やむにやまれぬ事情で、僕たち三人はウンコを喰った。それを汚物と知ったのは、ついさっきのこと。もちろん、自分たちが出したものじゃない。そんな趣味は無いし、衛生的にも栄養的にも食べる道理がない。


 食べちゃったのは、異星生命体の排泄物。それも、まだきっとこの宇宙で誰も知らない新種の、未知の〝イキモノ〟がひり出したものをだった。スキャナーの解析結果が毒性と有害細菌共に無し、地球人類にとって最適な栄養源であると百パーセント保証しているとしても。ウンコはやはり、ウンコなのだ。


「とにかく、僕はもうこんなものは絶対に食べない!」


 力強く宣言した僕に、二人はそろって異議を唱えた。


「あなたが発見して持ち帰ったんじゃない」

「そうだ、最初に実食したのだってお前じゃないか。覚悟を決めるんだな」


 まるで僕の責任みたいに言うけど、それなら自己責任で食べないと決めるだけだ。


「ウンコなんて思わなかったの! 無知は罪だ。知った以上は僕には無理っ」


 ふくれる僕に子供をあやすような視線をヒメノさんが向けてくるのは、少し痛い。


「植物は動物が吐く二酸化炭素を吸って酸素を出すでしょう。その酸素を私たちは吸い込んで……それと同じだよ?」


 才媛らしくヒメノさんはもっともらしいことを言う。たしかに僕たち地球の動物は、植物たちと互いの排出物を交換する共生関係にあるともいえる。だけど。


「ヤだヤだっ! ウンコはウンコなの!」


 駄々っ子みたいだと自分でも思った。


 でも、どうやっても人糞同然にしか見えないコレを、命に係わるとはいえ食べなくてはいけないなんて。味だって匂いだってそのまんま。


 いや、味は実際には知らないが……胆汁の味が染み込んでひどく苦いとかなんとかって、聞いたことがあるし……。


 ――そもそも、こんなことになったのは。


 僕が操縦する航宙宅配船が、超光速空間から通常空間へ復帰した途端、見知らぬ惑星に激突寸前となったことが発端だった。ちょうど、まる一日前の出来事だ。


 ヒメノさんとコウジは僕が勤める星間貨物運送会社の同僚。いつもどおりの定期航路を、いつもの三人チームで安心安全に航行していたはずなのに。配送先の宙域へ出現した瞬間、航行不能に陥った。


 コウジの機関士としての腕は一流だ。信頼している。整備不良なんてあり得ない。その彼が大慌てで動力炉や推進機関の点検に走り回っても、原因は不明のまま。


 ヒメノさんが救難信号を出そうとしても奇妙な電磁波に邪魔されて、返ってくるのはノイズの嵐ばかり。船のサポートAIも、不明不明とだんまりだ。


 僕は予備電力と補助推進機を頼りに慣れない手動操縦を行って、重たい貨物倉庫は切り離し、どうにか地表に激突しないことだけを目標に、祈ったこともない神様に祈りを捧げながら、目の前の天体への不時着を試みた。


 そうして、僕たちの運行する空荷になった宇宙船〈ブラックキャット〉は、この未知の惑星に遭難したというわけだ。


 僕らはせせこましい仮眠室に集まって、これからの対応を話し合った。会合は、ヒメノ先輩の残念な報告から始まった。


「この星がどこにあるのか、まるでわからないの。ここが配達宙域なのかすら」

「航宙図にも載ってない宙域なんて、今どきあるわけないじゃないですか」

「そうなんだけど。おかしな電磁波に邪魔されて現在地を観測できなくて」


 しょぼんとする美人をなじってしまった僕に、コウジが険しい目を向けてくる。


「それと、もうひとつ。こっちが大問題なんだけど」と、いよいよ深刻な顔をするヒメノさんに、僕らは身構えると――


「食料が全部ダメになってて。非常用も含めて放射線で汚染されて」


 今度は僕がコウジを睨む番だ。まさか、動力炉から放射線が漏洩? いや、そんなことがあれば船は丸焼き、今頃僕らは生きていないはずか……。


 もともと、宅配船の運航日程は長くても標準時間でせいぜい二泊三日。航行不能になったとしても既知宙域での事故だ。すぐに救助がかけつける前提だから、非常食も二日程度しか常備しない。それが全部ゴミになったなんて――いきなり餓死への運命を突きつけられて、僕は真っ青になっていたと思う。しかし、コウジは違った。


