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干渉し合って

 その後、ネイトはヒナと共に二人が最初に出会った川の下流にあたる場所の岸部に腰を下ろし、彼女にオオトカゲに受けた左足の傷の手当をしてもらう事になった。

「イテッ、イダダダダッ!? 染みてるっての! おい!」

「うるさい、傷口の穢れ、これで弱まる。大人しくして」

 ヒナは川の水でネイトの左足の傷を軽くすすいだ後、途中でむしった特徴的な細長い葉っぱを拾った岩で乱暴にすりつぶして、変な汁塗れになったそれを左足の傷口に思い切り掌で擦りつけてきた。当然沁みて刺さるような痛みが駆け巡ってきたが、彼女の強い腕力で動きを抑え込まれてしまった。

 ヒナ曰くロア族の間では狩りで負った怪我は大抵この草を塗ればすぐに治るらしい、野生に生きる彼等の知恵なのだろうが、ネイトとしては自然界の変な菌が入らないか心配であった。

(まぁ、一応心配してくれて……るのか?)

 逃がされたかと思うと向こうから接触してきて変な奴だとは思ったが、島の外から突然やってきた異邦者とちゃんと言葉を交わしてくれるだけでも、孤立無援のネイトには心強かった。

 出会いは矢を射られ蹴り飛ばされるという、最悪のものではあったが。

「手慣れてるな」

「そうでも、ない。お婆ちゃんの、真似してるだけ。でも、出来ないと、狩り出来ない」

「ロア族はいつも、さっきの化け物みたいなのを狩ってるのか?」

「あの大きさ、いくらでもいる。この島で生きるって事は、生き物から命を貰うって事。ハウ  

 ロア様のお恵みを頂くのは、簡単じゃないから」

 さらりと出てきたハウロア様という言葉が引っかかり、ネイトは患部を覆うように葉を巻くヒナに質問してみる。

「ハウロア様って、あんたの婆さんも言ってたがなんなんだ? 信仰してる神様か?」

「ハウロア様は、この島をされた方。この島にあるものは全て、ハウロア様が創造された。木

 も草も水も生き物も全て。私達はそれを感謝して、頂いて生きている」

 彼女の言う思想は、この島特有の宗教、土着信仰というものだろうか。

 世界にはネイトが知るだけでも数多くの宗教が存在し、殆どの人間が何らかの宗教の信徒である。中には数億人規模の信者を抱える強大な勢力も存在し、国や地域によっては政治に介入したり、異教と衝突して戦争を引き起こす原因となるぐらい、人の歴史に深く根ざしてきた。

 そして、ネイトが生きていた文明から切り離されたこんな南海の孤島でも、同じ宗教的な考え方が存在しているのを知ると、ロア族もやはり同じ人類なんだなと思えてきた。

「……ハウロア様に会った事あるのか?」

「この島全てがハウロア様のもの、だからこの島での行為全てにハウロア様の許しが必要、感 

 謝が必要。ロアの民はそうやって、ハウロア様から命を頂いて、命を繋いできた」

「行為って……狩りとかか?」

「そう。狩りは命を奪い命を得る行為、本当は悪、でも生きるためには必要。だから毎日ハウ

 ロア様に頭を下げて許しを得ている。そして新たな命、私達の前に創造してくれる」

 ネイトの傷口に薬草を巻き終えながら、ヒナは少し饒舌になった口でそう語る。

 そういう考え方なのかと、ネイトはこの島に浸透している信仰について頭を整理していく。

(あぁ、なんだ)

