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第一夜 ソルベ:「俺のクロ」


 便箋を皿の上に置いたあなたは、一つの奇っ怪な妄想に囚われる。この不思議な空間、これは自分の頭の中にだけあるのではないだろうか。だがしかし、目の前のものが妄想かどうかなど、どこの誰にも分からない。結局あなたにとっては目に見える世界が全てで、その世界が実は他人から見た世界と全く違っていても、そんなことは確かめようがないのだ。あなたは諦めて、ならば、と今この時を楽しむ事にした。

 ボウイが硝子の、小さなグラスを持ってきた。グラスは良く冷えているようで、霜が降りている。そして、その中にあるものは、これは、一体なんだろう。手のひらくらいの小さな冊子、のようなものが開かれてグラスの中に鎮座しているのだが、白紙だ。あなたが呆気にとられていると、ボウイが面白いでしょうと言って微笑んだ。そうして冊子をつまみ上げると、マッチに火をつけ、それを炙った。炙り出し。なかなか凝ったことをするな、とあなたは感心して、小さな冊子を慎重にめくり始めた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ソルベ:「俺のクロ」




一日目

 今日、俺は家から一番近いゴミ捨て場で小さな黒猫を拾った。九月と十月の境目で、もう肌寒くて上着無しでは風邪引くくらいの寒さなのに、ただ乱雑に段ボールに入れられただけのそいつは小さくミィと鳴きながら小刻みに震えていた。今どき、捨て猫なんて本当にいるんだな。正直、俺は驚いた。こんな小さな、守ってやらなきゃ消えてしまうような、命。俺はこいつのことが可哀想で、こいつの生きている証として、この日記を書くことにした。弱りきっていて、もしかしたら明日にでも死んでしまうかもしれない。今夜は、そうならないように祈るばかりだ。


二日目

 今日はクロを病院に連れて行った。クロっていうのは、子猫の名前。病院で名前を聞かれたもんで、咄嗟にクロって言ったんだ。いやぁ、言った俺も自分で驚いた。クロっていうのは俺が子供の頃可愛がってたノラの黒猫につけた名前だったなぁ。子猫の方のクロは弱ってはいるけど、病気とかはないみたいでとりあえず一安心。俺みたいな猫好きな優しい人間に拾ってもらえて、こいつも運がいいな。


三日目

 クロは少しずつ元気になってきた。ぬるいお湯でふやかしたキャットフードを、美味そうにぱくついてやがる。なんでも、獣医のおっさんが言うには、弱ってる時はペットフードみたいな硬いものは体に負担だし、ふやかすことで匂いが増して、食欲が無い時でも食べてくれやすいらしい。なんか、お粥みたいだな。安心したら急に眠くなってきた。なんだか最近こいつを心配して気疲れしてたみたいだ。今夜はぐっすりと寝られそうだな。


四日目

 クロはもうだいぶ具合が良い。はじめは子猫くらいに見えていたが、実際にはもう少しだけ大きい幼猫で、少しくらいなら動けるようにもなってきた。そういえば、一昨日の獣医のおっさんも、五,六ヶ月くらいだろうって言ってたな。元気になってきたのは嬉しいけど、だからって落とした五百円玉で遊ばなくったっていいのに。お陰でベッドを動かす羽目になって疲れたよ。まぁ、可愛いから憎めないんだけど。


五日目

 クロは見違えるほど元気になってきた。今も家の中を走ったり、跳んだりしている。加えてイタズラも絶好調で、今朝は起きたら枕元の窓辺で、そこに置いておいた観葉植物の鉢が倒れてた。全く、掃除が大変だったよ。そういえば、ノラのクロも小学校で育ててたアサガオの鉢を倒すなんてイタズラ、してたなぁ。クロはそうやってイタズラばっかするもんだから、近所では嫌われてたんだっけ。駆除する、なんて声もあったもんだから、俺の秘密基地で匿ってやったりもしたな。あの秘密基地、今頃どうなってんだろ。ああ、もうこんな時間か。この続きはまた明日にすることにする。なんせ、新しい家族が増えて、ここんとこドタバタで疲れてるからな。


六日目

 今日、ついクロにどなってしまった。ちょっと久しぶりに料理でもしようと思って揚げ物をしていたら、あんなに小さいクロがキッチンにヒョイっと登ってきたんだ。咄嗟のことだったし、俺が驚いたのもあってついつい大声出しちゃった。クロはすっかり怯えて、棚と壁の隙間に入って出てこない。そういえば、ある日俺が秘密基地に行ったら、ノラのクロが、大事にしてた泥団子を壊しちゃってたことがあったな。それで、その時も俺がクロを怒ったんだ。クロは秘密基地を飛び出して、それで、そうだ、次の日、車に轢かれたらしいって噂で聞いたんだよな。それ以来、クロを見かけることは無くってさ。だから、もしかしたら、あの時の罪滅ぼしのつもりでクロを拾ったのかな、俺。叱るときは叱らなきゃいけないけど、今度こそ、クロを大切にしなきゃ。体は疲れてるけど、もしかしたら今夜はうまく眠れないかもしれないな。まぁ、明日は休日だからいいか。


七日目

 今日は、本当は七日目ではない。本当の七日目から、もう、しばらくは経っている。あの日、案の定よく眠れなかった俺は、十三時頃にクロに起こされた。寝てたもんで朝ごはんをやらなかったから、お腹が空いてたんだろう。いつも通り、エサをぬるま湯でふやかしてからあげたんだけど、クロは一向に手をつけようとしなかった。なんとなくクロが怒っているような気がして、俺はクロの機嫌をとろうと、近くのコンビニでちょっと良い缶詰のエサを買いに行こうと思って家を出たんだ。おんぼろアパートの階段を降りた時、あの地震は起こった。今まで経験もしたことないようなもの凄い揺れで、俺は倒れそうになって足を止めた。俺の真横の道を通った車も角で電柱に激突するくらいの、凄まじい揺れだった。とんでもなく嫌な音がして振り返ると、アパートがぐにゃぐにゃと左右に揺れていた。慌てて地面を這うようにしてアパートから離れた瞬間、アパートはグシャッと潰れた。ほとんど全壊状態だった。

 思えば、クロは初めからこの事がわかってたのかも知れない。枕元の植木鉢は地震がきたら危ないし、クロがキッチンに登れるって分かったから、ガスの元栓も閉めてから寝た。直前になって、やっぱりそれじゃ全然足りないんだって分かって、俺のことを外に逃してくれたんじゃないかな。もしかしたら、ノラのクロは俺のこと恨んでるんじゃないかって思ってたけど、すごく可愛がってたし、その時の恩返しとして生まれ変わってきてくれたのかもしれない。そう思ったら、どうしてもこの日記に書いておきたくて、こいつが掘り起こされるまで待ったんだ。

 クロ、ありがとう。おかげで、今はすごい元気だよ。今度こそ大事にするって誓ったのに、できなくてごめん。もし、もしまた生まれ変わってきてくれたら、今度こそ絶対大事にするから。こんな俺を、赦してくれてありがとう。また会う日まで。



おしながき

ソルベ

「俺のクロ」

 もう一つのメーンの前に、お口直しをいたしましょう。甘さ控えめの葡萄のジェラートは、とろけるような舌触りかつ、最後は水のようにスッと消えていきます。おっと、お気づきになられましたか?ワインとブランデーが入っているので、冷たいのに、喉がじんわりと熱くなるんです。果たして全て食べ終わったとき結局、お客様にとって熱さと冷たさ、どちらの方が印象深いのでしょうか。


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