灯(あかり)と暗転
「うーん、やっぱろくなものがねぇな」
夜、焚き火の灯りでぼんやりと照らされた洞穴の中でネイトは胡坐を掻き、目の前に所持品を全て出してから、つまらなそうに首を傾げた。
食料は殆ど島で獲れた果物や植物、それからヒナに協力して手に入れた動物の肉で補い手持ちの栄養バーは最初の頃に一本消費しただけで漂流時と大して数は減っていない。
ナイフと水を入れるボトルは必需品だが、海水と砂利に塗れて使い物になるか怪しい銃は正直今の状況ではただの鉄の置物でしかない。分解して真水で洗浄し乾かせばなんとかなるかもしれないが、面倒で結局放置したままになっていた。
「ここでこんなもの使う機会なんて、あるのかよ」
撃てば確実に相手の命を奪えるこの武器を使えば、この島に住む危険な獣は勿論身体能力で圧倒されるロア族の人間にも屈する事はないだろう。
しかし、ここで銃という武器の威力を見せてしまえば、今度こそ彼女や他のロア族の人間には自分を危険な余所者として排斥しようと思ってしまう気がした。
こうやって彼等の住む大地に居座っているだけでもまだ、漂流者の自分にとっては幸せな事だ、物騒な武器なんてここでの生活にはいらない、そう判断してネイトはあえて銃の手入れはしないようにしていたのだ。
「流れ着いたゴミの方が、ヒナにとってはお宝に見えるんだろうな」
ヒナが島の外の世界に興味を持っていると知り、ドッグタグやペットボトルといったゴミの他にも何か彼女の興味を引くようなものがないかと所持品の並べてみたものの、あいにく自慢出来そうなものはない。
ナイフはもう知られ、食用バーは脱出の目途が立っていないのに安易に渡せない、銃は危険な代物で、使い方を知らない彼女の手に渡すのは気が引ける。
海に落ちる前なら、もっと現代的な道具を持っていたんだがな、とネイトは溜め息をつく。
「あ、そういやスマホも海の底だよな? じゃあまさかやり込んでたゲームのデータも全部が
パーになってんじゃねぇか!?」
まさかではなく、十中八九海水に何日も浸かっていればいくら防水加工を施された携帯端末でも既に故障してしまっているだろう。
タッチパネル式の携帯端末には家族や友人のアドレスを始め写真や音楽のデータが数多く保存され、ゲームやネット接続も可能なネイトの生活においての必須アイテムであった。
例え生還したところで長年かけて集めたデータが全て失われていると思うととても気が重くなったが、同時にもし携帯端末が無事なまま今この場にあるとしたら、ヒナに島の外の代物として自慢する格好の材料になっていただろうともネイトは思っていた。
手の平サイズの板からあらゆる音楽が流れてきたり、映像が浮かび上がるのを見ればヒナは絶対に驚いて目を丸くする。それは純粋な好奇心から生まれた憧れの眼差しであろうと勝手に予想して、見る事が叶わなかった彼女の姿に胸が躍る。
(やっぱ、あいつに教えてやりてぇなぁ。俺のいた世界の、何か)
本来ならネイトもヒナも互いの存在を知らなかった筈の人間だ。ロア族にとってこの島の外の事など生きていく上で全く関係ないのだろうが、それでもヒナが島の外の事柄に興味を持ったのもまた事実だ。
自分が知らない事を始めて聞いた時の、彼女の輝く瞳が頭から離れない。
島で唯一の協力者として頼りになる人物として彼女を見ていたが、今ではそれ以上にロア族の少女という形に隠された彼女の本当の姿を見たいと、ネイトは思うようになっていた。
(やべ、変態みてぇだな、これだと)
だがそんな低俗な欲求が向いてしまうほど、自分は当初抱いていた彼女への警戒心が消え失せているのだと実感する。
向こうは今も余所者としか思っていないのかもしれないが、ネイトにとってヒナは既に特別な存在になりつつあった。
この危険と隣り合わせのサバイバル生活の中で助けてくれたからという、吊り橋効果の影響なのだろうとは自分でも思う。
