第四話『宵闇の妖怪』
いや、もうほんとマジ怖かった
ゆっくりと意識が浮上してくる。
吹き付ける風が冷たい。胡乱な頭で、なにをしていたのか思い返す。
「……はれ?」
薄目を開けると、周りが何故か暗い。
しかも、僕が寝ているのは固い床だ。なんでこんなところで……と思ったところで、鳥居が目に入る。
「あっ、しまった」
それで全部思い出した。
どうやら、結局、博麗神社の縁側で寝こけてしまったらしい。
見える範囲に人はいない。多分、幽々子たちは帰ってしまっているのだろう。
「あら、起きたの」
「……霊夢」
奥のほうにある母屋から霊夢が布のようなものを持って現れた。
よく見ると、それはシーツのようで……どうやら、僕のために持ってきてくれたらしい。
「あ~~、っと。幽々子たちは、帰った?」
「ええ。あんまり気持ちよさそうに寝ていたから、そっとしておこうってね。まぁ、今日は泊まっていけば? 布団くらい貸してあげるわよ」
「泊まって…って、年頃の娘さんが、なに言ってんだよ」
「あら。良也さん、私になにかするの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、こちらを見てくる霊夢。
……いや、しないけどさ。もうちょっと、こう危機感とゆーものがあってもいいんじゃないかと。
そんな僕の内心を読んだのか、霊夢は面白そうに、
「まぁ、仮にそんな行為に及んだら、消し飛ばしてあげるけどね」
「……そっか。そうだよな」
妖夢が言っていた。
霊夢という人間はそこらの妖怪より、よっぽど化け物じみた力を持っているらしい。
僕みたいな普通の生霊の一匹や二匹、かる~く滅殺してくれるのだろう。
「でも、だからって女の子の一人暮らしの家に転がり込むってのもねぇ。安眠できそうにない。
帰り道くらい覚えてるし、白玉楼に帰るよ」
白玉楼でも似たような環境だが、あそこは広いからあんまり気にならない。幽霊は腐るほどいるし。
まぁ見たところ、まだ日が沈んでいくらも経っていない様だ。急いで帰れば、夕飯にありつけるかもしれないし。
「そう? 止めはしないけど、気をつけたほうがいいわよ。こんな時間にただの人間が一人でいたら、襲ってくださいって言っているようなものだから」
「はは。まぁ、なんとかなるなる。大体、僕はただの人間じゃないし。飛んでるんだから、猛獣にだって捕まらないよ」
そう軽く笑い飛ばして、僕は白玉楼の方に飛び立つ。
……まぁ、すぐにこの忠告をちゃんと聞いておけばよかったと、後悔することになるのだけれど。
失念していた。
この"幻想郷"という地にいるのが、人間や幽霊だけではないことを。
「こんばんは!」
「こ、こんばんは……」
白玉楼に向けて飛んでいる僕の進路に、いきなり立ちふさがったのは金髪の少女だった。
むぅ、ここでは人が空を飛ぶのは当然のことなのか……と思ったが、すぐにそれが違うと言う事が次の少女の言葉でわかった。
「貴方、人間よね? 紅白でも白黒でもないくせに空飛んでいるけど。最近の人間は空を飛ぶように出来ているのかしら?」
「いや、普通人間は飛ばないと思う。僕は生霊だから、飛べるらしい」
「生霊?」
あまり考えることは得意でないのか、少女は首をかしげるものの、すぐにまぁいっかーと笑う。
なんだろう。それはとてもとても無邪気な笑顔なのに、
背筋が、ありえないほど凍りついた。
「そんなのはどうでもいいわ。どうせ、食べるのに変わりはないんだし。
うん、逆にけっこう珍味かもしれない」
「食べ、る?」
なにを……というのは愚問だ。
この話の流れからして、彼女が食べる対象として見ているのは、僕に他ならない。
だかおかしい。
幻想郷では食人の習慣でもあるのだろうか? いや、ここは過去――恐らく明治くらい――の日本を閉じ込めたかのような文化をしている。まさか、そんな習慣があるはずがない。
「な、んで、僕を食べるなんていうんだ?」
「え? だって、妖怪は人間を食べるものでしょ。最近、ちゃんと襲われてくれる人間に会えなくて、お腹空いているのよね~。たまに会う人間は、取って食べられない人類ばかりだし」
ヤバイ。
カチリ、とすべてのピースがはまる。
……妖怪だなんていうのだから、もっと化け物然とした連中ばかりを想像していたのだけれど、
どうやら、あの少女の形をした生き物は、れっきとした妖怪の端くれらしい。
最初、遭遇したときから少女につきまとう違和感の正体がこれでわかった。
僕は、わき目も振らずに、転進する。
神社……! 神社まで行けば、霊夢がいる。仮にも巫女なんだから、妖怪の一匹や二匹撃退してくれる! きっと――
微妙に情けなくなりながらも全速力で飛んでいると、ふと後ろに強烈な違和感!
