第二話『そらをとんでみよう』
飛べるようにしてくれたのは感謝するけど……あの人は一体なんなんだ?
「……くぁ」
欠伸をしながら目を覚ます。
時刻は大体朝の六時といったところ。
外の世界にいた頃の僕では考えられない起床時間だ。いつも、大学の講義が始まる五分前までベッドで惰眠を貪っていたのに。
まぁ、それもこれも、この白玉楼には娯楽の類が殆どないからだ。
最初の三日ほどは、もの珍しさから屋敷を探検していたりしたのだが、もうそれにも飽きた。
向こうにいた頃は夜の二時や三時までは平気で起きていたのに、こっちでは九時や十時にはもう床についている。
自然、朝の目覚めも早くなろうというものだ。
白玉楼に来て、一週間。
なんだかんだ言って、僕はここでの生活に慣れつつあった。
「おはよ~。妖夢」
「おはようございます、良也さん」
布団でごろごろしている気分でもなかったので、朝の散歩に出かけたら、庭で剣を振っている妖夢に出会った。
「剣術の練習?」
「はい」
その様子を、なんとはなしに見つめる。
妖夢の剣は、素人の僕の目から見ても凄い腕だと思う。
高校の時、授業で剣道を少ししたが、その動きとは全然違う。技術ももちろんだが、気迫というか、殺気というか……戦いに対する心構えが、高校の剣道などとはまるっきり別物なのだ。
仮に、僕が妖夢と正対したら、瞬きの間に斬り捨てられるだろう。
……実際、初めて会ったとき、いきなり斬り捨てられそうになったしね。
ぶるっ、とそのときを思い出して、少し震える。
まぁ、あの出来事からも、妖夢の剣は剣道というスポーツとは一線を画する、実際に敵を斬るための技術だということがわかる。
まぁ、だからといって、
「よ~む~。今日の朝ごはん、なに~?」
「人の名前を無駄に伸ばして呼ばないで下さい!」
彼女が弄りがいのある人材だという事実の方が、僕の中では大きいのだが。
こういう、いちいち反応してくれるところとか、すごく可愛いと思ったり。
……いかんなぁ。僕、リアルでは年下より年上の方が好きだったと思うんだけどなぁ。
しかも、こう見えて……と言ったら失礼かもしれないが、妖夢は家事全般できるのである。
主の幽々子が生活能力がほとんどないせいだろうが、この年でそれだけできるのはすごい。……と、ゆーよーなことを話したら、妖夢は僕よりずっと年上だ、という話をされた。
なんでも人間じゃないのだから、見た目の年齢はあてにならない……らしい。
あ、なんだ。だったら、ロリじゃないじゃないか。
「……なんか、不愉快な思念を感じたんですけど」
「なんでもないよ。気のせいじゃない?」
頼むから、真剣を持ってそんな顔をしないで欲しい。真面目に命の危険を感じるから。
「おかわりー」
「こっちもお願い」
そして朝食。僕と幽々子は競い合うように茶碗を差し出す。
「はいはい。少し待ってください」
苦笑しながら、妖夢がよそってくれる。
それを、またガツガツと食べる。
食卓に並んでいるのは純和風の献立だ。焼き魚、出汁巻き卵、ほうれん草のおひたし、漬物、味噌汁。
ごくごくありふれたメニューなのだが、妖夢の腕がいいのでどれもものすごく美味しい。普段インスタントやジャンクフードを食べることが多かったので、余計にそう思う。
……しかし、仮にも成人男性と勝るとも劣らない量を食う幽々子は、体重とか大丈夫なのだろうか。
「あれ? でも、幽霊なのにご飯食べるものなのか?」
ふと思いついた疑問。
僕は生霊だし、妖夢は半人半霊とかゆうのらしいから例外としても、幽々子は完全な霊体のはずだ。
「なにかと思えば、そんなこと」
「そんなことって、普通幽霊ってのは何も食べないだろ」
「それは間違いよ。幽霊であれなんであれ、こうやって現世に干渉する体があるのならば、それを維持するために食事を取るのは当然でしょう。
まぁ、確かに、そこら辺を漂っている雑霊なんかは、食べないでしょうけどね」
幽々子の説明は、どうにもわかりづらい。
だが、言いたいことはわかった。
「要するに、幽々子は凄い幽霊だから、モノを食べてもいいだろう、と」