「とにかく、やれることをやるしかない。ヒメノさんは現在地の特定をお願いします。俺は機体整備に専念するから――タケル、お前は周辺調査にでも行ってこい」


 どうせ船の操縦しかできないだろと、コウジはでかい体で無言の圧をかけてきた。


「わかったよ」と不満げに答えてしまってちょっと後悔したけれど、ヒメノさんの言葉に少しだけ希望を持って前向きになれた。


「広域スキャナーが密度の高いアミノ酸の反応を検知しているの。食料に加工できるかもしれない。そんなに遠くないところだから、がんばって」


 そう言われて送り出された僕は、鉱物資源だけは豊富らしいこの荒涼とした星の大地を、配達用の小型トラックでひた走った。四角い山やら丸や三角の丘陵が遠くに見える。奇妙だけど単調な星の風景を語っても面白くもないだろうから、そこは端折ろう。で、変わり映えのない荒野を走行した果てに出会ったのが、おかしなイキモノだった。


 最初に目にしたときは、異星文明の遺跡かと思った。背の低い十本ほどの石柱が円を描いて立っているように見えたからだ。でも近づいてみれば、それは植物のようだった。携帯スキャナーを向けると、返ってきたのはヒメノ先輩が教えてくれたアミノ酸の反応そのもの。いきなりアタリを引けるなんて。そのときはなんて運がいいんだと思ったけど――


 異星生命体は、太くて縦長の丸いサボテンみたいな形で、背丈はだいたい百センチあるかないかぐらい。本体からは、四方に四本の枝か根のようなものが生えていた。触手かもしれない。その上に、節穴か眼孔のようなものが同じく四つ空き、幹のてっぺんには折り畳みの蒸し器に似た花のようなものが乗っていた。表皮全体は茶色くて硬そうだ。


「動かない……よな?」


 こんな生物(?)見たことがない。新種なら学者先生が学名でも付けるだろうけど、第一発見者は僕なのだ。さしずめ〝タケリアン〟とでもしておきたい。でも今は単に〝イキモノ〟とだけ呼ぶことにした。


 イキモノがまったく食用に適さないのは携帯スキャナーの結果がすぐに教えてくれた。内部はまんべんなくたんぱく質が詰まっていて肉の塊と言えたが、一緒に無数の金属繊維も巻き込んでいたのだ。まるで地球産高級和牛、霜降り肉の脂肪みたいに。


 がっかりする僕を救ったのは、イキモノたちが作る輪の中にたくさん落ちていた茶色の泥団子たちだった。好反応が出ていた。人体に無害、最適な栄養源の可能性有り、と。


 飲まず食わずでもう半日経とうとして空腹に勝てなかった僕は迷わず、小さな丸いソレをひとつ、口にしてしまった。星の大気もなぜか人間が呼吸できる組成だったから、宇宙服のバイザーも開けられたのだ。


 口に入れた瞬間、後悔した。


「んンむぅぅぅぅぅぅん……っ」


 苦くて苦くて呻きしか出ない。見た目は丸いダークチョコレートだけど、軽く数十倍は苦かった。飲料チューブから一気に水を吸い込んでも、口の中は苦味でいっぱいなままだった。けれど、まあ。胃に落ちてしまえば「食べられないことはないな」だ。後口の奥底に、意外な旨味も感じられたし。


