第十話『撃墜、怪我、そして白玉楼』
お茶がうまいんだよ、お茶が
「知らない……いや、知っている天井だ」
ちっ、と目覚めた僕は名台詞を言えなかった事に舌打ちする。
「あ、目が覚めました?」
「妖夢。おはよう」
普段使わせてもらっている白玉楼の部屋。そろそろ僕の匂いが染み付きつつあるので、ここで目覚めるのも違和感はない。
ついでに、この部屋に妖夢の声が響くのも、いつの間にか自然になっている。
「……はて、なんか暗いんだけど」
幽霊とはいえ、僕は昼行性(外に居たときは夜行性だった)。こんな時間に目が覚めるなんて……というか、いつ寝たんだ。
「ほんぎゃあっ!?」
そして、左腕から立ち上ってくる猛烈な痛みっ!?
「ああ、もう。そんな無造作に動くからです」
「……わ、忘れていたんだよ」
そう。
そういえば、お使いの帰り道、あの宵闇の妖怪にまたしても遭遇し……被弾した。
自分でも思わず目を背けたくなるほど、血だらけになっていたはずだ。
見ると、左腕は包帯でぐるぐる巻きにされている。
……はて、そう言えば助けてくれた魔理沙はどうしたんだろう。
「魔理沙は?」
「あいつは、貴方をここまで運んでくれた後、すぐに帰りましたよ。その包帯も、魔理沙が処置したもののようです」
そっか。次会ったらちゃんとお礼を言わないとな。
「なんでも、魔法の森の茸を煮詰めた特製の霊薬をつけたそうで」
「……待て」
茸って。僕の乏しい知識じゃあ、傷薬になるとは思えないんだが。
もしや精力剤かなにかか?
「な、治るんだろうか、ちゃんと」
「あら、大丈夫に決まっているじゃない」
と、気付けばいつの間にか幽々子も来ていた。
「また、やけに断言するじゃないか」
「貴方は人間じゃなくて生霊。本来の自分の肉体を持つ生霊は、肉体と相互に影響しあっている。身体のほうは無傷なんだから、そっちに引っ張られてすぐ治るわよ」
「待て。その理屈だと、僕の身体の方が傷つくということもあるんじゃないか?」
それは考えていなかったとばかりに手を打つな。
「まあ、内出血くらいはするかもね」
「……怪奇現象だなぁ」
「歩く怪奇現象の貴方が言うの?」
「幽々子。お前、鏡ってのを見たことがないのか」
亡霊に言われる筋合いはない。
「ま、無事な腕と怪我した腕、両方の中間くらいにはなるでしょう」
「……うれしいような、うれしくないような」
む、そう言えば、腹が減った。
「妖夢。悪いんだけど、ご飯くれないかな?」
む。普段は打てば響くように返事をくれる妖夢がなんか申し訳なさそうにしている。
「すみません。良也さん。実は、その……」
「貴方が買い物してこなかったせいで、今日のご飯は私一人分しかなかったのよ~」
……は?
「すみません」
「……えーと」
「今すぐ食べられるものは、煎餅くらいしか」
って、買った米とかは……うん、ルーミアと弾幕勝負始めて、いつの間にかなくなっていたような。
「妖夢を責めちゃ駄目よ。魔理沙に連れてこられた貴方をいままで看病してたんだから」
「……責める気なんてないよ。妖夢、煎餅でもいいから食わせてもらっていい?」
「あ、はい。持ってきます」
ぱたぱたと妖夢は部屋から出て行く。
看病かぁ……。大学入って一人暮らし始めてから、風邪引いたときでも自分でおかゆとか作ってたんだけど、そっかー、なんかいいなぁ。
「なににやにやしているの?」
「いいだろ。ちょっとした幸せに浸っても」
「よくわからないけれど。紫が言うには、こういうのをキモいって言うらしいわね」
思わず倒れこんだ。
「は、はぁっ!?」
「起きて妙なことを言い出したら、そう言ってあげなさい、と言われたけど?」
あ、あの人は……
というか、どうして僕に構うんだ。
「弄ると面白いからじゃないかしら?」
「心を読むな」
「私はそんなことしないわ。顔に出ていたわよ」
そんな僕ってわかりやすいか? あと、しないってことは、出来ることは出来るんだな。
「ま、私もそうなんだけれど、普通の人間とまともに話すことなんてあまりないし、新鮮なんでしょう。貴方が普通の人間かどうかは、議論の余地があるけれども」