「のわぁぁぁぁぁあああ!?」
咄嗟に真下へ。
先程まで僕がいた場所を、バスケットボールくらいの大きさの光弾が通り過ぎる。
「もー、なんで避けるの? 落としてから、ゆっくり食べようと思ったのに!」
「勝手なことを言うな!」
後ろを見ると、さっきの妖怪少女が僕を追いかけつつ、次々と光弾を発射していた。
やっぱり、これって当たったら痛いんだろうなぁ、と思いながら、紙一重でかわしていく。
今ッ、今、前髪にかすったぁっ!?
……しかし、こうしてしばらくかわしていると、だんだん慣れてくる。
光弾自体はそんなに早くないし、結構まばらだ。抜けることができる隙間はいくらでもある。
「もぉ~!」
いつまで経っても当たらないことに業を煮やしたのか、少女はどこからか一枚のカード? を取り出す。
ゾワリ、と今までとは段違いの寒気。
あれは、怖いものだ、とわけもわからず確信する。
「――――!!」
全速を越えて更に加速。
だが、後ろの妖怪を引き離すことは到底出来ない。
当たり前だ。昨日今日飛び始めたばかりの赤ん坊が、普段飛びなれている大人に勝てるわけがない。
「夜符『ナイトバード』」
そんな言葉と共に、少女は手に持ったカードを開放する。
先程までとは桁違いの密度の弾幕が出現し、僕に襲い掛かってくる。
視界一杯に広がる弾、弾、弾、弾。
もちろん、隙間がまったくないわけではない。今、必死でそこに身体を滑り込ませているところだ。
しかし、かわしたと思ったら、僕の避ける方向を先読みしているとしか思えないような弾道で次の弾幕が来る。
それをかろうじて避けると、また次が。
僕の集中力にも限界というものがある。
こんな高密度の弾をいつまでもかわし続けられるほど、その限界は高くはなくて、
気が付くと、すぐ目の前に光弾の群があった。
とてもかわしきれない距離。
時間がゆっくりになった感覚がして、でも、僕は指先一つ動かせず、じりじりと近付いてくる光弾を見つめ続ける。
走馬灯、というほど上等なものではないが、ここ数日の記憶が脳裏をよぎる。
「う、わあああああああああああっっっっ!!!」
ダメージを少しでも軽減しようとわけもわからず手を出し、
ぐにゃり、と弾が曲がった。
「………………え?」
まるでそうするのが当たり前であるかのように、これまで直進していた弾は、僕を避けるように曲がる。
その理由がさっぱりわからず、しばし呆然とする。
しかし、その僅かな隙をついて、次の弾が容赦なく僕に襲い掛かってきた。
「しまっ……」
硬直する。
これは、確実に僕に当たる。
そして、僕は彼女に食べられてしまうのだ。
そんなのはゴメンだ。
ゴメンなのだが……どうにも、かわせそうにない。さっきのようなラッキーは、二度も三度も続かないだろう。
諦めた僕はせめて痛くありませんように、と祈り、
弾は僕に当たる直前、空間に出来た穴に吸い込まれていった。
「まったく。貴方は、一体こんなところでなにをしているのかしら?」
「ゆ、かりさん?」
聞き覚えのある声。
今朝会った、幽々子の友達にしてスキマ妖怪(妖夢談)。
「な、なんでここに?」
「それは私が聞いているのだけれど……。
まぁ、たまたま妖怪が人間を追いかけるところを目撃しちゃいまして。最初は見物するつもりだったんだけど、なんか人間の方が見たことありましたから。面倒だけど、こうして助けに来て上げました」
そして、紫さんはわけのわからない様子でこちらを呆然と見ている妖怪少女に目を向ける。
「さ、そういうわけで、悪いのだけど、彼は諦めてもらえるかしら?」
「な……なによなによ! 横から出てきて! 早い者勝ちって言葉を知らないの? そいつは私のご飯なんだから……」
