2章 16話 「後悔先に立たずって話」
どうもこんにちは、キアーラ・カサッツァです。
もしこの世にタイムマシーンが普及していて、誰でも過去を改竄できるとしたら、ブラウザの更新を連打するように、誰も彼もが改竄に次ぐ改竄を重ね世界に多大なる負荷をかけることでしょう。フリーズでは済まされずクラッシュするかもしれませんね。
それだけ人間は誰であっても後悔を繰り返していると思うのです。
「……てやる」
俯き唸るように発せられたマダムの言葉は、静かな部屋の中であっても聞き取ることができないほどに小さいものだった。
だがたとえ聞こえずとも、そこに込められた感情がどんなものであるかは容易に感じられた。
それでも顔を両手で覆い、その表情を俺に見せまいとするのは、美しくある事に命をかける者の矜持だろうか? その下にあるのは修羅の形相か、はたまた夜叉の形相か。
肌を突き破らんほどに指に込められた力が、感情の大きさを表しているかのようだ。
重くるしい空気に誰もが口を噤み言葉を発さない。
先程まで騒がしいくらいに、議論と考察が飛び交っていたのが嘘のようだ。
マダムの様子に、家族のように親しいはずのフレアさんもその顔を蒼白に染めている。
声をかけようとして、口を開けるも結局何も言えずに、そのまま閉じるを繰り返している。
普段のマダムの振る舞いからして、こんなに感情を露わにすることなんてないんじゃないかな? だからどうしていいのかわからないのだろう。
一方でトントンさんも口を噤み言葉を発してはいないが、マダムを見る眼差しに動揺はないようだ。その目に浮かぶのは憐憫のようにも見える。
きっと彼女はマダムの過去を知っているんじゃないだろうか?
例えばマダムの言う奈落に落とされた「あの子」の事も。
そしてその子がどうなってしまったのかも。
だが俺にはマダムを気遣う余裕はなくなっていた。
ずっと不思議に思っていたのだ。
栄養失調による壊血病。
これはビタミンCが不足することによって粘膜や皮膚から出血する病だ。
その症状からこの世界では血吹き病と呼ばれている。
前世では大航海時代の船乗りが発病したことで有名な病だ。
保存を優先した野菜は加工されていたために、ビタミンCが破壊されてしまい、長期間の航海中まったくビタミンCを摂取できなかったことが原因だとされている。
つまりこの病は陸で起こることはほとんどない。
何故なら体内のビタミンCの量が、最低値を割らなければこの病は重篤な状況にならないからだ。そしてその最低値は1円玉の半分の重さ500ミリグラム。
だいたい一年くらいビタミンCを取らない状況が続かなければ発病しない。
つまり野菜だけをずっと、全く食べないとかでなければ発病しないのだ。
もちろんスラムでは野菜どころか、他にも食べるものがないから栄養失調になることはあるだろう。それによって餓死することもあるだろう。
それは前世でも今世でも変わらない、貧富の差によって起こる恒久的なことだった。
だがスラム以外からも、血吹き病で奈落に落とされる者達はいるのだ。
俺が救った中にも家が裕福だった子供だっていた。
そこで俺は疑問を抱いた。
___何故、裕福なのに壊血病になったのだろう?
壊血病はレモンを1個絞って野菜にかけてやるだけで回避できる。
金銭的に問題がなく野菜だって果物だっていつでも食べられる筈なのになぜ?
