飛び込み自殺
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「危ないですから黄色い線の内側までお下がり下さい」
お馴染みのアナウンスが耳に響いた。
その瞬間、「ドン!」という音が、身体全体に地響きほどに響き渡った。
「キィーン!」
ブレーキ音が身体に鋭く響いたが、それは無意味だった。
電車の下には真っ赤な血が鮮明に彩られ、顔面が跡形もなく崩れた死体。
その死体の周囲には肉片が飛び散り、骨が露出し、内臓が鉄の匂いを放ちながら地面に広がっている。
通行人の悲鳴が駅構内に木霊し、誰もが目を背ける中、スマートフォンで撮影する者。
駅員が駆け寄るが、すでに手遅れだった。
太陽は燦々と燃え、相変わらず人を温めていく。
だが、その光は地に濡れたホームをより鮮明に照らし、現実の残酷さを際立たせていた。
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「ピピピピ…!」
目覚まし時計の音が響いて、私、森下千尋は目を細めながら体を起こす。
手探りで止めて、しばらく天井を見つめた。
キッチンに降りると、母がすでに朝食を用意している。
湯気の立つ味噌汁と炊き立てのご飯、そして大好物の卵焼き。
母の向かいの椅子に座って、テレビのニュースを横目に朝食を口に運んでいく。
「今日は部活あるの?」
「あるよ。7時帰りくらいかな」
そんな会話を交わしながら、鏡に映る自分の顔を確認して、玄関の扉を開けた。
「行ってきます」
定期をタッチして、改札を通り過ぎていく。
「今が7時10分だからあと3分か…」
電子掲示板とスマホの時間を照らし合わせて、軽く胸算用を立てる。
電車がホームに到着し、スマホをカバンにしまった。
「危ないですから黄色い線の内側までお下がりください」
聞き飽きたアナウンスが流れ、電車がホームへ停止した。
ドアが開き、電車へと足を踏み入れる。
優季が今日はいない、か。
大体同じ時間の電車にいるはずなのに珍しい。
そして、なんだかいつもより人が多い気がする。
どこかの電車が遅延でもして、こっちに流れてきたのだろうか。
バックから教科書を取り出して、2時間目の歴史のテスト勉強。
1時間ほどして高校の最寄駅の青崎駅に到着した。
道を埋め尽くすほどいるはずの生徒が私一人だけしかいない。
なんだか悪い予感がする。
誰もいないうっすらとした廊下。
教室を覗くと1時間目の授業が行われていた。
8時20分を指すはずの時計は1時間後の9時20分を指して、平然と進んでいく。
「お、森下。遅刻だぞ、早く座れ」
促されるように自席に着き、教科書を広げた。
家の時計がズレていたのだろうか。
いや、でもそうならば、駅の電子掲示板もスマホもズレていたことになってしまう。
流石にそれはあり得ないだろう。
では、ゆっくり歩き過ぎたのだろうか。
いや、どんなにゆっくりでも20分程度の道を1時間以上もかけて歩いてきたなんてことは可笑しい。
一体どういうことなんだろう。
「優季。今日朝いつもの時間に駅来てたよね?」
「そうだよ。それなのに千尋、来なかったから心配したよ」
私にもたれかかって、柔らかい笑みを浮かべている。
「そっか。ごめん、ごめん」
やっぱり、そうだよな。
私が間違えたんだろうか。
解せない気持ちのままその1日を終えた。
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翌日、流石に昨日のようなことはないと思うが、一応1時間ほど早く家を出た。
そう、一応だ。
もしも万が一、昨日のようなことがあったら。
きっと起きない。
そう、きっと起きないと願っていたのに、電車に乗り込んだ時には時計はいつも通りの7時20分を回っていた。
スマホの時計を見つめたまま乗り込んでいたことで、どうやら電車に乗った瞬間に時間が1時間後に切り替わるということが分かった。
「千尋。今日はちゃんと来たんだね」
肩を叩いて、おどけた笑みを浮かべている。
いつも通り優季もいるし、時間は間違っていないのだろう。
これが俗に言うタイムスリップなのだろうか。
だが、現実でタイムスリップなんてことが起こり得るのだろうか。
休み時間、朝の現象をググった。
「電車 時間進む タイムスリップ」
スクロールを繰り返していくうちに、気になる投稿を見つめた。
「電車乗ったら時間進んでいたのですが、これは一体どういうことなのでしょうか?同じような経験をしたことのある人、連絡求む」
乗る前と乗った後の時計も添付されている。
急いでそこに返信を打ち込んだ。
「私も同じような現象に遭って、私の場合は1時間なんですけど。どういうことなんでしょうか」
そう送ると、即座に返信が返ってきた。
