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字習う時空間

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 そういえば、つぶらやくんは過去に儀式というか、おまじないめいたものを試したことあるかい?

 ひと昔前は、こっくりさんがだいぶ流行っていたんだけど、君のまわりではどうだった?

 オカルトの代表格として知られるけれど、科学的には集団催眠の影響と見られている説を聞くな。こっくりさんの手順は、催眠をかけるものとよく似ているというんだ。

 10円玉が動くのも、意識しないうちに参加者の誰かが動かしており、それをこっくりさんの憑依だと騒いでいるのだとか。その後に起こるとされる不可解なことも、催眠状態の身体と精神によってもたらされる不調に起因する。


 実際のところが、どこまで本当なのか僕個人としては判断しかねる。

 でもこのような特別な時間と空間を用意して、自分もそこに身を置くことで、普段とは違う何かに触れられると思うと、びくびくしたり、どきどきしたり、わくわくしたり……心をゆさぶられるものがあるね。

 ひょっとしたら、僕たちが部外者ゆえに気づいていないだけで、実はそこかしこでこの儀式めいた時間は作られているのかもしれない。

 僕の昔の話なんだけど、聞いてみないか?



 あれは習い事の先生の家へ行った時だったか。

 当時、字を習っていた僕にとって、先生の家へ行くまでもちょっとしたお出かけ気分。墨対策のために壁や廊下にびっしり張られた新聞紙たちを見ると、普段とは違う場所なんだと感じることができて、少しわくわくした。

 先生の家の玄関はガラスに引き戸。開けるときにどうしても音が立ち、来客はその存在を伝えざるを得ない。

 音とともに「お願いしま~す」と声をかけるのが、僕を含めたみんなのお約束。


 そのいつも触る引き戸の取っ手。長方形になっている上部分が、少し黒く汚れていたんだ。

「ははあ、誰かが墨を引っ付けちゃったんだな」と、ポケットティッシュを取り出した僕は、紙一枚で拭いにかかったのだけど、とれない。

 ついてから時間が経っているのか、わずかにも紙へ移ってくる気配がなかった。

 習字の時間ははじまりと終わりが決まっているが、いつやってくるかは個々人にゆだねられている。

 学校が終わったらすぐ、という子供もいれば、いの一番だったり時間ギリギリ参加だったりする大人までバリエーションはあった。

 ゆえに、時間が重ならない人は徹底的に重ならず、なじみの人同士と顔を合わせることがほとんど……というのが、暗黙の了解だった。

 それが、先生に礼をしながら入る、これまた新聞紙の敷き詰められた居間。いくつか連なる長机の上座にひとり、大人の女の人が腰を下ろしていた。

 これまで、会ったことがない人だと、少し身をこわばらせてしまう。部屋の入口近くに荷物を下ろした僕は、あらためて挨拶をしつつ先生のもとへ。

 ここでお手本をもらってから、今日一日はそれを書き、先生に合格をもらうまで何度も添削してもらう……というのが、いつものスタイルだった。


 席へ戻る前に、かの女の人をちらりと見やる。

 長い髪を後ろで一本にまとめている、40代くらいの女の人だろうか。少なくとも僕の母と同年代以上に思えた。

 しかも、服装は黒のセーターの上にブレザーを羽織っており、下もまた黒のロングスカート……と、仕事なりがあった帰りでの黒づくめときている。いつ墨が飛ぶか分からないこの教室には向いているのかもしれないけれど。