「そういうことね」
「そ、そういうことなんですか?」
額に汗を流しながら突っ込みをいれる妖夢。
「いいのよ。本人がそれで納得しているのであれば。
真実なんて、簡単に移ろうもの。"本当のこと"を言う必要なんて、どこにもないでしょう?」
「方便だって認めましたね……」
「聞いた本人も気にしていないのだからいいじゃない」
びしり、と食事を再開した僕を指差す幽々子。
「良也さん……」
「いや、単に思いついたから聞いてみただけだし。
……と、ご馳走様」
食器を流しに持って行こうと立つ。
「……お粗末さまです。それと、私と幽々子様はちょっと出かけるので。お昼は用意しておくので、留守番をお願いします」
会ってまだ一ヶ月も経っていない僕に留守を任せるとかいいのかなぁ、と思うが、彼女らからしたら僕程度がなにか不埒な事を企んでも大したことはないのだろう。
それにしても、彼女らが出かけるというのは初めてだ。
「それはいいけど。どこに行くの?」
「いえ、ちょっと現世へ」
話には聞いている。
ここ、白玉楼があるのは確かにあの世とか呼ばれる場所なのだが、"とある事件"によってあの世とこの世を分けていた結界が壊れてしまったそうなのだ。
以来生きているものがこっちに来たり、死んでいるものが向こうに行ったりというのが割りと当たり前のこととなっているそうだ。
なら、自分の植物状態の身体でも拝みに行こうかなぁ、と思ったのだが、なんでも外にあるのは幻想郷という……まぁ、詳しいことはよくわからなかったのだが、とにかく僕がもといた世界とは隔絶されたところらしい。
……むくむくと好奇心が刺激される。
聞いただけだが、幻想郷では妖怪やらなにやら、僕のいた世界では幻想とされているものが、普通にいるらしい。
――行ってみたい。
それが偽らざる僕の気持ちだった。
「……それ、僕も行っちゃ駄目かな?」
「え?」
「あ、いや。仕事とかなら別にいいんだけどさ」
「いえ、そういうわけではないのですが……幽々子様」
妖夢は、今やっと食べ終わった幽々子に視線を向ける。
その幽々子は食後のお茶を啜り、
「ん~? いいんじゃないの。博麗神社に遊びに行くだけだし」
「ありがとう、幽々子」
「でも、良也」
「ん?」
「貴方、飛べるの? 目的地まではちょっと遠いわよ。歩きじゃ」
……というわけで、空を飛ぶ練習をすることにした。
曰く、
『幽霊なんだから、走ったり跳ねたりするのと同じように、空も飛べるはずよ。
良也は、他の幽霊と違って肉体があるから、生前の常識に縛られてしまっているのね。飛べるはず、という確信さえ持てば、当たり前のように飛べるわ』
……らしい。
だったら、具体的にどうすれば飛べるのか聞いても『知らないわよ。時間までに飛べなかったら、置いて行くからね~』と、幽々子は全く頼りにならない。
仕方なく、ぴょんぴょんとジャンプして飛べないか試みているのだが……
「う、そんなすがるような目で見られても……」
「妖夢~。なにかアドバイスくらいあってもいいんじゃないのか?」
「そ、そんなことを言われても。私は物心ついたころには、当然のように飛べていましたので……」
飛べない人の気持ちなどわからない、というわけか。
「すみません、未熟者で」
「……いや、いいよ。すぐに飛んで見せるから」
ピョン、ピョン、ピョン、ピョン……
……兎の気持ちがわかってきた。
「なにしているの、彼」
「あ、紫さま」
そこで、知らない人の声が響いた。
振り向いて見てみると、そこには二十代前半辺りと思しき美女が妖夢の隣で、こちらを面白そうに見ていた。
年齢にそぐわないゴスッ、ロリッ、としたヒラヒラの服を着込んでいる。……なんつーか似合ってはいるんだけど、もう少し年相応の服を着ろよ、と思わないでも……
ゴスッ!
「あべし!?」
なにやら、突然脳天に衝撃!
たまらず、ぐおおおおおおっ! と転げまわる。
「ゆ、紫さま、いきなりなにを……」
「ちょっと、彼が失礼な事を考えていたからお仕置きをね」
くっ、ここの住人は読心術でも心得ているのかっ!?
