憧れと夢と 1
野鳥の鳴き声がいくつも重なり合い、眠りに落ちていたネイトの意識を覚醒させる。
地べたの上に草葉を敷いただけの寝床は、しかし洞穴の冷たく硬い岩肌よりはマシだったらしく、この島に来てから一番の深い眠りにつけていた。
「目が覚めたかいのぅ、軍人さん」
上体を起こすと同時に背後から聞こえてきた声に振り返ると、村の長のみが許される派手めな装いをしたロア族の長老・ペレの姿が目に入る。
「あ、っと、おはよう、ございます?」
「ロアの民の朝は早いんじゃ、もう皆とっくに起きとる。はよ太陽の光浴びてハウロア様に挨
拶してきんさい」
「あ~……はい」
促されるがまま、小屋の外に歩み出るネイト。
その先に広がっていたのは、草木製の小屋がいくつも立ち並ぶ、ロア族が住まう村の静かな朝の光景であった。
元気に駆け回る少年少女に、寝ぼけて地べたに座り込むおじさん、朝食に使うための水を近くの川から木の桶で運んできた母達や狩りの準備のために槍や弓の手入れをする若者達と、色んな形で早朝の時間を過ごしており、今まで見た事のなかった日常的な風景に、ネイトは呆然とそれらを眺めてしまう。
やがて彼等は皆ネイトの存在に気が付き、一様に動きを止めて凝視してきた。
(うお、こえぇ)
警戒されていると緊張感を高めるネイト、だが気のせいか受ける視線に敵意は感じられず、どちらかというと好奇心からこちらの様子を伺っているようにも思えた。
「えっと、グッモーニン、じゃなくて……せ、セラマッギー」
ネイトがうろ覚えのロア族の言葉での挨拶をすると、数秒間戸惑った後、近い位置にいた幼い子供達がもっとネイティブな発音で返してきてくれた。
他の大人達も子供達につられるように軽く会釈をしてきて、なんとか居心地の悪さは和らげることが出来、ほっと胸を撫で下ろすネイト。
「アー……ネイト、サン?」
と、横合いから声をかけられ振り向いたネイトは、自分のすぐ横に一人の少女がこちらを見据えるようにして立っている姿に気が付いた。
肩まで伸びる茶色い髪がさらりと風に揺れ、ワンピース風の衣服でおしとやかな可愛らしさを醸し出した少女で、ネイトより五つぐらいは年が下のように見える。
「あんたは確か、ヒナの友達の……クーだっけ?」
「エー、アー……カモン? ヒナ、ヒナ、アー……」
クーはロア族の言語が分からないネイトに何かを伝えようと、どう表現しようか迷いながらもジェスチャーを交えて話しかけてくる。
「もしかして、ヒナが呼んでるって言いたいのか?」
クーが腕を向ける方を自らも指差しながらネイトがそう言うと、彼女にその意思が伝わったのか、明るい笑顔を浮かべて頷き、ついてくるように手招きされる。
村を抜け、森に入り、新緑の道なき道を歩んでいくと、しばらくして木々が立ち並ぶ光景の中に不自然に開けた場所が前方に見えてきた。
遮るものがなくスポットライトのように朝陽が降り注ぐその地点に二つの人影、それはどちらもネイトが見覚えのある姿だと気が付く。
「タラディバワーカ(連れてきたよー)!」
クーが手を振りながら声をかけると、その二人は揃って顔をこちらへ向けてきた。
「ネイト! 起きた、か」
二人のうちの一人、ロア族の狩人の少女であり、ネイトのこの島での恩人でもあるヒナがいつも通りのぎこちない口調で話しかけてきた。
「おう、人が作った寝床はやっぱ気分が落ち着くわ」
「そうか、それは、良かった」
「クーにここまで連れてこられたんだけど、何かあるのか?」
「あぁ、ハウロア様に挨拶、しろ。新たな日を迎えられた事、感謝しろ」