「珍獣を見る気分か」
「そんなところね。それとよそんちのペットを可愛がる感覚なんじゃないかしら」
だから人をペット扱いすんなっつーの。
さて、次の日。
妖夢が朝一番で取ってきたと言う魚を食べ終わり、僕は恐る恐る左手を見た。
「……とりあえず、包帯換えないとな」
やだなぁ、あんまり見たくないなぁ。グロいに決まってるし。
「手伝いましょうか?」
「頼む」
妖夢のありがたい申し出に頷く。
大体、僕は包帯の巻き方なんて知らない。
「うわぁい」
思わず声が漏れた。
血を吸って、包帯の内側は真っ赤に染まっている。外気に晒されると、ヒリヒリ痛むし……
「あ、大したことありませんね」
「……妖夢。そのコメントは、どういう意味かな」
「だって、肌がちょっと切れているだけですよ? 出血は派手ですけど」
別に『きゃあ』とか言わせたいわけではないけれど、その反応は乙女としてどうよ。
……まあ、腰から刀ぶら下げている少女の反応としては普通なのだろうが、刀を持っていること自体普通じゃないよね。
「ん~? でも、そろそろ治ってもいいと思うんだけど、ぜんぜん変わりないわね」
「昨日言っていたことか?」
確かに、幽々子は昨日、本来の身体のほうに引っ張られてすぐ治るとか言っていたな。
「ま、貴方は冥界まで来た妙な生霊だし、そういう定石が当て嵌まらないのかもね」
「幽々子に妙と言われる日が来るとは……」
三人前をぺろりと平らげたり、幽霊の住む屋敷の主だったり、極め付けに『死を操る程度』なんつー物騒な能力を持っているらしい幽々子に言われたくはなかった。
あと、そんな極悪な能力に『程度』なんてつけんな。
「とにかく、傷のほうは任せてください。秘伝の傷薬が」
「……茸で作った薬と、どっちが効く?」
「魂魄家に伝わる薬です。そこらの魔法使い風情が作ったものとは比べ物になりません」
まあ、比べられたくはないかもしれないけど。
「というか、貴方。生霊だけど幽霊でもあるんだから、気合を入れれば傷くらい吹き飛ぶわよ」
「んな適当な治療法があってたまるか」
「適当じゃないわよ。幽霊は、気質が形をとったようなものなんだから。感情の揺れと、幽霊の身体(?)には密接な関係があるわ」
そんなこと言われてもなぁ。
などと、幽々子と益体もない話をしている間にも、妖夢は見事な手際で僕の腕の治療を進める。
濡れた布巾でこびりついた血をぬぐい、べたべたする薬品(これが秘伝の傷薬と思われる)を塗りたくり、包帯を巻く。
「はい、できました」
「おお、ありがとう」
いや、ちょっと包帯がごわごわして気持ち悪かったんだけど、異様にすっきりだ。
「さて、僕は……なにかすることはない? 妖夢」
「ありません。怪我人はゆっくり休んでください。買い物も私が行きますから」
断固とした調子で言う妖夢になにも言えない。心配してくれるのを無碍にするのもアレだし。
むう、仕方ない。幽々子とまったりお茶でも飲んでるか。
「というわけで、姉ちゃん。茶ぁシバキにいかへんか」
「なにそれ」
「ナンパ」
一体何年前のセンスだと聞いてはいけない。
「難破? それはそれは。お悔やみ申し上げますわ」
「近くに海なんてあったっけ」
「海はありませんけど、三途の川なら割と近くに」
「うわぁ、さすがは冥界。死に近いと言うか人生崖っぷち?」
「ここは崖から転がり落ちた人が来るところですから。貴方は……崖から落ちたと言うより、崖を降りたという感じですけれど」
「やだなぁ。人の道を外れる気はなかったんだけど」
「あらあら。とっくに外れていますわ」
「とっくっていつからだよ」
幽々子との会話は割りと楽しい。
ほとんど脳の反射でするような会話だが、なんかこのペースは好きだ。
「……で、私はお茶を淹れてくればいいんですか?」
ま、生真面目な妖夢には、不評なのだが。
しかし、僕も白玉楼にけっこう馴染んだよなぁ……とか思いつつ、いつの間にかこの日は過ぎていった。