 毛筆の僕に対し、その人は硬筆の指導を受けているらしい。帳面に、先のとがった鉛筆で文を書いていっているようだ。

 僕自身、今日はいつもより早くに教室へ来ていることもあり、他の習字仲間はまだ来ていない。

 先生とあの人と自分。三人だけの時間が過ぎていくばかりとなった。



 今回のお題は漢字三文字+ひらがな一文字。

 毎月、作品の審査があるからそれに沿ったものが提示されるとのこと。先生直筆のお手本に従い、半紙を四つ折りにして黙々と筆を走らせていく。

 自分が、これと思う出来のものを先生へ見せに行き、朱の訂正をもらうのだけれども、僕が三回やる間も、あの硬筆の女の人は一度も先生へ文を見せには来なかったんだ。

 先生からの指導もきっちり受けないといけないし、席へ戻る途中にじっと相手の手元を見るのも礼を失するだろう。

 だから、ちらっと眼を向ける程度だったのだけど……その人の書く文字が、とっさに判別できない。


 ひらがな、カタカナ、漢字のいずれでもない。アルファベットでもない、未知の記号の羅列だった。

 世界にあるすべての言語を知っているわけじゃない。もしかしたら、いずれかに当てはまる字だったかもしれない。

 だが少なくとも、ここ日本の習字教室で書くべきものではないんじゃ……と判断するのは、難しいことじゃなかった。

 先生から添削をもらい、取り掛かる4枚目。仕上げるまでに納得がいかない出来のものも3枚ほどあって、つどやり直す。相応の時間もかかったはずだ。

 その間も、あの人は淡々と鉛筆を動かすばかり。先生に見せるどころか、足を崩すことも、トイレで席を立つようなこともせず、ひたすら姿勢を正して文字を書く。

 まるであの人のまわりだけ、異なる時間の流れ方をしているようなマイペースぶりに、さすがに怖くなってきたよ。


 かれこれ、書き始めてから一時間ほどが経っただろうか。

 僕が合格をもらって荷物をしまい始める時に至っても、彼女はまだ鉛筆を握っていた。

 やはり、先生に見せることもせず、ただ帳面に書きつける姿勢をキープしたままだ。

 先生も、彼女に対して何もいわない。普段、なかなか見せに来ない人には先生から寄っていき、進み具合などを確かめることがあった。

 それがない。ときおり、彼女の座る方を見るような仕草はあるものの、それ以上の発展には至らず。また机に向き直って、これから来るだろう子たちのお手本づくりを始めてしまう。


 ――本当にあの人は、ここで習っている人なんだろうか。


 そんな想像がよぎる。

 さすがに不審者であったなら、先生は何かアクションを起こすだろう。

 それがないということは、先生も事情をすでに知ったうえで受け入れている特別な相手、という線もあるのか……。


 そう考えかけたとき。

「ごとり」と、この居間の真上から何かを転がすような音がした。

 教室は二階建て。この居間は一階で、二階は先生とご家族の生活スペースにあたるはずだ。

 玄関入ってすぐのところに階段もある。ときおり、階段から降りてくるところで、ご家族とお顔を合わせてしまうこともあったが、互いに会釈する程度だった。

 その生活音が響いてきてしまうのも、今まで珍しいことでもなかったのだけど。


「ちょっと、帰るのは待ってもらっていい?」


 帰り支度を止められるのは、初めてのことだった。

 先生は席を立つと、「いいですか?」といわんばかりに、あの硬筆の女性に視線を注ぐ。

 女性もまたそれを受けると、鉛筆と帳面を抱えもちながらすくっと立ち上がる。二人は連れ立って居間を出て、ほどなく階段を上がる音が響いてくる。


 やはり、訳ありの人だったらしい。

 しかし、どのような事情があったにしても、僕は部外者のはず。ならば、この場にいないほうが都合がいいだろうに、なぜいる必要があるのだろう?

 勝手なことをして、怒られるのはごめんだけど、理由が分からないのは気になるものだ。

 二人を見送ってから一分ほど。道具一式をしまい、足を崩しながら待ちの一手な僕は、ついと帰りに通る廊下を見やり、「ん?」と首をかしげる。


 あのたっぷり用意された、壁や廊下の新聞紙たち。

 そのそこかしこに、墨汁を思わせる黒い塊が浮かんでいるんだ。

 僕が来た時は、新聞紙たちにもともと記載されていた記事の文字や写真だけだったはずなのに、真新しい墨が出しゃばっているんだ。

 居間の外へ作品も道具も持ち出さない僕に、汚してしまう道理はない。先生も彼女も、墨に類するものは持ち歩いていないはず。それがなぜ……。


 そう考え出した矢先。

 また二階から転がす音が。しかも直後、僕の目の前一メートルほど先の新聞紙へ、ぽたりと黒いしずくが上から垂れて、新しいしみを作ったんだ。

 二階から漏れてきた、とすぐ察せられたけれど、ほぼ同時に先生が「帰るな」と指示してくれた理由も知れた。

 黒いしずくは、新聞紙へ触れた先から白く湯気を出して、溶かすような気配を見せたんだ。

 時間はほんの一瞬。せいぜい新聞紙にかろうじて穴を開ける程度だったとはいえ、もし人肌相手だったら、わずかな穴が開きそうになるだけでも十分な惨事だ。

 思わず口へ手をやって、僕は悟るよ。いくら玄関までの間が短かろうと、こいつが漏れ落ちて当たってしまうリスクを考えたら、動くことを許しはしないだろう、とね。



 それから数分程度して、先生たちは戻ってくる。

 あのあとも、何度か二階から転がる音がしたけれど、いまはピタリとおさまっていたよ。

 そして、硬筆に取り組んでいた女性の持つ閉じた帳面。そこには鉛筆のみを相手にしていた今までだったら付着することもないだろう、新聞紙と同じ黒いしみがべったりとついていたんだ。

 正体は分からないが、あの転がる音を立てる主を抑えるために、彼女はあそこにいて、準備をし続けていたのかもな、と思うんだ。

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