 とりあえず、少し臭いなと思いながら目につく丸いのをできるだけ拾い集めて、ビールケース三箱ぐらいを食料サンプルとしてトラックの荷台に乗せた。


 きっとこれは、この植物らしきイキモノが落とした果実か何かだぞ……そのときは、本気でそう信じて作業をしていたんだ。


 さらに八時間ほどかけての帰り道で、ようやく宇宙船にいる二人の元に戻れたとき。僕は植物だと信じていたイキモノたちが、動物であったと知ったのだった。


 出発したときにはいなかったイキモノの群れが、船の周りに集まっていたのだ。ざっと五十体ほどか。地面には何かを引きずった跡があった。どこからか歩いてきたのだろう。血の気が宿ったのか、表皮の色は茶からうっすらピンクに変わっていた。心なしか柔らかそうな肌にもみえた。


 ヤツら何をしているのかと思えば、船外に廃棄された食料や排泄物の密閉パックに群がって……要するに、食っていた。どうせ雑に捨てたのはコウジの仕業。でも、まさかイキモノを引き寄せてしまうだなんて。想像できなかったとしても、それは仕方がない。


 生餌に興味を示すかと緊張したけど、イキモノたちは僕には眼もくれなかった。体の正面の触手は口らしい。先っちょから夢中で汚物を取り込んでいる様子を横目で警戒しながら、僕はトラックを船に収容した。


 この状況について聞こうと先輩とコウジの顔を見に行ったら、二人ともそれぞれの簡易ベッドにつっぷしていた。僕が出かけてからほぼまる一日、緊張と疲労と空腹でぶっ倒れたんだろう。


 ヒメノさんを優しく起こし、コウジをどついて叩き起こすと、僕はこれこれしかじかとイキモノの実を持ち帰った経緯を報告した。


 船外に集まったイキモノたちに、二人は気づいていなかった。眠っていた間にやってきたらしい。船外モニターに映るヤツらを見て、重たい瞼をパッチリと開けた。


「タケルくん……あれ、なに??」


「報告したイキモノだと思います。動物だったんだなあ。危険はないみたいなんで、とりあえずほっときましょう」


 呑気な口調で答えてみた。正直僕も不安だけど、先輩を怖がらせたくはない。実際今のところは、危ない目にはあっていないし。


「それよか、これなんですけど、食料候補」と、空腹であろう二人のために、あらかじめトラックの荷台から小分けに詰め替えて持ち出した、食料サンプルのケースをお披露目した。蓋を開けたとたん――


「ダゲル、だにをぼっでぎだんだっ!?」


 鼻をつまんでしかめっ面をして、コウジが涙目で叫んだ。ヒメノさんもどこからか取り出したハンカチで口元を押さえていた。


 収集したときはクサいな程度だったけど、密閉された船内でこの匂いは強烈だ。でも、嗅覚なんて意外と慣れてくるもんだから、大丈夫だろう。


「匂いも味も酷いけど、人畜無害な栄養源ですよ」と、スキャナーの計測結果を二人に見せた。データに納得して、先に手を伸ばしたのはヒメノさん。女性のほうが生存本能が強いのかもしれない。女は度胸とばかりにぱくりと口に含めた。この上なく渋い顔をしながらも、しっかり咀嚼して嚥下した。口元をしかめていたが、意外と態度は冷静だ。


「僕は現地で食べてみた。あいつらが植物状態のときに落とす木の実みたいなものさ。ほらコウジも、やりなよ」


 いい加減な推測を言いながら、僕も二度目の実食に手を伸ばしつつ、機関士殿に食料サンプルを勧めた。涙目のまま僕とヒメノさんの顔を交互にしながら、覚悟を決めたコウジは思い切って一口で、ロクに噛みもせず泥団子を飲み込んだ。


