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知らない顔

 降り注ぐ日差しに熱せられた草木の鼻をつくような臭いが立ち込める森の中、複数の人物が木の陰に身を隠すようにして佇み、息を殺してその場に待機していた。

 全員野生の中で生まれ育った事で鍛えられた筋肉質の体を持った男達で、ロアの民の狩人として昔から変わらない自然の中で得られる材料で造られた、股間部分だけを隠す簡素な衣服を身に着けており、彼等が今狩りの最中である事が見て取れる。

 だがそうだとしたら今の彼等の行動は不可解であった。

 本来ロアの狩人なら日中は獲物を見つけるまでとにかく森の中を走り回り、仕留めるために作戦を練って実行に移していなければならない。

 休憩しているにしては彼等は異様なまでに緊張感を放ち、互いに眉一つ動かす事も許さないくらいギスギスとしたオーラがその場には溢れていた。

「おいお前等ぁ、そこかぁ!」

 しばらくして森の奥から聞こえてきたのは、狩人の若い男衆の中でもリーダー格の青年、ミハロイの声であった。

 彼は片手に既に仕留めたバビブタンとロアの民が呼ぶ野豚を左肩に背負いながら、目を見開いて焦りの表情で他の連れ数人と共に駆けてきて、待機していた男達に声をかける。

「どこだあ!」

「……あれッス」

 木陰に身を隠していた男のうちの一人、十代の若い少年が声を潜めるように片手で口元に一刺し指を立てながら、もう一方の手に持った槍でとある方向を指す。

 その先に向けたミハロイの目に映ったのは、生い茂る緑のジャングルと断崖絶壁を隔ててどこまでも広がる透き通るような大洋、ロアの民の住む島に常に隣り合って存在し続けると共に彼等と外界を遮断してきた、傍にありながら不可侵でもある、水の支配する領域であった。

 今までなら、嵐の日でもない限り島の外である海を気に掛ける事などなかった。食料も衣服の材料も、必要なものはなんでも島の中で手に入る、ロアの民にとって海は関心を向けるものではなかったからだ。

 そんな海洋にミハロイを始め多くの男達が気を張り詰めさせながら注目しているのは、彼等がよく知る存在が、本来いる筈のない海の上に発見したからであった。

「っ、あれかぁ!」

 崖っぷちに立つ木から身を乗り出すようにして海を覗き込んだミハロイは、陽光を受けて輝く海の上に浮かぶ四角形の物体と、そこに乗る二つの動く人間の姿を確認する。

 そのうちの一人、小柄な褐色肌に女ながらに狩人らしい露出の多い服装と槍に弓を装備した人物は見間違う筈もない、毎日寝食を共にする彼の妹であるヒナの姿である。

 そしてその隣にいるもう一人の人物もまた、誰であるか目を凝らす必要もなくミハロイには判別出来た。

「あの余所者野郎、どこに隠れてたのかと思ってたら、ヒナと関わってやがったのかぁ!」

 少し前にこの島に流れ着いたという、ロアの民とは全く別の文明で生きてきた若い男。

 かつてペレを始め村の老人達が若い頃にやってきたとされる島の外の人間の同類をヒナが捕まえて戻ってきた時は若者の多くが得体の知れない人間への畏怖と興味で混乱状態に陥っていたが、捕えた本人のヒナの判断で村への不干渉をその者に言いつけて追放した事でとりあえずの騒ぎは収束した。

 だが村人達にとっての懸念は消えた訳ではなかった。

 いくら狩った獲物の使い方は狩った本人が決めるとはいえ、異邦の人間が同じ島の中にいるのだ、いくらサバイバルの知識や技術の乏しい人間だとしても、野たれ死なずにまたロアの民の前に現れる可能性は十分にあった。

 相手がろくな武装をしていないのは知っている、遭遇しても返り討ちにする自信は屈強な体を持つ狩人の男達の誰もが抱いていた。

 それでも、長年ロアの民が生き続けてきた大地に異邦者が混じっているという事実が彼等に形容しがたい嫌悪感を与えているのもまた事実であった。

 かつて交流の経験があった老人達ならいざ知らず、ミハロイを筆頭とする若者の多くは外の世界に良い感情は抱いていない。自分達が生きる世界はこの島の中だけであり、島の外のものは皆外敵でしかないという認識だからだ。