答えは先程得られた。
肉を食うことで魂を生きる糧とすることができる。
フレアさんがそう言った時に、俺は宗教のようだなと思った。
それはある意味で正解だったようだ。
その宗教観にもにた認識を民衆に根強く浸透させることで、人間の食という生命に直結する行為をコントロールしているのだ。
食品としての植物を制限することでビタミン不足を常態化させ、壊血病という病を道具として使う。
誰かにとって都合が悪い人間を、血吹き病という原因不明の病に侵され、誰に咎められることもなく奈落に落とす。裕福だろうと何だろうと都合が悪ければ退場させられてしまう。
その過程で子供が先に奈落に落ちてくる。それが答えだ。
前世でそんなことは無理だったと思う。
きっと勝手に民衆が野菜を栽培してしまうから。だが、この世界では可能だ。
何故なら農業のノウハウを民衆が知らない。種もない。
何より民衆は昔話で子供の頃から教え込まれている。
森を切り開き畑を広げたせいで、森がどうなって国がどんな最期を迎えたかを。
その為、民衆は畑を新しく作ることに潜在的な恐怖を抱いているのだ。
禁忌視していると言っていい。
恐らくこれも意図的に作られた状況なんだろう。
それを裏付けるようにマダムは壊血病を「生み出した」のは誰だと言った。
壊血病は殺人ウイルスのように誰かが作ったものではない、栄養失調という言うなれば体の状態だ。彼女ならその事は理解できたはずなのに。
彼女は恐らくすぐにそれが意図的に生み出された状況だと思い至ったのだ。
だから誰だと言ったのだ。
そして、それが可能なのは現在も強大な権力を有し、王虎が豚どもと揶揄する国を牛耳っている者たち。「真なる開拓者の一族」と呼ばれる最古参の開拓者たちの直系だと推察した。
俺はこの世界で壊血病が不治の病とされているのは、前世と同じく壊血病が原因不明だからだと思っていた。原因がビタミンC不足であることにたどり着けていないだけであると。
だからケール汁という具体的な解決方法を提示すれば、当然あとは学者や医者が壊血病を終息へと導く物だと思っていた。
奈落の住人に対する偏見が改善される要因になるだろうと。
だがそんな考えは甘かったのだ。
開拓者の一族がそう仕向けているのであれば、永遠に壊血病は恐ろしい謎の奇病のまま、民衆からの理解が得られることはない。
どんなに頑張って民衆の信頼を集めても、奈落の住人であることが分かれば元の木阿弥なのだ。そうなっている。
そしてそれに気づいた時に、自分の内側から怒りが溢れ出すのを感じた。
努めて冷静であろうと押さえつけなければ、愚かな自分の喉を切り裂いて、頭を柱に叩きつけてカチ割ってしまっただろう。
前世の先人の成果を賢しらに披露し、知識チートなどと浮かれていた結果、俺たち既に国から抹消するべき危険分子となっていたのだ。
俺は何の覚悟もなく虎の尻尾を踏んでいたのだ。
今は国を相手にするつもりではある、だがそれは相手が俺たちを歯牙にもかけていない間に力を貯めることが前提だった。その間に民衆を味方につけてからでなければ、それこそ話にならない。
もし俺の行いを察知したのが王虎とマダムでなかったら。
奈落が王虎のシマでなく他のマフィアのシマだったら。
ここで気付かず、馬鹿みたいに栄養学をひけらかしていたら。
一つでもずれていたらとっくに俺たちは消されていただろう。
そうならなかったのは、ただ単に運が良かったからに他ならない。
とことん馬鹿な俺はそんな事にもこの瞬間まで気づけていなかったのだ。
反吐がでる。何故俺はこうもダメなのか。
腹がたつ腹がたつ腹がたつ……
冷静になろうと考えを巡らせたが、逆に自分の愚かしさに怒りが募り、声を上げることもできない。
俺はただ拳を強く握りこの熱が過ぎ去るのを待つことしかできないでいた。
そのまま沈黙がどれくらい続いただろうか?
おもむろにマダムが顔を上げた。
その表情は普段と変わらず、微笑が浮かべられていた。
「これからの話をしましょう」
だがその声はまるで砂漠のように、どこまでも乾いたものだった。
お読みいただき誠にありがとうございます!
主人公の独白を飽きさせずに書ける人ってすごいと思います。
これができるかどうかで物書きかどうかぐらいまであるとお思います。
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