「むぅぐぐぅぅぅぅ……」


 僕の最初の反応とおんなじだ。もみくちゃな顔をして、コウジは船外モニターに映るイキモノたちを指さした。


「あいつらの肉は本当に食えないのか? どうにか金属繊維を処理して――」


 コウジの指に釣られたのが、マズかった。イキモノたちが立ち止まり、震えていた。背面の触手の先から、何かを捻り出している。


 僕は見てしまった。十体ほどずつに分かれて輪を作り、その中心に目の前の団子と同じものを次々に、排出している場面を。


 僕は、知ったのだ。これは――


「これって、あいつらの、ウンコ……ぉおおぅ、おげぇええ――」


 あとは冒頭、ご存じの通り。


〝絶対食べない、ウンコはウンコだ〟などと態度を豹変した僕は、用具棚からデッキブラシを持ち出して、自分の冒した不始末を黙々と片づけた。そんな僕にコウジが珍しく、穏やかに声をかけてくる。


「食べないって、体がもたんぞ」

「ふん、人間水だけでも、一週間くらいはどうにかなるさ」


 ぶっきらぼうに、答えてしまう。


「その先はどうするの?」

「…………」


 ヒメノさんに返す言葉が見つからない。そんなことは、分かってる。こんな強情、続けられるわけがない。


「とにかく、今日はもう寝よう。一番休まないといけないのは、お前じゃないか」


 がさつに見えて、コウジは気のいい奴だ。だから気に入って、親友として付き合っている。「だね、おやすみ」と返事して、簡易ベッドに倒れ込むと、疲れのひどさを自覚した。そのまま昏倒。


 眠りから覚めると、先輩とコウジは仲良く朝食ウンコを摂っていた。


 やっぱり、ダメだ。吐き気を堪えて水だけを飲んだ。「無理しちゃだめだよ」とヒメノさんは気づかってくれたけど。


「大丈夫です」とだけ答えて、二人の手伝いや雑用を請け負った。僕はただのパイロット。やれることなんて、たいして無い。


 ところが、半日ももたず、倒れてしまったんだ。なんで? 昨日は飲まず食わずでトラックを転がしてたのに……気が遠のく……ヒメノさんの声……コウジの腕が――


    §


 ――爽やかな目覚めだった。すっきりしている。なんとなく、体も軽くて……いや、待て待て。おかしい。たしか強情を張って、たかが半日かそこらで倒れたはずで……あれ? 二人はどうした? ヒメノ先輩とコウジは。倒れてから何日経った? 船内はすっかりウンコ臭いし……。


 起き上がって二人を探しに行こうとしたところで、仮眠室の扉が開いた。


「よう、お目覚めかい」「気分はどう?」


 二人から同時に、声をかけられた。


 よかった、無事だったんだ。気がついたら僕だけが……なんてことになってなくて、本当に良かった。


「悪くない。ねえ、僕はどれほど寝ていたの? 救難信号は? 船は直った?」


 コウジとヒメノさんは入口に立ったままで、少し困ったような顔をしていた。


「そういっぺんに聞くな。お前が眠っていたのは、せいぜい三日ってところだ」

「三日も……でもそれなら、なんで僕は生きて、体も何だかすっきりしてて……」


 まともな医療設備なんて宅配船には有りはしない。せいぜい、ちょっとした外傷と体調不良に備えた応急薬がある程度だ。点滴なんてないのだし、どうやって栄養補給ができたんだ? たった半日で気を失った僕が三日も――あれ? なぜかヒメノさんが赤面していることに、僕はようやく気がついた。


「先輩、あとは俺が話しますんで」


 コウジがそう言うと、ヒメノさんは「うん、よろしくね」と言い残して仮眠室を出ていった。それを見届けると、コウジはドアを閉め、対面に椅子を置いてどっかりと腰掛けて、僕の顔を覗き込んで口を開いた。


