魔物の習性
イザベルが目を覚ました時、左ではスパラッシュ、右ではロバートが眠っていた。バーンズは少し離れたところだった。
テントから出て朝の静謐な空気を吸い込む。心地よい冷たさがイザベルを覚醒させてくれるかのような心持ちだった。
「おう、起きたか。調子はどうだ。疲れてないか?」
「おはよう。ええ、いい調子よ。それよりアランたら寝てないの?」
「いや、三時間前まで寝てたぜ。今は俺が見張りの番ってだけだな。」
「なるほどね。あら、やっぱり魔物が来たのね。ふぅん、わずか一断ちじゃない。さすがの腕前ね。」
「おだてんなよ。幸い厄介な大物は現れなかったからな。オーガやトロルぐらいなら多少大きくても楽勝さ。」
「頼りにしてるわ。で、出発は日の出の時刻だったわね。朝食はどうするの?」
「もうできてるさ。起きた順に食うのが冒険者の特権よ。一番の寝坊助は食いっぱぐれても文句が言えねえのさ。」
どうやらアランが用意をしていたらしい。
「いただくわね。」
「ロバートほどの味を期待しないでくれよ?」
「充分おいしいわよ。なんて言うのかしら。下手なりに一生懸命作った味ね。私への愛情がこもってるのかしら? ありがとうアラン。」
「へっ、当たり前だろ。まったく、罪なお嬢様だ。」
次いでスパラッシュが起き、次にバーンズが起きてきた。日の出ぎりぎりの時刻に起きたのはロバートだった。
「ちっ、腹へったなぁー。」
最後に起きたロバートにはあまり残ってなかったらしい。手持ちの干し肉をがしがしとかじっている。
「よかったな。明日の朝番はお前だぜ。食いっぱぐれることはないな。」
それから三日。巨大な魔物が通った跡は消えることなく大森林の奥地へと続いていた。途中であちらこちらと寄り道をした形跡はあったが、基本的にはまっすぐと奥へと向かっていた。
「おい、お嬢様、大丈夫かよ?」
「ええ……どうにかね。」
いくら休憩を多めにとり、夜もしっかり眠っていても根本的な体力の違いは如何ともしがたい。誰の目にもイザベルの消耗は明らかだった。
「ちっ、こんな時だがやべぇぜアラン。ありゃあ大物……『灼炎大蜥蜴』だぜ……」
「最悪だな。足跡の主じゃねえようだが、森だってのに構わず火ぃつけまくるイカれた魔物か……しかもでけぇな。」
「どうしやす旦那? さっさと倒さねぇとあっしらぁ火に巻かれちまいやすぜ?」
「その手段が問題だ……」
通常の冒険者たちがサラマンダーを相手にする時は、しっかりと装備を整えてからだ。すなわち、炎に触れても大丈夫なように耐火性能に優れた防具。そして炎の中でも呼吸ができるようになる魔道具などだ。
当然各自その程度の装備は持っている。だが、着替える暇はない……
その時……
『悲嘆の氷獄』
イザベルが鈴音のような声で魔法を唱えると、身の丈六メイルを超えるサラマンダーは周囲ごと氷漬けになっていた。
「悪いわね。さっさと終わらせたわ。この氷はしばらく溶けないから帰り道で素材を取ることもできるわよ。」
「あ、ああ……さすがお嬢様だ……」
「すげぇや……あの一瞬で……」
「これが……魔道貴族ゼマティス家か……」
「…………」
イザベルは体力的にはかなり消耗しているのだが、ここまでアランたちの活躍により、ほぼ魔力は消費せずに来れた。この分ならばさらなる奥地まで比較的安全に往くことができるのではないか。皆がそう思っていた。
「みんな! さっさとこの辺りから逃げるわよ!」
「えっ!? お、お嬢様どうした?」
「魔物の習性を忘れたの? 強い魔力に惹かれて集まるものなんでしょ?」
「お嬢様の言う通りでさぁ。あっしら冒険者にぁそんな強い魔力持ちなんざいやせんからね。ついコロッと忘れちまいますぜ。」
「そうだった! お嬢様乗れ! 俺がおぶる!」
「頼むわね。」
強力な魔法を使ってしまうと魔物がわらわらと集まってくるものだ。一目散に現場を離れるのだった。
「はぁーはぁー……ぜはぁ……ふぅ。ここまで来ればまあ大丈夫だろ。もっとも、ここらに棲む別の魔物もいるんだろうけどな。」
「とりあえず気配はないですぜ。ちっと休憩しやすかい。」
「アランありがとう。いい乗り心地だったわ。」
「はぁ、はぁ……おうよ。本当はずっと乗ってて欲しいんだがよ。」
「しっかし何だなぁ。強烈な魔法を使えるからって楽ぁできねぇもんだなぁ。」
ロバートが言うことはもっともだ。
「そうね。大森林じゃなければそこまで気にしなくてもいいんでしょうけどね。それにさっきみたいな魔法を連発してたらすぐ魔力が切れてしまうわ。今回はなるべく大物とは出会いたくないわね。」
「来たぞ……」
周囲を警戒していたバーンズが言う。
「ちっ、しゃあねぇな。俺とバーンズでやる。アランはもうちっと休んでな。お嬢様もな。」
「やるぞ……」
十五分の激戦の末、魔毒大蛇は倒れた。直径一メイル、全長は三十メイルを超す大蛇であった。
「二人とも大丈夫かしら? 毒を受けたりしてない?」
「おお、どうにか無傷で勝てたぜ。お嬢様の前で無様ぁ晒したくねぇからよ。」
「問題ない……」
「ですがお二人さんよ。ちいっと倒し方が不味かったな。血ぃ流させすぎだぁ。こいつぁまーた魔物が寄ってくるぜ。こりゃあとっとと出発だなぁ。」
「うるせぇよスパラッシュ。あんな大物相手に一撃でスパッと切断なんてできっかよ。じわじわコツコツとやるっかねぇんだよ。」
「出発するぞ……」
一行は休憩もそこそこに歩き始めた。
これが大森林の恐ろしさだ。一度入ってしまえば、ろくに休憩もとることができないのだ。いつ、どこからどんな魔物が襲ってくるか分からないのだから。