後編
目と目を合わせたふたり。
男の屍など初めからなかったかのように、ふたりは互いに近寄って手を合わせる。
左手と左手だ。
「この合図を覚えておるのかっ?」
「まさか、山吹美禰様が生まれ変わりをなさろうとはっ」
「違うのだ」
「は?」
「ワシは今、人間の少年に憑いておるのじゃ」
「なるほど。私が貴方を見つけられなかったのは、そのため」
「なるほど。お前を探すために、この少年菜々臣の中に、実は・・・封じられておる」
「はっ?」
「すまぬ・・・面目ない・・・」
かぶりを振る『梅音』。
「ひとでありながら狐に嫁いだ前の世を忘れられず、私はまた、生まれ変わりました」
「約束通り、ワシの名にちなんで・・・そう、『山吹』色の香りがする・・・」
「よもや『気品が高い』貴方様が、ひとに封じられることを選ぶとは」
「夢にも思わなんだか?」
「いいえ、何度夢に思うたことかっ・・・」
「梅音っ」
「貴方様っ・・・」
ふたりは抱きしめあう。
その、数秒後。
だんだんと表情が変わる少年の顔。
「うわぁっ」
どん、と梅音をはね退けて飛びすさる『菜々臣』。
いつの間にか、人格交代してしまったようだ。
「お、おおおおおおおおお、男っ?」
「山吹美禰様っ?」
慌てすぎて変なおどりを踊っているかのような菜々臣が、動きを止める。
「え、今、何て?」
しりもちを突いた『梅音』が、起き上がる。
「なるほど、少年・・・」
「あのっ、ここらへんに山吹色の匂いをした方はおられませぬか?」
数秒の間。
「知りませぬ」
「ああ、そうですか・・・あの・・・山頂にお寺的なもの、あります?」
「ありませぬ」
「はっ?ないっ?」
「ありませぬ。向こう側の山に、あるとか、ないとか」
「あいたたた・・・間違えたんだ・・・どーしよー・・・」
額に手を当てる菜々臣。
そしてふらりと前につんのめる。
「あっ」
菜々臣の身体を支える梅音。
顔を上げた時には、山吹美禰になっている。
「すまぬ。人格の交代を制御するのは難しい。この身体の主は、男嫌いなんじゃっ。男が触れようものなら、すぐさま本能か何かが働いて、人格交代してしまうっ。今は最大の力を使ってお前に触れておるが、もう力が底をつきそうじゃっ。梅音、ワシはもう表に出ることはできぬっ。どうか新しい伴侶を探してくれっ」
「何を申されます、貴方様っ」
「ああっ、ひとに生まれ変わることができたならっ・・・」
「私がっ・・・私が女に生まれていたならっ・・・」
「梅音っ・・・」
「今生の別れの前に、一度だけ、この唇に愛のしるしを下さいませっ」
「わかった・・・」
「ひとには生まれぬさだめの山吹美禰様に会うには、妖払いの道しかなかったっ・・・」
「これは、またの世の約束じゃ」
「約束です」
「梅音・・・」
「貴方様・・・」
ふたりの顔がおもむろに近づき、口付けしたかのように見える視覚効果。
ほら貝の鳴り響く音。
それでもゆっくりとしか顔を離せないふたりは、見つめあったまま。
「このまま連れて去りたいが、よくしてもらったこのお人好し、巻き込むわけにはいかぬ」
「承知でございます」
「ははは。お前の口癖だ」
からめた手を、解いていくふたり。
「さらばだ、梅音・・・」
「また、次の世も・・・」
「きっとだ」
「きっと」
「何を泣いておる?妖の命は長い」
「今度はいつ、生まれるかっ・・・男か女かも分りせぬっ」
「男であろうとも女であろうとも、きっとワシは次の世も、お前を愛することだろう」
「山吹美禰様っ・・・」
「もう、行かねば・・・ひとの気配がする・・・」
「早ようお行きをっ」
「また会おうっ」
花道に向かって、走り出す山吹美禰。
そしてその途中、速度がゆるむ。
歩き始めると菜々臣が言った。
「ん?ああ・・・今、山を下っているんだな?」
「ああ、ああ・・・そうだ・・・」
「どうしたんだ?山吹美禰?」
「何がだ?」
「お前、泣いてるじゃないか」
彼の手が、ほほに伝った涙を拭う。
「これは汗じゃっ」
「心配するな、山吹美禰、向こうの山と間違えたんだよ」
「ああ、そうか・・・」
「うん。そうだ」
「ああ、そうか・・・しかしそれも、間違いだと知った。ワシはしばらく眠るから、お前は山を降りたら、しばらく好きにしておくれね」
「ああ、またガセネタだったのか・・・」
「おやすみ、菜々臣」
「おやすみ、山吹美禰」
菜々臣は、奈落を使ってゆっくりと退場。
舞台には、屍役と梅音の姿。
梅音は遠ざかっていく彼の後ろ姿を見つめている。
ドン。
太鼓の音。
『き』の音と共に、幕が閉まってゆく。
チョン。
チョン、チョン、チョン、チョン。
チョン。
チョン。
チョン、チョン、チョン。
チョン。
チョン、チョン。
チョン。
チョン。
チョン、チョン、チョン、チョン。
チョン。
チョ、チョン。
ドドン。