「お前が元気にお目覚めなのは、ヒメノさんのおかげだ。彼女が、お前に食べさせたんだ。その……イキモノたちの、ウンコを……口移しで」

「……は?」


 何を言ってるんだ? 冗談だろと返すのが精一杯の僕に、コウジは重たげに首を横に振るのだった。


「お前の衰弱が酷くてな。おそらく、この星の環境に適応するのに不可欠なのだろうと、ヒメノさんは推測して……」


 とにかく、どうにか例のモノを食べさせるしかないと、考えたらしい。ヒメノさんは、原始的だが最も効果的な方法を選んだ。噛んで含めて、僕の口に直接流し込んで――


「感謝しろよ。もう、意地を張るのはやめにしろ。生きることだけを考えるんだ」

「……だね。切り替えるよ」


 正直、わだかまりはある。でも、ヒメノ先輩の献身を無下にはできない。好きでもない男のために、そこまでしてくれるだなんて。


「それにな。いざとなったら、船を飛ばせるのはお前しかいないんだぜ?」


 ぽんと肩に、コウジの大きな手が乗った。


「俺たちは誰が欠けても生き残れないんだ」


 言われて少し、僕の目頭が熱くなった。


「それと……」と言葉を区切り、コウジはにやりと笑う。


「ヒメノさんのおかげで、ウンコ飯はこの三日でだいぶマシになりそうなんだ」


 コウジはそう言って笑みを浮かべたまま仮眠室を後にして、機関室へと去った。


 このときから、未知の惑星での遭難食糞生活が、正式に始まったんだ。


 それともうひとつ、忘れちゃいけない大事なことがある。イキモノにも食料を与えなければならないことだ。お互いに食べれば出るというのが自然の節理。僕はヒメノさんとコウジの手伝いをするほかに、我ら人類の排泄物を三人分集めて、毎日イキモノたちに振舞うという役目を担うことになった。けっこうな量がある。イキモノのフンは、僕らのお通じ事情も改善してくれたらしいのだ。


 恵みを頂き、僕たちからもイキモノたちにとっての恵みを与える。人間と異星生命体との奇妙な共生関係が、こうして成立した。


 ヒメノ先輩の食糞への研究と探求熱はすごいの一言だった。もともと勉強熱心な人だけど、学者でもないのにこれほどまで異星生命体のウンコにのめり込む女性であったとは。人ってほんと、分からないものだな。


 おかげでまず、匂いが改善された。イキモノのウンコは新鮮なものほど濃密に臭かった。文字通り鼻が曲がるほどに。それと比べれば僕が最初に持ち帰った物はさほどでもなかったから、排泄されて時間が経つほど臭気が揮発して薄くなるのではと、先輩は思い至ったらしい。船の補修材を戸板代わりにしてウンコ玉を並べ、風通しの良い場所を選んで二日ほど置くだけで、汚臭は〝独特の臭さ〟程度に落ち着いた。もちろん、僕らの鼻が慣れてきたこともあるのだけれど。


 さらに驚いたのは、味まで良くなったことだ。ばらばらにほぐし、天日干しにして水分を抜くと、苦味がずっと薄まり、旨味が凝縮されることが発見された。作業中は臭気との闘いになるから、ヒメノさんは宇宙服に身を包んで作業をしている。


 こうして、彼女のたゆまぬ努力と好奇心のおかげで、イキモノのウンコはついに汚物とは言えない立派な食材、珍味のひとつとなったのだ。「これで商売できるかも」なんてことまで、ヒメノさんは言い出していた。


 一方で、救難信号を阻む電波障害の原因解明がすっかりおろそかになった。仕方がないので、最近は信号の発信も含めて船のサポートAIの助けを借りて、僕が担当している。食生活が改善されるとなれば、僕もそちらを歓迎してしまうからでもある。


 コウジは機関部の不具合探しを、ウンコチップスの試作品をつまみながらやるようになっていた。こちらも本業にあまり身が入っていない様子なのが気になっている。


「地球にもブルーチーズやホンオフェなんて、癖はあるけど美味しいものがたくさんある。これもそのひとつなのかもしれないな」


 コウジは妙に珍味に詳しい。そんなに食道楽な男だったか? それとも暇つぶしに、ローカルネットワークのライブラリでも漁ったのかな。ヤツはとうとう、この味はクセになるよなあなどと、先輩のウンコ料理に舌づつみを打つまでになっていた。