それでもネイトの心はすっかりヒナの虜になっていた。
(島から脱出したら、あいつとは話せなくなる……)
当たり前の事実が、今は鋭く胸に突き刺さる。
島を出たいという思いが、僅かにだが確実に揺らいでいるのが分かって、そんなありえない邪念を振り払うようにネイトは顔を左右にぶんぶん振るう。
「馬鹿、あいつに言われたじゃねぇか。自分が生きてきた世界を諦めるなって……!」
今頃本国にいる家族や友人は自分の安否を気にかけているかもしれない、生存者を探すべく軍の捜索隊が動き出しているかもしれない、自分がいなくなった事で少なからず誰かに迷惑をかけているかもしれないと考えると、それらを無視する事など出来る筈もない。
ならば、島から脱出するというのなら、その時を迎えるまでがネイトの人生の中でヒナと交流の出来る時間であるという事になる。
イカダは出来たが無事に海を渡れるという保証はない、脱出が現実味を帯びるにはまだまだ様々な準備が必要ではある。
それを差し引いたとしても、ネイトのこの島での残された時間は決して多くはない。
なんだかすごくもどかしい、一刻も早く生還したいのに、漂流した島から離れるのも気が進まない、そんな恐ろしく優柔不断で我儘な悩みに苛まれる自分が馬鹿馬鹿しくて、ネイトは両手を使って頬を一発強い力で叩き、気合を入れ直す。
(どの道脱出しないなんて選択肢はありえねぇ、ならその達成に集中しねぇと)
くだらない浮心にいつまでも翻弄されていてはいけない、ネイトはあくまでもこの島にいるべきでない異邦人なのだから。
ヒナに捕えられてロア族の村に連行された時の、村人達の敵意と畏怖の混じった視線は今でも覚えている、彼等は確実に自分を異物として捉えていた。
ヒナは特別だ、全員が自分に心を開いてくれるなんて、虫の良い話はある訳ないし、ネイトもそこまで骨を折るつもりはない。
余計な不安を考えても意味などない、自分がこの島から脱出すれば全てが解決するのだ。
脱出するためにやるべき事はまだ腐るほどある、安定性を高めるためにイカダの造りにもまだ改善の余地があるかもしれないし、脱出した後救助されるか陸地に辿り着くまでに餓死してしまわないよう多くの食料や飲み水を確保する必要もある。
何も解決などしてない、しかし確実に脱出に一歩ずつ近づいている。
ただ一つ分かるのは、ネイトにとって状況は確実に良い方へと進んでいるという事だ。
「おしっ、明日に備えてさっさと寝るか!」
もう外は暗闇に染まっていてイカダ造りを行う事は出来ない、晩飯にピタヤも平らげた、やる事がないなら無駄に時間を潰して静寂の流れる洞穴内でたむろするくらいなら、すぐに眠りについて明日への英気を養っておくべきだ。
そうと決まればすぐさま焚き火が消えないように集めておいた小枝を投げ入れ、体を冷やさないためにすぐ傍の地べたに仰向けになって就寝のための体勢になる。
早く明日になってイカダ造りの仕上げをしたい、脱出のために出来る限りの何かをしたい。
そして日が昇ればまたヒナに会える、そんな期待にネイトは心躍らせながら、目を閉じる。
ヒナへの気持ちの変化が影響しているからか、今の彼は憂う気持ちが気迫になり、前向きな意思に心が満たされていた。
だからだろう、翌日起きて飛び出すように向かった砂浜には当然、昨日造り上げて海の上を進む事にも成功した自信作のイカダが置いたままになっていると信じて疑わなかったのは。
一夜明けて、軽い足取りで海辺にやってきたネイトが見たのは、確かにヒナと協力して貰って造り上げたイカダではあった。
ただし、何本もの古い丸太を蔦で繋ぎ合わせた板状の完成した姿ではなく、中心部から爆発でも起きたのかと思わせる程四方八方に木片を飛び散らせ、砂浜の上に残骸による虚しい華を咲かせている凄惨な光景に成り果てた、既にイカダですらない姿となって。