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金糸銀糸の糸に絡まる蝶は蜜の底

作者: 三香

 人間の国と魔物の森の端境にその塔はあった。

 堅牢な塔であったが、その古さゆえに外観は廃墟そのものだった。


 塔の天辺には、父王と兄王子から疎まれた姫君が閉じ込められていた。

 ジャラリ、姫君が歩くと足に付けられた枷の鎖が黒い蛇のように動く。

 優艶な姫君で、その髪は地に届くほど長く光を織りこんでいるように煌めいていた。

 その声は、水より澄み渡り風より透き通って、限りなく玲瓏だった。

 しかし白く細い足には、鳥籠の鳥のように姫君を縛る鉄の枷が付けられていてジャラリと音を鳴らすのだ。ジャラリ、ジャラリと一足ごとに。


 塔の周辺には、色とりどりの花花が妍を競うように咲き乱れていた。

 その芳しい香りに引き寄せられ、ひらひらと蝶たちが、エメラルドの舞を、サファイアの舞を、ルビーの舞を、トパーズの舞を、その鮮やかな羽の色にふさわしく宝石のように舞い飛んでいたが、姫君の瞳を楽しませることはなかった。


 姫君は目が見えなかった。


 10歳の時に、兄王子たちの争いに巻き込まれ視力を失ったのだ。以来、政略にも使えない役立たずとして、この塔に幽閉されていた。


 寂しくて寂しくて、しかし逆らう術を持たない無力な子どもの姫君は、自分が持つ唯一のもの、魔歌で自身をなぐさめた。

 母を恋て歌い、風にふくまれている花のひとひらふたひらの香りを感じて歌い、雨が草木に降り注ぎ滴り落ちる玉響の音を感じて歌い、もはや見ることのできない月や星や鳥や、全てのものを思って夢中になって歌った。


 どうしようもない寂しさを歌っている時だけ一時忘れることができたから。


 魔歌とは呪歌とも呼ばれ、魔力のこもった声を歌にして、時にして人々を癒し時にして人々を呪う、両刃の剣。ゆえに魔歌を歌える者は忌み嫌われた。

 姫君が人間のいない塔に入れられた最大の理由でもあった。


 5年前。

 塔の周辺は無人の荒れ地であった。

 けれども人間以外の、鳥や動物や魔物が姫君の歌に魅せられて集まった。

 鳥も動物も目の見えぬ姫君に、せめて香りを届けようと花をくわえて塔の周囲に積みたてた。その花から種が落ち、5年後の今では百花繚乱の花畑となっていた。


 その花畑の向こうに広がる広大な森は、魔物が支配する森であった。

 姫君のいる王国は常に魔物の侵攻に恐怖していたが、この5年間は王国内で魔物が凶暴に暴れることは少なかった。

 姫君の歌が魔物を鎮めていたからだ。人間は誰も知らなかったが。

 姫君自身すらも。


 人の顔の判別がつかなくなる薄暗い明け方、彼は誰時に魔歌は歌ってはならない。

 日が暮れて闇の迫った薄暗い夕方、逢魔時にも魔歌は歌ってはならない。

 毒あるもの、蛇や虫が塒でざわめき這入ろうとするから。

 人ならざるもの、魔や妖が蠢き災禍を蒙りやすくなるから。

 いや、本当の理由は口にするのさえ恐ろしい、名前を呼ぶことも禁じられている、おぞましくも忌まわしいものが魔歌に惹かれゾロリと這い寄ってくるからだ。


 母に教えられていたが姫君は言いつけを破った。

 罪や罰よりも寂しさが、幼い姫君にとっては一番恐いものだったのだ。


 天を覆う雲の間から人間よりも大きい爪が見えることもあった。

 塔をかこむように発生した霧の中に無数の目が見えることもあった。

 そんな時は、鳥や動物は息を潜めじっと身を隠して動かなかった。

 だが姫君は目が見えない。気配を感じるだけゆえに、魔歌を歌うことを止めなかった。


 いつしか歌う目的は自分を慰めるためではなく、毎日姫君の歌を聴きにくる人間以外のモノのためとなった。鳥や動物や魔物、そして厭うべきおぞましくも恐ろしいモノのために。