 たしかに、人類の食文化には発酵食品を中心に、人を選ぶ珍味がいろいろとある。


 発酵したニシンの缶詰「シュールストレミング」。イヌイットの伝統食「キビアック」は、わざわざアザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させる。僕たちの母国、日本にもフナズシやクサヤなんてものもあり。果物ならドリアンなんかも、ある意味仲間だろう。匂いがきつく、独特の風味と旨味を持つ食物に、一度ハマれば病みつきになるのも世界共通。世界中の人々を魅了し続けている。ならば、そんな食材と僕らが宇宙で遭遇したとしても、何の不思議もないのかもしれない。


 ヒメノさんの糞料理開発は、手軽なスナック菓子にとどまらない。スープにしたり、丸く固めてハンバーグもどきにしてみたりなど、煮る、焼く、乾燥させる――できることはなんでも試しているらしい。


 食材としては、うまみ成分たっぷりでダシいらず。適度な甘味と塩味もあり調味料もさほど必要としない。ただ、他の食材が無いためにレシピの幅が極端に狭いことだけが難点だった。


 今も夕食として、ウンコ料理のフルコースが僕たちの食卓に並んでいる。薄めたウンコを水溶きしたビターなドリンクを傾けながら、コウジが少し匂う口で提案した。


「なあタケル。いい加減、ウンコだクソだというのはやめにしないか」


 たしかに。ウンコウンコ言うのもなあとは思う。でも、他に呼びようがない……。


「そうね。こうして私たちが生きていけるのは、イキモノたちのおかげ。これは彼らからの、まさに〝黄金の恵み〟だもの」


 弾む声でありがたそうにヒメノさんは云うけれど、〝黄金〟はさすがにマズい。それはダメです、特に先輩が言っちゃダメな使い方なんです。コウジに目配せをした。男同士、ここは分かってくれているようで、すぐにフォローが入った。


「シンプルに、これでどうですか?」


 コウジは手近なメモ用紙に胸元から取り出したペンを走らせて、なにやら文字を書き始めた。久しく見た覚えのない、それは日本の文字だった。


「恵みの実。〈メグ実〉でどうでしょう?」


 コウジはいかにも良いこと言った風にメモ書きを見せてくる。ヒメノさんがにっこり笑った。


「素敵ね、〈メグ実〉……うん、グミっぽくてかわいい名前かも」


 ……。ウンコに愛称つけてかわいいだなんてこの二人、いや、僕も含めて、いよいよイかれてきたんじゃあないか? でも、さすがに。ずっとウンコウンコ言い続けるのも、精神衛生上よくはない。だから。


「そっすね。〈メグ実〉、いいじゃないですか。そうしましょう」


 結婚して自分に娘ができたら、絶対にこの名だけは付けないことが確定したけど、まあいいだろう。


 なんだかすっかり、和気あいあい。遭難の緊張感まで薄れてきた。あれほど食糞を嫌がっていた僕も、今ではすっかり抵抗感が無くなった。それでも、食自体は他の二人よりもずっと細い。ヒメノさんは家族みたいにイキモノに接するようになっていたし、コウジなんか「おやつだぞ」なんて、わざわざイキモノの前で――


 そんな遭難生活が定着して、ひと月ほどが過ぎるころ。異変は突然、訪れた。


 いつも船の周りでぼんやりと揺れているだけ。食事のときと、恵みをもたらすときのみ活発になるイキモノたちが、奇妙な行動を取り始めたのだ。別に危険な行動をではない。同心円状に並んで三重の輪を作り、宙に向けて四本の触手を伸ばし、揺れながら震えはじめただけだ――そう、見えた。