 その外敵である男があろうことか、溺愛する自分の妹と一緒に行動しているではないか。

 ミハロイは血管がはち切れそうになるくらいに怒って、今にも手にした槍を異邦者めがけて投げつけそうな迫力さえあった。

「介入するッスか?」

「っ、馬鹿言うな。近くにヒナがいるうちは手を出せんだろぉ……!」

 ミハロイ達がいるのは断崖絶壁の上、ヒナと余所者の男はその遥か下の海面にイカダに乗って漂っており、乱入しようにも手段がない。

 それにちらの存在を気づかせたとし、自分の妹と余所者の男が行動を共にしているという事実を認めてしまう気がしてミハロイは大声を出す事を躊躇わずにはいられなかった。 

「なんであんな奴と一緒にいるんですかね」

「あの野郎、ヒナちゃんをたぶらかしやがったのか!」

「胸糞悪い! いますぐぶん殴ってやりてぇ!」

 各々が罵詈雑言を漏らすのも無理はない、ヒナは村の中で一番腕の立つ狩人であり、他の男達に昔から可愛がられてきて育った。それだけに彼等のヒナに対する愛着は強く、アイドル的存在と呼んでもいいくらいだった。

 そんなヒナが今、どこぞの馬の骨かも分からない外の世界の野郎と行動を共にしているのをただ見ているしか出来ないのが歯がゆくて、拳を木に叩きつけたり地団駄を踏む音が何度もその場に響く。

「ミハロイさん、どうするんスか」

「何がだ」

「このままでいいんスか?」

「良い訳ないだろぉ!」

 ミハロイに八つ当たりするように叫ばれ、怯んでしまった少年はおずおずと後退りしてそれ以上口を挟もうとはしなくなった。

 本来ならミハロイ自身ここまで仲間を威圧するような言動を取る性質ではないが、今この時だけはそんな体裁を気にしてなどいられなかった。

 なぜこんなにも腸が煮えくり返っているのか。

 確かにヒナが余所者の男と一緒に行動している事に対して憤慨していた。ヒナに以前あの余所者の男が今何をしているのだろうと尋ねた時、彼女は知らないと言っていた。

 だが同時に、もし会った場合にはぶん殴ってやろうかと言うと途端に血相を変えて猛烈に拒絶反応を示してもきた。

 あいつとは関わるな、無視しろ。

 ヒナ自身がああ言っておきながら、実際には思いっきり接触しているではないか。

 自分の妹に嘘をつかれていた、それも確かに腹立たしい。

 が、ミハロイが怒る一番の理由は、別にあった。

 崖の上から気付かれないようにヒナの様子を確認したからこそ分かったそれに、ミハロイは血が漏れるくらいに強い力で奥歯を噛み締めずにはいられなかった。 

(あいつ……あんな顔出来たのか)

 遠目ではっきりとは見えないながらも、体の動きや風に乗って聞こえてくる微かな声でなんとなく分かってしまった。

 ヒナはあの余所者男と共に、獰猛なヒューズが潜んでいるから近づいてはならないと昔から教えられてきた海の上に丸太で出来たイカダの上に乗って漂っているにも関わらず、それに怯えている様子が全く見られない。

 それよりも男と常に何か言葉を交わし、時に怒ったり時に驚いたりと感情豊かな態度を取っており、自分を含む家族や村人と接する時の普段の落ち着いた喋り方とは百八十度真逆の性格が現れているようにさえ見えた。

 毎日自分が見てきたどの表情のヒナよりも、今のヒナの姿の方が活き活きとしているように見えて、今までで一番愛らしくミハロイの目に映っていた。

 本来なら家族の、しかも自身が溺愛する妹の幸せそうな様子を見て悪い事などなにもない筈なのに、ヒナの豊かな表情を引き出しているのが島の外からやってきた余所者の男だという事実がとても腹立たしくて、同時に激しい嫉妬心が彼の中に溶岩のように湧き上がっていた。

(あの野郎、俺達の生活に入り込んできやがって……!)