 しかし姫君が15歳になった時。


 「処刑……!?」

 姫君の身のまわりの世話をする侍女と、警備のためというよりは物資の運搬を主な仕事とする兵士が、塔の下で声をひそめて話すのは王都からの命令のことだった。

 「はい。やはり魔歌は危険だから、と」

 「姫君の母上であらせられる王妃様が先月お亡くなりになり、姫君をお守りして下さる方が誰もいなくなってしまったから……!」

 「姫君をお逃がせできないのですか? 明日には兵士たちが」

 「それができれば、もうとっくに! 姫君の足には鎖の枷がつけられているのです」

 鎖の長さは塔の部屋とバルコニーを行き来するほどしかなく、しかも二重につけられ頑丈で破壊は不可能だった。

 この5年間、侍女と兵士が王妃に頼まれて姫君を育ててきたのだ。二人には姫君への深い愛情があった。


 二人が嘆き悩んでいるところへ、

 「では、我が姫をさらおうぞ」

 と上空から背筋をビリビリ震えさすような声が響いた。


 ごおぉと風が嵐のように唸りをあげる。

 地上の花花が儚く空中へ巻き上げられた。


 空には巨大な魔物がいた。

 四つ足に炎を纏い、朧朧たる月の光のような銀色の毛の巨狼であった。その額からは王冠のごとく輝く金色の角が中空へと伸びていた。


 ヒッ、と悲鳴をあげ侍女と兵士は威圧されて腰をぬかした。この5年間、色々の怪異を経験したものの実際の被害はなかった。魔物は闇や雲や霧などに身を隠し、姿を見せることはなかったから。


 バルコニーには姫君がいた。

 「あら? この気配はいつも私の歌を聴いてくださる魔物さんですよね?」

 先程まで尊大な態度で威風堂々としていた巨狼が、姫君の姿に赤くなったり青くなったり顔色をかえる。5年間かわいい愛しいと思い続けてきた姫君と、はじめて会話ができると思うと動悸と息切れで胸が苦しかった。

 「ひ、姫。我はグレンと申す。姫を驚かすと思い今まで姿を見せなかったが、事情がかわった。人間どもが、ばかげたことに姫を殺すというのだ。姫の価値もわからぬとは愚かすぎる。だから姫よ、我にその手を取らせてもらえぬだろうか?」


 姫君の何もうつさない、それゆえに濁りもなく曇りもなく純粋なまでに清んだ瞳が、何かを見るように大きく開かれる。


 「とうとう私の処刑が決まったのですね」

 母の死を聞いた時から覚悟をしてきた。姫君は、父王や兄王子たちにとって不要な邪魔者でしかないことを知っていたから。


 「ひ、姫よ、大丈夫だ、何一つ不自由をさせないから我のもとに来ておくれ。5年間ずっと姫を見てきたのだ。我は魔物ゆえに身を引いてきたが、人間が姫を殺すというのならば、我が王として君臨する城で我と生きておくれ」

 項垂れる姫君に、哀願するようにすがるように巨狼が言葉を重ねる。

 「姫よ、姫よ、我は魔物だが決して姫を傷つけたりはしない。王座も姫の前ではかすむ。我にとって姫よりも大切なものはない。姫はご存知ないだろうが、この5年間、姫は我の宝物だったのだ。そしてこれからは我の至宝として、我に姫を守る権利を与えてほしいのだ」


 熱烈に綴られ、姫君の頬が淡く染まる。

 姫君は15歳だが、常識や一部の教養面では無知であった。侍女はいたが、必要以上の会話は王宮から禁止されていたため、十分な教育をうけていなかった。姫君にとって恋や愛は、清く正しい物語の中にあるものだけだった。


 「魔物さん。私は厄介者の嫌われ者です、それでもいいのですか?」

 「姫よ。人間の世界だけが世界ではない。我の世界では、姫は宝石よりも貴重な綺麗で美しい唯一無二の宝物だ。姫よ、我は魔物ゆえに冷酷で残忍だ。だが、姫を愛しく思うこの心は永遠ぞ。狼は情が深いのだ、番を絶対に裏切ったりせぬ。姫と添うためならば命も賭そうぞ」


 巨狼は、姫君に対してはヘタレだったが狡猾だった。そして支配するものだった。

 姫君に教える気もなく、王としてもう決め切っていた。

 二度と姫を人間の国に戻さず囲うことを。

 方法は簡単だ。姫君の無知につけこめばいい。

 巨狼は魔のものであり王たるものなのだ。無垢な姫君など赤子の手をひねるより容易く、巨狼の黄金の王座の隣で空位となっている王妃の銀の椅子に、あやすように姫君を座らせることができるだろう。

