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サバイバル

「さぁて、先住民の晩飯になるのだけは避けられたが……どうするかなぁ」

 ひたすら村から離れる事だけ考えて、陽光の下で蒸し風呂のように熱せられた森の中を進んだネイトは、至るところから汗を拭きだし疲労困憊の体を休ませるため、嵐か何かで倒れた朽木にもたれかかるようにして腰を下ろした。

 彼の目標は言うまでもなく島から脱出し本来いるべき社会に生還する事だ、だが人一人の力で大海原を渡って生き延び、さらに目的の場所に辿り着くのは簡単な事ではない。

 泳いで脱出は論外として、やはり船の代わりになるものを見つけるか作って海を渡る方法が一番現実的かもしれないが、そう都合よく人が乗れる程の大きさで水に浮くものがこの島にあるとは思えず、木などで造るにしても相当な労力を必要とする。脱出のための準備を整える事すら今のネイトには難しいといって過言ではなかった。

「その前に、体を休められるところを探さないとまずいか……」

 海を漂った疲労とロア族の少女に完膚なきまでにボコボコにされ、縛られて吊るされた後で森の中を走り続けた事でネイトの体の耐久力はとっくに限界を迎えており、今にも卒倒してしまってもおかしくない状態であった。

 休憩を終え、ふらりと危なっかしい足取りでさらに散策を続けると、海辺の岩場にスプーンでくり抜かれたような洞穴が存在するのを発見し、日差しがあまり差し込まないのを確認してからそこをとりあえずの行動の拠点とする事にした。

「一食に五センチ分使うとして……それでも一週間もたねぇよなぁクソ!」

 持っていた携帯用のチョコバーは一本が十五センチほどの長さで、成人男性であるネイトにとってこの過酷な環境である島で生き延びるためのカロリーとしてはあまりに少ない。

 幸い水は川から拝借すればなんとかなる、問題は食べ物の確保だ。 

 長居するつもりはないが、野垂れ死んでは意味がない。果物でも野草でもいいから食べられるものを探そうと、ネイトは小休止した後、重い足取りで森へと戻り再び散策をする。

 熱湯と化した汗を零しながら、どこまでも広がる草木を周到に見回し、軍のサバイバルの講習で教えられた食用になる植物を探して回るも、同じような葉っぱや花が生い茂る光景は彼のお目当ての植物を隠して嘲笑っているようにも見え、自然とネイトの焦りも増していく。

「おっ、おぉ!? あれはえっと確か……!」

 そんな状況の中でようやく前方に食べられそうな果物の成る木を発見し、釣り餌に群がる小魚のように疲れ切った足を全力で動かして駆け寄っていく。

「おぉ、やっぱりピタヤだろこれ! 野生でも生えてるもんなんだな~」

 ネイトが見つけたのはドラゴンフルーツとも呼ばれる赤く棘のある果物が葉の部分に複数ついており、一つをもいでナイフで切ってみると、中には多くの果汁が含まれた白っぽい果肉が詰まっていて、ネイトは本能的にそれにかぶりついて味を確かめる。

「ふぅ~! あー甘酸っぺぇ! これだけでも十分腹の足しになるだろ! こりゃ神様からの

 お恵みだわ。はぁー本当助かったぜ」

 ピタヤの実は周辺にいくつも成っているようで、獲り過ぎなければしばらくは食べ物に困る事はないだろう。

 ここまで悲劇の主人公になったのかと錯覚するほど不運な出来事が続いてきたが、その反動でラッキーがやっと巡ってきたかと、ネイトは片腕で抱えられるだけピタヤを収穫し、先程の海辺の洞穴に戻ろうとする。

「ん? なんだ?」

 と、歩みを進めようとした矢先、遠くで聞こえていた野鳥や虫の鳴き声の中に、グーグーと人間のいびきのような低い唸りが混じった気がして思わず足を止める。

 耳を澄ますとそれは確かにはっきりと不規則に繰り替えされており、腹の底に響くような妙な重みと不気味さが感じられる鳴き声であった。

(動物か? そういやロア族は狩りをして生きてるんだったな……)

 狩猟民族としてロア族がこの島で生きているという事は、狩りをして得るだけの獲物もまたこの島に生息しているという事だ。だから島を歩き回っていて、そうした生き物と出会っても何の不思議もないだろう。