「当たり前です。何の守りもない生霊一匹の考えていることくらい、筒抜けですわ」
「うげっ、本当に心読めるのか……」
これからは妙なこと考えられないな、と思いながら僕に降りかかったものの正体を見ると……なんと金ダライ。
「ドリフっ!?」
「外の世界での突っ込みは、これが定番ですからね。真似てみたんですが間違っていましたか?」
「いや、間違いじゃないかもしれないけど……なんでそんなの」
困惑する僕に、妖夢がそっと耳打ちしてきた。
「紫さまは、外の世界のことに詳しいのです。よく行っているらしいですし」
「へえ。確か、幻想郷はなんとかいう結界で囲われてるんじゃなかったのか?」
「あら、博麗大結界を越えるのなんて、そう難しいことではありませんわ。貴方も、こうしてここにいるじゃありませんか」
悪戯っぽい視線を向けてくる紫さんとやら。
……なんだろう。
見た目は文句の付けようもない美人で、これまでの言動も丁寧で落ち着いたものなのに。
……な~んか、この人とは致命的に相性が悪い気がする。
「それで、話を戻しますけど、一体なにをしていましたの? もしかして、それが最近の外の世界で流行っているダンスだったりするのかしら」
「……んなわきゃないでしょう。空飛ぶ練習です」
「飛ぶ練習?」
首を傾げる紫さんに、妖夢が補足説明をする。
そういうこと、と紫さんは頷き、
「なら、手伝ってあげますわ」
と、持っていた日傘を一振り。
「は?」
そして、突然地面の感触が消失した。
下を見ると、空間に裂け目。裂け目の向こうは、今だ見たことのない世界が広がっており、
「はああああああああ!!?」
すぐに、僕はその世界から元の世界に放り出された。
ただし、そこは地上から百メートル以上離れている。下のほうに妖夢が小さく見える。ついでに、紫さんも。……この遠さで表情など見えるわけもないのに、絶対にニヤニヤ笑っていると確信できた。
「っっっっっっ!!?」
大抵のことには動じないと思っていたのだが、さすがにこれは無理だ。
人間、高いところの恐怖はどうしても克服できるもんじゃない。本気で怖くない、なんていうのは強がっているか、半分くらい人間を辞めているやつだ。
生霊とは言え、精神は完全無欠の一般人な僕に、この状況で動揺するなと言うのは無理だ。
自分の意思とは無関係に口は勝手に絶叫を上げ、落下していく感覚に頭の中は白くなっていく。
「わあああああああああああああああああ!!」
「ねぇ」
「ああああああああああああああああ!!」
「ちょっと、貴方」
「あああああ―――――!!」
「………てい」
がつーん、とまたしても頭に衝撃。
ああ、とうとう死んだか。いや、こっちは霊体なんだから、ここで死んだらどうなるんだろ。
しかし、あの高さから落下したにしてはやけに衝撃が小さい。そう、さっきの紫さんの突っ込みくらいの衝撃しか……
「あれ?」
「あれ、じゃないですわ。なにをやっているんだか。これだから人間は」
脇に転がっているのはさっきと同じ金ダライ。そして、目の前に迫った地面にそれ以上近付くことなく、僕は静止している。
「飛んで、る?」
「やっと気付いたわね」
いや、本当、飛んでる。
こんな簡単でいいのか? と思うほどあっけない。
確かに一度飛んでしまえば、こんなのなんでもない。僕はどこをどうして飛べばいいのか、自然に理解していた。
試しに少し高度を上げてみる。
「えっと?」
「ちゃんと飛ぶ機能はあるのだから、必要になったら飛べる。それだけのことよ。
必要にならないと飛ばないあたりが、人間ですけど」
くるくると日傘を回し、紫さんは妖夢に向き直る。
「さて、とんだ寄り道しちゃったけど。妖夢、幽々子はいるかしら?」
「あ、はい。ご案内します」
「いいわよ。あそこでぽけーっとしてるあの子を助けて上げなさいな」
そうしてさっさと去ってしまう。
僕は、彼女が去ってからもしばらくぽけーっとしたままだった。
「……妖夢。あれ、誰?」
「幽々子様のご友人であらせられる八雲紫さまです」
「いや、名前じゃなくて……どういう人?」
あれに比べれば、まだ幽々子のほうがわかりやすい。
なんていうのか、言葉の端々に胡散臭さが滲み出ていた。得体の知れなさでは幽々子の軽く三倍はある。某赤い人も真っ青だ。赤いのに真っ青とはこれいかに。
「ああいう人です」
「……人間じゃないよね」
「スキマ妖怪、らしいですが」
なんじゃそりゃ。