「あのねぇ……」
呆れたように、紫さんは口元を扇子で隠し、
「消えなさい、って言っているのがわからないのかしら?」
スゥ、と。冷えた瞳で少女を睨みつけた。
僕は、直接見られたわけでもないのに、石化でもしたみたいに動けなくなる。
今、この時この場所は、紫さんの支配下に置かれている。指一本、視線一つ動かすだけで、首を刈られそうな悪寒。これに比べれば、さっきまで追いかけられていた危機など、児戯に等しい。
そう、出会いがあまりに平和だったので失念していたが、
……彼女もまた、妖怪なのだ。
「お、覚えてなさいよ~~~!」
それでも、捨て台詞を吐けるあの娘はやはり強いと思う。
去っていく妖怪少女の後姿を見ながら、そう思った。
途端に、空気が弛緩する。
いつの間にか止まっていた呼吸を再開し、ぶはーっと空気を吐き出す。
「あ、ありがとう、紫さん。お陰で助かった」
「おかしな人間ね。私が妖怪だってことくらい、知っているのでしょうに、お礼を言うなんて」
「いや、でも助けてもらったことに変わりないだろ」
「ま、お礼は良いわよ。貴方が幽々子の知り合いじゃなかったら、見捨てていたに違いないから」
あっけらかんと言う紫さん。これが、さっきまでと同一人物かどうか疑わしいほどののんぽりさだ。
だが、言っている内容は血も涙もない。
……まあ、紫さんも妖怪だし。どちらかというと人間を助ける方が珍しいのだろう。運が良かった、と思っておくことにしよう。
「で、一つ良いかしら?」
「なに?」
「さっき、貴方なにをしたの?」
なにをしたの、って。
「何のこと?」
「あの妖怪の弾を曲げたでしょう?」
「あれって、紫さんがしたんじゃなかったの?」
ふむ、と紫さんは考え込む仕草をした。
「と、言う事は、自分でもわかっていないのね」
「わかってるもなにも……あんなことが、僕に出来るわけがないって」
紫さんは指を一本立てる。
「出来るわけがない、と決め付けるのはやめなさい。
あの現象は、貴方が引き起こしたことは確か。まぁ、どのような能力かは、わかりませんけど」
「はぁ……」
「恐らく“死”を経験することで、なんらかの能力に目覚めたのでしょうね。まぁ、凡人がなんらかの能力に目覚めるパターンとしてはポピュラーですわ」
パターンて。
そりゃ、漫画とかでもありきたりな設定だけどさぁ。あんまり僕の人生をパターン化しないで欲しい。
「でも、さっきのは無我夢中だったし……そもそも、そんな力、僕には必要ないし」
「あらあら。すると貴方は、今回のように襲われたら、また誰かに助けを請うつもり?」
うぐ。なにも言い返せない。
そうだよなぁ……確かに、僕が元いた現代日本じゃ、戦う術なんて必要はなかったけど、ここではないとすぐああいう目に合うんだろうし……
すでに死んでいるとは言え、また死ぬのはちょっとゴメンだ。
前に聞いたのだが、幻想郷の人里では、妖怪による被害が洒落にならないそうだし。
「貴方は、他の無力な人間と違って、身を守る力を秘めている。誰かに頼るのは甘え以外のなにものでもないわよ?」
「……帰ったら、妖夢にでも相談するよ」
あの、生真面目な剣士なら、きっと真摯に答えてくれるに違いない。
……幽々子は、教わるには不適当すぎる。
「それにしても……ふふふ」
「なんだ、その笑いは」
なにやら不吉なものを感じて、後退する。
「いえ、なにか面白そうなことになりそうな予感が」
「そんな予感、即刻捨ててくれ」
やはり、この人は苦手だ。
そんな認識を新たにしつつ、僕は疲れた体を引き摺って白玉楼に向けてゆっくり進むのだった。