「自分だけでないというのは少し安心しました。他にも同じような現象に出くわした人がいるかもしれないので、探ってみます」との事。
原因が分かるまでは毎日1時間前に家を出なくてはならないから手間は多くなってしまうが、仲間がいるという事で、不安な気持ちが一歩和らいだ。
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明後日、学校から帰ると、先程の人から連絡がきていた。
「ネットで聞き込みをして、同じような現象に出くわした人を3人見つけました。情報共有をして原因を探っていくという事となりました。今週の日曜日10時、青山駅近くのカフェ集まりとなったのですが、ご都合いかがでしょうか」
丁寧な言葉遣い。
「了解しました」
短く返事をして、スマホを閉じた。
日曜日、緊張した面持ちで青山駅行きの電車に乗り込んだ。
カフェに入ると、他の4人は先に集まっていて軽い自己紹介が始まった。
連絡を取っていた会社員の男性、田中さん。
1つ年下の女の子、結さん。
会社員の女性、瑞樹さん。
高校3年生の男、寺井さん。
タイムスリップする時間は1人1人違うらしく、寺井さんは10分、瑞樹さんは30分、結さんは100分、田中さんは150分であること。
タイムスリップする場所はホームの黄色い線を越えた時だという事。
朝のその時間しかタイムスリップは起こらないという事。
などの収穫を得た。
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最初にこの不思議な現象が起こった日から1ヶ月ほどの月日が経った頃、田中さんから新聞記事が添付されたメールが送られてきていた。
‘’桜川高2 青崎駅にて飛び込み自殺‘’
大きく書かれた見出しに、憶測によって煽るように書かれた小さい文字。
高2、私と同い歳の子。
2014年9月13日、あの現象が起きた日の10年前の今日。
幽霊なんて言葉は信じていないけれど、始まった日も場所も同じだし、その子の地縛霊がみたいなものなのかもしれない。
悪寒が走って身震いする。
「辻褄も合いますし、この子の幽霊ってことですかね?」と送信。
メッセージアプリを閉じて、検索アプリに移動。
「青崎駅 飛び込み自殺」
凄惨な写真が流れてくる。
血がそこら中に飛び散って、体がぐちゃぐちゃに潰されている。
可哀想。
こんな姿で死んで、そりゃ未練もたくさんあるのだろう。
果たしてやりたい。
無関係な人の偽善だと思われたとしてもこんな形で終わった人生は辛すぎる。
辛すぎるよ。
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翌週の日曜日、以前に集まった時同様、私達はカフェ集合だった。
そこから、瑞樹さんと私、結さんと寺井さん、田中さんに分かれて聞き込み調査。
といっても、10年も前の出来事だから聞き込み材料を探すのにも一苦労。
駅員さん、ご遺族、目撃者など、田中さんのネットワークによって、粗方所在を知ることができた。
「じゃあ、私たちはご遺族に話を聞きに行こうか」
柔らかい風が舞う様な瑞樹さんの笑みにそっと心が馴らされていく。
「そうですね」
あの出来事についての話や学校の話、職場での悩みなどの会話をしながら、歩いていった。
ご遺族の家の目の前に着いて、スッと息を吸う。
自分が軽く緊張しているのを感じる。
瑞樹さんが力強くインターフォンを鳴らし、痩せ細った女性が扉の向こうから出てきた。
「あれ。あなた前に会ったことなかったかしら?」
軽く首を傾げて、瑞稀さんを見つめる。
「人違いかと…」
「そうですよね。ごめんなさいね」
女性が軽く会釈した。
「すみません。10年前のことについて個人的に調べていて、お話窺ってもよろしいでしょうか」
川のせせらぎのように穏やかに話す口ぶり。
「そうなのね。上がっていって。最近は来客も来ないからちょっと汚いけど」
そう前置きしてゆっくりとした調子で家の中へ促される。
「お邪魔します」
居間に付くと、女性は緑茶を出してくれ、ゆっくりと我が子の話を始めた。
「私の娘の友梨佳はね、それは本当にとてもいい子でね。気立てもよくて学力も優秀で、凄くいい子だったのよ。だから悲しい事件ってだけで終わらせないでほしいのよ。ご愁傷様です、ご愁傷さまですって確かに悲しいけど、だからって友梨佳を悲しい人みたいに…」
話に一段落がついたころ、瑞樹さんが「少し質問よろしいでしょうか」と声をかけた。
「あら、ごめんなさいね。話す機会が最近はないものだから。質問どうぞ」
「友梨佳さんの自殺の原因って?」
「分からないわ。でも、それでいいのよ。人の真意を全て探ろうとする気にはなれないから」