「あいつら、何を始めたんだ?」


 船の外で遠目に様子をうかがう僕に、コウジがメグ実スナックをぼりぼりやりながら聞いてきた。


「さあね。結局僕たち、恵みを互いにやり取りするだけで、あいつらのこと、なにひとつ分かっちゃいないからね」


 あとから様子を見に来たヒメノさんは、キラキラした声で言う。


「新しい恵みを頂けるのかな? なんかちょっと、ワクワクするねっ」


 ヒメノさんはすっかり、〈メグ実〉の虜になったらしい。もし無事に帰れたら、彼女は料理研究家にでも転職するのじゃあないか。


 そんなことをぼんやりと考えていたら。片耳に嵌めた通信機のインカムに、救難信号の応答が突然飛び込んできて、我に返った。


 大慌てでコクピットへ走る。揺れるイキモノたちをぼんやり眺める二人を残して。


 通信機のマイクに向けて、僕は叫んだ。


「聞こえますか! こちら宅配船〈ブラックキャット〉。機体トラブルで未知の惑星に遭難して――」


 今までノイズまみれでまるで通じなかった通信がなぜ突然? そんな疑問はさておいて、救難信号の応答にすがっていた。


『聞こえるぞ〈ブラックキャット〉。君たちの救難信号をキャッチした。こちらは、旅客船〈ネオ・アスカ〉。聞こえるか? 君たち、まだ無事でいるのか?』


 穏やかで、頼りがいのある紳士の声が聞こえた。涙が出そうになった。


「聞こえます! 僕たち、宅配船の従業員で、知らない星に遭難して――」


『おお! 私は船長のマーカスだ。安心したまえ。必ず助ける。なぁに人助けだ。反対するお客は……お……らん……さ……』


 おい、どうした――などと、突然不穏な音声が耳に入った。いやまさか、そんな……無線のヘッドセットだけを手にして、船外へと飛び出した。イキモノたちの様子を、確かめなくちゃいけないから。


 みな、空を見上げて揺れている。ヒメノさんとコウジも揺れていた。


 暗い虚空に、船影らしきものが小さく閃いた。あれはきっと〈ネオ・アスカ〉だろう。もうこんなに近くに来ていたんだ。だがおかしい。あれじゃまるで、この星に激突しようとしているみたいじゃないか――


 イキモノたちの動きが激しくなる。振動音がブゥーンと鼓膜を叩いてくる。触手はまるで、船を手招きするみたいに波打っていた。


 もしやと思い、スキャナーを向けて電磁波を測定した。特殊な波形、でも何か見た覚えがある。そうだ、宇宙船を引っ張る牽引ビームの波形にそっくりなんじゃ……。


 ああ、そうか。そうなんだ。僕は気づいてしまった……そういうことだったのか。


 僕たちが遭難したのは、事故だったけど事故じゃない。招かれたんだ、この星に。彼らに。この、イキモノたちに。


 遠くに見える四角や三角の山の影。よく見れば、あれは風化した宇宙船なんじゃないのか? どうして気がつかなかったんだろう? なぜ疑問に思わなかった? 電磁波は電気信号として僕たちの脳にも作用して……。


 こんなやつらが、この星にはまだたくさんいるに違いない。みんな今頃、総出で空を見上げて、震えているんだ。船を、人を、呼び寄せようとして。


 共生関係なんかじゃなかった。僕たちは獲物、彼らイキモノたちに隷属するために招かれた存在に過ぎなかった。


 人はやがて死ぬ。そのとき、イキモノたちは眠るのだろう。植物のようになっていつか、新しい家畜の候補が宙に現れるその日まで。ずっとこのイキモノたちは、それを繰り返してきたんだ。


 いったいどうやってこいつらは、こんな生存方法に辿り着いたのか。ヒメノさんなら、分かるのかな……。


 あいにく僕には分らない。だって僕は、宙を飛べない、パイロットだから。


 ただ糞を食って糞をするだけの、血と骨と肉になり果てた人間に、過ぎないのだから。


〈了〉

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