 問題は、それがヒナと呼ばれた少女のような高い身体能力を持ち、且つ武装して対峙しなければならないような、危険な相手なのかという点だ。

 それに気付いた瞬間、ネイトは額から流れていた汗が急に熱を失ったような寒気に襲われ、ピタヤの汁で汚れたナイフを慌てて構える。

 その数秒後だった、突如草木を強引に掻き分け地面を激しく踏みつける音が大きくなり、音の原因が彼の後方から飛び出してきたのは。

「うおっ……わぁ!?」

 肉薄してきたそれを間一髪のところで飛び退いて回避し、距離を置いて改めて正面からその正体を肉眼で確認したネイトは、間抜けな声でこう叫んだ。

「とっ、トカゲ!? でかすぎだろ!」

 全長三メートル以上はある爬虫類らしきその生き物は、鎧の如きゴツゴツした皮膚を持ち、獰猛な眼と鋭い牙を覗かせる顔つきはまるで恐竜のような恐ろしさを誇っている。

 四つん這いで息を荒げたそのオオトカゲは、明らかにネイトを敵視しているようだ。

「なんだよ……これが欲しいのかよ」

 食いかけのピタヤをオオトカゲの前に投げると、すぐにそれにかぶりついて汚く果汁を撒き散らしながら咀嚼している。

 食事に気を取られている隙に逃げ出そうと、ネイトはその場から立ち去るために足を動かしたが、その動きが目に入ったのかオオトカゲはすぐに動きを止め、顔を素早くネイトの方へ向けて再び激しく威嚇をしてきた。

「くそっ、何がしたいんだよこのトカゲは!」

 もう一つピタヤを投げつけるも今度は見向きもしない、どうやら完全にネイトを警戒しているようで、隙あらば飛び掛かってきそうな雰囲気にいよいよ命の危機を感じる。

「あぁもう!」

 次の瞬間、ネイトは思い切ってトカゲに背を向け、出来る限りの全速力で走りだした。

 相手は四足歩行で体も大きい、さすがに人の足に追いついてくる事はないだろうと予想しての判断で、蔓延る草や太い木の根を飛び越えながら一心不乱に足を動かす。

「がっ!?」

 その途中地面から出っ張った岩に足を引っかけよろけてしまったが、さすがにもう引き離しただろうと軽い気持ちで背後を振り返るネイト。

 しかし目に映った光景に対する彼の反応は安堵ではなく、驚愕からの絶句であった。

 なんと、あれだけ疾駆したにも関わらず、オオトカゲが自分の背後僅か五メートル弱にまで迫っており、こちらに向かって尚も走り続けていたのだ。

「嘘だろ……おわっ!?」

 嘆きの声を漏らす間もなく、オオトカゲはネイトの足下めがけて鋭利な牙の生え揃った大あごを開け広げて、ロケットのような勢いで飛び掛かってきた。

 咄嗟に回避したネイトだが、予想外の攻撃に半ばパニック状態になり、おぼつかない足取りのままなんとかオオトカゲを引き離そうと我武者羅に走り続ける。

 だが既に疲労困憊なネイトの足は速くなる事はなく、酷使し続けていた肺も限界とばかりに息が絶え絶えとなり、徐々に失速してオオトカゲの接近を許してしまう。

「っ!? ひぃ!」

 そしてそんな彼の左足めがけて、オオトカゲの大あごが食らいつかんと迫り、牙の先端がふくらはぎを掠めて傷を作り、軍用のズボンの布地にがっちりと噛みつかれてしまう。

「お、おい! 離せ!」

 持っていたピタヤを離した左手にナイフを持ち替え、オオトカゲを切りつけようと振り回すも、首を乱暴に振り回す動きととてつもない怪力のせいで思うように体を動かせられない。

 やがてズボンの布が千切れ、その拍子に尻餅をついてしまうネイトは、好き勝手にされて溜まった苛々をぶつけようと腰を上げるが、

「あ、」

 その途中、前屈みの形になったところで彼は気づいた。

 まるで体勢を立て直す事に意識が傾いた隙を突くかのように、オオトカゲが喉の奥が見えるくらいに大きくあごを広げて今にも噛みつかんとしているのを。

 避けなければ、逃げなければ、そんな行動選択が出来ないほど突然の事で頭が真っ白になってしまい、体が石のように硬直してしまうネイト。

 そしてその僅かな時間は、オオトカゲが獲物に食らいつくには十分過ぎる間であった。

 数秒後、自分は体に牙の突き刺さる鈍い音と激痛に襲われるだろう、一瞬の間にそう察したネイトはただ動く事すら出来ず、予想が現実になるのを待つのみであった。

「ジャガントーロー!」

 その時だった、突如聞こえてきた声と共に、今にもネイトに噛みつこうとしていたオオトカゲの体の側面に細長い何かが突き刺さり、苦しむような悲鳴を上げたのは。

 オオトカゲの横合いを襲ったのは一本の弓矢で、皮膚があまり硬そうでない下腹を狙い澄ましたように穿たれていて、苦しそうにその場でバタバタと暴れ回っている。

 距離を取って後退りしたところで、ネイトは弓矢が飛んできた方向に顔を向けた。

「あ、あんたは……」

「メヤナディカー……情けない、奴」

 弓を構え、吐き捨てるように呟いたその人物は、他でもないネイトを蹴り倒して捕獲し、そして解放を許した張本人であるロア族の少女、ヒナであった。

「邪魔!」

 彼女は叫ぶと同時に駆け出すと、手にした木の槍をオオトカゲの首元めがけて、飛び掛かる勢いを利用して思い切り突き刺した。

 急所への鋭い一撃に立派な体躯のオオトカゲもさすがに耐える事が出来なかったようで、槍を引き抜かれて開いた穴から鮮血を流しながらのたうち回った後、森の奥へと逃げて行った。