一連の質問を終えて、感謝の意を述べて帰ろうとすると、「せっかくだからあの子の部屋も見ていってあげてよ」と促された。
彼女の部屋はこの家の中でも一段と片付いていて、当時のまま残されていた。
教科書、スポーツバック、漫画…。
どれもどこにでもいるごく普通の高校生のものだ。
その瞬間、広げられたノートに挟まった封筒のようなものが目に留まった。
「ああ、それはラブレターよ。クラスメイトの男の子に友梨花が書いたものよ。まあ渡せなかったみたいだけどね」
優しく手に取ると、ゆ友梨花さんが生身の人間だったんだという事実が伝わってきて震えた。
遺族の方に見送られ、私達は家を後にした。
「あの、瑞樹さん。もし自殺するとしたら、渡せなかったラブレターってとっておきますかね?」
「確かに見られたら恥ずかしいか。でもさ、伝えるのが怖くて、でも伝えたいみたいな場合もあるかもだよね」
含みをこめた笑いを浮かべる。
「なるほど」
でも、それなら相手の家に届けるとか、もっと伝わりやすい場所がに置くとか色々あったんじゃないだろうか。
悶々とした気持ちの中、私は家路に着いた。
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「私が今回の調査で得た情報です。10年前から働いていた駅員さんのご協力のもと、防犯カメラの映像を見せてもらいました。
動画を添付いたします」
丁寧に書かれたメールと添付された動画を確認する。
再生ボタンをタップすると鮮明な雑音が耳に入り、グロテスクな映像へと切り替わっていった。
動画の終わり間際、騒然とした状況の中、場違いに笑みを浮かべる人の姿が吸い込まれるように目に入っていった。
友梨花さんと同じ制服を着ていることから同じ高校の生徒ではないだろうか。
同級生が死んだのに笑っている。
つまり、その人を恨んでいる。
そして、最悪の場合はその人が殺した。
残酷なことに、その高校生の顔に見覚えがあった。
まさか。
あの人が。
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そう、犯人は瑞稀さんだ。
防犯カメラの写真の件、田中さんのツテによって立証された科学的証拠を盾に問い詰めると難なく白状した。
「まさか、ここに来たせいでバレるとはね…」と、達観するように呟いていた。
5人を集める前に、通報していてくれた田中さんとも合流し、事件は解決。
瑞稀さんも抵抗せずに警察に逮捕されていった。
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電車が踏切を通り過ぎていく音がなんの脈絡もなく一定のペースで駆けていく。
脱獄に成功した私はただただ呆然とその音を聞いていた。
田中さんのツイートを見かけて、面白そうだと乗ってしまったのが悪かったのだろうか。
いや、脱獄も成功した今、そんな事はどうでもいい。
そんな事よりも、これからどうするかを考えなくてはいけない。
選択肢としては、このまま電車に飛び込んでしまうか、整形やらをして逃げのびるか。
まあ、ここにいる時点でもうほとんど答えは出ているか。
ハアー。
どす黒い色をしているだろう私の身体中を回った二酸化炭素を吐き出した。
森下千尋。
どうせ、あんたは私の思考など絶対に理解し得ない。
してもらいたいとも思わないし、簡単に理解できるなんて言われる方が迷惑だ。
あんたは友梨花の家に落ちていたラブレターから自殺が不自然だと考えたのだろうけど、まずあれは友梨花が書いたものじゃない。
友梨花の筆跡に似せて私が書いた。
無意味なことだと、意味がわからないと思うだろう。
だけど、私にとって友梨花を殺すことすら今となっては無意味なことだ。
10年前のあの日、私は好きだった奴にフラれた。
今思えばなんで惹かれたのかもわからないどうでもいい奴だが。
私を振る文句として、彼が言ったのは「他に好きな人がいるからだ」。
そして、彼の友達らの会話を盗み聞きして、それが友梨花のことだと分かった。
それで、友梨花に嫉妬した、なんていう話ならまだ理解されただろうが、そうではない。
私は私を振った相手から冷めたかった。
殺した友梨花を見て、無惨に悲しむ姿を目の当たりにしたかった。
彼に罪悪感と後悔を植え付けされるためには、友梨花が彼を想っていたという証拠が必要だと思った。
だから、書いた。
誰もいない隙にカバンに手紙を忍ばせておくだけ。
簡単だった。
どうせ、この心理は誰にも理解してもらえない。
理解されたくもないし、それでいい。
だけど、理解されない世界でこのまま生きていたいとも思えない。
追い風に身を任せて、私は線路の上に飛び立った。
理解されない世界でここまで生き延びたんだから、もう悔いはない、と。




