冒険者アラン
ゼマティス侯爵領の中心都市、フロントニーを出発して二日。一行は大森林の外縁部にほど近いダニー村へと到着した。
今夜はこの村で一泊し、いよいよ翌日の早朝は大森林へと踏み入るのだ。
「やるじゃねぇかお嬢様。俺ら冒険者の足に付いてこれるとはよ?」
「本当はここまで馬車で来たかったのよ。でも今の私には銅貨の一枚すらないの。だから歩くしかないってだけの話ね。」
「へっへっへ。なかなかどうして。見事な歩きっぷりでしたぜ。学校行かずに遊び歩いてたって噂は本当だったようで。」
ロバートとスパラッシュは改めてイザベルを見直したようだ。アランの予定通りこの村に二日で到着したが、それはアランほどの一流冒険者を基準にしての話。一般人なら四、五日はかかるだろうし、ひ弱な貴族なら途中で歩けなくなっていただろう。
「当然だろ。俺が惚れ込んだお嬢様だぜ?」
「歩き方が安定していた……」
アランもバーンズも褒めている。
「でも明日からは確実に私が足を引っ張ることになるわ。悪いけど頼むわね。」
整備された道を歩くのと、道なき山野を歩くのではペースも疲労度も桁違いなのだから。
「おう。任せてくれ。お嬢様は俺が守る。」
二日前、ギルドではドレスを着ていたイザベルだが、今は平民の冒険者と同じ服装をしていた。胴体には革鎧、足は無骨なブーツに軽そうな脛当て、腕には木製の籠手を装備していた。
そして何より四人を驚かせたのは……出発の朝のこと。そこにいたのは……腰まであった豪奢な金の髪をばっさりと切り落とし、美形の青年と見まごうばかりの凛々しさを湛えたイザベルだった。
ゼマティス領のみならず、王国中に知られた大輪の花のごとき美貌は失くしても、芽生えたばかりの若葉を思わせる鮮烈さを感じる面々。
彼らにはイザベルの覚悟を心で感じることができたはずだ。そしてこの蛮行が偉業になる予感を覚えた。ほんの少しだけではあるが……
そして翌朝。村から四時間ほど歩き、いよいよ大森林へと突入する。
「さあて、いよいよ見えてきたな。どうだスパラッシュ。どこから入るのがいい?」
「ちっと探ってきまさぁ。旦那がたぁ休んでおいておくんなせぇ。」
「悪いわねスパラッシュさん。よろしく頼むわ。」
「へへっ、お嬢様に頼まれるたぁ悪い気ぃしやせんぜ。そんじゃあ、ちょっくら行ってきやす!」
そして三十分後。
「見つけやしたぜ。それも大物でさぁ。こいつぁ『通し』なんてもんじゃありゃせんや。奥まで入り込めやすぜ。」
この大森林では、強力な魔物ほど奥に塒を持つ習性がある。そんな魔物の通り道を辿れば、効率よく奥まで入り込めるという次第だ。
当然、大きなリスクはある……
樹木が密に生え、蔦や葛が部外者の立ち入りを拒むかのように繁茂する大森林の外縁部。
だが、スパラッシュが見つけたポイントは広範囲にわたって草木が薙ぎ倒されていた。
「どうですアランの旦那? やべぇぐらいの大物でさぁ。この道、往きやすか?」
「スパラッシュ、どう見る? この魔物は何だ?」
「へっ、旦那だって分かってんでしょ? こいつぁどう見てもベヒーモス。おおかたここら辺で獲物を食い散らかして、満腹になったから帰ったってとこじゃねぇですかい?」
ベヒーモス……樹木をビスケットのように噛み砕く強靭な顎と牙を持ち、その角はいかなるものでも貫き徹すと噂される。広大な大森林でも出会いたくない魔物の上位に位置する存在である。
それほどの魔物が外縁部まで出てくるとは……
「どうするお嬢様? この後を辿れば奥に往くことは容易い。だが、その先には確実に化け物がいるぜ?」
「行くわ。道を読む手間が省けるのは幸運ね。ベヒーモスが現れたら私が相手をするからアラン達は多少の時間稼ぎをしてくれたらいいわ。」
「へっへっへ。さすがぁお嬢様でさぁね。そんじゃ入るとしやすかい。生きて帰ったものはいない、ダインクライ大森林へ。」
「ああ、行くぜお前ら。ベヒーモス以外の魔物は俺らで仕留めるからよ。」
「おう!」
「ああ……」
そうして一行は不自然に樹木が薙ぎ倒されて生まれた道を歩いた。本来ならば草木をかき分けながら進むはずだったのが、思わぬ幸運ではある。
おまけにまた別の幸運もあった。
「えらく魔物が襲ってこないわね。」
「お嬢様みてぇな魔力の塊が歩いてっと喜んで襲ってくるんだけどな。原因はこいつだ。」
そう言ってアランは下を指さした。
「へっへっへ。この道にゃあベヒーモスの匂いが染み付いてやすからねぇ。大抵の魔物ぁびびって近寄ってこれねえって寸法で。」
「なるほどね。それは楽でいいわね。ただ、それでも襲ってくる魔物がいるとするなら、それなりに厄介な相手なのかしら?」
『風斬』
空に向けて魔法を放つイザベル。落下する魔物たち。
「こ、これは!? コカトリスか!?」
「バカ! 逃げろアラン! 近寄るんじゃねぇ!」
「慌てるなロバート……血は漏れていない……」
音もなく空から襲いかかろうとしていた魔物、コカトリスの番いである。
血の一滴に至るまで猛毒であるため、討伐した後の処理も大変な魔物である。
だが、イザベルにより斬り裂かれた喉からは血が漏れることはなかった。傷口がまるで数日放置されたかのように乾いていたのだから。
「素材は欲しい人にあげるわ。待ってるから解体していいわよ?」
コカトリスから取れる部位で高く売れるのは、とりわけ『毒腺』である。
「いや、いらん。このまま進むぞ。」
「旦那の言う通りでさぁ。帰りのお楽しみにしときやしょうぜ。残ってりゃあの話ですがねぇ。」
アランの判断は賢明だった。毒腺を取り出すのはかなり手間がかかる。その上、万が一失敗でもして毒が目にでもかかったりすれば命に関わる。今回の目的にそぐわない、余計なことはするべきではないとアランは考えていた。