 今までは漠然と抱いていた余所者への嫌悪感が、明確な敵意と変貌していく。

 ギリギリと奥歯を鳴らし、爪で傷がつくほどの強い力で両手拳を握りしめ、爆発寸前まで静かに怒りを溜め込んでいく。

 そして周りの男達の声も聞こえなくなるくらいに怒気で脳内が埋め尽くされた後、張りつめていた糸がプツリと切れたように、ミハロイの頭は真っ白になっていた。

「……目を覚まさせてやる」

「ミハロイさん?」

「おら、戻るぞお前らぁ! 今は狩りの時間だ、とっとと晩飯捕まえてこぉい!」

 まるで何も見なかったかのように、ミハロイは男達に狩りへ戻るように命令する。

 ミハロイがヒナへ強い愛情を抱いている事を知っている狩人達は、横槍を入れる事もなくこの場から離れるように促す彼の態度に戸惑いながらもその場から散り散りに立ち去っていく。

「いいのか? このままで」

 そんな中、いつも協力して狩りに望む親しい間柄の男が耳打ちするようにミハロイにそう囁きかけてきたが、ミハロイは返答するのにかなりの時間を割いてしまった。

「……今までは、どうでもいいと思ってたんだよ。あんな余所者」

 島にやってきた外の世界の人間とはいえ、ミハロイにとっては島に棲むカダールを始めとする危険な陸生生物や、常に島を囲む海に潜む未知なる凶暴な生き物ヒューズと同じく、『ロアの民ではない生き物』の一つとしてしか捉えていなかった。

 近くにいれば目障りだが、自分達に被害が及ばないのならば勝手に過ごしていろと、それくらいの取るに足らない存在と思っていた。

 気に食わないが、関わろうとも思わない。そんな程度の小さな奴。

 そんなミハロイの価値観が、たった今ガラリと音を立てて崩れ去ったのだ。

(あの余所者が、ヒナを変えた。あの野郎が……!)

 気にもならない嫌いな人間が、放っておくのも許せない嫌いな人間へと変わり、ミハロイの頭には常にあの余所者の顔がこびりついて離れない。

「けど、もう無理だ。見て見ぬふりは」

「なら、どうする?」

「……ハウロア様のナッガ討伐の話、覚えてるよな?」

 ミハロイが唐突に口にしたのは、ロアの民なら誰もが幼い頃に教わる、島の神ハウロア様の伝承の一節にある、かつて島を襲ったとされる災厄を司る怪物の名であった。

 大きな翼を持つ禍々しい姿と語り継がれるその生き物は猛烈な雨風を引き連れて前触れなく島に現れ、ロアの民に災いをもたらす悪しき存在だ。

 伝承の中では激しい戦いの末ハウロア様に打ち滅ぼされるのだが、その際ナッガの魂は島の外の世界に無数に分かれて飛び散り、ハウロア様への敵意を頼りに再びこの島を目指しているともいわれ、時折島を襲う嵐の原因はそれであるとされている。

「そりゃあ勿論、それがなんだ?」

「……ナッガの魂が起こした大雨や暴風で俺達は何度も村や森を荒らされ、命の危機に晒され

 てきた。それって、ハウロア様がナッガをちゃんと仕留めておけば俺達は苦しい思いはしな

 かったって事になると思うんだよなぁ」

「お、おいミハロイ、そういうのは……」

 親友が狼狽えるのも無理はない、ミハロイは今自らの信仰する神を非難したのだから。

 ハウロア様に対する批判や侮辱はロアの民にとって許されない、ハウロア様に与えられた大地と命の上で歴史を紡いできたからこそ、教えに逆らうような言動は慎むのが本来なのだが、ミハロイは生まれて初めて、その不文律を破ってみせた。

「あの野郎だって同じだ、あれがこの島にいる限り、ヒナはあいつにいつまでも毒される、他

 の奴だって何をされるか分からない。害を散らされる前に、元を断たないとなぁ!」

 傍にあった木を横合いに拳で殴りつけ、ささくれが刺さって生じた痛みで自身を奮い立たせるようにして、ミハロイは決意した。

 ヒナも言っていたではないか、村の生活に変化を及ぼしたくないと。

 そんな彼女も、余所者の男によって志が揺らいでしまったに違いない。

 あいつさえいなければ今までの生活が戻ってくる、あいつがいるからヒナは今までと違ってきてしまった。

 態度は冷たく言葉遣いも素っ気ない、それでも兄妹として当たり前のように互いを認識していたあの頃に全ての状況を戻してしまいたい。

 ミハロイの中に煮え滾る、島に居座り妹をたぶらかす外の人間の男への憎悪と嫉妬から転化した強い意思が、彼を突き動かす。

 彼の親友や取り巻き達も同調し、彼の言葉に反論する者がいないどころか、進んで協力しようと頷き合う。

(覚悟しろよ、余所者)

 足場の悪い森の中を歩きながら、自らの敵となった人物に対して心中でそう呟いた時のミハロイの目は狩人のそれではなく、復讐に燃えるおぞましく濁った色を灯しているのであった。



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