 そしてロア族にとっての『生きる』事の考え方をなんとなく理解した時、ネイトは自分の心の中が氷水が流し込まれたかのように、急激に冷え込んでいくのを感じていた。

「っ、これでいい。今日一日つけてれば、明日には……」

「生き物は生き物自身が生殖して生まれ、死んだらそれまでだ」

 突然ネイトが口にした言葉に、手当を終えて立ち上がろうとしていたヒナは中腰のまま、何を言っているのか分からないという風に体を固まらせる。

「……何を、言っている?」

「いくら感謝したって、食われた方は結局死ぬんだ。殺した事の許しなんて必要ねぇよ」

「命を奪う、簡単じゃない。ハウロア様、意味のない殺し、許さない」

「神がどう思おうと、生き物ってのは殺し合うものだろ。そこに善悪はねぇ、あるのはやるか

 やられるか、それが生き物の本能って奴だ……それに殺すってのは、簡単だぜ?」

「っ、お前!」

 ネイトの言葉が癇に障ったのか、ヒナは勢いよく立ち上がると片手で肩を強い力で掴んで、顔を間近にして鋭い眼光で睨みつけ怒りを露わにする。

「お前、命の大切さ、分かってない! 愚か者だ! 私達、生き物を殺すのに覚悟がいる。命

 を貰える事感謝して狩っている! お前、分かってない!」

 ロア族の信仰内容を否定されたのが余程頭に来たのだろう、ヒナはネイトの肩を握りつぶさんほどの恐ろしい握力で掴んで離さず、激情をぶつけてきている。

 だがそれでも、ネイトは彼女に正気のない冷めた眼を向けたまま、言葉を返す。

「……殺すってのは、相手を消すって事だ。生き物から死骸に変えてこの世界からいなくなる 

 ようにするんだよ。いくら感謝したって謝ったって、もうそいつはいないんだ」

「偉そうに、語るな!」

「俺は最低十人、殺した事がある」

 そう言い放った直後、ネイトはヒナが初めて自分の前で息を呑み、警戒心とは違うもっと強い敵意と拒絶に似た感情を抱いたであろう事を、表情の変化と仕草から感じ取った。

「この際だからさっきあんたが疑問に思った事を答えてやる。俺は軍人だ、軍人ってのは国、

 あんたの住んでる村みたいなのがたくさん集まった感じの勢力が危険に晒されないように敵

 と戦って生きる仕事の事だ。そして敵ってのは大体、別の国に生きる同じ人間でもある。戦

 うってのは言うまでもなく相手を殺すって事だ」

「……なら、お前は……軍人は、人を殺す者、という意味?」

 眉をひそめ、僅かに声を震わせながらのヒナの質問に、ネイトはあっさりと頷いて、

「そうだ。人を守るために人を殺す、人に殺されそうになりながら人を殺す。そこに命を奪う

 事への謝罪なんてない、軍人にとっての殺しは、ただ自分が生き残るための行為だ」

「違う! お前の言う事、おかしい! 人が人を殺す、ありえない!」

 興奮気味のヒナに汚らわしい物を遠ざけるように突き飛ばされたネイトは、背中からごろんと地面に倒れて尻餅をついてしまった。

「痛っ……! あぁ、おかしいだろ。けどそれが島の外の世界だ。そこから来た俺なら分かる

 ぜ、あんた等がハウロアってのに命を奪う事を許してもらうってのは、あんた等が勝手に意

 味をつけて美化してるだけだってのはな」

「うるさい!」

 ヒナは足下に置いていた槍の柄の部分で胸倉を殴りつけてきて、仰向けに倒れたネイトの顔のすぐ横に槍を振り下ろし、体の上に跨るような姿勢で見下ろしてきた。

「お前、ハウロア様に失礼な事言った。私達ロア族を貶した。やっぱりお前、余所者!」

 自分達の思想をどこぞの馬の骨とも知れぬ異邦者に否定され、命を軽んじる発言に腹が立ったのだろう、ヒナの表情は鬼気迫るくらいに凄まじい怒りに満ちていたものであった。

「……見飽きてんだよ、命が奪われる光景なんて」

 そんな姿を見て、ネイトは驚く事はなく、むしろその反応が来るのを分かりきっていたように涼しげな表情のまま、浮かび上がってきた言葉を吐き出した。

「俺が海を漂流してたのは、乗っていた軍の船が敵の砲撃で吹き飛ばされたからだ」

「ほうげき……?」

「石より硬くて人の顔くらいのある塊が、矢よりも遥かに速く飛んでくるのさ。当たればあん

 たが住んでる村が一発で吹き飛ぶくらいの威力があって、それが雨のように降ってきた。俺

 の仲間の殆どはそれに当たって、跡形もなくなっただろうよ」

 島に流れ着く前に起きた悲惨な出来事を、なぜこのタイミングで話し出したのか、ネイトにもよく理由は分からなかった。

 ただその内容は、命を奪う事は大変な行為だというロア族の考えからすれば、かなり衝撃的なものだというのははっきりとしていた。

「死ぬってのはあっさりしてて、突然やってくる。どれだけ数が多くて優れた生き物でも、次

 の瞬間には何かの拍子に息が止まってただの『物』になっちまう。そこに意味を見出せるの

 は、俺の住む世界じゃもう難しくなってるのさ」

「……っ!」

「……悪かったよ、あんたには関係のない話だったな。もう行くからどいてくれ」

 ネイトが素っ気ない態度でそう言うと、ヒナは何かを言いたそうにしながらも歯を食いしばるようにして立ち上がり、とっとと行けと顎で指示する。

「この島、お前の居場所、ない。外の世界に、戻れ……!」

「……それまでトカゲに食われないように気を付けるさ。手当してもらったしな」

 小さく手を掲げて礼を述べると、ネイトは足早にその場を立ち去る事にした。

 一度だけ振り返った時、ヒナはじっとこちらを睨むように強い眼力で見つめ続けていて、視界からネイトというこの島にとっての異物が見えなくなるのを監視しているようにも見えた。



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