 無知な可愛い可愛い姫君を無知のまま、煌めく海の奥底に隠し続けられた宝珠のごとく、城の奥宮で壊さぬよう逃がさぬようかけがえの無い唯一として大切にするのだ。


 「姫よ、我の姫よ。どうか我に姫のことを、我の姫と呼ぶことを許してくれぬか? そして、我の王妃と呼ぶことを許してほしい」

 「魔物さん……」


 姫君は無知であったが賢かった。

 今まで誰かに請われたことなどなかった。いつも押しつけられた命令だった。

 王宮では、蔑ろにされて傷つけられるだけの日々に毎日泣いていた。

 視力を奪われた時も目ではなく命がなくなればよかったのに、と罵られた。塔に母と引き離されて入れられた時も、飢えて死ねと罵倒された。母たる王妃が必死に守らなければ姫君の命は消えていたことだろう。

 だから、こうして切々と言葉を重ねてくれる魔物の心が嬉しかった。

 それに王国に残っても処刑されるだけだ。


 「魔物さん、いえグレンさん。姫ではなくエルルリアと呼んで下さいな」

 愛も恋もまだわからない。でも、はじめて自分の心を望んでくれた巨狼ならば、きっと……。


 姫君は巨狼に手を伸ばした。巨狼も姫君の方へ身を寄せる。ふわりとした感触に、嬉しげに姫君が微笑んだ。

 ボンッと巨狼の麗しい毛が逆立つ。動悸、息切れ、くわえて目眩までが一気に巨狼を襲って、心臓がドグッドグッと煩いほど鳴った。

 ヘナリと落としかけた腰を王の矜持で踏ん張ったが、嬉しすぎて歓喜に崩れる顔面まではどうにもできなかった。


 火を吐くように咆哮をあげると、小山サイズから馬サイズに大きさを変えて姫君の部屋に入り爪で鎖を絶ちきった。

 「さあ、姫、いやエルルリア。我の背中に」

 と続けようとした言葉を噛みしめて止まる。


 エルルリアを背中に。

 乗せる、と?

 エルルリアの可愛いお尻が我の背中に!?

 想像以上、予想以上の衝撃が姫君を好きすぎる巨狼を打った。

 動悸、息切れ、目眩、それから腹痛に巨狼の体がギュムギュムと絞られる。頭の中ではクラッカーが鳴りひびいているのに、腹が痛くて内股になりそうだった。


 限界突発の事態によって汗がダラダラ状態の巨狼は、姫君の魅惑のお尻に未練たっぷりの涙を内心流しながら、魔法で姫君を宙に浮かせた。

 「まあ、凄い!」

 ふんわり浮く自分に姫君は大よろこび。

 姫君の長い髪が、水が奏でる音楽のようにさらさらと音を立てて滑る。水中を波紋を描いて泳ぐ人魚のようにきらきらと、美しく流れ踊りながら髪が一面にひろがった。


 空中に浮いている姫君と巨狼を、腰をぬかしたまま侍女と兵士は震えつつ見上げた。

 「エルルリアが世話になった。礼だ」

 巨狼は、収納魔法から金貨をザラザラと取り出した。

 「逃がした責をとわれる前に、急ぎ外国へ行くといい」

 姫君の魔歌によって鎮められていた魔物たちが森から溢れて王国は滅ぶだろう、とは巨狼は言わなかった。言えば姫君が気にやむことがわかっていたから。


 ひらひら、

 ひらひら、

 何も知らず蝶たちが優美な宝石の舞を披露するのも。

 最愛の姫君を巨狼が運命の糸で絡めるように連れ去り、侍女と兵士が手に手を取り合って逃げ出し、無人となった香しく美しい花畑が恐ろしい魔物たちに踏み散らされるのも。

 あと少しのことであった。




竜とお姫様、狐の嫁入り、などおとぎ話の愛読者であった姫君は、人外との結婚に疑問を持っていません。普通にあることだと思っているので、ヘタレ・ワンコ・スパダリ属性の巨狼の求婚をすんなり受けいれました。


巨狼は姫君にはヘタレですが、姫君以外には冷酷で残忍で激強です。姫君が5年間平和だったのも、巨狼が姫君の見えないところで怪獣大戦争をして、こっそり守っていたからです。(もちろん巨狼の全勝)


お読み下さり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 他の魔物「毎日とは言わない。せめて一か月に一回位オレ達にも歌を聞かせろ」 姫君「そうおっしゃって下さるなら」 巨狼「他の奴らに聞かせたくない。独占したい。でも歌を聞かせたうえでいいだろ~もう…
[一言] ぜひとも他の魔物との姫の取り合いに発展して欲しいと思った 肩を組みつつ後ろ足と尻尾でど付き合い系の喧嘩が良いよねw
[一言] オオカミ以外にも沢山のライバルが姫の歌を聞いて推していたんでしょうね…! 親衛隊とファンクラブのボスの座を自力で奪い取った狼さんが生の推しにメロメロになるのは仕方ないし、推しを失った魔物さん…
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