大森林の祭壇
イザベルは目を覚ました時、頭に固い感触があることに気づいた。
「おうお嬢様。起きたか。あんまり目ぇ覚まさないから襲っちまうとこだったぜ?」
アランに膝枕をされているからだった。
「アランになら襲われてもいいわよ?」
「ば、ばば、バカ言うない! 大人をからかうんじゃねぇよ! そ、それより具合はどうだ? まさか一発でベヒーモスを仕留めるとはよ……まだ信じらんねえよ。」
どうやらアランはからかうのは得意でも、からかわれるのは不慣れなようだ。
「それより、ここを離れなくてもいいの? 私はどれだけ寝てたのかしら?」
「三十分てとこだ。もし、魔力に余裕があるなら……ロバートを診てもらえねぇか。応急処置は済ませたが……どうもやべぇんだ……」
「早く言いなさいよ!」
イザベルは真っ青な顔色のまま、跳ね起きた。
「ちょっと! 何よこれ! 表面の傷を塞いだだけじゃない!」
胴体を巨大な牙で貫かれたのだ。まだ息があるだけ奇跡だろう。
「アラン! ここを少し切って!」
「え、あ、ロバートの腹をか!?」
「そう! 五センチでいいから!」
「わ、分かった!」
「スパッと切るのよ! 深さは三センチで!」
「くっ、無茶言いやがって……」
だが、アランはやってのけた。奥義を放った影響もあるだろう……傷つき酷使し、握力などもうないであろう手で、力を振り絞って。イザベルの注文通りに。
すると、イザベルは間髪入れずに傷口から右手を突っ込んだ。左手はロバートの喉に添えている。
「……これ……だめね……足りない。それに毒も……アラン! 私に魔力ポーションを飲ませて!」
「おう!」
だが……
「早く!」
今のアランの握力ではポーション瓶の蓋すら開けることができない。スパラッシュもバーンズも疲労のあまり、深い眠りについてしまっている。
「くっ、くそ……」
「アラン!」
「くそがぁぁぁーー!」
アランは、ポーション瓶の口を、噛み砕き、中身を口に含むと……そのままイザベルの蕾のような唇を奪った。抵抗なく受け入れるイザベル。
イザベルの喉が鳴る。
「……死ぬほどマズいポーションだけど……おかげで美味しく飲めたわ。帰ったら、血の味がしないものが欲しいわ。」
「お、おお……い、いくらでも飲ませてやるぜ……」
がらにもなく赤面するアラン。
「よし、損傷箇所が分かったわ。これで治せる……」
『臓腑修癒』
『解毒抜害』
ロバートが口から大量の血を吐いた。
「お、おいロバート!」
「大丈夫! もう終わったから!」
イザベルが傷口から手を抜くと、そこには傷などなかったかのようなロバートの腹部があった。
「お、お嬢様……て、手を!」
「ええ。ありがとう。ギリギリだったわ。もう、早く私を起こさないからよ。」
「わ、悪い。でも助かったぜ。だがお嬢様、やっぱりアンタは俺が惚れた女だ。雲の上の貴族のくせに……俺たち平民なんぞのために血と泥にまみれてくれるなんてよ……」
「ばかね。もう貴族じゃないわよ。今の私は貴族でも平民でもなく、ただの冒険者よ。だったら仲間のために命を張るぐらい何てことないわ。」
「お嬢様……」
思わずイザベルへ抱きつこうとするアランだったが……
「旦那ぁ……起きてんなら火ぐらい起こしといてくだせぇよ……」
スパラッシュが目を覚ました。
「続きは森の外でね?」
「お、おおよ!」
「へいへい。勝手にどうぞー。」
それから、全員の目覚めを待ち、場所を移して……夜を越した。
翌朝。
「そんでスパラッシュ? 昨日見つけてた道ってのはどっちだ?」
「こっちでさぁ。祭壇への道らしきもんがありやしたぜ。」
周囲を警戒もせずにペースを早めて歩く一行。昨日ベヒーモスが大暴れしたのだ。本日どころか数日はここら一帯に魔物が現れることはないだろう。もし、現れるとしたら……
祭壇への道という割には、大きく左に湾曲した道だった。どれだけ曲がってもひたすら同じ方向へと。
そんな道を歩き続け、すでに四時間以上が経過している。
「近いわ。」
イザベルにしか分からない何かがあるのだろう。
それからおよそ半刻、周囲から鳥の鳴く声が消えた。
さらに数十分歩くと……
森が切れ、日の光が眩しく注ぎ込んでいる。
そんな一帯の中央に、祭壇があった。
「お、おい! あれか! あれがこのダインクライ大森林の中心か!」
「へへっ、旦那ぁ。とうとう着いたみてぇですぜ。」
「マジかよ!」
「着いたのか……」
さほど大きくはない、石造りの祭壇。周囲が草木の生えてない森の真空地帯でなければ誰も祭壇とは気付かないほどだ。
だが、よく見れば……
「ありゃあ黒曜石か?」
「どうやらそのようで。それにしても、こんな森ん中なのに全然苔むしてやせんねぇ。どうしたこって。」
「精霊の加護よ。」
ぽつりと発言したイザベル。
そんなイザベルが祭壇に向けて歩み寄ると辺りが突如、暗闇に覆われた。
「なんだぁこりゃあ! 夜にしても暗すぎんぞ!?」
「隣にいる旦那の姿すら見えやせんぜ?」
「ただの幻ね。あなた達はそこで待ってなさい。依頼は完遂。あなた達の役目は終わりよ。ここまでありがとう。」
イザベルの声が遠ざかる。
「ちょっ、待てよお嬢様! こいつぁやべぇ! 危険な匂いがプンプンすんぞ!」
やがてイザベルの足音すら聴こえなくなった。
代わりに、祭壇の方から漏れ聴こえてきたもの、それは……
※
「だ、旦那にも聴こえてやすかい?」
「お、おお、聴こえてる……これか……これがお嬢様が求めていたものか?」
世にも危険な大森林の最深部にあって、心華やぐ音が聞こえてきた。あまりにも不自然で、あまりにも美しい。これが『精霊の歌』なのだろうか。
視界は閉ざされ、何も見えないはずなのに……音そのものが明るさを持ち、祝福してくれているようにも感じる……
イザベルはまだ戻ってこない。
※
https://youtu.be/BOq6jPjhESo
仙道アリマサ氏の曲です。
本作では『精霊の歌』となっておりますが仙道氏はこの曲に題名をつけておられません。
次こそ、次回こそ完結です!