ヒナは顎でこっちに来いと指示を出してきて、ネイトは彼女の元へ足を進める。
どうやらハウロア様への朝の挨拶はロア族の慣習の一つらしく、信仰する神への祈祷の意味が含まれているようだ。
「待てぇ! その前に、俺と話せぇ!」
ヒナまで後数歩の距離まで近づいたところで、彼女の兄のミハロイが間に割って入るように進み出てきて、大きな声で呼び止めてくる。
「え、あ、はい。なんですか?」
ミハロイは前のめりになるように顔を近づけてきて、じろりとネイトの体を見回してから、
「……ああああぁ! ……すまなかった、貴様に、酷い仕打ちをして、申し訳ないぃ!」
小恥ずかしいのか、わざわざ視線を地面に背けながら、そう謝罪してきた。
「もういいですって、皆の前で和解の握手もしたじゃないですか。お互い様ですよ、俺だって
あんたを煽って……」
「いやっ! 俺はヒナの大事な人間を傷つけ追い込んだ、その非道ぶりを時間が経って貴様の
人となりを見て、ようやく理解出来た。だから、もう一度謝らなければ気が済まないぃ!」
そう言ってミハロイは、意を決したようにくわっと目を見開き、固い意思を示してきた。
「あー……あんたが妹を愛してるのは、よく分かったつもりですから、その愛情はこれからも
変えないでくださいね。兄妹愛って、俺達の世界じゃ歳を取るほど忘れやすいもんなんで」
ミハロイと取り巻き達によるネイトへの襲撃は、島の外からやってきた異邦者が妹に悪影響を与えないかという危惧による行動であり、家族を大切に想うからこその凶行だとネイトも既に理解している。
なので責める気は毛頭ない、それよりもこれがきっかけで妹であるヒナに愛情を注ぐ事を躊躇ってしまわないかの方が心配で、ネイトはこれからもヒナを大事にしてくれという意味合いで言葉を返した。
「……俺は、村に戻る。ちゃんとハウロア様に祈っておけよぉ」
ミハロイは再び顔を背けると、そう呟きながらネイトの横をすり抜け村の方向へ歩みを進めていくが、すぐに方向転換してネイトに迫ってくると、先程よりも幾分険しい表情をして、
「ただぁし! ヒナに如何わしい事をしたら、今度こそ殺すぅ! それは絶対だぁ! 島に骨
を埋めたくなければ、くれぐれもあらぬ欲は掻き立てるなぁ!?」
「あぁ……はい」
唐突に眼前から浴びせかけられる殺気に、ネイトは一言返事をするので精一杯であった。
冗談ではなく、ヒナに何かすれば本気で殺される、ネイトの本能がそう告げていて、余計な真似をする気など微塵も沸いてこなかった。
「カカ、ビジーング(兄さん、うるさい)!」
ヒナの横槍も気にせず、ミハロイは「いいなぁ!?」と釘を刺してから、今度こそ村への道なき道を進んでいく。
「(あはは、じゃあ私も先に帰ってるねー。頑張って、ヒナちゃん!)」
続けてクーも可憐な笑顔を見せて、軽く手を振りながらミハロイの後を追っていく。
「ビジーング! もう……スーまであんな事、言う……!」
「なんて言ったんだ? あんたの友達」
「なんでも、ない!」
やけに激しく否定するヒナに首を傾げつつ、ネイトは彼女の元へ進む。
「どうやってハウロア様に挨拶するんだ?」
「空を見ろ、手を組んで合わせろ、そして目を閉じて感謝しろ。ハウロア様の大地、ハウロア
様から頂いた命で、新たな一日迎えられた事に。強く願えば、ハウロア様に、想いが届く」
太陽光を浴びる中、両手を握り天を見上げるヒナの姿は、神への祈りを捧げるシスターのように美しくネイトの目に映り、しばらくの間見惚れてしまった。