「すげぇ……」

 地面に残った血痕を眺めながら、ネイトが目の前に起きた光景に圧倒されていると、

「立ったまま、死にたいとしか、思えない」

 ぎこちない喋り方で辛辣な言葉をかけられるも、オオトカゲを前に委縮して動けなくなっていたのは事実なので何も言い返せず、ネイトは苦笑いを浮かべる。

「また助けられちまったな」

「……また?」

「さっきも俺を逃がしてくれただろう? あんたの仲間の晩飯にならなくて済んだよ」

「ロアの民、人、食べない。逃がしたの、お前、邪魔だったから」

 食人族扱いされたのが気に食わなかったのか、ヒナは不機嫌そうに表情を歪める。

「半分冗談だっての。けどまた遭遇するなんてな、狩りの途中だったか? なら早くあの化け

 物トカゲを追った方がいいぜ、逃げちまうぞ」

「平気、あのカーダル、そのうち死ぬ。後で獲って帰る」

 カーダルとはおそらくあのオオトカゲの名前なのだろう、あの大きさでも驚かないあたり、この島にはああいうのが普通に生息しているのだろうか。

「それに、狩りをしに来たんじゃ、ない」

「そうなのか? じゃあなんで村から出てきたんだ?」

「……死にかけてたくせに」

「ん、何だって?」

 何かボソリと呟いた気がしたが、ヒナは誤魔化すように顔をネイトからぷいと背ける。

「……お前、落とした。これ、返そうと思って」

 ヒナは腰につけていた何かを手に取ると、腕を突き出しネイトの眼前にかざしてくる。じゃらじゃらとした音と共に銀色の輝きが見え、ネイトはそれが見覚えあるものだと気付いた。

「あ、これ俺のドッグタグじゃん」

「どっぐたぐ? なんだ、それは」

「軍人が使う、自分の名前や生年月日とかが書かれた名札みたいなものだ。軍じゃ兵隊なんて

 吐いて捨てるほどいるからな、こういうのがないと死んだ時供養もしてもらえねぇんだ」

「軍……死ぬ? お前、何者だ?」

 片眉をひそめて怪訝そうに尋ねてくるヒナ。そういえばずっとこの島に住んでいるのなら、そもそも軍という存在を知る機会すらないのかとネイトは気づく。

「……あんたの婆さんが言ってただろ、軍人だって。国のために敵と戦うのが役目さ」

「戦う、国……って? ん、何と、なんで?」

 聞き慣れない言葉の連続にヒナはやや困惑しているようで、埒が明かないとネイトは一旦会話を中断させる事にした。

「あーあー待ってくれ、説明するのはいいんだが……っ、少し休ませてくれるか?」

 そう言いながらネイトは自身の左足の膝辺りに視線を落とし、ズボンは破れオオトカゲの牙でつけられた傷痕がくっきりと残っているのを見て頬を引き攣らせる。

「大した事、ない」

「言ってくれるなぁ、結構痛むんだぞ? 傷を見ちまったから、余計にな……」

 とはいえここで立ち止まっていたら、いつまたさっきのような危険生物が現れるのか分からない、ひとまず海辺の洞穴に戻ろうと、地面に落ちていたピタヤを拾い上げる。

「何を、している」

「戻るんだよ。とりあえずこの島で生きていくための拠点にな」

 軽く左足を引きずる形にはなるが、歩く事に支障はない。正直もう激しい行動はしたくないと、精神的にもまいってしまったネイトはこの場を立ち去るべく、ヒナからドッグタグを受け取ろうと片手を伸ばすが、

「……待て」

 触れる寸前で彼女は手を引っ込め、それからネイトの全身を見回してから、そう呟いた。

「なんだよ、返してくれないのか?」

「傷口、そのままだと、爛れる。よくない穢れ、流れ込む。清めるべき」

「手当か? まぁ後で水で洗い流すさ」

「ダメ、カーダルの牙、命を食らって穢れていた。こっち、来い」

 ヒナはわざわざドッグタグを腰につけ直して、顎で合図して先導するように歩き出した。

「おいおいどうしたんだ? 俺は村から逃げ出した獲物なんだろ? なら……」

「黙れ。お前、私に捕まった。獲物が捕まえた人間に刃向かうの、許されない」

 引き締まったヒナの腕の力は見た目の細さとのギャップもあって強力で、疲れ切ったネイトには抗う術もなく、首根っこを掴まれ引っ張られるがまま彼女についていく事になった。


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